25. 主神アルティオ
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「………!」
咄嗟に右腕で目元を庇うが、それでも光は視界に飛び込んでくる。
仕方なく瞼を閉じ直していると、1分程待つ間にようやく光は収まってくれた。
「……誰も、いない?」
ナギがいま居る空間自体は、紛れもなく先程までと同じで『アルティオ神殿』に入ってすぐの大広間なのだが。
あれほど周囲に沢山居た、街の人が誰もいなくなっている。
ナギの隣で祈っていたはずのレビンの姿も、どこかへ消えてしまっていた。
周囲から一切の音が消え失せている。
身を置いている空間こそ、間違い無く先程までと同じではあっても。
―――何だか、日常から非日常へと、転移させられたかのような。
そんな風にさえ思えてしまう、漠然とした異質感があった。
「その認識は正しいです」
エコーの声がした。
いや―――エコーのものよりは随分と大人びた、別の声だが。
それでもナギには、それが『エコー』の声だと判った。
いつの間にか、ナギが祈りを捧げていた正面の神像がリアルに色づいていた。
つい先程までは像全体がくすんだ錫のような色合いをしていた筈なのだが。髪の色は綺麗な薄桃色へと変化しており、肌は白に、背中の両翼はより透き通るような白へと変わっている。
身に付けている衣服も茶や橙、緑といった自然色で彩られたものへ変わり、手に持っていた杖は黒檀を思わせる色味と木目のものへ変化していた。
「初めまして、ナギさん。アルティオと申します」
そう言って神像がナギに向かってぺこりと頭を下げる。
もちろん『像』が動く筈もない。有り得ないはずの光景を目の当たりにして、ようやくナギは―――自分の目の前で起こっている事態について、理解した。
「本物のアルティオ……様、なのですか」
「ふふ、呼び捨てにして頂いても構いませんよ?」
そう告げて、主神アルティオはくすりと嬉しそうに微笑んだ。
無論、そう言われたからといって、神様を呼び捨てになどできる筈もない。
「さ、流石にそれは、恐れ多いので……」
「私はナギさんの意志を無視して、この世界へ招いた元凶だと言えます。被害者であるあなたは、私に怒ったり、私を殴ったりする権利もあると思うのですが」
「無茶言わないで下さい……」
主神アルティオの物言いに、思わずナギは苦笑させられる。
宗教画に描かれる天使の姿を思わせるような。背中に両翼を備えた、神々しくも美しい女神の姿を前にしたなら。『殴る』だなんて考え自体、どうして抱くことなどできるだろう。
「僕はアルティオ様がこの世界に喚んで下さったことに、感謝していますから」
「そうですか? この世界はナギさんが住んでいた世界に較べると、技術や文化の発展がかなり遅れています。こちらに来てまだ三日とはいえ、現代生活に慣れているナギさんには、不便や不満を感じることも多いのではないですか?」
「不満、ですか……?」
日本に住んでいた頃は、暇さえあれば本を読んだり、ネットで公開されている創作物を楽しんだり、オンラインゲームを遊んでばかりいたように思う。
当たり前だけれど、こちらの世界ではネットを見ることも、オンラインゲームを遊ぶこともできないから。日本に住んでいた頃に普段ナギが楽しんでいた娯楽を、そっくり取り上げられてしまったようなものだが。
「いえ、今のところは特に不満なども無く過ごしています。それどころか、日々をとても楽しく過ごさせて頂いていますね」
素直な気持ちから、ナギは主神アルティオにそう答えることができた。
日本に居た頃に較べると、比較にならないぐらい毎日が充実している。そんな強い実感が、確かにナギの胸にはあった。
「日々の娯楽が少なくて、退屈してはいませんか?」
「退屈など全く。僕にとって、この世界は全てが未知ですから、色々と歩きながら見て回っているだけでも充分楽しいです。それに、森の中をひとり歩いている時にも、宿屋にひとりで泊まったときにも、常にエコーが一緒に居てくれましたから。退屈することなんて、全くありませんでした」
「ふむ……。エコーと話すのは楽しいですか?」
エコー本人と殆ど同じ声でそう訊ねられるのは、ちょっと不思議な気がする。
とはいえ普段耳にしているエコーの声は、いまナギの目の前で主神アルティオが話す声に較べると声色が少し幼いので。厳密に言えば多少の違いはあるが。
「とても楽しいです。エコーは僕のことを全て判っていてくれていますから、僕は何も自分を偽る必要無く、気を置かずにどんなことでも話すことができますから」
エコーは、日本に住んでいた頃のナギの記憶を全て有している。
自分のことが全て知られてしまっているというのは、ちょっと恥ずかしいことでもあるけれど。とはいえ(どうせ全部知られているのだ)と割り切れば、これほど気兼ねなく話せる相手というのもいない。
「ナギさんにとって、エコーは好ましい相手ですか?」
「ええ、これ以上ないぐらいに。この世界に来て、一緒に居てくれる相手がエコーで良かったと。心底からそう思っています」
「それはつまり、ナギさんはエコーのことが『好き』ということですか?」
「もちろん、大好きです」
まだ、たった三日間の付き合い。けれどそれは、とても濃密な三日間でもある。
好きかどうかと訊ねられれば、胸を張って『大好き』だと答えられる。それぐらいナギにとってエコーは、信頼と親愛を全力で預けている相手だった。
ナギのその回答が、嬉しいものだったのだろうか。
主神アルティオはゆっくりと、満足げに頷いてみせた。
「うふふ。だそうですよ……良かったですね、エコー」
そう告げて、主神アルティオはナギのほうを見つめる。
いや。ナギよりも―――少しだけ、斜め後ろの方向へと視線を送っていた。
「………?」
訝しく思って、ナギが自分の右後ろ側を振り返ると。
そこには、もうひとりの『主神アルティオ』の姿があった。
「……えっ?」
思わず、驚きがナギの口を衝いて出る。
より適切に言い表すなら。主神アルティオの姿を随分ミニサイズにした誰かが、ナギの斜め後ろに立っていた。
主神アルティオの身体が、身長2mはありそうな巨躯であるのに対して。ナギの後ろに立っているミニサイズの主神アルティオは、せいぜい120cmぐらいしか身長がない。
ナギの目の前にいる主神アルティオは、風格と威厳とを兼ね備えていて、とても『神様』らしい風貌をした女神なのだが。一方で、ナギの後ろにいるミニサイズの主神アルティオは、幼い矮躯の背中からちまっと可愛らしい翼を生やした、何とも愛らしい少女のようにしか見えなかった。
主神と同じ姿をした―――この可愛らしい少女は、一体何者なんだろう。
不思議に思って、ナギがまじまじと見つめると。ミニサイズの少女は、頬に紅を差しながら、恥ずかしげに視線を逸らして。
「……ナギ様。そういう恥ずかしいことを、真顔で言わないで下さい」
消え入りそうなほど小さな声で、そう漏らしてから。
ぷいっと、唇の先を軽く尖らせて、そっぽを向いてしまった。
ナギのことを『ナギ様』と呼ぶのは。
少なくともこの世界では、まだひとりしか心当たりが無い。
「エコー……なのですか?」
ナギがそう問いかけると。
そっぽを向いたままの少女は、僅かに逡巡しながらも。
こくんと小さく頷くことで、その疑問に答えてくれた。
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お読み下さりありがとうございました。
[memo]------------------------------------------------------
ナギ - Lv.3 /掃討者[F]
〈採取生活〉2、〈素材感知/植物〉2、〈収納ボックス〉2、
〈鑑定〉1、〈非戦〉2、〈繁茂〉1
【浄化】1
〈植物採取〉3、〈健脚〉1、〈気配察知〉1
169,912 gita
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