8. 音色
やがて生物保護班の帰還にてことの終結を知った。操縦士たちの数名に怪我人が居るものの、命に別状は無いと。子どもたちも一人残らずシェルター内に居る。静寂の空間に安堵の息遣いが満ちていく。
それでもただでは済まなかったはずだ。
こちらを一瞥したっきり何処ぞへ去っていくブランチのぎこちない歩みに視線を落とす。
生物保護班は読んで字の如く、絶滅危惧種の生物たちを保護する役目を担っている。操縦士のライセンスを有しているのだって、より迅速に、広範囲まで飛んで行けるようにする為だ。本来なら。
そう、本来なら武器を取るような役割ではない。こんな争いが無かったら、彼が操縦士生命を絶たれることも無かったのだ。
だけど感傷に浸っているばかりでもいられまい。
「私は先に研究室へ戻る」
唇を噛み締めていたナツメも、そうしてまた前を向くのだ。
翌日。準備に一晩中費やした新たな研究課題をスクリーンにて打ち出した。暗闇の中で一点に向かう眼鏡の列。ナツメも自身のそれを正して。
「物質世界の生態系研究にて興味深い事例に出会った。帰還は予定より早まってしまったが、ある程度の情報なら収集してある」
ごく自然に、淡々と。
「国は日本。神奈川県横浜市。その男は国立大学生物学部の准教授だ。彼は二度同じ世界に生まれている。こちらでの転生を挟まずに! 我々の知る常識では考えられないことだ」
ザワザワ、と広がっていく皆の反応は最もだ。強く頷いたナツメの元に一つの疑問が届く。
「ナツメ副班長はどうやってその事実に気付いたのですか?」
その疑問も……最もだ。二度目の頷きはゆっくりと。そして覚悟を決めて。
「私が彼を知っているからだ。私もかつてこの地域に居た。友人……だったのだよ。波長がしっかりと残っていた。もし間に他の転生があったなら、こんなに色濃く現れはしない。それで確信を」
――はい。
解説は思わぬタイミングで遮られた。一番奥の席で手を挙げた彼に向かってナツメは眉をひそめる。あからさまに、嫌そうに。
「なんだね、ブランチ」
「なんだねって、おまっ……、ナツメ副班長。その男というのは……」
「いうのは?」
言・う・な。
冷やかな眼光で射ると渋い顔をして押し黙る。うむ、どうやら察してくれたようだ。
「この興味深い事例は幽体の生態系研究に大きな影響をもたらすだろう。今後取り組むべきは彼が関わったと見られる物質世界のシャーマン一族『磐座家』の転生者をこちらの世界にて見つけ出すこと。物質世界に干渉することは出来なくとも、この現象が何を意味するのか、今後同じことが彼に起こりうるのか、その際の代償は? 我々が知るべき問題は尽きないのだ!」
多分苛立ち半分で締め括った。職権乱用? いいや、違う。間違いなどではない。何度となく交わしたあれが……間違いでも。
「冬樹さん」
これは必要なことだ。
君との再会を私は決して無駄にはしない。
その夜。時刻にして十一時頃。風呂上がりに食堂を訪れた。
照明はもう落ちている。それでも広いガラス張りのおかげである程度見える。青白い月明かりを頼りに給水場に向かって仕切り直しの一杯を注いだ。
満月……
遠い夏の虫の声を聴きながら一体何を思ったのか。自分でもよくわからぬうちに気が付けば前をいくつかはだけさせていた。
緩い息遣いと共に隆起する鎖骨の下まで。
――ユキ……っ。
君の名を呼んでそこに触れたのは、私か。それとも……
「そんなもん残してきて余計に辛くなるだけだろうが」
…………
「……ブ、ラ、ン、チ?」
気が付けはもうそこに立っている。ほぼ真後ろと言ってもいい位置から見下ろす呆れ顔を捉えるなり、抗えない勢いの熱が登って。
「なっ……ななな何っ、見てるんだっ!!」
「そんなところではだけてるおめぇの方が変質的だろ! ってかおめぇに欲情するとかねぇから。安心しろ」
吐き捨てるように言った彼も彼なりに気を遣っているのだろうか。向かいではなく一つ離れた隣に腰を下ろして水をあおったりなどしている。ナツメはただ気まずく前を寄せるだけ。
……ったく、危なっかしいったら。
気のせいかと思うくらいの小さな呟きだった。だけどナツメは顔を上げたのだ。机に乗せて組んだ自身の手を見つめているブランチの、彼の、声が。
「いっそそんな目で見れたらいいのに」
「ブランチ?」
無理だ、と最後にこぼした。その声があまりに苦しそうだったから。
しばらく互いに何も喋らなかった。
お節介かと思いきや妙なところで一歩引く。この男もなかなか不可解だ、なんて思い始めていたとき。
「ナツメさん! あぁ、ここに居たんだ?」
突如現れた職員の一人にデジャヴを感じた。まさかと身を固くしたのはきっとブランチも同じであっただろう。しかし、だ。
「研究所の外で倒れている男性を保護しました。昨日のテロの負傷者かと思ったんですが……」
思わぬ一言が続いた。
「彼、ナツメさんの名前を呼んでるんです!」
私を知っている……男?
情報としてはまだまだ足りなかったはずだ。なのに無性に高鳴って止まらない。おのずと口を突いた問いは、何か抗えぬ力に導かれてのものだったのか。
「名前、は……?」
りん、と鳴った気がした。
虫の知らせ?
いや、これは。
『春日雪之丞』
「知ってますか? ナツメさん」
幻聴か? 私はどうかしてしまったのか。




