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七. 窮途末路



挿絵(By みてみん)



 衝撃に突き動かされたのは賜りの受諾を得たその三日後のことだ。目覚めて間もない早朝、この研究所内の廊下にて。


「待って! ちょっ、まっ……」


 見つけたところが私の位置からだいぶ離れた曲がり角だったものだから、それはもう無我夢中で走った。加速し過ぎたが為の遠心力に小さな身体を持っていかれそうになりながらようやく曲がったのだが。



(何処へ行ったんじゃ……)


 何処かの部屋に入ってしまったのか。それならばいくら俊足であっても無理はない。誰もが振り返る程の容姿を誇る彼女の背丈は、当時の女性にしてはわりかし高い方だった。成人を過ぎてなお身長百六十にも満たなかった私とでは歩幅が違い過ぎる。



(こんな……ちっこいせいじゃ!!)



 実際のところ、それはない。波長がそうさせているだけであって本来の姿はあくまでもスマートなナツメ。どちらしろ追い付けはしなかったのだろう。


 そんなことすら忘れてしまうくらい、無念の拳が震えていた。



「何をやっとるんじゃ、夏南汰。こんなところで」


 こう呼ぶのだから私の波長は未だ戻っていないのだろう。合わせてくれているのだろうか、ちょっとええか、とヒナ兄の口ぶりで手招きするブランチの後にしぶしぶ続いた。




――磐座冬樹は生きとるぞ。



 手近に在った応接間にて切り出されると思わず大きく前へのめった。とは言え、これが尋常でない事態なのはわかりきっている。未だ表情の険しいブランチを前に私も覚悟せねば、と思ってはいたのだが。



「……病院で見つけた。交通事故だったらしい。更にトラックの積荷が直撃して頭部に損傷を……意識不明じゃった」


「えっ……」



「それで幽体離脱したんじゃろう」



 冬樹さん……


 冬樹さん、何故。



 覚悟なんて気休めにもならないと知った。止まらない呻きを漏らして顔を伏せた私を懐かしい匂いが包み込む。


「泣くな、って……さすがにそれは無理じゃな。存分に泣け。だけどちゃんと手は打つぞ」


 頷けるようになるまで、一体どれ程の時間を要しただろう。



 散々泣いて、抱き締められて、乾物のように萎れた夏南汰は茫然自失の状態のまま。そこへドアノブに手をかけたブランチが思い出したように振り返る。


「そういや夏南汰、さっきは何をあんなに慌てとったんじゃ?」



 …………



 …………っ!



「そうじゃ!!」


 そしてやっと思い出す。目を丸くしているブランチにすぐさま縋り、上目でぐい、と見つめ上げ。



いつきさん、覚えとるか?」


「イツキ……えっ、ちょっと待て。磐座樹か?」



「彼女が居たんじゃよ! この研究所内に、磐座家の転生者が居るんじゃ!!」



「なん……っ! じゃと……!!」



 そう、すべきことをまた一つ見つけたのだ。つい先程受けたばかりの衝撃を忘れた訳ではない。しかし、これで重要な何かに辿り着けるかも知れないと、先走った希望に鼻息を荒くしていたときだ。



「ならばこの一件も儂に任せてくれ」


「え……」



 ブランチは、何故か、こう言う。



「仮にお前が見たのが樹だとして、問題は彼女が覚えているかどうかだ。そうでなけりゃあ余計に事態が混乱する」



 お前はお前の出来ることをしろ。



 懐かしい匂いも、口調も、遠のいていく。もうすっかり現在いまに切り替わったようなブランチの背中を、立ちすくむ夏南汰は呆然と見送るだけ。


 この世界に於いて、彼に突き放されるなどもしかすると初めてなのではあるまいか……?




(結局、私に出来るのなんて、ただ祈ることばかりではないか)


 こんなに近くに居るはずのユキにも逢えない。なんとなくだが、全ては己が引き起こしたことのように思えてならない。それなのに。



「ナツメ……いや、夏南汰さん?」



――宮殿から一報が。



 やがて背後よりナツメの部下にて呼び止められた。今か今かと待ち焦がれた、望んでいた……これにだって、嬉々として振り返ることは出来なかったのだ。




 先日と同じようにアインの機体に乗せられて宮殿へ向かった。


「今日は任務が長引きそうだから、終わったら無線で連絡をくれ!」


 そう言い残して去っていくアインは、代わりの誰かに迎えによこすつもりらしい。多忙な保護班班長だというのに、なんと面倒見の良いことか。



 そしてついに、重い足取りで踏み込んだ。


 天から賜ったという言葉をあの伝達人メッセンジャーの少女が紡ぎ出す。



 “物質世界の者の幽体はこちらへ跨ぐと遡る”


 “前世かつて今世いまが幽体を通じて共鳴する。ゆえに、今世いまにあたるよわいを復元する”



「……それが返答?」


「如何にも。其方そなたの問いは“何故、春日雪之丞の姿を為したのか”だろう?」


「そうだけど……」



 こんなの明確じゃない。


 唇を噛み締める夏南汰の顔に雲がかかる。


 文句があるのか、と呟く少女はどうやらむくれているようだが、正直、弁解する余裕もありはしない。この煮え切らない想いを抑えるだけで精一杯だ。



「天は多忙なのでな。他にも賜りたいことがあるのなら、改めて申すと良い」



 一方的に締め括られるようにして宮殿を後にした。夕闇迫る道中を下る最中さなかもそれは絶えず続く。


 止まらない震え。許されるなら声を大にして叫びたい。



 何故そのように遠回しなのだ。何故、こう、と。断言してはくれぬのだ?


 やはり私の罪を責めているのか。


 許されてはならんと? 苦しめば良いのだと?



 自業自得だと……?



 それならば、それならば……っ……



「何故ユキを巻き込むのじゃッ!!」



 膝から崩れ落ちると夏南汰は再び地を叩く。激しく、激しく。己の表面が剥がれて滴り落ちても、汚れても、絶えず。



 そんなとき、だった。


 ぽつ、と頬を打つ滴り。さすがにこれは己のものではない。



 今まさに舞い降りてくる、これは天の慈悲か。涙か。はたまた更なる追い打ちか。


 絶望に似つかわしいとも言える雨の中に混じって降りてきた。受け入れる漆黒の双眼が限界まで見開かれていく。



――こちらへ跨ぐと遡る――



「肉体を離れた幽体は前世の姿を取り戻す……」



――今世いまにあたる齢を復元する――



「だから、ユキ……なのか?」



 瞬きを忘れた双眼で見下ろしてみたのは己の手だ。いくつ歳を重ねようとも少年時代からさほど変化の無かった身体だが、改めて考えてみると確かに。



 やけに軽やかだと思ったのだ。これはナツメと同じ二十歳ハタチの身体なのか?


 あまりに久しかったものだからごく自然に受け入れていた。しかし振り返ってみると他にも思い当たる。この世界で再会した夏呼もきっと十四歳。静子の頃だ。


 ヒナ兄もだ。ブランチと同じ二十五歳なのだ。私も含めて三人も同じ現象が起きているとあってはもはや他の可能性を見出すなど至難の技ではないか。



 明確に、気付いていく。私は危うく重大なことを見落とすところだったと。



「冬樹さんは三十二歳だ。なのに、ユキは……」


 そう、春日雪之丞はあの頃と何も変わらない。あの船旅に出る直前、私が最後に目にした姿、二十四歳の彼の姿そのものだ。


 何故そんなことが起きたのか。考えられるとしたら……






「その先が……無かった……?」





 口にした途端にたまらない悪寒が背筋を駆け抜ける。よもや呪いの呪文でも唱えてしまったのかと、濡れた身体で身震いをしたとき。




――ナツメ副班長! ナツメ副班長!――


――応答を!――




 予感はすでに次の暗雲を察知している。ナツメ……私のことか。恐る恐る無線へと伸ばした指先に無情な音声の振動が、伝わる。




――春日雪之丞が逃走しました!――



「――――っ」



――ナツメ副班長! 聞こえますか?――



 嫌だ、嫌だ。



「嫌、じゃ……ぁぁ……ッ!!」




 私はもう、君を見失いたくない。



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