75. 世界樹の湯
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「はああああぁ……」
熱い湯が、身体に溜まった疲労を溶かしてくれる、あまりの心地よさに。思わずナギの口からは、深くて長い溜息が漏れ出た。
溜息と同時に閉じていた瞼をゆっくりと開けば、夜空をすっぽりと覆い隠すように視界一杯に広がる、満開にして満天の桜。
正直、少しだけ眩しくもあるけれど。幻想的な景色を眺めながら温泉を楽しめるというのは、何とも贅沢なものだと思えた。
―――ここは『農場世界』の中心にある世界樹。
その木の根本にある『世界樹の温泉』だ。
『竜の揺籃地』にある古代樹の根元に、泉が広がっているのと同じように。この『農場世界』でも、世界樹の根元を覆うように泉が広がっていた。
そしてこの世界樹の泉も、やはり『温泉』として入浴できるらしい。
しかも『竜の揺籃地』にある古代樹の泉とは違い、世界樹の温泉は夜だけでなく、朝も昼も常に『温泉』なのだそうだ。
森で暮らしていた時には、寒い日の朝などは温泉に入って温まりたいと思うことも少なくは無かったから。時間を問わずに入浴できるというのは嬉しい違いだ。
もっとも、この『農場世界』では、気温や天気といった環境について、島ごとに自由に『設定』できるらしくて。冬場でしかも夜間であるにも拘わらず、そもそもあまり寒くなかったりもするのだけれど。
「ふふ……。どうやら気に入って頂けたようですね」
「そのようだね」
湯に入るや否やすっかり表情を緩ませているナギの様子を見て、主神アルティオと主神オキアスの二人が嬉しそうに微笑んでみせた。
「………」
思わず直視してしまった二柱の姿から、慌ててナギは視線を逸らす。
『竜の揺籃地』にある古代樹の泉は、夜に『温泉』になっている間は『濁り湯』へと変わるので、湯に浸かっている相手の姿を隠してくれたのだけれど。
一方で、こちらの『農場世界』の温泉は、常に透明度が高い。
ナギ達と一緒に湯に浸かっているので、今の主神アルティオとオキアスは、当然ながら何ひとつ身に付けてはいない。
上空にある『光る桜』が周囲一体を非常に明るく照らし出していることもあり、気をつけないと二柱の裸が、鮮明に見えてしまいそうだった。
「別に見てくれても構わないよ?」
「か、勘弁して下さい……」
「なんだい、遠慮しなくていいのに」
唇の端を愉快そうに歪めながら、ナギに近づき身体を寄せてくる主神オキアス。
柔らかくも弾力がある感覚を二の腕に押しつけられて、思わず顔が熱くなった。
「お、オキアス様。お姉さまを誘惑しないで下さいまし」
「誘惑って程のことはしてないと思うんだけどねえ」
そう答えながら、主神オキアスはカラカラと笑ってみせる。
その隣で主神アルティオが、呆れたような表情をナギに向けていた。
「その身体になってから一月も経つのに、まだ女性に慣れていないのですか?」
「……いえ、これでも慣れた方ではあるんですよ……」
現在の身体になった当初の頃は、それこそ着替えや風呂の際に、女性に変わった自分の身体を見確かめてしまうだけでも、ナギはたびたび赤面していたのだ。
あれから一ヶ月が経ち、自分の身体をすっかり見慣れただけでなく、一緒に生活しているレビンやイヴの身体を見てしまう事にもある程度慣れてきたので。これでも、かなり『女性の身体』を見ること自体には免疫ができたと思うのだが。
とはいえ―――主神オキアスや主神アルティオの身体は、大人びているだけでなく、ナギ自身やレビンやイヴの身体には皆無の、豊かな膨らみがあるのだ。
女性の身体には、大分慣れてきたつもりでも。ナギはまだ、こちらの免疫については全く持ち合わせていないのだった。
「……これでも本体よりはだいぶ、胸も小さくなっているのですよ?」
胸元に手を宛がいながら、そう漏らす主神アルティオ。
「そ、そういえば、アルティオ様とオキアス様の身体は、以前見た時よりも一回り小さくなっていますよね。どうしてなのでしょう?」
「私達は『アースガルド』の主神だからね、世界を離れるわけにはいかないんだ。だから自分の分身を作って『こっちの世界』に遊びに来ているのさ」
「つまり、この身体は神力で作った『分体』なのです。本体に較べて一回り小さいのは、本体と見分けがつくように意図的に小さめに作ったからなのですよ」
ナギが疑問を訊ねると、二人の主神がそう教えてくれた。
なるほど、確かに『主神』ともなれば、あまり簡単に自分の世界を離れることはできないだろう。他の世界への訪問を、別途作成した『分体』で行うというのは、納得できる話だと思えた。
「な、なんだかよく判らないけど凄いです! 流石は主神さま達なんだよ!」
キラキラとした目で、二柱の主神を見つめるアリス。
憧憬を孕んだ視線を受けて、主神アルティオは少し照れくさそうにしていた。
「ああ―――そう言って頂けるのは嬉しいですが、ここでは私達のことを『主神』と呼ぶのはやめて下さいね」
「えっ。それは、どうしてですか?」
「私達はあくまでも『あちらの世界』の神様ですからね。こちらの世界では別に、神様でも何でも無いのです」
「というか、まあ―――正直、常に神様扱いされるのも、なかなか疲れるからね。こちらの世界へ遊びに来ている時ぐらいは『主神』ではなく、普通の『人族』のようなものとして、過ごさせて欲しいのさ」
小さく溜息を零しながら、そう告げる二柱の主神。
ナギには判らないが、きっと主神ならではの苦労があるのだろう。
「わ、判りました、主神さま! あっ、神様って呼んじゃいけないんだった……。
えっと、じゃあ主神さま達のことは、一体何て呼べばいいのかな? ……じゃなくて、えっと……何とお呼びすれば、いいのでしょう?」
「ここでは私達は何ひとつ偉い存在ではないのですから、敬語で話す必要もありませんよ。呼び方は―――そうですね、今からナギが私達の『分体』に名前を付けてくれますから、今後はその名前で呼んで下さいね」
「えっ」
アリスと主神アルティオの会話が、何故か急にこちらへ飛び火してきた。
急に名前を付けろと言われても、なかなか難しいのだけれど……。
「アルティオ様が『ルティ』で、オキアス様が『キア』とかはどうでしょう?」
「なるほど、本体の名前から抜き出して付けたのですね。
―――良い名です。では私は今後『ルティ』を名乗ることに致しましょう」
「じゃあ私は『キア』だね。今後は私達のことをそう呼んで貰えるかい?」
「うん! ルティさまと、キアさま!」
嬉しそうに、新しい名前を口にするアリス。
そのアリスの頭を二柱の主神―――ルティとキアが、優しく撫でていた。
「ナギ」
「はい、何でしょう?」
「世界樹を生やしたり温泉を作ったり……色々な改造を、私とキアの二人で勝手にさせて頂きましたが。ここは『ナギとエコー』の世界です。
この世界を今後どういう場所へ作り替えていき、どのように活用していくかは、全てナギとエコーの二人で自由に決めることができます」
「僕とエコーが、自由に……」
「私は遠からずナギ様の眷属になる予定ですから、実質的にこの世界は、ナギ様の個人所有物のようなものですね」
ナギのすぐ後ろで湯に浸かっているエコーが、さも当然のようにそう告げる。
『世界』というのは、個人所有するにはあまりに大きすぎると思うのだけれど。
「その辺の事情は、ナギとエコーの二人で決めて下されば結構ですが。
ところでナギは以前、私達に求めた『使命の報酬』の内容を、まだ覚えていますか?」
「ええ、もちろん覚えています」
ルティの言葉に、ナギは即座に頷く。
報酬の内容を決める際には結構悩んだので、忘れよう筈も無かった。
「それは重畳。あなたは以前『使命の報酬』として、『有事の際にエルフの人達が精霊を伴って避難できる場所を教えて欲しい』と、そう求めていましたね。
いま私達の頭上にある『世界樹』は、『竜の揺籃地』にある古代樹と同じく、この地に棲まう精霊達に力を与えます。ですからこの場所は精霊にとって大変に好ましく、有事の際の避難場所としては最適でしょう」
「なるほど、それは有難いですね……」
「また、あなたは以前『エルフの人達の食が豊かになるように様々な作物の種子が欲しい』と、また『日本のお米が欲しい』とも言っていましたね。
この世界では『気温』や『天候』などの環境を『島』ごとに設定できますので、作物を季節を問わず育てることができます。ナギが以前住んでいた世界から、様々な種子を取り寄せてエコーに預けてありますので、あとは田畑さえ用意すればすぐにでも作付を行うことができるでしょう。
しかも、この世界では植物が通常よりも早く成長しますので、収穫までに要する時間も大幅に短縮することができる筈です」
「えっと……確か植物の成長速度が『20%』早くなる、のですよね」
確か〈農場世界〉のスキルの説明文に、そう書いてあったことを思い出す。
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〈農場世界〉Rank.2 - 神授スキル
農地などの利用に適した『農場世界』を管理・運営できる。
『農場世界』は1つの本島と1つの衛星島によって構成され、
全ての島で植物の成長速度が通常よりも『20%』早くなる。
『農場世界』へ繋がる任意サイズの門を2つまで作成できる。
このスキルは世界樹の成長段階に応じてランクが成長する。
スキルランクが上がると衛星島の数と門の作成上限数が増加する。
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あくまでも現時点で『20%』早くなると言うだけで、スキルランクが上がれば、更に植物の成長速度も上がるのだろうか。
「この世界の土壌は大変栄養豊富で、病害とも無縁。更には『世界樹』のお陰で、植物の成長に寄与する『光の精霊』や『水の精霊』なども多く棲息しています。
ですから実際には『20%』どころではなく、植物は通常よりも圧倒的に早く成長すると思っていて良いと思いますよ」
「な、なるほど……」
ルティの話を聞き、ナギは早速(田んぼを作って米を育ててみたいな)と思う。
米は既に確保しているけれど……。アースガルドにあるお米は、やっぱり日本の米に較べると何もかもが違って、正直物足りない部分があるから。
日本人はやっぱり―――『日本のお米』でなければ、満足できないのだ。
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お読み下さりありがとうございました。
誤字報告機能での指摘も、いつもありがとうございます。
[memo]------------------------------------------------------
ナギ - Lv.14 /掃討者[F]
〔現人神〕〔アルティオの使徒〕〔オキアスの使徒〕〔調停者〕
〈採取生活〉8、〈素材感知/植物〉4、〈繁茂〉3
〈収納ボックス〉8、〈氷室ボックス〉4、〈保存ボックス〉1
〈鑑定〉4、〈非戦〉5、〈生体採取〉2
〈自採自消〉1、〈採取後援者〉1
〈複製採取/植物〉2、〈複製採取/解体〉1
【浄化】4、【伐採】6、【解体】1、【素材探知/植物】1
〈植物採取〉8、〈健脚〉4、〈気配察知〉3、〈魔力察知〉1
〈錬金術〉2、〈調理〉3
〈農場世界〉2、〈神癒〉3
227,812 gita
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