7話『夜明けのボトルシップ』
私には願いがある。
死んだ母を救うことだ。
だけど、その願いはもう叶わない。母はもう死んでいて、あの時、私はまだ十歳の無力な子供だった。
七年前の惨劇……俗に言う『オダカサム村の大災禍』によって、私が住んでいた村は跡形もなく消滅した。
原因は全く分からない。ただ、突然空が割れて、そこから大量の魔物が降ってきた。
村の人々はみんな魔物と戦った。村の畑を守らなきゃいけなかったし、収穫したばかりの農作物を手放すつもりもなかった。逃げれば財産は全て駄目になる。だから戦った。だけど、戦ってるうちにそんなことを言っていられる状況じゃないことが段々と分かってきた。
魔物たちは明らかに徒党を組んで戦っていた。退くべき時に退き、集団で襲いかかり、波状攻撃を仕掛け執拗に村の中へと侵入しようとしていた。彼らが何を狙っているのかは分からなかったけど、村にある何かを手に入れようとしていたことだけは幼い私にも分かっていた。そして、私の母がその何かに関わっているということも。
母は村の皆を逃がすために最後まで戦った。私は村の人に連れられて一緒に逃げた。だけど、その手を振り払って母の元へと走った。走って、走って、走って、走って……。私は息を切らしながら顔を上げた。焦土と化した村に立ちふさがるのは一体の巨人だった。千切れた神経とところどころに肉を残した、腐敗した燃える骸骨の巨人……。そしてその向こうに見えるのは、遥か天へと届かんばかりの異形の姿……。
それはあらゆる生命への冒涜を形にしたような姿の魔物だった。
私はその魔物の姿を覚えていない。その圧倒的な情報量に幼かった私の脳は激しい痛みを覚え、その情報を拒絶するために目を背けさせた。たぶん、あれは人の理解を超えるものだったのだと思う。
気付いた時、私は母に抱かれ森の中を逃げていた。
母は血だらけで、息は荒く、そして浅かった。母は震える私の身体を抱き締め、それから大きな木の根元に座り込んだ。きっともう身体が限界だったのだと思う。全身がボロボロになった彼女は私の顔を見てにこりと笑った。だけど、その笑顔は悲しそうだった。
『ごめんね、××……』
謝らないで欲しかった。母が死んだのは私のせいだ。私が母の元へと走っていなければ、きっと母はあの異形を、炎を纏った巨人で倒していた。いや……違う。私は薄々分かっていた。あの力を以てしても、私があそこに向かっていなかったとしても……母は、あの異形には勝てなかった。
『私からあなたにあげられるもの、こんなものしかない……』
母は左腕の刻印を私に見せた。その刻印は薄く消えかけていた。『Ⅳ』の数字の刻印が私の脳に刻み込まれ、そして襲い来る魔物の群れを新たな巨人が薙ぎ払った。魔物たちは消えた。だけど、その時既に母は事切れていた。
……。
なぜ、あの異形が私たちを追って来なかったのかは未だに分からない。それに、母が私に託したこの『呪い』の正体も……。だけど、ただ一つ、私には分かることがある。
『魔法は何の役にも立たなかった……』
村の人たちは魔物を倒すために魔法を使った。私も幼いながらにその手助けをした。私の放った火の魔法は一匹のちいさな狼の魔物を怯ませ、その怯んだところを村の大人が両断した。だけど、たったそれだけだ。魔法を使って何か一つでも助けられた命はあっただろうか?
あのあと、村の人たちは全員あの付近の森で変死体となって発見された。
全員、魔法を使える人たちだった。
『だから、私は魔法を信じない。私が求めるものは、それを越えるもの……』
私は目の前の画面に映る自分自身の姿をぼんやりと眺めている。
それは何度も、何度も見返して擦り切れた記憶。私はあれから刀を身に付け、忍者の姿をして、聞きかじった知識で忍術を学んだ。様々なパーティに所属し、色々なものを見て、使えるものは何でも自分のものにしてここまで来た。
だけどそれもここまでだ。
遠くのほうから彼の戦う音が聞こえてくる。甲高い金属音、地面が砕ける音、荒い呼吸の音、斬る音、叩く音、崩れる音……。彼が劣勢なのは見るまでもない。私の呪いは戦場に散った命の集合体だ。それは呪怨の集合であり、錯乱する怨念と止め処のない狂気の最果てだ。
ここで散るのは心残りだけれど、それでも、最低限為すべきことは為した。このダンジョンの主獣は既に倒したのだ。近隣の街は、きっとこれで……。
そう思っていると、急に画面が暗転し、次の瞬間、止まっていた映写機が動き出した。
画面の中では男が折れた剣を振るい巨大な呪いと戦っている。
「……。なぜ?」
理解が出来なかった。彼の刃は二本とも半ばで折れ、身体は全身血だらけで、もうどこからどう見ても、戦える状態じゃないことは一目瞭然だった。
「なぜ、諦めない……? だって、もう戦う理由なんて……」
『あなたと一緒だよ。きっとね……』
私は隣の席を見た。声の主はふっと笑い、それから画面のほうを指さして言う。
『見て。あんなに全身ボロボロになって、絶対に勝てないって分かってるのに戦ってる。自分が死ぬかもしれないのに、それでも助けたいって思って戦ってる。剣が折れても、骨が折れても、戦ってる……』
「それが……拙者と同じ?」
『うん。だってそうでしょう?』
声の主は楽しそうに画面を眺めながら、言った。
『あなたも、ボロボロになって動けなくなるまで戦った。近隣の街のみんなを救う為に。あなたはみんなを救う為に、あの人はあなたを救うために、命を賭けて戦ってる。ね、一緒でしょ?』
声の主はすっと席を立った。
『決着はすぐつくと思うよ。あの人にはちょっとズルい仲間がいるみたい。今回は凄い代償を払ってあなたを助けると思う』
「代償……?」
『ほら、見て』
画面に目を向けると、そこには何かを呟く男の姿が映されていた。男は何か口論するように叫んでいるが、何を言っているのかは分からない。男が歯軋りすると同時、そこに白い髪の女の姿が映し出される。女は車椅子に腰掛け、目の前に一冊の本を開き、そこに手を翳して、瞼を閉じて呟いた。
『星よ……』
《-25》
刹那、画面は白く塗りつぶされた。
そして次の瞬間、巨大な剣によって串刺しにされた骸骨の姿が画面に映る。
『ね、ズルいでしょ?』
声は嬉しそうな声で言った。
骸骨には無数の剣が突き刺さり、そこに纏っていた炎は徐々にその輝きを失い、やがて完全に消失した。
星の輝きを纏った巨大な無数の剣たちは、骸骨が消滅すると同時に粉々に砕け散って霧散していく。
私は画面を見つめ続けていた。既に映写機は投影を終わり画面には何も映っていない。カーテンが閉まり、そこを見る理由はもう何も残っていない。だけど私はそこを見つめ続けていた。
『これから始まるのは、あなたの物語だよ』
声は笑い、ポップコーンとコーラを両手に持ち、劇場の出口へと歩いて行く。
『あなたはこれから、あの二人と一緒に色々な物語を旅することになる。それはハッピーエンドかもしれないし、はたまたバッドエンドになるかもしれない。だって、最後にどうなるかなんて誰にも分からないからね。でも、面白いことになることだけは確かだと思う』
「拙者の……物語……」
『ふふ、そうだよ。ワクワクする? ……たぶん、あなたは答えてくれないだろうね。でも、私はワクワクしてるよ。あの二人はちょっとぶっ飛んだところもあるし常識破りで変人ではあるけど、きっとあなたの良き理解者になってくれる。今までずっと一人で戦って来たあなたの、はじめて出来る本物の仲間として、ね?』
声の主は出口まで行くと、それから振り返り、ニッと笑った。
『楽しみにしてるよ。あなたがどんな物語を見せてくれるのかを』
「待つでござる……! 貴殿は、一体……!」
『分かってるくせに。でも、少しだけ……』
声は左手の甲を私に見せた。
そして、私の意識は現実へと引き戻される。
◇ ◇
全身が痛い。痛くないところを探す方が難しいくらい、文字通りの全身の激痛だ。
私は痛みに奥歯を噛み、ゆっくりと深呼吸をして、静かに瞼を開いた。
そこに見えたのは、既に明るみ始めている紫色の空だった。
私は傷む身体をゆっくりと起こし、辺りを見回す。
静かな草原に冷たい風が吹き渡り、小鳥たちの囀りが爽やかに響く。
私はダンジョンの外で眠っていた。枕になっていた雑嚢は私の物ではない。
「起きたか」
「ここは……?」
私は傷む脇腹を押さえ、歯を食い縛る。油断するとすぐに痛みが襲ってくる。そんな私の様子に肩を竦め、男は言った。
「見ての通りだ。死ねればその痛みも忘れられただろうが、残念。ここはクソみてえな現実だよ」
私の傍らには折れた直剣が二本放り出され、その横には布の上に広げられた用途のよく分からない様々な金属製の道具が並べられている。そのすぐ向こうには血に濡れたガーゼがあり、隣に謎の液体の入った茶色の瓶が並べられている。
「これは?」
「手術道具と消毒液。あとは鎮痛剤やら何やらだ。テメエ……自分の身体の中にどれだけの破片が入ってたか分かってんのか?」
「破片……」
男が何を言っているのかは分からないが……どうやら、私を助けてくれたことには間違いないらしい。
「貴殿、貴殿は……なぜ拙者を助けたでござるか。あのままでは、貴殿は……」
「あ? クソ面倒くせえな。さっき言っただろうがよ。俺はカスにはなりたくねえ。それだけだ……」
「そうか……。そうでござるか」
私は男の顔を見上げた。
私もそうだが、彼もかなり疲労困憊の様子だ。だが、私を救ってくれた人の顔だ。
「貴殿は、拙者にとっては神様のような存在にござる……。救ってくれて、ありがとうでござる」
それを聞くと男は街のほうを見た。
「そろそろ迎えの馬車がくるはずだ。お前はそれまでの間黙って休んでろ。普通なら喋ることだって辛い傷だ。分かったら大人しく寝とけ」
「その前に聞きたいことがあるでござる」
「なんだ?」
空の紫が、徐々にオレンジ色に輝き始める。
美しい光が空を焼き、闇という闇を薙ぎ払っていく。
「貴殿の名前を……まだ聞いてないでござる」
絶望を払い、希望を見出す者の名前を。
男は私の問いに頭を搔き、それから私から顔を背けた。
彼は朝焼けの光を眺めながら、息を吸った。
彼の身に纏うマントの背には瓶の中に入った帆船の意匠が施されている。
その帆船の向こうには光り輝く太陽が描かれ、瓶の中に入った帆船を強く照らし出す。
その帆船は、きっと私だと思った。
大海原を行く帆船は冒険の象徴だ。そして、その帆船は瓶の中に閉じ込められている。彼らは閉じ込められて夜の闇の中をゆく帆船たちに、希望の光を見せる者だ。朝焼けの輝きを見せる者だ。
「俺の名はイアン。イアン・シュトラーゼだ。所属ギルドは……」
私は、彼の背の向こうに光を見た。
世界が輝きだし、照らし出され、美しい色に染まっていく。
私は彼が答えるより先に彼らの名を呟いた。
絶望を払い、希望を見出す者たちの名を。
その名は……
「夜明けのボトルシップ」




