17. 要衝都市ロズティア - 1
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ナギを背に乗せた白竜が、大地を蹴って空へと舞う。
重力という頸木をものともせず、森を構成する高い樹木を置き去りにして。ナギたち二人は、一気に大空の高くにまで駆け上がった。
「お、おおおおおおお―――!?」
翼を羽ばたかせることで揚力を得て、徐々に空中へ浮遊するものだと考えていただけに。物理法則を完全に無視したあまりに急速な飛翔に、思わずナギは驚きから大きな声を上げてしまう。
周囲の景色が目まぐるしく動くのを見て、慌ててナギは重力負荷と風圧に耐えるべく白竜の背にしがみつくが。重力と風のどちらも、意外な程にナギの身体には負荷として感じられなかった。
一気に空へと飛び上がった割に重力の強さは一定のままだし、空を飛んでいるにも拘わらず、ナギの身体にはそよ風ぐらいしか届かない。
揺れも殆ど感じず、風鳴りの音さえ全く聞こえては来なくて。むしろ地上に居たときよりも、空に居る今のほうがより深い静寂に包まれているような気さえした。
《竜は種族能力として備わっている、独自の魔法を用いて飛行します。また、竜は飛行の際に自分の身体を特殊な防護膜で包み込むことで重力影響を一定に保ち、風雨の影響も大きく軽減することができます。
竜の背に乗っているナギ様も一緒に防護膜の中に包まれていますので、重力変化や風圧から護られているものと思われます》
(それは凄い……)
白磁のように抜けた白さを持つレビンの竜皮は、入念に触らなければ鱗の継ぎ目が判らない程に、すべすべした滑らかな手触りをしている。
また、馬のように鞍が備えられているわけではないので、レビンの背に跨る姿勢はあまり安定せず、飛行中に滑って落下しないかナギは少し心配だったのだが。
揺れも風も殆ど感じないのであれば流石に大丈夫そうだ。むしろ快適過ぎるあまり、うっかりレビンの背でうたた寝でもしないかのほうが心配かもしれない。
《お姉さま。竜の姿で都市に接近しますと、ロズティアの住人を警戒させてしまいますので、少し手前の森の中で降りますが構いませんか?》
ナギの頭の中に声が直接届いてくる―――が、その声色はいつものエコーのものではなく、明らかにレビンのものだ。
どうやらレビンはエコーと同じように、思念による会話を行うことができるらしい。
おそらく竜に姿を変えている時は人の言葉を発するのが難しいから、思念での会話に切り替えたのだろう。
多くの人達が生活している都市に『竜』という極めて大きな脅威が接近してくれば、街の住人が大パニックになることは間違い無い。
いたずらに警戒心を煽って、都市の門が封鎖でもされては困ってしまう。手前の森で一旦降り、レビンに人の姿に戻って貰った上で、歩いて都市へ向かう方が賢明だろう。
(判りました。その辺のことはレビンにお任せします)
《あら―――そうでした。お姉さまは普段からエコーさんと会話されているので、念話に慣れていらっしゃるのでしたね。急に思念で語りかけて、お姉さまをびっくりさせようと思ったのですが、失敗してしまいましたわ》
そう言って、念話でくすくすと可笑しそうに笑ってみせるレビン。
昨晩、夕食用の魚を焼きながらお互いのことについて色々と話し合った際に、エコーのことについてもレビンには既に一通り話してある。
《自分の中にいつでも対話できる相手がいらっしゃるというのは、ひとりで暮らしているわたくしからすると、とっても羨ましいですね。可能でしたらわたくしも、エコーさんという方と色々お話ししてみたかったですが……》
《私とですか? どのようなお話しを致しましょう?》
《―――えっ?》
ナギの頭の中にレビンのものだけでなく、エコーの声までもが聞こえてくる。
そのエコーの声はレビンにも届いているらしく、彼女は小さく驚きの声を上げた。
《エコーさんはお姉さまの中にいらっしゃる……のですよね? わたくしとも話すことができるのですか?》
《はい、思念による会話でしたら可能です》
レビンの問いに、いともあっさりエコーはそう回答する。
だったら昨日レビンと話しているとき、エコーも会話に混ざれば良かったのに。
―――と、そんな風にナギが思っていると。思念が伝わってしまったようで、エコーは少し申し訳なさそうに言葉を零した。
《すみません……。昨晩はお二人の会話が弾んでいらっしゃるようでしたので、邪魔をしては悪いかと思ってしまいまして》
どうやらエコーはナギ達に気兼ねして会話に参加しなかったらしい。
今後はそういう遠慮は無用だからね、とナギが伝えると。エコーは少し嬉しそうな声で承知してくれた。
《エコーさんとお話ししたいことは沢山ありますが……。とりあえず全ては地上に降りてからですわね。お姉さま、そろそろ着陸致しますのでご注意下さいまし》
(……えっ、もうですか?)
《はい。既に目的地は見えておりますわ》
レビンの声に促されて前方の遠くを眺めると。足下からずっと広がっている森が途絶えた少し先に、周囲360度を高い壁で覆い囲っている、いかにも堅牢そうな都市を見つけることができた。
どうやらあれが、ナギが目指している『ロズティア』の都市であるらしい。
《こちらから都市がはっきり目視できている以上、いつ向こうからも竜の存在が発見されるか判りません。一応魔法で隠蔽を行っておりますが、これ以上接近すれば、気付かれる可能性はより高くなると思われますわ》
(それは良くないですね……。どこかこの辺りに、降りられる所が?)
ナギ達の足下には、ただ森だけが広がっている。
竜の姿になっているレビンの体躯はそれなりに大きいので、着陸するのであれば林冠の途切れた、少し開けた場所が欲しい所だ。
《はい。すぐ先に小川がありますので、それに沿って降りられますわ》
質問に答えてくれたレビンの言葉を受けて、ナギは着地の瞬間に備える。
とはいえ着地も離陸の時と同じく、重力の変化も揺れも全く感じはしなかったので、落ちる心配は皆無だった。
防護膜に包まれている竜の乗り心地は、本当に快適そのものだ。
「うう……。服が濡れてしまいました」
森の中を流れている小川に着陸し、ナギを降ろした後に人の姿へと戻ったレビンが、憂鬱げな表情でそうつぶやいた。
レビンの衣服は竜に姿を変えている間は消滅し、人に姿を戻すと自動的に再構築されるらしいのだが。小川に着地したことで竜の身体が濡れていたため、人の姿に戻った際に、濡れた肌の上にそのまま服が再構築されてしまったらしい。
幸いというべきか、レビンが着ている衣服は濡れたからといって透けるものでは無いようだけれど。びっしょりと濡れた服が身体に張り付いてくる、あの独特の不快感は想像に難くなかった。
「―――【浄化】」
だからナギは、すぐに魔法を行使してそれに対処する。
【浄化】の魔法は、術者が取り除きたいと意識する『余計な付着物』を対象から取り除く効果を持つ。
なので、この魔法を上手く扱えば、レビンが身に付けている衣服から『水分』だけを取り除き、瞬時に乾燥させるといった使い方も可能なのだ。
「ああ―――ありがとうございます、お姉さま。お陰で助かりましたわ」
「こちらこそ、乗せて下さってありがとうございます」
頭を下げてきたレビンに、ナギのほうからもまた頭を下げ返す。
視界に表示されている、常にロズティアがある方向を指し続けている移動針路ナビの情報によれば、現在地からロズティアまでの距離はあと『5.2km』らしい。
空を飛んでくれたレビンのお陰で、道程の大半を一気に消化できたことになる。この程度の距離なら、あとは歩いても大した距離ではない。
「ええっと……。ロズティアは、大体こちら側だったでしょうか?」
そう告げて、レビンは森の中の一方向を指差してみせるけれど。残念ながらナギの視界に示されているナビによると、その方向はロズティアがある方角と30度近くずれているようだ。
「ううん、正確にはこっち向きだね。行こう?」
「あら、お姉さまには都市がある方向が正確にお判りになるのですね。
その……。恥ずかしながらわたくしは、地上ではよく道に迷ってしまいますの。空を飛んでいる間は遠くまで見えますから、迷うことも無いのですが……」
《森の中は特に迷いやすいでしょうから、それは仕方ないと思います》
項垂れたレビンに、エコーが慰めの言葉を掛ける。
ナギが針路に迷わずに済むのは、偏にエコーが視界に投影してくれているナビのお陰に他ならない。
森の中は似たような景色ばかり続いているから、エコーの補助が無ければ、おそらくナギも目的地のある方向などはすぐに見失ってしまうことだろう。
つくづく、エコーには感謝するばかりだ。
「お姉さま! も、もしよろしければ、街まで手を繋いで頂いても?」
「手をですか? ああ―――そうですね、はぐれると大変でしょうから」
見通しの悪い森の中で一度逸れてしまえば、再び合流することは絶望的だろう。
レビンの提案をそう理解し、納得したナギは。おずおずと差し出されたレビンの手を取って、離すことがないようにしっかりと握り締める。
すると、たちまちレビンの顔が、ポンと弾けるように真っ赤に染まった。
「お、おおお、お姉さまったら、大胆ですわ……!」
「………? ここからロズティアまで、歩いて一時間半ぐらいですね。特に急ぐ用事が無いようでしたら、のんびり歩いて行きましょうか」
「このまま、い、一時間半もですか!? あ、頭がフットーしてしまいます……!」
いつもより少しだけ高い声色になりながら。そう声を上げると同時に、くらっと上体をふらつかせたレビンの身体を、慌ててナギは抱き留める。
レビンの身体は意外なほどに軽くて。また、これまでに何度か経験したレベルアップで[筋力]の能力値が成長していることもあってか、ナギは容易く彼女の身体を支えることができた。
「大丈夫ですか? 木の根などに足を取られないよう、気をつけて下さいね」
「だ、だいじょうぶですわ。れびんは大丈夫です……」
どこか焦点の定まらない目でそう言葉を零すレビンの様子は、どう見ても大丈夫そうには見えない。
翼を持たないナギには想像し辛いけれど。おそらく空を飛ぶ行為がそれだけ大変で、疲労を伴うものだったということだろう。もしくは背中にナギを乗せて飛んだことが、レビンに相当の負担となっていたに違いない。
だとするなら、ここまでの道中でレビンに負担を掛けてしまった分だけ、ここからはナギが彼女に恩を返すべきではないだろうか。
《レビン様は疲れていらっしゃるというより……》
「……?」
《いえ、何でもありません。ナギ様、お疲れのレビン様を抱えて差し上げては?》
「その方が良さそうですね。すみません、レビン。ちょっと失礼します」
「お、お姉さま? 何を……っ!?」
矮躯のレビンを丸ごと持ち上げて、ナギは彼女の全身を自分の胸に抱え上げる。
いわゆる『お姫様抱っこ』に近い姿勢と言えるだろうか。
お姫様抱っこは本来、抱えられる側からも協力が必要となる運び方なのだが。軽すぎるレビンの身体は、ナギの力だけでも簡単に抱え上げることができた。
腕や腰の負担も大したことはなさそうだ。これならばロズティアまで残り僅かな距離ぐらいは、レビンを抱え続けながら歩くのでも全く問題無いだろう。
「―――ほああああっ!? お、おおお、お姉さま!?」
「なるべく揺らさず歩きますが、舌を噛まないように気をつけて下さいね」
ここ二日歩き通したことで、森の中を歩くのにも随分と慣れてきた。
あまり揺らすと、酔って気分が悪くなってしまうかもしれないから。慎重に、けれども一定の速度を維持しながらナギは歩くように努める。
(日暈が出ているなあ……)
林冠の隙間から覗く太陽を見上げて、ナギはそのことに気付く。
太陽に暈が掛かるのは、これから天気が徐々に下り坂になる前兆だと、むかし何かの本で読んだことがある。
それが真実かどうかは知らないが、なるべく先を急いだ方が良さそうだ。
最初こそ声を上げていたレビンも、今はまるで借りてきた猫のように、ナギの腕の中で静かに身体を丸めていた。
彼女の視線は、まっすぐにナギの顔へと向けられている。その視線に応えるようにナギが微笑むと、レビンはナギの腕の中でもじもじと身体をくねらせた。
「ふあぁ……。お、お姉さま、格好良すぎますわ……」
「そう? レビンがくれた服が似合っているのかな」
「格好良いのは服でなくお姉さまで―――。いえ、その格好がお姉さまに大変よく似合っていらっしゃるのも、決して間違いではないのですが!」
レビンはそう告げて、うんうんと頻りに何度も頷いてみせた。
事前に『可愛らしい服』だと聞かされていたこともあって。昨晩ナギは古代樹の温泉から上がった後に、一体どんな服をレビンから手渡されるのか、内心で戦々恐々としていたものだけれど。
意外にも実際にレビンから手渡された衣服は、やや堅苦しそうな印象さえ与える、ぴしっと整った衣装だった。
衣服の形式としては、一応『フレアスカートのワンピース』になるのだろうか。
けれどそれは少女的なドレスではなく、どこか紳士服に近い、男性的な印象を受ける服でもあった。
いや―――紳士服というよりは、むしろ『軍服』に近いシルエットとでも喩える方が、より正確だろうか。
少女服らしくフリルが多い作りこそしているが。黒を基調にした落ち着いた色合いで纏められているワンピースは、どこか礼服にも似た雰囲気を持っており、ナギとしても着るのにそれほど抵抗を感じなかった。
(確か、こういう服は『ミリタリーロリータ』って言うんだっけ……?)
何かの漫画で見たような気がするが、あまりちゃんと覚えてはいない。
昨日まで着ていた『瀟洒な村娘の衣服』に較べると、スカートの丈が結構短くなっているせいで、少しスースーするのが難点だが。しっかりした素材で仕立てられていて、服全体が頑丈そうな所に好感が持てる。
この服なら森の中で木の枝などを引っかけたとしても、そう簡単に生地に破れたり、穴が空いたりすることも無いだろう。
(今後はこういう女性用の服にも、慣れていかないといけないのかなあ……)
歩く度にスカートが少しだけ揺れる感覚を意識してしまって、諦念にも似た気持ちでナギは静かに溜息を吐いた。
正直を言って……今のナギは、女性用の衣服を身に付けること自体に、それほど抵抗感が無くなりつつあった。
きっかけは、間違い無く昨晩のことだろう。
ナギはレビンからワンピースを主とした幾つかの衣服だけでなく、一緒に肌着の類も貰っていた。
もちろんそれは、女性用の……というか、女の子向けの肌着で。チューブトップブラに似た形状の胸部を覆う肌着と、下半身に穿くズロースの二種類だった。
そしてナギは昨晩、古代樹の温泉で身体を綺麗にしたあとの湯上がりに、どうしてもここ二日間ずっと身に付けていたトランクスを穿くことができなかった。
いくら【浄化】の魔法で清潔に出来るとはいえ、人は同じ下着を何日も履き続けることを許容できないものなのだ。
いや、許容できる人も、もしかしたら居るかもしれないが。少なくともナギには許せないことだった。
だからナギは―――湯上がりに全裸姿のまま10分近く悩んだ挙句に―――最終的にはレビンから貰った女の子向けの下着に足を通す自分を容認してしまっていた。
いちど心が屈してしまえば、あとは落ちていくだけだ。
ナギはもう、女の子らしい格好をする自分を、半ば受け容れつつさえあった。
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お読み下さりありがとうございました。
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ナギ - Lv.3
〈採取生活〉2、〈素材感知/植物〉2、〈収納ボックス〉2、
〈鑑定〉1、〈非戦〉2、〈繁茂〉1
【浄化】1
〈植物採取〉3、〈健脚〉1
91,990 gita
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