15. 竜の揺籃地 - 4
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古代樹の根本を覆う泉の畔に、一軒の小屋が設けられていた。
作り自体はしっかりしているようだが、それは『小屋』と言い表す他に無いぐらい、本当に小さな建物で。外観を眺めるだけでも、建物の中の空間が六畳一間ぐらいの広さしか無いことが見て取れてしまう。
だからナギは正直、最初にその建物を見た時に(物置小屋だろうか?)と思ってしまった。それぐらい本当に小さくて簡素な建物なのだ。
もっとも―――レビンに招かれて建物の中へ入り、そこに寝具や衣類、食器といった『明らかに人が生活している』空間であることが窺える物品が幾つも置かれているのを見れば、ナギのその推測が間違っているのにもすぐに気づけたが。
レビンが言うには、この小屋は彼女が自ら造った住処であるらしい。
少女が自力で建てたのだと聞き、もちろんナギは大いに驚かされた。
建物の天井や床、外壁などの建材には『不融氷晶』と呼ばれる『溶けない氷』を自作して用いているらしい。氷竜の血を継ぐ、レビンならではの建造物ということだろう。
「本当はもっと大きな家を作りたかったのですが……。これよりもサイズを大きくしますと、建材の重みで自壊してしまうようですの。
実際に体験してみるとよく判りますが、建築というのは本当に難しいものですわね。巨大な建造物を平気で建ててしまう人間の技術力には驚かされるばかりです」
レビンは優しく目を細めながら、小さく言葉を漏らす。
そのレビンのつぶやきからは、虚飾のものではない、人間に対する誠実な敬意が感じられる気がした。
「小さな家でも建てられるだけ凄いですよ。僕には絶対にできないと思います」
「そうですか? お姉さまになら、できそうな気が致しますが」
「買いかぶりですよ。僕ではまず建材を準備することさえできないでしょうから」
レビンにそう答えながら、ナギは苦笑する。
『男らしくない』と友人からよくからかわれていたナギの身体は、日本で暮らしていた時でさえ、クラスメイトに較べると随分と非力だった。まして異世界に来た今では、日本で暮らしていた頃よりも更に矮躯で、小柄な体躯になってしまっている。
こんな身体で木を切り倒し、家屋を建てるための木材を用意することなど、不可能としか思えない。
「温かい粗茶ですの、どうぞ」
「ありがとうございます」
家の中へ招待してくれたレビンが、手ずからに淹れてくれたお茶のカップを受け取り、ナギは感謝を伝える。
お茶は少し温めだったが、すっかり身体が冷えていたナギには、適度に落ち着いたお茶の温かさが却って嬉しく、美味しかった。
「レビンはここに、一人で住んでいるのですか?」
室内を見回しながら、ナギはそう訊ねる。
六畳ぐらいの部屋の中には、座卓や寝台、衣装箪笥といった家具が所狭しと並べられている。
こう言っては何だが―――竜が生活している環境のようには、全く見えない。
むしろ、なんとも人間らしい、こぢんまりとした生活感が窺える部屋だった。
……とはいえ、それが却って、ナギにとって落ち着ける空間であることも事実だ。
六畳一間という程良い手狭ささえ、現代日本での暮らしに慣れているナギには逆に、好感が持てる要素にしかならなかった。
「ええ、わたくしはこの場所でひとり暮らしております。両親は古代樹のほとりにわたくしの卵を産み、結界だけを張った後に森から去ってしまいましたから」
「えっ……。レビンをここに、置き去りにしてしまったのですか?」
「これは別に変なことではありませんのよ? 必ず親元で子を育てる人間とは違って、竜は子育てをしませんの。卵を産んだら放置するのが普通なんです」
「そ、そうなのですか……。両親に会えないのは、淋しくはありませんか?」
「いえ、両親は数年ごとに会いに来て下さいますから。だから、平気ですわ」
もう100回ぐらい会いに来て下さいましたのよ、とレビンは嬉しそうに語る。
レビンは9歳児ぐらいにしか見えない容貌とは異なり、産まれてから既に400年が経過しているという。
(オリンピックじゃないんだから……)
400年で100回なら、頻度としては4年に1度ということになる。
その程度しか会いに来ない親というのは、ナギの感覚からすると、随分と薄情なようにも思えた。
「とはいえ、あまり独りきり過ごしてばかりでは、言葉を忘れてしまいそうですから。お姉さまが向かっておられる『ロズティア』の都市には、わたくしもたまに遊びに行くことがありますの」
「ロズティアに? そうなのですか?」
「ええ。わたくしは竜ですから、飛んで向かえばすぐの距離ですから」
「なるほど……」
森の中を時間を掛けて歩くしかないナギからすると、なんとも羨ましい話だ。
今から向かうのでは、ロズティアに着くのは日付が変わる頃かな―――と、ナギは内心で小さく溜息を吐く。
そんなナギの心情を察してか、レビンはくすりと小さく笑った。
「わたくしは竜に姿を変えても小柄ですが、それでも背に誰かひとりを乗せるぐらいのことはできます。お姉さまさえよろしければ、わたくしがロズティアまで背に乗せてお届けしましょうか?」
「レビンの背にですか? 僕としては有難いですが……よろしいのですか?」
「もちろんですの。わたくしも近々また都市へ行くつもりでしたから、ついでですわ。ただ……代わりと言っては何ですが、ひとつお姉さまにお願いしたいことが」
「何でしょう?」
「本日はどうかこの家に、お泊まりになっては下さいませんか?」
レビンはそう告げて、にこりと優しく微笑む。
……こんなに(少なくとも外見上は)幼い女の子がひとりきり住んでいる家に、(少なくとも精神面の性別では)男である僕が泊まる。
そう考えると―――『事案』という単語がどうしてもナギの脳内にちらついた。
「さ、流石に、女の子の家に泊まるのはちょっと……。というか子供でなくとも、女性の家に男が泊まるのは問題がありますよ」
「あら、お姉さまも女の子ではありませんか。女の子同士が一緒に泊まったからといって、何も問題などありませんわ?」
「み、見た目は確かにそうですが。僕は本当に男なんです……」
「では、わたくしの心の中で、お姉さまのことは『男性(自称)』なのだと思うことにしておきますわ」
「………」
自称なのだと言い切られてしまえばそれまでなので。レビンのその言葉に、もはやナギは何も言い返すことができなかった。
「それにわたくし、両親とは数年に一度しか会えませんの。だから今夜もひとりきりでベッドに眠るのかと思うと淋しくて……。どうかお姉さまも一緒に……」
「ついさっき平気だって言ってたじゃないですか!?」
「それはそれ、これはこれですわ」
そう告げて、愉快そうにくすくすと笑ってみせるレビン。
揶揄われているのだとは、すぐに判ったが。不思議と不快では無かった。
「こんな場所に暮らしていると、両親以外に誰も訪ねてくる相手はいませんの」
「……それは、そうでしょうね」
多数のオークが棲息する森の中というだけでも大概だが、更にここは結界に覆われた場所でもある。訪ねてくる相手など皆無だろう。
「ですからお姉さまがわたくしにとって、初めての両親以外のお客様なのです。
生まれてからの400年、いつお客様が来られても良いように、わたくしは欠かさず備えをしておりましたが……いつもそれは徒労に終わっておりました。ですから、せめて本日だけは、お客様にこのまま帰らずゆっくりして行って頂きたいのですわ」
レビンはそう告げると、どこか縋るような視線をナギに向けてきた。
レビンは見た目こそ幼くとも、既に十分過ぎるほどの聡明さを持っている。それこそこうして会話していれば、すぐにでも理解できる程に、
ナギが重ねて固辞したなら、おそらくはレビンもそれ以上を求めないだろうが。
可憐な少女の顔を悲しく染めるのは―――ナギとしても望むところではない。
「判りました。では本日は、こちらに泊まらせて頂いても?」
「……っ! ええ、ええ! もちろんですわ! 是非!」
ナギの言葉を受けて、緊張を帯びていたレビンの面持ちが、たちまち破顔する。
レビンの満面の笑顔を見ていると、ナギのほうまで幸せな心地になれた。
どうせ今からロズティアへ向かっても、着くのは間違いなく深夜になる。
それならばレビンの好意に甘えて本日はここに泊めて貰い、明日になってから都市へ向かうのでも構わないだろう。
少なくとも……レビンの言う通り今のナギの身体は『女性』であり、この家に泊まらせて貰ったとしても、絶対に間違いなど起こり得ないのだから。
「お姉さま! ゲームをしましょう!」
ナギが泊まると聞いてひとしきり喜んだ後、レビンは嬉しそうに提案する。
いつお客様が来ても良いように備えている―――というレビンの言葉はどうやら真実であるらしく。レビンはそれほど広くない部屋の至る所から、沢山の遊具を取り出してみせた。
この部屋にあるものは全て、レビンがロズティアで購入してきたものらしいが。ひとりきり暮らしていたのに遊具の類が沢山あるというのは、少し不思議なことであるようにナギには思えた。
(―――いや、ひとりきり暮らしていたからこそ、なのかな)
ひとりで過ごす夜には淋しさを感じることもあっただろう。
そうした時間の慰みに、レビンは遊具の類を買い求めていたのかもしれない。
両親以外と遊ぶのは初めてですのよ、と満面の笑みで告げるレビン。もちろんナギとしても相手をするのは吝かではない。
知らない遊具ばかりだったので、遊ぶ為にはそれぞれの遊具のルールを覚えなければならなかったけれど。レビンが懇切丁寧に説明してくれたし、ナギも『異世界の遊具』には大いに興味があったので、それほど覚えるのに苦労はしなかった。
数時間を掛けて、幾つかのゲームでレビンと対戦する。
覚えたてのルールに混乱する初戦こそ、必ずレビンに勝たれてしまったけれど。一度遊べばそれだけで、ナギは勝負のコツのようなものを掴むことができる。
小器用なナギにとって、新しいゲームに手を出すのは最も得意とするところだ。すぐにレビンと白熱する勝負ができるようになり、楽しく時間を過ごすことができた。
「レビンの暮らしは、人間と同じものなのですね」
チェスに似た遊具を指しながら、ナギはレビンにそう語りかける。
竜は誰でも『人』に変化することができる―――。ナギはそのことを、つい先程エコーから思念による会話でこっそり教えて貰っていた。
けれどもエコーは同時に、竜は自由に『人』に姿を変えられる能力こそ持ってはいても、その本性はあくまでも『魔物』であり、洞窟などをねぐらにして竜の姿のまま暮らすことが多いのだとも話してくれた。
レビンの暮らしぶりは、そのエコーの説明とは全く異なっている。
彼女は人の姿であることを自然体としており、人が着用するものと同じ衣類を身につけ、人と同じように家屋の中で暮らしている。
良い意味で、ナギにはレビンのことが『竜』にも『魔物』にも思えなかった。
「あ、それについてはお姉さまに、ちゃんとお話ししておかないといけませんね。実はわたくし、竜であると同時に『人族』でもありますの」
「竜であり、人族でもある……? どういう意味でしょうか?」
ちなみに『人族』というのは、この世界に於ける『人間系の種族』を纏めて示す単語だ。『人間』に加えて『亜人』、つまりエルフやドワーフのような種族を含めた総称であるらしい。
「少し特殊な例なのですけれど……。竜は誰でも人化の能力を持っていますから、やろうと思えば竜の姿ではなく、人の姿同士で他者と愛し合い、子を儲けることもできますの。その結果生まれたのがわたくしですわね。
人の姿に化けた親竜から産み出された子竜は、やはり人の姿で生まれて来ます。こうして生まれた子は『竜』ではあれど、『人』の姿こそが本性となってしまうそうです。これを『竜人種』と言って、なかなか珍しいそうですわ」
「ふむふむ……」
正直、判ったような判らないような、という感じだが。
何にしても、レビンが『竜』よりも『人』に近しい存在であるということは納得がいくし、理解もできる気がした。
《現在、アースガルドに存在する『竜人種』は6名です》
すかさず、エコーがそう補足説明を入れてくれる。
本当に珍しいんだな―――と、ナギはしみじみと思う。
(その『竜人種』という種族は、魔物でもあるのですか?)
《いいえ。『竜人種』は人に近しい常識や道徳観を持っていますので魔物とは見なされず、あくまでも亜人の一種とされています。もちろん『竜』と同等の強大な力を持っていますので、種族のことを知る人達からは畏怖される存在でもありますが。
ちなみに彼女は両親が共に『古代竜』のようですので、正確に言えば彼女の種族は『古代竜人種』となります。現在この世界に存在する『古代竜人種』は彼女1人のみです》
(ひとりだけ、ですか……)
もはや『希少』の一言で片付けられるレベルではないな、とナギは苦笑する。
そんなナギの心を見透かすかのように、レビンもまたにこりと柔和に微笑んだ。
「わたくしは希少種族ですが、それは『古代吸血種』であるお姉さまもですわ。お仲間同士、是非ともお姉さまとはもっと仲良くなりたいです」
「はい。僕も是非、レビンとは友達になりたいです」
「ふふ……ありがとうございます、お姉さまはお優しいのですね。では次はこのゲームを一緒に遊んで、もっと私と仲良くなって下さいませ」
新たな遊具を手に持ち、花が咲いたような笑顔でナギにそう催促してくるレビン。
もしもレビンに尻尾があったなら、ぶんぶんと左右に激しく揺れている所が見られたに違いないと。そう思える程に彼女の声色は歓喜に満ち溢れている。
ここまで率直に好意をぶつけてくれる相手に対して、警戒心を持つ必要が微塵も無いことぐらいは。人生経験に乏しいナギにだって判ることだった。
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お読み下さりありがとうございました。
[memo]------------------------------------------------------
ナギ - Lv.3
〈採取生活〉2、〈素材感知/植物〉2、〈収納ボックス〉2、
〈鑑定〉1、〈非戦〉2、〈繁茂〉1
【浄化】1
〈植物採取〉2、〈健脚〉1
91,990 gita
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