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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第八章 信念と共に
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「な、なんだ、これは……」


 精保――総合研究室。

 大型のマルチディスプレイの前に座っていたレアが、思わず椅子から立ち上がった。

 画面に映し出されているのは東京郊外のマップ。レアは、今回の作戦のバックアップとして常時送られてくる情報を頼りに、ここで戦況を見守っていた。

 数分前、GPSで追い続けていたダミー車の反応が消失した。再追跡をかけてみたものの、データは更新されず。織笠のシナリオ通りなら、リーシャに破壊されたものと予想される。場所から考えても間違いはないだろう。

 問題はそこからだった。画面を局所的なマナの推移グラフに切り替える。そこだけに焦点を当てれば、戦闘で発動したマナがグラフとなって現れる。棒グラフが道路に沿って高速で移動していき、やがて何もない平原地帯で留まった。そこが、織笠が選んだ最終決戦の場所だ。

 急激なグラフの上昇と下降の繰り返しが、戦闘の激しさを物語っていた。織笠の劣勢は明らか。レアはもどかしい気持ちでいたが、突如それは起きた。

 マナの異常な上昇。慌ててレアはキーボードを叩くが、原因は不明。しかも、それが何のマナなのか判別すら不能だった。


「何が起きている……?」


 科学者をやっていて、こんな事態は初めてだった。理解不能。呆然と立ち尽くすレア。

 そこへ、コーヒーカップを持ったユリカが入室してきた。戦闘に参加できないユリカは精保に待機し、レアのサポートに回っていた。といっても、ハイスペックマシンの操作をユリカがこなせるわけもないので、やることといえばレアのお世話ぐらいなものだった。

 ユリカはレアの机にカップを置くと、憂いに満ちた表情で画面を見つめ、そっと呟いた。


「遂に解放したんですね、レイジさん……」








 織笠には人工精霊使いであるが故の、とある能力が備わっていた。


 その能力のおかげで、織笠は素人同然ながら数々の危機を脱することが出来ていた。

 それが、他人のマナを拝借できるというスキル。

 いわゆるコピー能力だった。ただ、戦闘に不慣れな頃は無意識で発動するようなアテにし辛い代物だったし、E.A.Wを扱うようになってからは使う機会は極端に無くなっていった。

 ただ、今は違う。E.A.Wを揮う上で、自分の相性のいい陽と闇の力を駆使していくことで、次第に精霊の扱い方を身体で覚えていったのである。

 リーシャを相手に単独で挑むのは無謀だというのは最初から分かっていた。だから織笠は秘策を用意していた。

 それが、インジェクターB班全員のマナをあらかじめ借りておくことだった。

 カイの雨。

 キョウヤの風。

 ユリカの大地。

 アイサの炎。

 その四つを身体に宿し、力に変える。まるで無茶苦茶な方法だが、そうでもしなければリーシャには勝てない。それにこれは、一対一で挑むという無謀な提案を彼等に納得させる手段でもあった。


「行くぞ、リーシャ」

「…………!?」


 ただならぬ気配を感じて、リーシャはセクメトとタナトスを向かわせる。同時に行動を開始した二体だったが、すぐに目標物を見失う。

 忽然と織笠が消えたのである。そんな風に、リーシャの目には映ったことだろう。だが、違った。織笠は閃光のような速度で二体の間をすり抜け、リーシャに肉薄する。


「――ッ!?」


 織笠の振り上げた剣が、リーシャの鼻先をかすめた。切っ先が触れる寸前でリーシャは顔を後ろに引いたのだ。ほぼ本能のみでかわしたリーシャがすぐに跳び退く。

 距離を取ったリーシャだったが、その表情は驚きに満ちていた。織笠の肉体が持つ限界を大幅に超えた速度だったからだ。基本的な脚力は一般人レベルでしかない。事実として織笠のインジェクターとしての実力は誰よりも劣る。

 何かしらの加護でもない限りは。

 そう。

 織笠はキョウヤに借りた風の力を発動させ、移動速度を飛躍的に上昇させたのだ。

 ただただ困惑しているリーシャに、織笠は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。織笠が体勢を低くしたところで、リーシャは半ば焦り気味に声を荒げた。


「セクメト、タナトス!!」


 主の命を受けた二体が、即座に織笠の背後から襲い掛かる。一瞬で間合いを詰められた織笠に逃げる術はない。さすがの伝達速度。僅かなラグ(遅延)もないのは、さすがと織笠も舌を巻く。

 そう思えるほど、織笠にも余裕が生まれていた。

 織笠は振り向きざまの一振りで、二体をまとめて斬り伏せた。その純白の剣に炎を纏わせて。

 単純な剣だけの攻撃では、片方を相手にするだけで手一杯だ。だから織笠は、炎の精霊をE.A.Wに付与させることで刀身の長さを伸ばしたのだ。

 さすがは純度の高いアイサの炎。威力も桁違いだった。あっさり真っ二つになった二体は、断末魔を上げながら炎に飲み込まれていった。


「炎……ですって……?」


 そこで、ようやくリーシャが気付く。


「まさか、それはアイツらの……!」

「そういうことだ!!」


 織笠は再加速する。風に乗って。キョウヤならば、風を味方にし、流れのままに攻撃を加える。インビジブルのような高度な術は使えないが、織笠は小刻みなステップでリーシャを翻弄し、彼女に迫る。


「この……!」


 リーシャの蹴りが空を切る。それは織笠が見せた残像だった。既に織笠はリーシャの真後ろに回り込み、剣を高く掲げていた。


「らああああああああああああああ!」


 剣から炎が噴き上がり、一気に振り下ろす。炎の大剣はリーシャの無防備な背中を斬りつけた。

 アイサらしい真紅の炎が大地を朱に染め、蛇のように暴れまわった。精霊は、たとえ同じ属性であっても術者によってその性質が変化してくる。彼女の快活さが溢れているように、炎も生き生きと広範囲に広がっていく。


「ぐあ……!」


 炎の余波によって、リーシャの身体は宙へと放り出された。すかさず織笠は跳躍。追撃をかける。

 そして、織笠は彼女にこう言葉を投げかける。


「今度のはお前もよく知ってる感触だ。遠慮なく受け取れ!」


 漆黒の銃を放り投げ、しっかりと両手で剣を握った。力を宿した刀身が、鮮やかな光を放つ。――眩い黄金色に。


「ユリカ……!!」


 一閃。

 リーシャは陽の精霊で剣を受け止めたものの、大地の恩恵による圧倒的な織笠の膂力を押さえられず、そのまま地面へと叩きつけられた。凄まじい衝撃に大地は揺さぶられ、爆風が巻き起こる。燃え残っていた炎も草原ごとかっさらい、更地へと変えてしまう。

 ユリカの剣は、研ぎ澄まされた一撃。全ての力を集約し、その一振りに注ぐ。だからこそユリカは強い。リーシャとはまた違う、一極集中型の精霊使い。師とも呼べるユリカの本質を受け取ったからこその威力だった。


「はぁ、はぁ……」


 着地した途端、織笠がバランスを崩し膝をつく。

 全身を襲う疲労感と倦怠感。複数人のマナを使用した反動だ。本来持ち合わせていない別々の能力を使ったのだから当然の代償だろう。


(予定じゃ、もう少し使えたはずなんだけどな……。思ってたより、堪えたか……)


 それでも、リスクは覚悟の上だ。むしろ、失うものがない織笠には後のことなど気にする必要もない。

 いつ壊れたっていい。リーシャを倒しさえすれば。

 粉塵の向こうでは、リーシャが既に立ち上がっていた。ゆらり、と体を揺らした直後。織笠の全身は小さな刃物でも浴びたように、切り刻まれていた。


「ぐは……!」


 大量の血が噴き出し、前のめりに倒れる織笠。


「こ……れは……」


 借りたマナの反動ではない。明らかに、リーシャが何かをしたのだ。傷口に残ったマナは陽。恐らく、目視すら敵わない速度で、針のようなものを飛ばしたらしい。


「はははははっ、はははははははははは!!」


 狂ったように、哄笑を上げるリーシャ。含まれているのは愉悦。


「どうしてかしら。あまりにも悲しいはずなのに、私はこんなにも楽しい! 今、この瞬間だけ、世界のしがらみから解き放たれたから? レイジ、貴方と戦うことで思うままに、生きる素晴らしさを実感しているの!」

「そう……だろうな」


 織笠は奥歯を噛み締め、身体を起こす。傷口が淡く発光していく。水色。鎮静の雨。カイから借りた優しい雨の精霊が、傷を癒していく。


「俺も、お前も、この世界で縛られていた。馬鹿げた運命に捕らわれ、人生を奪われてきた」

「そうね。その最終地点がここだというなら、それも悪くない」


 穏やかな口調に戻ったリーシャが笑う。織笠も自然と笑いがこみ上げ、微笑み返す。

 織笠の傷は完全ではないものの、すぐに塞がった。致命傷に至らなかったのは、カイから借りたマナが、優れていたからだけではない――と、感じていた。

 リーシャの力が弱まっている。

 この戦い以前から、彼女は己の身体を酷使してきた。治療する時間もなく満足に回復しないまま、目的を果たそうとしていた。焦りが生んだリーシャの失敗。言い方を変えれば、そこまで彼女を追い詰めたインジェクターの貢献とも取れる。

 最早、セクメトやタナトスを顕現出来ない程消耗しきったリーシャには、あの程度の反撃しか出来なかったのだろう。

 だが、限界が近いのは織笠も同じ。少しでも気を抜けば倒れてしまいそうな身体を、精神力だけで持ちこたえているに過ぎない。

 それはリーシャも感じていることだろう。

 終焉はもうすぐ。互いに残された力は、あと僅か。

 織笠の視界の片隅に、リーシャの足元にある漆黒の銃が映った。

 借りたマナは使いきった。ならば、最後に出せるのはこの技しかない。

 静かに、織笠は言葉を紡ぐ。


禊賜るは太陽と月(アマテラスツクヨミ)


 純白の剣と漆黒の銃がそれぞれ光を放つ。純白の剣が、闇の黒を。漆黒の銃が、陽の白を。対極にある光を纏い、輝く。

 引力に求めあうように、惹かれ合うように。

 その二つを結ぶ直線状にいるリーシャは、それが何を意味するのか分かった上で動こうとはしなかった。

 リーシャも右手を織笠の方へ突き出し、何事かを唱え始める。

 現れたのは、タナトスが持っていた大きな鎌。それだけを発動したが、様子が違った。全体が白く輝いている。鎌独特の禍々しさは微塵もなく、むしろ神々しさすらあった。


 白銀の鎌を手に持ち、リーシャは駆ける。真っ直ぐ。織笠の元へ。

 織笠も引力の力を味方にし、強く地面を蹴る。純白の剣を握りしめて。



 触れられる距離。




 至近距離で、互いの得物が相手に吸い込まれていく。




 そして――。







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