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一. 百花繚乱



挿絵(By みてみん)



 叶うものならばいつまでも何処までも続け、広がれと、願ったかつても終わりを迎えた。これは世の流れ、諸行無常。生きとし生けるもの全てに課せられた逃れようのないものだ。


 天皇陛下が崩御されて、あの“初夏”と称するに相応しき時代も幕を閉じた。あれから五年。詰め襟に学生帽、下駄を鳴らして意気揚々と歩いたあの場所からは遠く離れてなお、歩みを止める気など私には無い。


 そう、時代こそ変われど躍動は続く。いや、更に高みまで飛躍してこその日本男児! 時は昭和五年。遥か彼方、この命ある限り、行けるところまでいざ行かんと立ち上がる私は……



「夏南汰様ーーっ!」



 港に着くなり高らかな声色が迎えてくれる。天高くへ伸ばした両手を懸命に振っては小刻みに飛び跳ねる、あどけない姿を捉えた私も駆け出して。



夏呼なつこ!」


「夏南汰様っ」


「待たせてしまったな、夏呼。元気そうで何よりだ」


「はい、夏南汰様もよくぞご無事で。夏呼は嬉しゅうございます……!」



 遠巻きの人目も囃し立てる声もはばからず、縋り付く小さな彼女の身体と頭を撫でてはその感触をしかと確かめる。これは毎度のことだ。我が国の東に位置する港町。ここへ帰ってくる度に私は彼女を泣かせてしまっているのだ。



 おおっと、誤解の無いように言っておこう。屋敷で共に暮らすこの娘、夏呼は何と言っても極度の寂しがり屋。そして無理矢理振り切っている訳ではない。


 頻繁に船旅へ赴く私の事情を知っている上、それでも良いと見送っては迎えを繰り返してくれている。健気な娘なのだ。実に愛らしいであろう?



「今朝は冷え込みますね、夏南汰様」


「ああ、そうだな」


「お召し上がりになりたいものは?」


「ならばこれで汁物をこしらえてくれないか。あっちの料理人がくれたレシピ? だったか。この中に入っている」



 晴天へと変わり行く早朝の帰路にて、夏南汰と夏呼は時折額を寄せ合っては微笑みを与え合う。きっと外見的には共に少年少女なのであろう。しかしそれは何も知らない者からすれば、の話だ。


 そして他人ひとがどう言おうと関係ない。この形を何と名付けようとも。


「あっ、今、うぐいすが鳴きましたよ」


「そりゃあ春じゃけぇ。夏呼は耳がええのう」


 思わずほころんでしまう。我々は深い絆で結ばれている。頰を赤らめた面々が何を囁こうとも関係はないのだ。





 ここに行き着くまでの道のりも順風満帆……と、言いたいところだが、実際は。



「一人立ちじゃて!? 外国かぶれで女のようなおめぇに何ができるんじゃあ、言うてみ!」


「ずばろーしいけぇ! しったげにいいよんなぁ!!(うるさいな! 知ったような口を利くな!!)」


「なんじゃと!? はがええクソがきゃぁ! たいがいにせぇや!!(何だと!? 生意気なクソ餓鬼ガキが! いい加減にしろ!!)」



 まぁ、何だ。我を忘れてぶつかりもした。特に最後まで引き下がらなかった兄は未だに納得してなどいないだろう。


 それでも曲げる気のなかった私は強引でこそあれ、ついに実家を後にした。意地になっていたこともあって、始めは流れ着いたこの港町の片隅でひっそりと、それこそ爪に火を灯すような生活だった。


 しかし借りたオンボロ小屋も今では立派な屋敷へ。それをしたのは母だった。可哀想だ、夏南汰が可哀想だと、泣いて縋って父に頼み続けたという、母。



 今でも覚えている。去りゆく私の姿を頼りなげに、迷子の少女のような目をして見ていた……美しくもあどけない人。



 ふるふるとあの仔犬じみたかぶりを振った夏南汰はまた一つ思い出す。兄と散々喚き合って、いくらか鎮火しかけた際に口にしてしまった。



「悔しかったら私を超えてみるんだな」


 低い位置から精一杯顎を突き上げ見下ろす形を取ってみた、こんな強がり。対して、しばらく唖然とした後に地響きを立てるかのようにして滾っていった兄の返答は。


「そりゃあわしの言うことじゃけんのう!?」


 ごもっとも。



 昔気質むかしかたぎの父に気に入られた兄と人形遊びが好きな母に愛でられた私。何もかもが違う。ゆえに、同じ家屋で育ちながら歩んだ道のりも、また。だからこそ……



「超えてみせるさ」



 私がな。




 まだ冷たさの残る春風に乗せてみたつもりだったがどうやらしっかり拾われてしまったようだ。夏南汰様? と呼んで、案ずる眼差しで見上げる夏呼はさすがだ。いや、私がわかりやすいのか?


 出来ることなんてせいぜい微笑みで返すことくらいだった。案ずるな、私が歩みを止めることはない。もっともっと面白いものを君に見せてあげるよ、と。自信を象って伝えたつもりだ。




 やがて訪れた夜。鎖骨まで流れる風呂上がりの黒髪を暖炉で乾かしている途中、寝巻き姿の夏呼がやってきた。慣れた手つきで髪をとかしてくれた彼女がようやっと手を休める頃。


「おいで、夏呼」


 久々の夜だった。だからこそと、夏南汰は寝床から手招きして呼び寄せる。


 青みの月明かりが差し込む窓際で、はい、と小さく答えると素直に布団へ潜り込む。小さな彼女を胸に抱くとすっと息が安らいで、ようやく、ようやく、瞼を閉ざす気になれる。



 漆黒は相変わらず長いまま。それでもこうしている今は。


「ぬくいのう……」


 今宵の夢にあの人を見ることはないだろう。


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