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五. 累卵之危



 ……と、ここまでが青年実業家兼冒険家を名乗る私・秋瀬夏南汰と、共に暮らす元修道女・夏呼の歩んだ道のりだ。思いのほか長引いた語りに、ひたすらじっとして耳を傾けてくれた彼も、別室で待ち続けた彼女もさぞかし疲れたことだろう。反省しなければ、な。


 夏呼の喜ぶことならこれからいくらでもしてやれる。一晩でも二晩でも、傍に居る限り私は毎晩だって付き合おうと思う。いや、むしろ望んでいる。これが自然というくらいに。


 しかしもう一方はというとそうもいくまい。付き合ってくれた感謝の意を込めて、次は学友の頃から変わらず律儀な彼のことについて触れておこう。



 それはもちろん春日雪之丞。通称・ユキ。長らく別の道を歩んでいたとは言え、一度再会したなら後はすんなりと馴染んだ。今も変わらず生涯の友と言えるこの彼は、高等学校卒業の後、家業を継ぐべく大学の医学科へ。そして間もなく二十四歳を迎える現在は大学院生として勉学に励んでいる。


 本来なら地元から通える範囲での進学のはずだった。しかし驚くべきことに。



「ユキも一人立ち? 私の仲間ではないか!」


「いや、秋瀬のとは違うよ」



 未だかつてない程の我儘わがままを言った上に学費だって自分一人ではまかなえない。まだまだ無力なんだ。謙虚なユキははにかみながらそう言った。


 そうは言ったって大したものだ。気が付けば大きく身を乗り出していた夏南汰の両の漆黒はみるみる光を集めたくらい。



「西洋医学の最先端を学ぶ為とは素晴らしいではないか、ユキ。実に浪漫ロマンのある話だ」


「うちは昔ながらの町医者だからね。父は断固として東洋医学を推し進める気なんだけど、それもいいとは思うんだけど、僕は……知ってみたいんだ。知った上で更に医療の可能性を広げたい、と、思う」


「そうか……そうじゃのう、ユキ」



 うんうん、と何度も頷いたと思う。感慨深かった。未知なる可能性に心が躍る? いや、本当はそちらではない。私が何より心打たれたのは、あの気弱なユキがここまで勇気を振り絞ったということなのだ。


 あの時代にも勝る更なる文明開化を目指す歩み。それは時に両の撫で肩を抱いて耐えねばならぬ程の孤独をもたらした。しかし変化はこうして起きた。分野こそ異なれど、同じ方を向いて進まんとする、それは己ばかりではなかったのだと知った私の足取りは今日も……軽い!



「カナタ! 足元に気を付けて。君は小さいんだから、こ~んなヒルに吸われたらミイラになりかねないぞ」


「わぁ! 見せるなよ!」


 現地の大柄な男が指で摘んで突き出した小さなナマコのような生き物に思わず仰け反ってしまったが、なんのこれしき。


「私の想像していた吸血鬼とはえらい違いだ」


 次の瞬間にはもう触れてみたくなる。おのずと伸びていた指先が届くまでもう少しだったのだが、それは寸前のことろで何やら慌てた様子の男の手によって投げ捨てられてしまった。


「やれやれ、カナタは怖いもの知らずだなぁ!」


 どうやらちょっぴり? 私は叱られたようだ。すまないな、と内心で詫びて苦笑した。わかってはいるんだ。だけど、この癖ばかりはなかなか治らないのだよ、なんて、天をも埋め尽くす野性的な木々を仰ぎながら。



 実際はもっと遠くへと想いを馳せていた。それに気付いたのは、再び我が名を呼ぶ男の声を耳にしたときだった。




 今回は短い旅。ゆえに長期の睡眠不足は免れた。しかし有り余った体力を惜しみなく好奇心へと注いでいたのだから結局は同じようなもので。


 再びこの場所へ、そしてこの寝床へと着いた私は思いのほか深く寝入ってしまったようだ。目覚めのときを身体へ伝える為に、カーテンには常にわずかの隙間を作ってある。しかしそれすら気付かないくらいに蓄積された自らの疲労に気付いたのは。



「うわぁぁぁぁぁっ!!」



 慌てふためいたこんな声が耳に届いたとき、やっとで。



 重い半身を起こすと目に飛び込んだのは、今にも腰を抜かしそうな体勢で扉に張り付いているユキの姿だった。そうだ、今日は休日。だからここに居るのだ。もし私が目覚めなかったら通しておいてくれ、なんて、日雇いのメイドに頼んであったことを思い出す。



「秋瀬……」


 そしてもう一つ、思い出す。


「夏呼……さ、ん……」



 うむ。これはまだ言ってなかった。



「み、見るつもりじゃなかったんだ。そう、だよね。だって、一緒に住んでるんだし……やっぱり……」


 驚くのはわかる。だけどユキ。


「そうなるよね」


 何故そんな顔をする。そうなるって、なんだ?




――ユキ。





「ごめん……っ!!」





 勢いよく閉ざされた扉に手を伸ばす頃、そこにはかつての静寂が残る。かつて静の名が相応しかった彼女の起き上がる気配を背後に感じるくらい。


 元通りだ。ただ、それだけだ。なのに何故だろう。


 夏呼が言葉もなく寄り添ってくれる。それでも確かめたかった。本当なら、残像さえ見失ってしまうこんなときが来る前に。


 おのずと震え出した喉元からこんな声色で、こんな哀しく、君の名を響かせる前に。




「ユキ!!」



 泣いてなんか……いないよな?



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