7th NUMBER『家族になりたかった』
この稀少生物研究所には寮がある。男子寮、女子寮という厳重な括りは無いものの、いま僕には僕の部屋が与えられている。ナツメと僕は恋人同士だけど、基本夜は別となる。
……基本は。
「ナツメ」
「ユキ……逢いたかったよ」
「ふふ、研究室でいつも顔を合わせているのに?」
深夜。研究所の裏庭の木陰で彼女と落ち合った。晩夏の夜風に吹かれ長い髪が顔を覆っても、星の明かりで青白く照らされていても、彼女がほんのり頰を染めているのがなんとなくわかる。
「……足りない」
いじらしくそう呟いたときの気持ちも。僕はすんなり共感できる。
「僕も」
「ユキ…………んっ……」
「僕もだよ。本当はすぐにでも欲しい」
「ああ、ユキ。生まれ変わっても私は……こんなに欲張りで、はしたなくて……すまない」
「仕方ないよ、もう知ってしまったんだから」
詫びることなんかないと唇で教えた。むしろ君に求められない僕に存在意義などあるものかと。
きつく抱きすくめ、何度も何度も互いが潤うまで貪る。愛しい織姫、夏が終わっていくよ。頰を両手で手繰り寄せ名残惜しい思いを共有していく。
寝巻き姿の彼女だから、結構危ういところまで手が届いてしまう。彼女も同じようにしてくる。悪い子。こんなところで反応するなんていけない子。そうやってささやかに虐め、互いに息を切らせ、しかし際どい声は寸前のところで押し殺す。
「僕らの仲はもうみんなに知れているのに……こんな……」
唇を離し、少し息を整えたところで僕は苦笑する。彼女の太腿を撫で上げながら。甘くて可愛い呻きに酔い痴れながら。
「大学の頃みたいだね。ナツメと冬樹のときみたいだ。こうやって人目を忍んで交わし合うのは」
「お互いが知っていればいいです」
「うん。だけどナツメ、僕はここへ来て尚更実感したよ。周囲の理解も大切なことだ。だから僕は頑張る。みんなに認めてもらえるように」
僕が自然と零した言葉にナツメは哀しそうな顔をする。焦燥に駆られたのか僕の両腕をしっかりと握って。
「私も想いは同じです。だけど冬樹さん、貴方の今世を捨てるようなことは……」
「冬樹ならここに居るよ?」
「でも……!」
「わかってる」
わかってるさ。君はそう言うだろうと思ってた。その気持ちが嘘じゃないことも知ってる。
だってナツメがあっちの世界で愛したのは磐座冬樹なんだ。春日雪之丞はあくまで夏南汰のもの。例え魂は同じだとしても、肉体は肉体で見捨てられないと思う。
だから、ね。僕も覚悟を決めているよ。
時間をかけて君を説得しなくちゃと。
逢引までならまだ許されたとしても、さすがにその先までしてしまっては万が一気付かれたときに彼女の信頼にも関わってくる。スリルも程々にしなければならない。
浅い口付けで今夜はここまでの合図。
明日、僕にはまた別の仕事がある。副班長であるナツメにはもう伝えておいた。班長にも話を通してくれたそうだ。
そして翌日。
医務室の戸が開け放たれる。額に汗を滲ませたナナさんが啜り泣く子どもの手を引いている。
「すみませ〜ん! シランくんが転んじゃって、手当てを……って、あれ!? 春日さん、どうしてここに?」
「ああ、ナナさん。お手伝いですよ。難しいことは出来ないけど簡単な処置をさせてもらっています」
ぱっと見た感じは同じ白衣だけど、仕事の内容が違う。出来ないと言っておいたけど本当は出来る、ある程度難しいことだって。
でも少しずつの方が周囲の信頼を得やすいだろうというドクターの提案に従っているんだ。尤もだと思うよ。ドクターのえこひいきにも見えない穏便なやり方だ。
泣き止んだシランくんがぐすっと鼻を啜りながら涙目を丸くする。僕は椅子に座った彼の膝の確かめ、消毒液を用意した。
「おにいちゃ、こないだの……」
「うん、そうだよ。この間は怖かったねぇ。でも僕らがついてるから大丈夫だよ。
「おにいちゃん先生、ユキっていうんでしょ? おともだちがゆってた」
「ユキって呼んでくれていいよ。消毒するね。ちょっと染みるけどすぐ終わるから」
ひぃ、と小さく叫んだシランくんはまた泣きそうになったけど、両手をぎゅっと握り一生懸命耐えた。
「よしよし。終わったよ! シランくんは強いね。ちゃんと我慢できたじゃないか」
「ん……っ! ありがと、ユキちゃん先生」
思いがけず懐かしいあだ名をつけられた。そういえば冬樹に生まれ変わった後も僕はこんな呼び方をされていたんだよなぁと思い出した。
生物学の研究所に小さな子どもが沢山居ることが不思議だった。だけどこの間ドクターがその理由を教えてくれた。
ここ稀少生物研究所は元々が孤児院で、今でも身寄りの無い子どもを育てる役割を担っているそうだ。聞いてホッとしたよ。まさか人体実験をしてるんじゃないかと想像してしまって結構怖かったから。
そういえば夏呼さんの生まれ変わりであるヤナギさんも現在は十四歳らしい。彼女も同じような経緯だったのかな。
処置を終え、シランくんとナナさんが戻っていった。静寂が戻ると薬品の匂いが強く感じられた。
「やっぱりね。シランくんは凄く人見知りなのに、君にはもう心を許してる。子どもたちに好かれているというだけでも信頼が厚く見えるものだよ」
「ドクター、なんだか悪どい言い方に聞こえますよ」
「ふふ。実際、歪んだ者同士が協力した作戦だからね」
苦笑を交わしたところでドクターが思い出したように、あっと呟いた。回転式の椅子ごとくるりと振り向いて僕へと切り出す。
「今日もいいかな?」
「ああ、カウンセリングですか。大丈夫ですよ」
僕は慣れた手つきで椅子を移動させ、ドクターと向き合う形になった。
カウンセリングの内容は僕の過去についてだ。春日雪之丞であった前世から磐座冬樹であった今世の記憶まで、覚えているところを全て話す。
目的は輪廻転生の専門外である自分にも何か出来ることはないかと考えた為。今世の幽体にどんな影響をもたらすのかも気になるし、今後もし同じような事態が起きたときに対応しやすくする為だとドクターが強く希望した。
今のところ僕の記憶はすんなりと引き出されているように感じるのだけど……
「う〜ん、記憶の置き忘れ、少しあるかも知れないね」
「置き忘れ、ですか?」
「ユキくんは何か強い罪の意識を感じてる。何か気になることはない? 口にすると怖くなる言葉とか」
罪……って言ったら。
大きなことで、夏南汰の遺骨を持ち出したことくらいしか思いつかない。まだ何かあっただろうか。強い罪の意識を持っていることをそう簡単に忘れるとは思えないんだけど……
気になることなら、一つだけ。
「前世の名」
「え?」
「ナツメの前世の名前。秋瀬……の、続きを呼べないです。忘れた訳でもないはずなのに何故か声に出せないんです」
そう、僕は何故か“夏南汰”と声に出して呼ぶことが出来ない。未だに。
前世そうすることが出来なかった理由なら覚えてる。僕にとって特別な響きだったからだ。声に出したら一瞬で恋心が知れそうで怖かった。綺麗な想いならいいけれど、僕のはそうじゃなかったから。
そして、いつもこの手をすり抜ける彼に似合いすぎる響きだと思って呼びづらくなった。彼の自由を尊重したい、でも側に居たい。それで当たり障りない“秋瀬”で通した。
でも今は違う。この世界で素直な想いを伝え合った。ナツメと冬樹がそうなったように、夏南汰と雪之丞だって恋人になった。もう躊躇う必要も無いはずなのに、一体何故超えることが出来ないんだ。
「そうか……奥深くにしまわれた心の傷は凄くデリケートだ。焦って引っ張り出すのも危険だからね、ゆっくり思い出していこうか。あとそうだ。星幽神殿にも行ってみるといいよ。カウンセリングじゃ解明できないことも、あの場所で問えば答えが出るかも知れない」
「星幽神殿……」
聞けばそこはナツメと僕が気を失って倒れたあの山の頂上にあるそうだ。
賜りの間という場所で行われるのはいわゆる神託。あまりにもスピリチュアルな話にびっくりしたよ。冬樹もシャーマンの一族に生まれたけれど実際は言い伝え程度のもので、そんな儀式はしたことがない。
でも慣れなければ。だって僕はこの世界で生きていくつもりなんだ。
波長が揺らいだのか、いつもより薄い色に見える両手を見つめて思った。
消えてしまう前に方法を見つける。可能な限り、愛するナツメの傍に居るんだ。
ふとある人物の姿が頭をよぎった。筋肉質の逞しい身体。いかにも強そうな男。
きっと今でも僕の滞在に反対しているであろうその人物に向かって
――違う!!――
僕は抗う。きつく奥歯を噛んで。
彼女の家族になるのは僕だ。恩はあってもやっぱり貴方には渡さない。僕が必ず……!
届かない響き
触れられない彼方
嗚呼 何処まで行くの
何処まで輝くの
僕の人生を大きく変えた
君はいつだって
遠くで光っているばかり
もう失いたくない
思い出したくない
恒星の亡骸を抱く虚無の刻
凍える真夏は永遠にも思えた
痺れさえ通り越して
僕は感覚を失って
ひび割れ砕けて塵となった
それさえも本望に思えた
幻想の君と交じり合えるのならと
だけど幻想はあくまでも幻想で
願いは願いのままで終わった
僕たちは引き離された
それぞれの世界へと
呼べなかった響き
遥か彼方
嗚呼 何処にも行かないで
僕を置いて逝かないで
ただ繰り返すことが怖い
僕が呼べるまで待っていておくれ
それまでは決して果てないと誓うから




