三. 雪中送炭
語らいは想像以上の賑わいを見せ、昼食の最中まで飽き足らないとばかりに続いた。私は今後の旅の計画を余すことなく共有し、置いていく二人にも伝えたつもりだ。
ただ一人にだけはまだ明かさぬと決めた芯なるものを除いては。
――ユキ。
思いのほか早く訪れた紅の空を眺める二人きりの応接間。客人の去りしその場所で、夏南汰は想いを握り締めるかの如く胸に手を当て振り返る。
「少しは安心できたであろう?」
「…………うん」
「迅さんも命さんも頼もしい人だ。私かてこれほど人選に気を配ったことは無い」
「………………」
煮え切らない面持ちのユキは、ついにたったの二文字の相槌さえ返せずに黙りこくる。テーブルに影を落とす白い顔と色素の薄い癖毛は、なす術もなく夕の赤みに焼かれているかのよう。
なんとも痛々しい。
これではまるで極刑を甘んじて受ける囚人ではないか。
今日こうして客人を招いたのは他でもない彼の為だった。度々不安げに眉を寄せながらも旅立つ私を見送ってくれた。しかし今回ばかりは違っていて。
――駄目だよ、秋瀬……!――
最初にこの旅の話をしたとき。
まるで何かに取り憑かれたかのようだった。大きく目を見開き、戦慄き、今にも発狂してしまうのではないかという顔は、普段の彼にはあまりに似合わぬ鬼の形相にさえ思えて背筋が凍ったのを覚えている。
数多の景色、数多の人種。この手の届くものならと貪欲に追いかけ続けた私でさえ、あんなのを見たのは初めてだったのだ。
一体どうしたものやら……気の利いた解決策さえ見出せぬ私は、未だ萎れている彼の方へ、少しずつ、少しずつ、仔鹿の歩みのように近付いていく。
「のう、ユキ」
「…………っ」
目の前に来たところで、彼の冷えきった雪肌、その頰を撫でてやる。
「この旅は短くとも半年がかりになる。今までに無い試みだ。長らく君に触れられないのは私も寂しいよ」
「秋瀬……」
「それでも私は、な」
そして意を決して告げてやる。可能な限り、精一杯の微笑みと共に。
「君の傍に居る。君と離れたりなんかしないから」
…………
「…………もう騙されないよ」
ドク、と胸の奥が音を立てて痛んだ。
何か伝わった。恐ろしく低い響き、それだけしかわからなくて、私は宛てがったばかりの手を引いて、え……なんていう実に間の抜けた訊き返しをしてしまった。
「ううん。ありがとう、秋瀬。君の気持ちはよくわかったよ」
「ユキ……?」
「面白かったね、命さんの話」
ユキはすぐに、いつもと至って変わらぬ優しい笑みへと戻った。粉雪の音のように慈しむ君の声に
「ああ。実に、な」
先程の不穏な響きが幻であれと願ったのだ。
ユキが口にした通りだ。次なる旅路の供となる命さんの話は、きっとこの場に居た誰も彼もを虜にしたことだろう。
――“シャーマン”って知ってるかい?――
如何にしてその話題に行き着いたのか今となっては思い出すことも出来ない。彼女……いや、彼の切り出しをきっかけにこの私も好奇の渦に飲まれてしまったのだ。実に、呆気なく。
しゃあまん? と慣れない響きを繰り返ししたのは夏呼だったか? 得意気な命さんの表情が一層輝いたのだから、おそらくそれで間違いなかろう。
「我が国で言う祈祷師や巫女のことさ。磐座家はそういう家系だと言われている」
「まさか……!」
「ふふ、怖いかい? お嬢ちゃん。だけどここからは君の好きそうな話だと思うなぁ」
小動物の威嚇みたいに身を引いて睨みつける夏呼を目にした命さんは、さも面白そうにクックッと肩を震わせた。
「強い霊力……それがちょっとばかり特殊なんだ」
そして我々を神秘の世界へと誘った。
「俺たちの魂は恋い焦がれる者の切なる願いを波長として受け取るんだ。そして我が血族に取り込む。“逢引転生”という名で言い伝えられているんだよ」
えっと……と、口ごもる夏呼に命さんは更に念を押す。
「つまり。逢いたいと願う“そいつ”自身が、来世で磐座家の人間になるってことさ。強い霊力も受け継ぐことになるからね、運命を引き寄せる力は一般の人間の比じゃない。例え今世で結ばれなかった相手でも、また出逢える可能性が高くなるってことなんだよ」
ここへ来てようやく皆の合点がいったのだろう。ほぉ、とそこかしこから沸き立つ唸りの中心で彼はくすぐったげに目を細めて。
「浪漫のある話だろう? だけどやはり恐ろしいんだ。愛する者と巡り逢う為なら、ときに我が命だって惜しまない。いや、そうせざるを得ないと言った方が正しいか。なんたって生まれた瞬間から生きる目的がただ一つに絞られているんだからな」
言い伝えに過ぎないけれど。
白い歯を覗かせる悪戯な笑みでそう付け足した彼が、いくらも経たないうちにもう一つ加えた。
俺も出逢った、と。
「こちらに選択権は無いからね、必ずしもいま面識のある人間の波長と融合し、うちの家系に取り込んでやれるとは限らない。いや、一つ強行手段があるが……お嬢ちゃんにはちと刺激が強すぎる内容だろうな」
子ども扱いするなとばかりに、む、と頰を膨らませた夏呼を満足気に見下ろした命さんは
「次の世において必ず結ばれたい。そう願う程の相手が居るなら、騙されたと思って願ってみな。波乱万丈の人生付きでも良しと言える勇者なら、この磐座が全力で受け入れてやるよ!」
歯切れ良く、高らかに、締め括ったのだ。
今でもはっきりと覚えている。小ぶりな手を唇に宛てがって、ちら、と上目で私を見やった夏呼の仕草が愛らしかったこと。本当はすぐにでも、この浪漫ある話の感想を私に伝えたかったのだろう。
そして、今。
「ねぇ、秋瀬」
「なんじゃ?」
「命さんを連れてきたのって、わざと?」
こんなことを言いながら夕の赤色に……いや、違う。どうやら自ら染まっていっているようだ。
可愛いな、ユキ。花盛りの夏呼ならまだしも君までこの類の話を好むとは。
「……騙されてみても、いいと思った」
ふらりと吸い寄せられるよう窓際に佇んで、そんな風に遠い目をして黄昏ている君は……
君は、今、誰を想っているんだろう。
「ユキ、良かったらもう少しゆっくりしていかんか? 今度は私が面白い話をしてやろう」
隣に並んで手を握ると瞬時に駆け抜ける冷感と静電気に震えてしまう。それでも離すまい、どんなに痛くとも。決意を込めて更に強く握ると細く切ないユキの呻きに心くすぐられ。
「痛くしてしまったか……すまんのう」
そっと力を緩めてもなお、この手を離しはしない。私は親友として、彼に寄り添う責任があるのだから。




