2-10
晃と会えないでいた。
晃から貰った花が枯れても、夏休みの宿題が全部終わっても会えなくて、晃に会いたい気持ちが募った。
電話やメールで毎日話しても晃が全然足りなかった。
雨が降らない限り毎日走った。走りながら、隆のことよりも晃のことを思い出すようになっていた。
晃から電話でチャリティー囲碁大会に来ないかと誘われた。
アマチュアのトーナメント戦のほか、トークショーや抽選会などがあり、屋台なんかも並んでお祭りみたいな雰囲気らしい。
晃はそのトークショーのゲストで午後二時からの登場だという。南さんがエントリーしているから一緒に来るといいと言われて複雑な気分になる。晃と南さんが私の知らないところで繋がっているのに嫉妬してしまう。南さんとまた恋敵になってしまうのだろうかと不安になる。それでも晃に会いたくて、りっちゃんと南さんと高橋くんで行く予定になっていたところへ割り込ませてもらった。
会場までは電車で三十分だった。南さんの受付時間に合わせて会場には九時に着いた。
区民センターの入り口でお楽しみ抽選券を受け取ってから中へ入る。
中ホールが囲碁会場で、そのとなりの大ホールに特設ステージが組まれ、屋台が並んで、お祭りの雰囲気になっていた。
屋台も始まっていない中、人はけっこう集まっていた。大会は中学生以下の部と大人の部に分かれていて、それぞれ三十人くらいずつ参加するようだった。
九時半になって大ホールで開会式が行われて、それからすぐに対局が始まった。
私たちは中ホールに移動して南さんを応援した。南さんは午前中に連勝してベストエイトに残った。私はりっちゃんや高橋くんが説明してくれても囲碁のルールがわからないままだった。
お昼休憩に大ホールへ行くと、ものすごい混雑だった。
屋台はどこも行列で一時間の休憩時間で南さんがゆっくり昼食をとれそうになかった。私たちが屋台に並ぶべきか、外に出てコンビニにでも行くべきか迷っていると、高橋くんの知り合いに声をかけられた。
「高橋くんじゃないか」
その男性は倉田さんといって囲碁雑誌の編集をしている人で、南さんとも知り合いらしく、親しげに話している。
「この混み具合じゃ、次の対局まで食べられるか不安だろう。南さんだけでも俺と一緒にパンでも食べるか?」
そう言ってパンの入ったコンビニ袋を見せてくれた。
南さんはそこから一つだけパンをもらって、時間内に買えなかったときの保険にした。
疲れている様子の南さんを休憩スペースに残して、私たちで屋台に並んだ。私がフランクフルトとポテト、りっちゃんが焼きそば、高橋くんが餃子。
私の列が一番早く進んだので、戦利品を南さんのところへ置いて、飲み物を買いに自動販売機のある入り口に向かった。
自動販売機にたどり着く前に歩いてくる晃を見つけた。
紺色のスーツ姿で、美人と並んで談笑しながらこちらへ向かって歩いてくる。となりの美人が涼しげなレモンイエローのワンピースを着こなしていて、自分の水色のチェックのワンピースが急にひどく子供っぽく思えてしまう。
自動販売機の前で晃が気づいた。
「理沙」
晃のとなりの女性も気がついて足を止める。
「あら田代先生お知り合い?」
「あ、紹介します。僕の彼女です。理沙、こちら向坂五段だよ」
晃に紹介されて会釈する。隆が言っていた晃の好きな人だと直感する。
「あら、かわいい彼女ね。じゃあ先に行ってるわよ」
「はい。すみません」
晃が向坂プロを見送ってから振り返って、私を抱き寄せるときみたいに近づいてくるから、少し胸を押して止める。
「いいの?」
「うん。まだ時間あるから」
晃に抱きつきたくて、向坂プロのことが好きだったのか、好きなのか問いつめたくて、会えなかった時間をどうにかして埋めたくて、そんな思いに胸が苦しかった。
「理沙、今日かわいいね」
小声で早口で言って晃が頬を赤く染めた。子供っぽいワンピースを褒められて、ちょっとむかついたから、無視して自動販売機に向き合って飲み物を買う。
「理沙、会えなかったから怒ってるの?」
四人分の飲み物を持って、大ホールに戻る間も無視してしまう。晃が困った顔をしてついてくる。
大ホールに入り、南さんたちの待つところへたどり着く前に、晃はファンらしき人たちに囲まれてしまった。私だけが南さんたちと合流する。南さんは午後の対局まで三十分を切っていて、時おり目をつむりながら黙々と焼きそばを食べていた。
「お待たせ」
「理沙ちゃん、先に食べちゃってたの。ごめんね」
りっちゃんがそう言ったけれど、食べ始めているのは南さんだけだった。
振り返ると、晃が写真を撮られたり、サインをしたりしているのが見える。晃が急に遠く感じられて、さっきせっかく二人きりだったのに素直に会いたかったと言えなかった自分に早くも後悔する。
「ううん。食べよう」
私たちも食べ始めようとしたときに、晃が「すみません」を連呼して、ファンの人たちを振り切って、私たちのテーブルまで来た。
「理沙」
晃は強引に私の腕を掴んで立たせようとしたけれど、私の心と体は裏腹で、私は晃の腕を払った。
悲しそうな表情を浮かべて、りっちゃんと高橋くんに会釈してから晃はホールを出ていった。
私は少しの間、知らない人たちの視線を感じたけれど、無視してポテトを頬張った。ポテトはもう冷めていて、もさもさと喉の奥に痞えた。
りっちゃんも高橋くんも何も言わなかった。私たちは何でも遠慮なく話せるほどには親しくなかったし、晃のファンが耳を欹てているかもしれないとも危惧していた。
午後の対局が始まって、南さんは順調に勝ち進んだ。ベストフォーの対局が二時からだったので、晃のトークショーは見に行かず、南さんを応援した。
南さんは決勝に残った。囲碁のことはわからなかったけれど、南さんが本気で囲碁棋士を目指していることはわかった。決勝の対戦相手は、南さんが少し前の全国大会の予選で負けてしまった相手らしかった。私たちの応援にも力が入る。
気がつくと、高橋くんのとなりに向坂プロが立っていて、高橋くんと小声で会話をしていた。向坂プロの存在が気になって南さんの応援どころではなくなってくる。時おり向坂プロと目が合って、そのたびににっこりと笑顔を浮かべられて、それさえも気に入らない自分の幼稚さに辟易する。
今日の私の行動をひとり相撲と呼ぶのだろう。
勝手に嫉妬して、勝手に自分を卑下して拗ねて、後悔しているのだから。
「閃の勝ちね」
そう言って向坂プロは南さんに近づいていった。
「あの人は向坂プロって言ってね、南さんに碁を教えてくれてる先生の一人なんだ」
高橋くんが教えてくれる。
「綺麗な人だね」
「うん。囲碁界のマドンナって呼ばれてる」
囲碁界のマドンナとプリンス。あんな素敵な人と並んで選ばれる自信なんてなかった。そんな無謀な自意識を私は持っていなかった。




