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真夏の雪に逢いに行こう  作者: 七瀬渚
番外/(題名決定までしばらくお待ち下さい)
90/180

其ノ柒〜傷だらけの魂は愛を知っている〜


 ※『題名決定までしばらくお待ち下さい』という章タイトルです。変更予定は今のところございません。





挿絵(By みてみん)



 霧が新緑を滲ませる朝を迎える度に、私自身の輪郭もぼやけいくかのような夢現ゆめうつつの感覚を覚えておりました。記憶は確かなのにおぼつかない。愛しい貴方の姿さえ朧げになっていくようで、きっとこれのせいと言わんばかりに瞼を固くつぶって抗う日々。



 それでもやはり。



「よく頑張りましたね。さすが夏南汰様の血を引いている……あなたはきっと強い子になりますよ」



 そっとさする私の手を小さな跳ね返りがトンと打ちます。なんと愛らしいこと。こうして確かに息づいている。貴方の残してくれた尊い命がここに在るのです。



 いつになくたまらない苦しさが込み上げた為に思わず疼くまってしまいましたが、実際のところあれは※高位破水でございました。羊水も赤子の命が危ぶまれる程は減っておらず、すぐに産気づくこともなく落ち着きました。


 とは言え、早期発見に越したことはありません。今後の万が一に備えた環境に身を置けるのも、医療の知識を持つ方が近くに居て下さったおかげです。



 そうして辿り着いた産婦人科の病室。すでに数日程過ごしている私は、今日も幾つかを思い返します。



――夏南汰様。


 貴方はもうこの世にいらっしゃいません。あの話を聞いてしまわれたのでしょうか。だとしたら今頃悲しんでおられるのでしょうか。


 この子に触れられないことを悔やんで……?


 愛情深い貴方が安らかな眠りについていることを願って止みません。どうか泣かないで、と。



――柏原様。


 生存者の方のお話を聞きました。愛しいあの人の最期に寄り添い続けてくれたのは貴方だったそうですね。凍てつく海の方へ傾きながらもあの頼もしい笑顔を絶やすことなく温め続けて下さったと。


 どんなに強がっていても本当は寂しがり屋なのです、あの人は。


 どうかそのままお傍に居ては下さいませんか。貴方自身も羽を休めて、それでもぬくもりを与えてあげてほしいと願う私の我儘を許して下さいまし。いつかそちらに行ったなら必ず。私がそのお役を引き継ぐ所存でございますから。



――命様。


 同じく事情は聞きました。勇敢で逞しい兄でありたかった貴方にとってこれ以上の無念は無かったことでしょう。私の入院中に秋瀬邸を訪れ、陽南汰様に土下座までされたそうですね。


 その後のことも……聞きましたよ。



 体調の優れない春日様を送っていった貴方は、明け方になって、帰られたと。


 今も病床に伏せっていらっしゃるのですか? これはもう、誰が悪いという話ではないというのに。



 そして。



――春日様。




 覚えていらっしゃいますか? 私は貴方を対等に見ているとお伝えしたこと。


 生意気なのは百も承知ですが、もとより私は志の小さい相手はかたきとも見なさないのです。恋敵と称してみせた意味、本当にわかっていらっしゃいますか?


 もう痛みを分かち合うのも貴方しか居なかったというのに、ねぇ? 春日様。



「貴方という方は……っ」



 皆でお見送りしようと決めた夏南汰様の遺骨を持ち去って、あんな、あんなふうに、真夏の雪として散ってしまわれるとは。



 さすが最愛のお方を翻弄させた最愛の人。


 何処までも自己犠牲的かつ身勝手で、哀しくて、自ら罪まで背負ってしまう。



 何処までも……優しい愚者なのですね、貴方は。





 そして誰よりも無力な存在がここにおります。止めることも癒すこともかなわなかった未熟な母。そんな私に残されたのは、もう、この子一人だけなのです。



「具合はどうじゃ」



 一人だけ……。



「大人しく寝とけって言うたじゃろ。もういつ産まれるかもわからん。ほんっま言うことを聞かん妊婦じゃのう」


「陽南汰様」



 まぁるく目を見張っていた私は果たして何度瞬きが出来たのでしょうか。二つの葬儀に命様の看病、滞ってしまった仕事など、ろくに眠れもしないくらい多忙でいらっしゃるはずのお兄様がまさかこの場所へ、と驚いて。



「改めて春日の両親に会ってきた。儂の弟が無茶をしたせいで巻き込んでしまったと。弟に代わって誠心誠意詫びようなんて思っていたんじゃがの」


「はい」


「さすが春日の父親じゃ。優しい顔して優しい声で、顔を上げなさいなんて言いよって……」



 久しぶりにこの目で捉えたお兄様の笑みに確かな陰を見た私は、小さく息を飲んでしまいました。



――貴方を殴って息子が帰ってくるなら、何度だって殴って差し上げますよ――



「……だとよ」



 これまでに関わってきた人たちから、関わりの無かったはずの人たちまで。数々の想いが私の中でひしめいては、たまらない軋みを立てるのです。



「秋瀬家も春日家もあいつらが愛して合っていた事実を無かったことにしようとしとる。それこそ暗黙の了解のようにじゃ。儂かて許せんわ。唯一残った弟の一欠片さえ奪われたんじゃからのう」


 しかし、のう。


 表情さえ伺えない程にうつむいた陽南汰様が絞り出します。



「なんもかんも全部なんて、揉み消すなんてあんまりじゃ」


「…………」



「すまん、夏呼。おめぇも辛いのにこんな話」


「いいのですよ」



 気が付けば自然と震える大きな手に自身のそれを重ねておりました。何度かさすってしまってから、ようやく。


「……っ、申し訳ございません」



 じっと見つめる視線に気付いて我に返りました。


 ところがすぐさま引こうとした私の手がぴくりとも動きません。



「陽南汰様?」


「…………」



「どうされたので」


「夏呼。儂の嫁にならんか」




 こうも間髪入れずに切り出すとはなんと大胆なお方でしょう。太く明確な声色を通して間違いなく届いたものの、しばらくは理解が及ばなかったくらいです。


 私の身の上はもちろんご自身の立場もわかった上で……?



 しばらくの間を置いてやっと理解が及ぶと、たまらない恐れに震え上がる小さな肩を抱いてしまいました。震えの止まらない唇から、やっと。


「なんということをおっしゃるのです」


 いけません陽南汰様。貴方、破天荒どころではありませんよ。


 声にならない語りかけは私の内側でのみ反響します。直線以外を知らないような真摯な眼差しにかぶりを振るくらいが精一杯で、何度も何度も、表情のみの抗いを続けておりました。



 それはいけない。


 私を可哀想と思ってのことならなおさらです。無骨な物言いながらも本当は優しいお方なのだと薄々気付いてはおりましたが。



「勘違いすんな。同情で言ってる訳じゃねぇ」


 いとも容易く見透かされると瞬時に息が詰まりました。何かわかってしまったような感覚を得たが最後、押し留めていた蓋が外れたみたいに絶えず、熱く、流れてくる。


 これではまるで期待しているみたい。自身への恨めしさに唇が歪んでしまいます。性懲りもなく伝う涙に、いい加減になさい、と。



「情けない話じゃがの、儂らの両親は体裁を気にする割に身近なところはまるで見えとらん。この世に夏南汰の子がおるなど想像もしとらんじゃろう。儂の交友関係についてもじゃ」


「…………」


「住み込みの家政婦が居ることは知れちまってるみてぇじゃがの、儂と交際していたと言ったところでなんも疑いはせん」


「……っ、そんなことをしたら……!」



 破天荒の兄上の意図するところを察した私はとっさに身を乗り出しました。


 もはや予想の範疇を超えておりました。まさか全て自分の責任にするなど、破天荒、それでなければ無鉄砲としか言いようがありませんよ……!



 筋肉の隆起する逞しい両腕を必死に掴んだ。それなのに貴方ときたら。



「なぁに。せいぜい儂が引っ叩かれるぐれぇじゃ」



 容易く解いた私の手を我がものにして見せつけるのです。


 不器用な微笑みに目が眩みます。笑うのは得意じゃないって一目でわかる、しかし無理に作ったものではないことも、また。



「間違っても引き取ってもらうだなんて思うな。頼んどるのは儂の方じゃけ」


「陽南汰、さ……」



「あいつの残した命とあいつの生き様をおめぇに守ってほしいんじゃ」



――儂は、儂はの。



 小さく鼻を擦った陽南汰様は


「そんなふうに生きるおめぇを……儂なりに愛したいと思っただけじゃ」


 肝心なところで顔を伏せてしまわれます。





 そうして私たちは一つの覚悟を決めたのです。



 順序や経緯はおかしいと言われてしまうかも知れませんが


 “今はえーがの”


 お互いのことは時間をかけて育めば良いと、あの懐かしい響きを共にいだいて、宿った小さな命を守ることだけに専念致しました。




 そしてついに訪れた新たな夏。



 焼け爛れるかと思う程の痛みなのに血の気が引いていくような感覚でした。意識を何度も失っては戻りまた失ってと繰り返す私を支え続けたのは、ただ一つの切なる想いだけでした。


 一目だけでもいい。あなたに逢えたなら、後はどうなったって構わない。


 どんなに苦しくても残せるのなら我が命も惜しくはないという程、願って、願い続けて……



 約十一時間の葛藤を経てかすかな産声が私の元に届きました。


 予定日よりも早かった。破水してからもう数日が……



 それでも息吹は強さを増すのです。次第に大きくなる産声が私のすぐ傍まで。



「よく頑張ったわね。小さいけれどほら、こんなに元気だから安心なさい」


 微笑む熟年の助産師さんがはっきりと言い切ります。


「とっても綺麗な女の子よ」



 この腕の中に降りたのはまるで小さな陽だまりでした。危うげなくらい小さいのに、私は大丈夫って全身で示してくれているように思えて、私はいつまでもいつまでも魅入っていたのでございます。



 そっと指先で触れました。まだほんの僅かな産毛だけど、今に艶やかな黒髪となる。これは……


「夏南汰様」


 円らな形で見上げてくる純度の高い青みがかった瞳。


「……私だわ」


 生まれたばかりはこうなのよね。いつか父から聞いた話を思い出して綻びました。成長に連れて色が変わってくるそうだから、いつか私と同じように緑を帯びてくるかも知れないわね、なんて。



「無事に産まれて良かった。ほんっまに良かったのう!」


「陽南汰様」



「儂が……わぢが、ぜってぇ幸せにするけんのう!!」



 もう誰になんと言われたって構いません。


 大きな身体を震わせて子どもみたいに泣きじゃくっている夫と肩を寄せ合い、やがては笑いました。この世でただ一つの陽だまりの命を抱き締めて。




 ふと思い出したことがございます。それには訳があります。



「もしや、貴方……?」



 小さな両手でいじらしく縋る我が子に視線を落として、つい、絵空事を思い浮かべてしまいました。


 あの人を愛するが故にこんな姿で生まれてきたのではあるまいかなどと考えてしまったのは



 惜しみなく降り注ぐ真夏の雪……いいえ、光の舞が相応しき日。



 この日が、最愛の人の最愛であった“あの方”のお誕生日だったからなのです。



 昭和六年七月二十五日



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 あれから長くの時を経た現在、転じたこの世界に於いても数々の苦難が訪れました。


 悲劇は繰り返されてしまった。私には本当に為す術は無かったの……?


 打ちひしがれていたのはほんの数時間前のことなのですが。



「あー……やっぱりここに居たか」


「ブランチさん」



 かつての夫であった彼が頭を掻きながらやってきた私の部屋には今、泣き疲れたナツメが眠っております。



「今夜、ナツメ、私、選んだ」


「あぁ、わーってるよ。良かったな!」



「ナツメ……真実、知った」



「あぁ。わーってるよ」



 憮然としていたかと思った矢先にふっと哀愁が滲む忙しい人。姿形が変わっても相変わらずお人好しなその人は、いつものように部屋の片隅で落ち着くとぽつりとこんなことを零すのです。


「あいつをもっと信じてやりゃあ良かった。隠すこと自体間違いだったのかも知れねぇ」


 その後悔は貴方のものだけではありません。私も……



 久しぶりに隣へ並んで肩を寄せると、共に前世かつての波長に満ちていくのがわかります。



夏南呼ななこに逢いたくなりました」


「いつかこの世界にやってくる」


「逢えるでしょうか」


「あぁ、きっと」



 手を取り合って想いを馳せます。個人の思うようになど回らないこの世界。輪廻とは尊く残酷なものです。



――あら、みんなお揃いで。



 ドアの隙間から届く滑らかな声に揃って顔を上げました。


「マドカ」


 呼んだすぐ側からまた蘇ってくる懐かしい波長。貫禄溢れる彼女の姿が峰麗しき淑女のものへと移り変わっていきます。



「樹様」


「おぉ、樹。性別が変わった夏南汰に並ぶぐらいおめぇも凄まじい変貌じゃのう」


「まぁ。何だか皮肉を感じますわね、ヒナちゃん。昔私に縁談を断られたことをまだ根に持っているのかしら?」



「ちっっげーーよ!! 誰がおめぇみたいなじゃじゃ馬女……っ、あとその呼び方はやめろ!」



 真っ赤になって反論するその姿だけで、昔が容易に想像できますよ。みっともないですよ、アナタ。



「しかし、こうなってもなんだかんだとモテてるとは不思議じゃのう」


「ふふ、言ってくれるわね。大事なのは、な・か・み」


「ベクルックス所長とアインさんに争奪されたそうですね。そして今では所長夫人……お見事です」


「みんなには内緒よ? 今は“食堂のおばちゃん”で居た方がやりやすいの」



 大切なのは中身。それは物質世界に於いてはしばしば心の比喩として用いられますが、幽体世界に身を置く私たちは魂の比喩であることを実にすんなりと理解します。



 どうやら魂には変わらない根本があるようなのです。重苦しい空気を一転させる才を持つ彼女は


「探り探りね、私たちも」


 あくまでも前を向いて胸の内を語るのです。



「見守りましょう。私たちなりに支えるの。夏南汰くんもナツメさんも、立ち止まっていられる気質じゃないわ」



 眠りの最中さなかにある傷だらけの魂を見つめている。


 包み込むようなその眼差しは、後悔だけで終わるなと、ただでは立ち上がるなと、私たちに示してくれているかのよう。



 真の淑女への道はまだまだ遠いと認めざるを得ない私です。だけど。



「ナツメ」



 一緒に生きましょう。あなたを愛し抜く自信なら誰よりも持っているつもりですよ。





 ※高位破水・・・子宮口から遠い子宮の高い部分で起きる破水を意味する。流出する羊水の量が少ない為、尿漏れなどと誤認してしまいなかなか気付かないこともあるらしい。胎児に急激な悪影響を与えることは少ないが、早めに適切な対処を取るに越したことはない。




 ★おまけ★



 私を生かしてくれた新たなる命よ。


 どうかこの想いを受け継いで、サンサンと輝く光であれ。


 どんな旅路も恐れずに進んでいく勇敢なる志を持ち


 温かな南風を纏い、貴女にしか生み出せぬぬくもりを届けるのです。



 伸びやかに



 彼方まで




 日本男児も唸らせるほど逞しい、新世代の淑女となって見せなさい。



挿絵(By みてみん)



 “夏南呼ななこ



 晴れやかな微笑みに相応しき名を与えましょう。




 天真爛漫かつ純粋なカナタの面影を持つ新たな命は、苦難の連続に傷付いた若き夫婦の心に温かな光をもたらしてくれたようです。



 その証とでも言いましょうか。


 決して切なさばかりではなかった三人の歩みをほんの少し覗いてみましょう。



 今回は二本でございます。




(※特に一本目は顔芸注意です)








 ★おまけ漫画①★


『ある夏の日の脅威』


挿絵(By みてみん)



 笑うのが苦手な父・ヒナタはこれでも一生懸命“面白い顔”をしたつもりだったようです。



 娘には怖がられてしまいましたね。真面目な彼は当然ながら深く反省します。


ところが何やら思わぬ方向に……?



 最後の一本参ります。



 ★おまけ漫画②★


『幼妻の相談~夫の努力が妙な方向へ進んでいるのですが~』


挿絵(By みてみん)



夏南汰おとうと夏南呼むすめなら……どっちも可愛かったじゃろうな……うん、まぁ……どっちも子どもじゃが」


 いつになく小さく見える夫の背中へ。


「当然です。可愛いに決まっております。貴方は……その、貴方らしく……逞しくいれば良いではないですか」


 ちゃんと届いたかどうかは定かではありません(夏呼談)



 いいえ、今からでも遅くはない。いつかは届けてあげてほしいところです。



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