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真夏の雪に逢いに行こう  作者: 七瀬渚
番外/(主人公不在の為、題名を改めます)
73/180

其ノ伍~彼方へ届け、陽だまりの息吹~



挿絵(By みてみん)



 蝉の声が一層胸を騒がせる夏の午前。再会を果たした同日。初めてお目にかかる秋瀬陽南汰様を静寂が占める屋敷の中へお招き致しました。


 つい先程まで玄関先で悲痛な叫びを上げていた春日様も、腫れた虚ろな目をして後を着いていらっしゃいます。長い両腕の中には未だしっかりと抱えられている小さな骨壷。この中にいらっしゃるのです。


 薄く開かれた蓋から私も垣間見ました。息を飲むほど美しい、透き通るような白さの小さな小さな一欠片。その傍らには色素の抜けきった細い紐がひっそりと添えられていました。



「見つかっただけでも奇跡じゃ。生存者の一人が教えてくれた。指先の骨に絡まっていた紐を見て、これはきっと夏南汰じゃと」


 あの方のお気に入りの場所、ほのかな斜陽の射し込む窓際に佇む陽南汰様が背中で教えてくださいます。


「その紐の先には、あいつが大切にしとった……勿忘草の栞が在ったはずじゃと」



 勿忘草……。



 先に呟いたのは私だったでしょうか。それとも。



 確たる証拠とは言えぬかも知れません。それでも残された私たちは信じるしかなかった。無理矢理にでもこの一欠片に希望を探すくらいしかなかったのです。


 帰って来て下さった。


 そう思うことくらいでしか、か細い呼吸を保つすべが得られなかったのです。



「一体いつの間にじゃったのか……実家のあいつの部屋からこれを見つけた」


 手渡された白い封筒は、遅れながらも私が受け取りました。海を越えて送られ続けた文と同じ、懐かしい字面でこう記されていたのです。



 “私にもしものことがあって、それでも帰って来ることが出来たなら、どうか私を海に還してもらいたい”


 “原型を失くしても生き生きと躍動を続ける潮の満ち引きとなりたいのだよ”



「夏南汰様……らしいですわ」



 薄い微笑みと共に小さく溢すと、窓際のお兄様が少しだけ振り向いて、頷かれました。散骨にしよう。そう言ってまた斜陽の方へと向かわれます。



 もう認めざるを得ません。


 青年実業家兼冒険家。またの名を“ハマの破天荒”。無邪気で愛情深い、誰よりも純粋な、私の最愛の人。



 秋瀬夏南汰。享年二十四歳でございました。




 あまりに沈黙が続くものですから、いたたまれなく感じた私は人数分の紅茶を用意しました。遅れて腰を浮かせる春日様には、どうかそのままでと制して。


 四つ。そう、船旅から帰られたばかりゆえにお疲れでいらっしゃるあの方にも、癒しの香りでおもてなししましょう、と。



「きっと喜ぶ。あいつはきっと本望じゃ。あの大海原が大好きじゃけんのう」


 一口啜った陽南汰様がやっと小さな微笑みを見せたときです。






「……本当にそう思ってるんですか」





 忘れていた訳ではございません。いいえむしろ、呆然自失の表情をうつむかせながらも全身から何かをみなぎらせていく隣の方を、私は度々横目で伺っていたのですから。


 訝しげな顔つきへと一変したお兄様を前にしても動じない。私はもう知っています。ひとたびたがが外れてしまったこの方は……



「生きていたかったに決まってるでしょう!? もっといろんな景色が見たかったはずだ。あんなに好奇心旺盛なんだから……!」



 こうなってしまった春日様には、荒れ狂う獅子を前にしたが如く、きっと誰も歯が立たないのです。


 そう思って疑わなかったのですが……鋭く目を細め、くいと顎を突き上げる。悠然としていらっしゃるお兄様も負けてはおりません。



「そうじゃな。確かにおめぇの言うとおりじゃ」


 同意を示すと更に続けられます。


「儂から見ると夏南汰はなかなか割り切りのええ奴でのう、広島から引っ越したときも家族の中で一番にさとの言葉を捨てた。いけすかねぇと思った。そうまでして新しい土地に馴染む必要があるのかと。しかしそれもあいつの覚悟じゃと、儂も認めようとしとったんじゃ」


 やがて逞しい顎が更に上を向きました。反して鋭さを増す眼光は、執拗に春日様を追いかけて。



「それがやがて、崩れた。春日。おめぇとつるむようになってからじゃ」


「…………」


「今、儂は確信しとる。やはりおめぇに近付けるべきではなかったと。夏南汰を見るおめぇの目はまるで初恋の娘を追いかけるみたいじゃった。のう? 違うか」



 不穏な暗雲の訪れを感じました。きっともう時すでに遅しと知りながらも制止に入ろうとしたのですが。



「おめぇが夏南汰をそっち・・・に引きずり込んだんじゃろうが! 儂がどんな想いであいつを突き放したかわかるか? 可愛がられる男なんて恥じゃ、みっともない。そうやって男に育ててきたってのに!」


――――っ。


 腰を浮かせた陽南汰様は、テーブル越しに春日様の胸へと指を突き立てて。


「このなまっちょろい身体が肺炎になどかからなければ! あの日、嵐の大西洋に居ることもなかったかも知れん! おめぇが奪ったんじゃ、おめぇが……」



 春日様は負けじと薄い笑みを浮かべて。



「男に育てただって? 笑わせないでよ」


「な……っ」



「何を偉そうに。夏南汰が男らしくないだって? 逃げてばかりだった貴方よりかよほど勇敢だと僕は思うけどね!?」



「て……っ、めぇぇぇぇ!!」



 胸倉を掴み合ったお二人の間でテーブルがガタガタと音を立て、紅茶が荒波の如く飛沫しぶきを立てました。


「やめて下さい! 夏南汰様の前ですよ!?」


 私も思わず立ち上がってしまった。その瞬間に高みからの鋭い視線に捉えられてしまったのです。



 きっと、今、気付かれた。陽南汰様が顔中にいっぱいのしわを寄せて叫ばれたのです。





「妊婦は大人しくしてろッ!!」





 嗚呼、なんということ。



 どうか今だけはお聞きにならないで……夏南汰様。



 突き上げる唸りに口を押さえてしゃがみ込むと、ようやく我に返った様子の春日様が支えてくださいました。


「夏呼さん、もう無理だよ」


 優しくも哀しい声色。それと慈しむ手つきで背中を撫でて下さる。この方はもうご存知でいらっしゃいました。





 秋瀬一行の消息不明を知らせる電報が届いた……あの日。





――夏呼さん。



 もう慣れたものと思っていたのに、いつになく身体が怠くて仕方がなく、自室でひっそりとうずくまっていたときです。


「君って割と筋肉質だよね」


 いつの間にやら半開きの扉を放っていた春日様が、ゆっくりゆっくり歩み寄り。


「骨盤は意外と広いよね」


 静かに容赦なく尋ねたのです。ゆっくり、ゆっくりと。


「いつもフリルのエプロンなんてしてる。だからそんなに目立たないんだ」


 哀愁の眼差しで、抉るように。



「女性にしては随分と殺風景な部屋だね。秋瀬からもらったドレスはどうしたの? その小さなクローゼットに収まるとは思えない」


 すぐ間近に腰を下ろし、私の膨らんだお腹に着眼された。春日様をしっかり見据えた私はついに腹を括りました。



――ええ、そうです。



「順序は前後してしまいましたが、授かったのですよ……恋人の子を」


 かぶりを振る彼へ、私は少し身を乗り出しました。


「結婚を約束した方がいると貴方にもお伝えしましたでしょう」


「三十二週……いや、三十三週くらい? おかしいね。それなら去年の十月頃、僕らがまだ恋敵だった頃だ」



 詰まった息を無理矢理吹き返すが如くせきを切ると、自分でも驚く程の大音量がこの喉から突き上げました。



「ですから! 私はそういう女なのです! 夏南汰様も春日様もあざむいて、従順な淑女のふりをして、本当は安住の地を探し続けていたのです。身寄りが無いんですもの。神に背いた時点で私はとうにけがれきっている。それくらいするのは当然でございましょう!?」



 ここぞとばかりに醜く口角を歪め、ふてぶてしく笑ってみたつもりでございます。何もかもを見下すみたいに振る舞った。それなのに。



――嘘だよ。



 涙がとめどなく溢れてきました。だって、まるで通じないんですもの。



「君はそんなこと出来る人じゃない」


「…………っ」


「ねぇ、夏呼さん。君はどうするつもりだったの? その子を抱えて何処に行くつもりだったの?」



 春風の如く、柔らかに。少しばかり遠慮がちに包み込んで下さったかつての恋敵は、痛々しく震えた囁きを私に降らせたのです。



「僕はそれでも良かったんだ。秋瀬はきっと受け入れてくれたよ。まだまだ子供っぽいけど、彼なりに精一杯大切にしたと思う」


「……そうですね。私が打ち明けていれば、きっとあの旅に出ることも」



「違う。責めてるんじゃないよ。僕は、ただ」



 ただ……




 やはり無理があったのでしょう。途切れていく囁きを聞きながら私は掠れた笑みと共に溢しました。


「ねぇ、春日様」


 一筋の無念を為す術もなく伝せながら。



「性とは皮肉ですね」



 あの方の想いはもう貴方に定まっていたというのに、私は、私は……女であるがゆえに。





「なぁ。おめぇ、まさか」


 痛みに疼くまる私に遅れて駆け寄ったお兄様はなかなか察しの良い方だとすぐに知りました。医者の卵でいらっしゃる春日様には劣りますけどね。


「大丈夫、です。この子は、私、が、一人……で。ご迷惑は、おかけ……しま、せ……」


「お、おい!」


「生存者の、方に、お会い……して、事の……真相、を……」



 う…………っ……!



 耐え切れずに呻きを上げると、ごめんと一言告げた春日様が私の着物の内側を確認しました。顔を上げた彼はみるみるうちに雪の肌に脂汗を滲ませました。



「お兄さん、車を出して下さい。切迫早産の危険性があります」


「なんじゃて!?」



「破水してるんです! 早く!!」



 たまらない痛みの渦中だと言うのに、その先の意識は淡い微睡みの中へと薄れていきました。


――夏呼――


 あの罪深き幻想の夜へと導かれていきました。




 険しい愛の道中で迷子になっていた貴方を手招きしたのは私。神に背いてでも傍に居続けようと心に誓った愛しい人が、この手から、すり抜けてしまう。


 ただ一度だけで良かった。貴方を刻んでほしかった。


 私は貴方を介さずして、他の誰にも抱かれることなど出来ないのですから。



 罪悪感を胸を占めます。それでも私は生きたいと願うのです。貴方がここに居なくても、貴方と私が共に在ったという証の為に。



――夏南汰様。



 今年、小さな陽だまりのような私たちの夏が芽吹くのですよ。



 昭和六年七月九日



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 こんな悲しき経緯さえ今は忘れてしまっている、痛みを共有することも出来ないかつての恋敵がこの世界へ訪れてから。


「いいか、ヤナギ」


「どうぞ」


 暖色の間接照明が染める私の部屋へまたも訪れた。元夫と共に過ごす時間も増えて参りました。


 しかも今夜はもう一人いらっしゃる様子。



「磐座家の転生者。元・磐座樹だ」



「あなた……だったのですか」



 思わず目をしばたたかせると、彼女は実に品の良い笑みを返して下さいます。姿形はもうすっかり違うというのに、かつてと重なるのは容易という程。


 これぞ真の淑女。お見事です。今まで気付かなかったのが不思議なくらいですよ。



「無理もないわ。だってあの頃の私と夏呼さんはたった一度しか顔を合わせていないんですもの」


 いとも簡単にこちらの胸の内を見透かした元・樹様がくすぐったげに笑っておられます。それから少し申し訳なさそうに続けるのです。



「夏南汰くんに見られちゃった。だけど今はまだ正体を明かす訳にはいかないの。彼がナツメさんに戻るまで、私には近付けないように協力してもらえないかしら」


 一緒になって腰を下ろした元夫が頷きます。


「磐座家の転生者を前にしたらあいつ、根掘り葉掘り聞いてしまうじゃろう。樹は昔っからあいつの上目遣いに弱いんじゃと」


「ええ、あんな円らなお目々で見つめられたら、うっかり口を滑らせてしまいそうで怖いわ」



 ええわかります、樹様。あのお目々はもはや凶器ですものね。


 口にはしませんでしたがおのずと頷いておりました。きっと私も彼女も、共に惚ける顔でもしていたのでしょう。くっきりと眉間にしわを寄せた元夫の姿さえ、しばらく眼中の端にも無かったくらいですから。



「まぁ、そういう訳じゃ。もし樹と対面してあの事実に辿り着いてしまったら、あいつはきっと……耐えられん」


「いえ、陽南汰様。彼女に合わせてはいけないのは夏南汰様だけではなく」


「お前は本当に鋭いな、夏呼」



 だいだいに染まった元夫の眼光が一層強く、鋭くなりました。ぎゅっ、と一度、強く結んだ唇から再びあの名を紡ぎ出します。



「春日雪之丞。あいつもいずれ思い出す」



――己の罪を。



「そんなこと言わないで下さい。私が春日様でも、きっと……」


「やめろ」



 吐き捨てるように制すると、元夫……もうこれはやめましょうか。ブランチさんは、さもつまらなそうにそっぽを向いてしまわれます。まだ許せないのですね。



 私たち三人はこれから協力関係を結ばねばなりません。それなのに、なんと不安な出だしでしょう。困り気味な視線を泳がせている樹様を前にどう流れを戻そうか思考していた、



 そのときです。




 ……ブランチさん……!



「ブランチさんっ! 居ますか!?」




 わずかばかり声が漏れていたのでしょうか。ドアをけたたましく鳴らす誰かが、ついにはこちらの反応も待てずに更なる声を張り上げました。



「春日雪之丞が逃走しました!」



『!!』



「目撃者の証言によると、恐らく星幽神殿の方向へ……!」



「なんじゃてぇぇぇぇ!?」



 素早く立ち上がったブランチさんが一瞬見せたためらいを私は見逃しませんでした。色濃く蘇っていく私の中の“夏呼”がしかと見上げて。



「何か言ったのですか」


「えっ……と」



「陽南汰様」



「あ、ああ~! 言ったよ! 春日の奴が一つ目の罪を思い出して儂に土下座なんかしよるけんのう」



 それはもう呆れる程の開き直り。困ったひとの兄上もやはり困ったひとだと思い知らされました。



「そうじゃおめぇのせいじゃクソアホ女々しい泥棒野郎! 現代ではストーカーと呼ぶんじゃぞ、この夏南汰狂が!! ってな!!」


「まぁ! 暴言のフルコースじゃありませんの」




「アナタッッ!!!」



 夫を叱責したのなんて、何年……いえ、何十年ぶりでしょうか。




 ★おまけ★



挿絵(By みてみん)


 私が貴方に与えられるのはいつだって慰めばかり。


挿絵(By みてみん)


 ただほんのいっときばかりの安らぎで


挿絵(By みてみん)


 貴方を本当に救うことは出来なかった。





 今はもうこんな無力でちっぽけな欠片さえ届けることが出来ません。


 貴方は遠く彼方へ逝ってしまった。




――だけど息づいているのです。


 確かに、確かに。



 もう私一人の生涯ではない。


 どんなに寂しくても、辛くても。息が出来ないくらい苦しくて、みっともなくもがいたとしても……



挿絵(By みてみん)



――生きなければ――




 悲しみに打ちひしがれても泣いているばかりではいられない。この身に宿ると共に、新たな目的もまた灯る。それが母というものなのかも知れません。



 今回はもう二本参ります。




 ★おまけ漫画①★


『夏が愛した雪の小舟』


挿絵(By みてみん)



 お騒がせな人とは言え、真夏の太陽のような存在を一人見失っただけで切なさが漂うものですね。



 最後はほんわかと参ります。




 ★おまけ漫画②★


『忠犬ユキとドラカナタ』


挿絵(By みてみん)



 要約するとこんな物語のような気がします。もしかするとこの先も……?


 ドラ猫は気まぐれに舞い戻ってくるものですからね。



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