13. 待春
貴方に転生した君と再会した日から数えても、いや、もはや数え切れない程の後悔を繰り返した。これ以上の自虐はあるまいというくらい自分を責めた日もあったのだが。
まさかそれ以上が存在するだなんて。いや、この言い回しも適切ではない。正確には存在していた。紛れもない過去形だ。いくら文系に疎いと言ったってこれくらいはわかる。
そして今まさに、肉体と幽体の狭間、時空を超える最中で噛み締めている。
これ程自分を愚か者と思ったことがあっただろうか。
世界が移り変わるタイミングは冷たい雨が降り止む気配で察した。
ユキが彷徨ったという研究所前の森の中をナツメは一目散に駆け抜ける。枝に引っかかれたストッキングが裂けようとも、危うく倒れかけようとも、ついには片方の靴まで置き去りにしたようだったが気に留めている暇もありはせず。
昼休憩後という時間帯からおそらくこっちという方へ向かった。そこは植物管理班の敷地内。立ち並ぶ温室を片っ端から開け放つつもりがたった一度で的を得る。
――夏呼。
開口一番にこちらの名を呼ぶ。
そう、あの頃からだ。船の購入を終えた雪の帰り道、偶然立ち寄った教会の扉を開けばそこに天使が居てくれた。
いつだって見事な程に的を得るのだ。不思議なことに彼女とは。
あのときも……たった一度だけ。
「ナツメ」
「なつ、こ」
…………
「……夏南汰様?」
肩で息を切らしながら震える足取りで歩み寄る。いっぱいに見張った彼女の琥珀の瞳に今、どちらの自分が映っているのか。悟りながら進んで、進んで、間近で立ち止まったなら一気に深くまでこうべを垂れるのだ。
「すまなかった……!」
こんな愚か者の自分が打ちひしがれている場合ではない。出来るだけはっきりと伝えるはずだったのに、その声はどうしようもなく震えてしまう。
私の知らぬ事実がまだ一つ、あの世界の小さな片隅に眠っていた。
はっきりと記されていた。あれは友情ではなく愛の物語だと主張した夏呼の娘、ナナコはこう続けたのだそうだ。
“お母様はお父様を守る為にこの事実を伏せたのです”
表面的にはとりわけ不自然でもないように思える。ナナコには母と父が居た。体裁を気にする秋瀬家で育った父を守る為……何故かそちらには考えられなかった私は取り憑かれたように頁をめくってついに辿り着く。
脚本家:ナナコ
本名:秋瀬夏南呼
前世と私と君と。たった一文字違いの字面を目にするなりざわざわと音を立てて紐付いた。血の気が失せるのも同時だった。
「ナナコのことは聞いていたよ。ヒナ兄から……君との間に生まれた子じゃと。私が死んだ後、と、聞いたはずなんじゃが」
「夏南汰様、お顔を」
言われた通りに顔を上げると蒸気した頬を上を大量の雫が流れ落ちる。やっと作ることのできた薄い笑みを前にした彼女が小さく息を飲む。
「計算が合わんのじゃよ」
ナナコの紹介文には確かにこう記されていたのだ。
“1931年7月25日生~2011年3月17日没”
1931年……即ち昭和六年。
私の死した頃と同じ年。こんなのあるはずがない。
――儂らの子じゃ――
わかってしまえば実に滑稽な話だ。こんな風に呟いたヒナ兄は単に照れているものだと思っていた。
儂らの? そうでなかったら他に誰がいるのだと含み笑いをしたくらいなのだが、答えはこうして思わぬところから返ったのだ。
――私じゃないか。
ここに居るではないか、と。
「私じゃないか……っ!!」
拳を強く握り締めて言い放つと、電流が駆け上るかの如く肩までもが激しく震え出す。止められない滴りがはだけた片方の足を打つ頃、温室の花々から目の前の彼女に至るまでもが全て、混ざり合って、溶け合って。水に落とした何色もの水彩絵の具みたいに緩やかな渦を描いては幻想的に回り出すのだ。
夏、呼……
彼女は何処だ。触れても良いのか、こんな穢れた私に包まれて許されるものなのかと、満ちたカナタの波長が彷徨い始めていたときだ。
――ここにおります。
先に包み込んでくれた。震える手をとってくれたぬくもりで、思いのほか近くまで迫った気配を知る。
ああ、夏呼。健気な君よ。
手繰り寄せるよう小さな肩を抱いたカナタは、見えなくとも容易に思い描ける小さな耳元で囁く。
「ほんまは謝りたくなどなかったのじゃ。それは所詮私の自己満足。君にとってはなんの救いにもならんと……身勝手な詫びなんかで君の想いを踏み躙ってはならん、と、思って、私は……ずっと」
それに、それにな。
「嬉しかったんじゃよ、私は。君と巡り逢えた奇跡を、寄り添える尊さを、あれ程噛み締めた夜は無い。私かて過ちなどにはしたくないのじゃ」
柔らかな髪を撫でると同じようにして返してくれる。熱くなった耳元に口付けまで落として、懐かしい声色で懐かしい方の私の名を呼んでくれる。だけど。
「やはりいけんことだったんじゃな……? 私は子を宿した君を置き去りにしてしまった。他の男を選んで君を傷付けた上に骨になって帰ってくるなど。どれ程心細い思いをさせたことか……っ、のう、夏呼……」
また二つ程落とした雫で彼女の肩を濡らした。薄く瞼を開いたカナタの表情は完全なる自嘲の形を成す。
夫でもなければ父親でもない。元彼? いいや、そんな役割すら果たしてはいない。中身はてんで子どものくせに大人の真似事なんかしたせいで、結局は、彼女一人が背負い込むことに。
――最低じゃ。
最低の男ではないか。乾いた呟きは内側で幾度も反響して、何処までも己をいたぶるかのように思えた。
「独りではありませんでした」
「しかし、ヒナ兄もあれからすぐに死んじまったんじゃろ? その後の君は……」
「あの子が居てくれました」
そっと身体を離す彼女の動きに伴って、恐る恐る顔を上げたカナタの視界も晴れていく。
蒸した花の香りと可憐な笑み。九月だと言うのに柔らかな春の息吹を前にして、ゆっくりゆっくり、息を飲むのだ。
――ねぇ、夏南汰様。
やがて夏呼が語りだす。
「貴方を失ってなお生きていけたのは何故だと思います? 私だってそれ程強くはないのですよ。貴方を追った春日様を特別弱いとも思いません。何度も同じことを考えた私には、あの方の気持ちが痛いくらいわかりましたから」
――だけどあの子に救われた。
「…………!」
「陽南汰様と二人で私を生かしてくれたのです。そうなれたのは他でもない貴方が残してくれたから」
――ナツメ。
真っ直ぐこちらを見上げたヤナギが語り出す。
「ナツメ、私の希望。私に希望くれる。生きて。ナツメを、大切に、生きてほしい」
――今世を生きて。
「ヤナ、ギ」
――いつか。
『いつか、この世界にやってくる夏南呼を迎えてやって下さい』
秋分も間近、哀愁の木枯らしの中で……
一際暖かな一室にて、温かな君に包まれながら、私は。
「ヤナギ。君への想いとユキへの想いは違う。君の望む形ではないかも知れぬが」
「……言って、ナツメ」
口にしていいものか幾度もためらった。それでもやはり、これしかないのだ。
「愛している……!」
君と私の間にしか成り立たぬ愛もまた存在するはずだと、確かめ合いながら私は、心に誓う。
――夏呼。
君の傍に居ると。
――夏南呼。
君を待つと。
――雪之丞。
君を忘れぬと。
この世界で、私だけの愛しい春を抱き締める。




