10. 日向
小さな拳で何度も何度も地を叩いていた。
どうしてくれる、何をしてくれる。
天よ、地よ、世界よ!
何故私たちを苦しめる。何故悪戯に引き離しては出逢わせ、また引き離す? こんなにこんなに、繋がりたくて、仕方がないというのに。
私たちが一体、何をした……!?
滴る雫さえ覆い隠す漆黒の束が、夜風になす術もなく揺らされていた。どうしようもない我儘を続けていた。
――おい。
本当はもうとっくに、背後の気配に気付いていたのだが。
やがて木陰に腰を下ろしたブランチは、ふーっ、と長い溜息の後、勝手に黙々と自身の分析を語り出す。
「お前、本当にあの男で間違いないのか?」
こちらへ投げかける頻度が多くなると、観念して隣へ落ち着いた。無念の塩辛い味を感じながらも頷いて。
「私は、その……彼と情を交わしたのだ。間違えるはずなどなかろう」
「だよな。通常、前世の波長に気付く為にはある程度の期間を要する。一緒に居続ければいつかはわかるもんだが、ヤッちまうのが一番手っ取り早い。想いが強ければ強い程、幽体同士の接触はより深いものになる」
「…………」
「間違えるはずがない、か。確かにそうだな。そもそも明治生まれの男が今もあんな姿で在り続けているはずがねぇ。幽体だって歳をとる。俺らがそうであるようにな」
私がすん、と鼻をすする横で、ブランチはふん、と唸りながら思考をこねくり回しているようだ。冷静なものだ。まぁ、そうでなければ私も私を取り戻せなかったのだろうが。
「春日雪之丞にしても磐座冬樹にしても、物質世界にしか生きたことのない人間が、幽体世界のこっちに居る。タイムスリップなんて実際のところ、今の技術で実現できるとも思えねぇ。本当に、わかんねぇことだらけだ」
「ブランチ」
そして気付けたのもナツメだからこそなのだろう。放っておけばいつまでも続きそうな長ったらしい分析をまずは遮って。
「何を先延ばしにしている?」
抉るような眼差しで更に制するのだ。
「…………っ」
あからさまに息を詰まらせたブランチの強張った表情に確信を覚えざるを得ない。
「そこまで分析している君が、可能性の一つにも辿り着いていないと言うのか? そんなはずはない。私の知る君は、実に冷静な思考回路を持ち合わせているはずなのだからな」
「それは……」
「教えてくれ、ブランチ」
本当は、凄く、怖かった。
出来ることなら聞きたくなどない。
何か不穏な気配がすぐ側まで……そんな予感さえ感じていたのだから。だけど。
「……磐座冬樹の身に何かあったんだ。きっと」
もう逃げられない。
「何か、って……?」
震えの止まない唇から微弱な吐息のようにして問うと、受け止めたブランチがいよいよ眉をしかめる。長く吐き出す彼の息にも震えが混じった。奥まった瞼を伏せながら。
「ここが幽体の世界、ということは、あれも幽体だ。物質世界の人間の幽体だけが抜け出すなんて、そんな状況は……限られている。こんな前例があったかは知らないが……」
おのずとかぶりを振って否定しようとする私に、ブランチは意を決したように瞼を開いて、告げた。
「死んだ。若しくは、死にそう、なのか」
――――。
「考えられるとしたら、多分……」
「――――!」
「……っ、ナツメ!!」
意図せずとも素早く立ち上がろうとした私の身体は、ものの数秒ばかりで引き戻されてしまう。もはや腰から地に押し付けられるように。
それでも言うことを聞かぬ私の身体をブランチはついに羽交締めにする。抗えない筋力。これじゃあどうしようもないとわかっていながらも、悲鳴の止まぬ私は彼の腕の中で散々もがいた。
「行ってどうする! お前に何が出来る!!」
厳しく咎める声に
「出来るかも知れぬだろう! もし冬樹さんにまだ息があったなら、私があちら側から呼べば……!」
必死の思いで叫ぶのだが。
「もうあの男に近付くな。磐座冬樹にも、春日雪之丞にもだ」
「何故!!」
気が付いたのは天を切り裂く勢いで張り上げた、後だ。
いつからだったのだろう。こんなにとてつもなく震えていたのは。
私ではなく。
「ブランチ……?」
「もう、お前を連れていかせねぇ」
彼の方がだ。
「お前たちはな……滅ぼし合う仲なんだよ」
告げられた後にはみぞおちが呻く程、強く強く、締め付けられる。息もままならない為か、泣き濡れたナツメの顔にいっぱいの熱が満ちていく。
「な、何をするんだ、ブランチ。苦し」
「勘違いすんな。そういう意味じゃねぇよ」
「だったら何故」
問いかける私の背に密着した彼が、わずかに首を横に振る気配がした。
「いっそそう思いたかった」
何やら覚えのある言葉の後。絞り出すような、呻きのような、声が、続いて来る。
「研究所で出会ってからもう一年は経つってのによ、まだ思い出さねぇんだもん、お前」
「ブランチ……君、は……?」
「俺はすぐに思い出したぞ。お前を忘れた日なんて一日だって、無かったんだからな」
引き連れてくる。
この研究所にやってきてから、あれは確か、三ヶ月目のある日。
実際に生物保護班の仕事をこの目で見たいという私の申し出で、彼らと共に野外へ赴いた。そして運悪く出くわしてしまった。
革命軍の攻撃。魔力兵器がもたらした稲妻の雨に。
逃げ惑う最中、慣れない山道で呆気なく足元を取られて倒れ伏した。その私の元へ……
――かな……ッ!――
――ナツメ!!――
大きな身体が覆い被さった。
いや……っ、あ……
ブランチーーーーッッ!!
忘れもしない。片足を貫かれた彼が操縦士生命を失った瞬間だ。
身を挺して私を守る寸前に私の名を呼んだ。その前にもう一つ、何か叫んだのを聞いた。
他の誰かを呼んだのだと思っていた。
「まさ、か」
「ずっと悔やんでた。おめぇを守ってやれなかったって。突き放してばかりじゃったけぇ、ほんまに悪いのは、儂じゃ」
こんなのは初めて聞く。時折裏返る、この声色はやはり……泣いているのか?
いや、違う。
初めてなんかじゃない。
私は確かに聞いた気がするのだ。もう言葉一つ返せない状態だったけれど、触れられもしない形になっていたけれど。
「だけどおめぇもおめぇだぞ! たまにゃあ言うことをくらい聞けや。頼れや。中途半端じゃなく最後まで! 今度こそ守らせろや。女になったってちっとも大人しくならねぇし、危なっかしいままじゃけぇ、おめぇって奴は」
震える悲痛な声が更に引き連れる。暗闇を押し分けるみたいに、明るんでいく。
――ほんまに――
――はがええ弟じゃけんのう……っ!――
「夏南汰ぁ……ッッ!!」
かつての響きを受けて、ようやく、今ここに在る懐かしさに気付く。今の今まで何故気付かなかったのだろう。
「ヒナ兄……っ!」
「おせぇよ、馬鹿夏南汰」
…………。
…………。
「すばろーしいけぇ、馬鹿兄がぁ!」
「あぁ!? こんのクソがきゃあ、訂正しろや!!」
もうあの頃とは違う。こんな傍に居てくれたのに。




