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おじいちゃんプロへのインタビュー中に田代プロが入ってきていた。
紺色のスーツを着ているけれど、あまり似合っていない。
あまりに細い。
あまりに若い。
そして太陽を避けて生きてきたみたいに白い。
顔立ちは中性的でけっこう美形。
僕はまた簡単に自己紹介をして、インタビューの許可をもらった。
「田代プロは何歳ですか?」
「十六です」
「高校生ですか?」
「高校は行っていません。行っていたら一年ですね」
「なぜ高校へ行かなかったのですか?」
「義務教育は中学までだからです」
「何歳から囲碁を始めて、何歳でプロになったんですか?」
「父の話では三歳で棋譜並べをして遊んでいたみたいです。プロ試験に合格したのは昨年の夏です。一五歳でした」
ここで少し倉田さんに説明をもらう。
棋譜とは対局の記録だが、それは黒と白がどういう順番で打っていったかわかるように、番号が振られている。その番号順に実際に基盤に碁石を並べていくことを棋譜並べといい、碁の上達に欠かせない勉強法の一つだという。
囲碁の世界において、田代プロのように中学以降進学しない人は多い。
また十代でプロになるのも珍しいことではなく、それどころかプロ試験には年齢制限があり、満二十二歳を過ぎるとプロになることはできないという。
「田代プロにとって囲碁とは何ですか?」
「情熱かな」
田代プロは赤くなりながら話してくれた。
「言葉にすると恥ずかしいですね。でも十六年生きてきて、囲碁以上に僕を熱くしてくれるものはないんです」
「強さの秘訣は何ですか?」
「秘訣なんてありません。ただ毎日打つことが僕の自信に繋がっているとは思います」
「彼女はいますか?」
それまで落ち着いた様子だった田代プロが動揺するのがわかった。こういう質問が苦手なのかもしれない。
「いません」
「好きな人はいますか?」
田代プロが真っ赤な顔のまま、向坂プロをちらりと見た。
「ちょっと休憩していいですか?」
僕が返事をするのも待たずに、田代プロはペットボトルのお茶をごくごく飲んだ。
「田代初段はこのルックスで囲碁界のリトルプリンスって呼ばれてるんですよ。もっとももうリトルじゃなくなっちゃったけどね」
倉田さんが嬉しそうに教えてくれた。
「プリンセスとも呼ばれてるのよ、かわいい顔だから」
向坂プロがからかうから、田代プロはまた大量にお茶を飲んだ。
しばしの雑談、二十八歳の倉田さんの彼女いない歴当てクイズ、正解は六年とか、向坂プロの対男性棋士の勝率の高さの秘訣とか、そんな話のあとでインタビューを再開した。
「囲碁棋士を目指す人にアドバイスをください」
「たくさん打ってください」
「田代プロは一日どれくらい勉強してプロになりましたか?」
「中学の頃は朝学校へ行く前に一時間半、夕方囲碁教室で二時間から三時間、夜また三、四時間という感じで生活してました」
「すごいですね」
何ごとも一流を目指すということはこういうことなのだろうか。
すべてを賭ける。
「多分普通だと思います」
「プロになってよかったですか?」
「はい」
「最後に囲碁が好きですか?」
「はい」
倉田さんがわざとらしい咳ばらいをして、メモを指さしたが無視する。田代プロの好みのタイプなんて、訊かなくてもわかる。面食いだよ、絶対。
「ありがとうございます」
最後は向坂プロだった。
「向坂プロは美人ですが、何で芸能人じゃなくて、囲碁棋士になったんですか?」
ここで全員に笑われて心外だった。
「美人になる前から囲碁棋士を目指していたの。これで答えになるかしら」
ちっとも謙遜しないところが向坂プロらしい。
「何歳でプロになろうと決めたんですか?」
「小学校一年生の作文で将来の夢は囲碁棋士と書いていたわ」
「囲碁を始めたきっかけは何ですか?」
「祖父と父が棋士だったから」
「有名な話ですか?」
「多分千回はこの話をしたでしょうね。倉田さんもあまりにありきたりで記事にできないと思っているはずよ」
「そんなことないです。何度でも聞きたくなる話です」
倉田さんがフォローを入れたけれど、僕自身そんなに興味がなかったので話題を変える。
「若く見えますが何歳ですか?」
「若く見えると、もう若くないは同義よ。とても失礼な言い方だわ」
軽く睨まれる。ちっとも怒ってないくせにと思う。
「すみません」
一応謝っておく。
「ふふ、三十一よ」
「結婚していますか?」
「空指を見てそれを言うのかしら」
向坂プロが両手の指を僕に向けてひらひらさせる。
「すみません。囲碁の話にします。昨日、南が弟子入りを志願したとき、断ったのはなぜですか?」
「弟子を持つような実力がないからって言ったでしょう」
ここで南と向坂プロの昨日のやり取りをほかの人に説明した。おじいちゃんプロは南を思い出し、興味深そうに身を乗り出してきた。
「でも優勝したら弟子にしてくれると言いました」
「ええ。絶対に優勝はしないと思ったからね」
「どうして優勝しないって決めつけたんですか?」
「実際にしなかったでしょう」
「それはそうですけど、あの時点ではわからなかったはずです」
「彼女の第一手合を見ていたの。打ち手もまだ洗礼されていなくって、碁歴が浅そうに思えた。碁を始めて二、三年てとこかしら。さっき聞いたように、私は物心つく前から碁打ちだった。田代プロだって同じ。プロ棋士はたいてい遅くても小学校低学年には囲碁を始めて、十代半ばにはプロ試験に挑む。そういう世界なの。そんな世界で彼女はスタートが遅すぎると思った。どんなに好きでもプロにはなれっこない。だから弟子になんてできない」
眉をひそめても美人は美人で、何だか悔しかった。
「南はたしかに囲碁歴は浅いかもしれない。けど、そんなの仕方ないじゃないですか」
南はあんなに必死なのに!!
「そうね、出会ったのが遅かったから仕方がないわ。それで諦めるしかね」
「南は諦めません。南はまだ十四歳です。プロ試験の年齢制限までまだ八年もある」
「私には関係のない話よ」
「南はたったの半年で東京予選を突破して、今回だってもう少しで勝てそうだった」
「ちょっと、待って。半年ってどういうこと。まさか囲碁を始めて半年って意味じゃないわよね」
急に向坂プロが顔色を変えた。
「そういう意味ですけど」
「ありえないわ」
なぜこの人は否定ばかりするのだろう。頭の固い生活指導の先生みたいだ。
「そう言われても南は今年の正月に囲碁を始めました」
本人に聞いたわけじゃないけど、南のことは南本人よりも詳しいかもしれないりっちゃんに聞いたのだ。間違いない。
「じゃあ、たったの数ヶ月でここまで来たってこと?」
なぜか室内が静かになった。
不安な気持ちが広がる。中学に上がってから囲碁を始めて、プロを目指すのはそんなに無謀なのだろうか。みんな呆れてしまったのだろうか。
沈黙。
次の質問に移ろうと、手元の倉田さんノートを見る。
「向坂先生はあの子の第三手合を見なかったかい?」
沈黙を僕ではなくおじいちゃんプロが破る。
「見ましたよ。序盤で負けが決まりました」
「続きは見なかったのかい?」
「盤上は見ていませんが、最後まで粘っているのはわかりました。自分の弱さに気づかない程度の子でした」
「そう思ったじゃろう。儂もじゃ。碁を知っているものが見たら、勝ち目のない手合じゃった。じゃが、あの子はあそこから、光る一手を打った。その一手で盤上の黒は蘇り、あわや逆転というところまで持っていきよった。結果は二目差で負けじゃったが、序盤見ていたのならそれがどんなに難しいことかわかるじゃろう?」
おじいちゃんプロの言葉に向坂プロは黙った。
「倉田くん。儂はその一戦を今回の企画で検討したいんじゃが、いいかい?」
「ええ、もちろんです」
倉田さんが答える。
「向坂先生、その棋譜を見たらあの子の可能性に惹かれるはずじゃ。ああいう子を伸ばさんでどうすると思うはずじゃ」
「先生がそんなに目をかけていらっしゃるなら、棋譜を楽しみにしています」
「インタビューはもう終わりでいいかい?」
倉田さんが時計を見ながら言う。
もう七時を回っていた。
「最後にいいですか? 向坂プロは囲碁が好きですか?」
「ええ。だから結婚できないんでしょうね」
囲碁のせいというより性格に問題がありそうですがとは言えない。
「ありがとうございます」
無難にインタビューを締めくくった。
南の棋譜を送るために、倉田さんの名刺をもらって、僕は倉田さんの手帳に自分の名前と電話番号を書いた。
おじいちゃんプロは金沢に住んでいるから直接の指導はできないけれど、インターネットで南と囲碁を打ってみたいと連絡先をくれた。僕も一応名前と電話番号を書いた紙を渡した。
田代プロも相談くらいには乗れるからと連絡先を交換してくれた。
そんなやり取りに向坂プロは加わっては来なかった。
倉田さんはみんなで囲碁大会の打ち上げ会場のホテルへ行くためにタクシーを呼んで、僕に本当に一人で大丈夫かと訊く。僕は月島だから地下鉄ですぐです、と答え、因縁のエレベーターに今度は挟まれることなく乗った。
「高橋くん。エレベーター恐怖症とかにならなくてよかったね」
倉田さんにからかわれながら降りる。




