11
彼女を見るたび、いつも思う。
どうして、もっと違う形で出会えないものだったのか……と。
どうして、こんな交わり方になってしまったのか……と。
最悪な運命に翻弄されなければ、もっと――。そう考えてしまう。
だけど、それはきっと無駄な想像。こうする生き方しか、お互いに終焉を迎えられないのだから。
「この再会は……どう喜べばいいのかしら?」
気品に満ちた笑みでリーシャ言う。
リーシャの全身が淡い白の燐光に包まれる。陽の精霊の治癒能力だ。落下の衝突時に受けた傷がみるみる癒えていく。
「お膳立ては揃えた。もう邪魔は入らない。これからは俺たちだけの戦い……そういうことだ」
妙な口ぶりに、リーシャはやや眉をひそめた。束の間、得心がいったように小さな笑い声を漏らす。
「……そうか、やはりあれは罠だったのね」
「俺がマスターに頼んでマナを採取させてもらった。お前が殺したと思ったのは、それが埋め込まれた人形だったんだ」
「道理で手ごたえが無かったわけだわ。あの女なら、覇道のキーマンである貴方の言うことを素直に聞くでしょうね」
リーシャの身体から陽の精霊が綿のようにふわりと舞い上がっていく。どこにも傷跡すら残さず、すっかり元通りになっていた。
「見事に私は踊らされた。その相手が貴方なら、悪い気もしないけど」
「ここまでやったんだ。もう終わりにしよう、白袖・リーシャ・ケイオス」
「やっぱり……私たちはこうなる運命だったようね」
残念そうに微笑むリーシャ。
ゆっくりと織笠はE.A.Wの剣と銃を持ち、重心を低くする。対して、リーシャに変化は訪れない。――否。じわり、と殺気が開け放たれる。実戦経験の少ない織笠でも感じる、異様な感覚。粘着性のあるハイトとも凶悪な攻撃性のメイガスとも違う、正に死に直結する恐怖。そして、絶望。
通常、普通の人間ならここで飲み込まれて戦意を喪失するか、胆力のある者ならば抗おうとするだろう。
だが、織笠はそのどちらでもなかった。
――自然体。それは、決して武道を極めた者だけが辿り着く究極の境地などではなく。むしろ、その逆。織笠は彼女の全てを受け入れる姿勢なのだ。
リーシャの憎しみも悲しみも、数えきれない負の感情を丸ごと。
そして、それは織笠にしか出来ない。唯一、彼女を理解出来る男だから。
(リーシャ……)
二つのE.A.Wに、同時に力を流し込む。両脚に踏ん張りを利かせ、突進する――その瞬間だった。
「待って!」
張り裂けんばかりの叫び声だった。織笠の胸元から勢いよく何かが飛び出す。
「モエナ!」
妖精の姿に戻っていたモエナはこちらに振り向き、小さな身体を目一杯使って両手を広げた。この空間には多量の増幅したマナが渦巻いている。妖精のモエナにはその場にいるだけでも心身に異常をきたす程、危険なレベルだ。
「出てきちゃだめだ、モエナ!」
「少しだけ、少しだけでいいから! お願い、私に話をさせて!」
「モエナ!」
織笠の制止を無視して、モエナは飛び去っていく。リーシャの近くまで寄ったモエナは、悲痛に主の名を呼ぶ。
「リーシャ様!」
「モエナ……」
殺気が薄まる気配があった。僅かな驚きが含まれているのだろう。しかし。
「久しぶりね」
その声はあまりに冷ややかなものだった。まるで、二人だけの時間を邪魔され、落胆しているような。
「どうしたのかしら? 私に何か用?」
ため息交じりにリーシャが言う。モエナは、そんなリーシャの感情などお構いなしに、ようやく再開できた想いをぶつける。
「もうおやめください! 私の知っているリーシャ様は復讐に囚われるような愚か者ではありません! 常に優しく気高く、精霊を愛する御方なのです。目をお覚ましください!!」
普段からは想像もつかない口調。モエナからすればリーシャは創造主だ。ある意味で、セクメトやタナトスに近い。絶対的な主君に忠誠を誓う部下ならば、主の間違いを正したい――だからいてもたってもいられなかった。
それは理解できる。だが。
(だめだ、モエナ……)
そんな時期はとうに過ぎている。訴えたところで、届くはずがないのだ。現に、リーシャも自分にたかるハエのように鬱陶しそうな反応を示している。こめかみあたりを押さえ、呆れ声を出す。
「……モエナ。この世には聖人君子など存在しない。お前は、自分に都合よく私を美化しているだけに過ぎないの」
「でしたら!」
と、モエナは顔をぐしゃぐしゃにしながら涙声で叫ぶ。
「どうして私を連れて行ってはくださらなかったのですか! 私はただ、貴女のお傍にいられればそれで良かったのに!」
モエナは両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。
きっと、その言葉を言いたいが為に、今まで我慢してきたのだろう。妖精である彼女は理性というものに乏しい。何年生きていたとしても、精神は赤ん坊そのものなのだ。
「……そう。寂しかったのね」
直情的に本心をぶつけられても、リーシャは無表情のままだった。言葉とは裏腹な、淡白な声色。
「ならば解放してあげるわ、もう二度と、そんな辛い想いをしないように」
「ッ!?」
不穏な気配に、織笠が漆黒の銃を構える。
「止めろ、リーシャ!」
「――え?」
リーシャは緩やかに右腕を動かした。まるで邪魔な虫を追い払うかのような横への軌道。
パンッ! と風船が割れたような音がした。
腕が振り抜かれた直後、そこには何もなかった。あるのは霧散していく陽と闇の精霊。白と黒、様々な大きさの精霊が宙を舞い、やがて風にさらわれていく。
「モ……」
モエナの姿は、もうどこにもない。
「モエナぁぁぁあああああああああああああ!!」
妖精には死が存在しない。あるのは消滅。
精霊と同じく、自然へと還るだけ。だが、概念こそそうであったとしても、死と何ら変わりはしないのだ。
モエナはもう、この世にはいない。例え、リーシャがまた生み出したとしても、それは別の妖精に変わるだけ。絶対に、二度と出会えない。
それを知りながら、リーシャは平然と殺したのだ。モエナを。いとも簡単に。
「貴様ぁあああああああああ!!」
我を忘れて激昂する織笠。獣のような咆哮を上げる彼を、リーシャは宥めるような口調で言った。
「そんなに怒らないで。だって、あの子が悪いのよ。大切な二人きりの時間を邪魔したのだから」
「モエナは本当にお前のことを心底慕っていたんだぞ! ずっと探して、また再会できるのを待ちわびて。それをお前は……!」
「だから何? この最高の瞬間を奪う権利なんて、あの子程度にはないわ。だから退場してもらっただけ。貴方だって、そう仕組んだのでしょう?」
「く……!」
肩を落とす。やはり連れてくるべきじゃなかった。後悔が胸を締め付ける。心の中でモエナに謝罪する。そして、罪悪感と怒りを鎮めるために深呼吸を繰り返す。心を落ち着かせなければ、リーシャは倒せない。
「……いいだろう」
織笠は呟く。
「徹底的にやろう。お前が望む通り……、いやこれは俺の望みでもある。全てを出し尽くして、この運命に終止符を打つ」
「ええ、存分に舞いましょう。あぁ……、楽しみ」
――静寂。
そして。
先に仕掛けたのは織笠だった。地面を蹴り飛ばし、リーシャに突進する。真正面から挑んだことを喜ぶかのように、リーシャは彼の方へ手招きの格好で待つ。そこから、くるりと手のひらを返し、滑らかに唇を動かす。
「いらっしゃい、セクメト」
呼びかけに応じ、リーシャの足元で雷が弾けた。召喚した白銀の獅子が高らかな咆哮を上げ、駆ける。
織笠は動じない。リーシャの戦法は決まって、セクメトから始まる。そのまま速度を落とさず、身体を捻りながら飛ぶ。セクメトの背中を滑るようにして獣をかわし、着地際、銃を放つ。
織笠のE.A.W――漆黒の銃は、マナの充填量によって威力を変えられる。マグナムのような重い一発か、マシンガンのように連射性に特化させるか――使用者の扱い次第というわけだ。
マナを最大限にして撃った弾丸は、黒炎の爆発を起こす。大型トレーラーだろうが一発で横転させてしまう威力にしたつもりだったが、獅子はものともせずこちらに反転して再度突進してくる。
「ッ!」
軽く舌打ちした織笠。今度は敢えて照準を定めず、連射した。発射された黒の銃弾は、獅子を通り過ぎるかと思いきや、急停止。獅子を取り囲む。
「黒連珠」
織笠が静かに告げる。獅子を閉じ込めていた銃弾の檻が、合図を待っていたかのように一斉に弾けた。無数の時限爆弾。その爆破を浴びた白銀の獅子は悲痛に吼え、黒炎に喰われて消滅していった。
「攻撃に迷いが無い。潔さは洗脳されていたとき以上だわ」
素直に感嘆するリーシャ。
「それはどうして? 私ではなく、この世界を選んだから?」
「俺は今の社会を肯定するつもりは無い」
「なら――」
「だけどお前がやろうとしているのは、何の罪もない何千何万の人たちが築いてきた生活を全てぶち壊してしまう。それだけは絶対に許せない!」
言い放って、織笠は猛然と駆ける。リーシャの懐に潜り込んで鋭く剣を振るう。横への一閃はリーシャの胸元をかすったかのように見えた。が、リーシャは寸でのところでかわし、後退。すかさず織笠が追撃にかかる。
「!?」
織笠の動きが止まる。全身が硬直してしまうほどのおぞましい気配を、背後に感じ取ったのだ。
這い寄る死の匂い。膨大な闇の圧迫感。振り返らずとも分かる。その正体を。
咄嗟に真横へ飛ぶ。今まさに織笠がいた場所に、鋭利な光が通過する。空を斬り裂いたのは、巨大な鎌だった。僅かに触れた草が腐食したのを目にして、織笠の背筋が凍る。
「タナトス……!」
一体いつ、どの瞬間にリーシャは召喚させていたのか。大鎌を携えた死神はゆらゆらと漂いながら、笑っているかのように歯を鳴らした。そして、予備動作もなしに鎌が大きな弧を描く。剣戟音が鳴る。織笠が剣を使って身構え、受け止める。ただ、その攻撃を受け止められたのは奇跡に近い。ほぼ本能だけで防いだのだ。
それでも得物の差は大きかった。威力を完全に殺すことは出来ず、織笠は後方へ弾き飛ばされてしまう。そこからタナトスの斬撃が次々と迫る。織笠には避けるのが精一杯だった。かわしきれなかった攻撃が、腕や脚を容赦なく切り刻む。鮮血が噴くが、気にする余裕もない。痛みを知覚したとき、その時点で命は失われる。
「おおおおおおおおおおお!」
タナトスが大振りになった瞬間の僅かな隙を、織笠は見逃さなかった。純白の剣に雷が走り、織笠は飛びかかりながら縦に振り抜く。
剣技『白雷』だ。本物の落雷のような激しい轟音の中で、死神は真っ二つに斬り裂かれた。地面に残ったのは煙が漂う焦げ跡のみだ。
「お見事。よくそこまで力を付けたわね」
遠くの方でリーシャの嬉しそうな声がした。直後、織笠の腹部に衝撃が走る。
「がはッ!!」
再び召喚されたセクメトの丸太のような太い前足が織笠を殴りつけたのだ。軽く十メートルは吹き飛び、地面に強く叩きつけられる織笠。
「ふっ、ぐっは……」
腹部を内臓ごと抉られたような痛み。本物の肉体は繋がっているようだが、恐ろしい威力だ。起き上がろうとした織笠の口から大量の血が噴く。
(く……そ……)
反則級の強さ。あのユリカをしても、相討ちが限界だったのがよく理解できる。二体の具現化精霊の圧倒的な質量を体感して、絶望感が強く押し寄せてくる。
「貴方の成長は心の底から嬉しい。でも、これ以上私にそんな痛々しい姿を見せないで欲しいの」
「な、にを……」
「傷つけさせないで。どうあがいても、レイジ。今の貴方では私に触れることすらできない」
「そ……れは、そう……かな……」
気力を振り絞り、どうにか立ち上がる。左太腿に強烈な痛みが走った。タナトスが音もなく鎌を振るったのだ。肉が裂け血が噴き出したが、傷は浅い。明らかな手加減。
「ぐ……!」
「粉飾で彩られた世界で、正義なんてものは存在しない。価値のないものを守ろうとしたって何の意味もないわ」
「正義の答えなんて一つじゃない。誰もが自分の正義に従って生きているだけだ。それが最善の道だと信じて。だからこそ俺は、お前を殺す」
織笠は言った。喉から絞り出すような声で。
もう一度ゆっくり、片足だけで踏ん張りながら織笠は攻撃態勢を取る。
「実力の差は歴然としていて尚、私に矛を向けるのね。その折れない心には素直に敬服する」
戦意を示す織笠に、セクメトが興奮したように吼える。リーシャはセクメトの頭をそっと撫でながら、かぶりを振った。
「でもね、そう……早かった。早すぎたの。もっとじっくり時間をかけて成長していければ私をも越えたかもしれないのに。遥かな高みへと……そう、新世界への創造神へと成り得た」
「悪いが興味ないんだ。お前がどんなに望んでも、俺はちっぽけな人間でしかない。大層な理想も持ってないんだ」
だけどな、と織笠は犬歯を剥き出しにしながら唸り声を上げた。
「俺には守りたい人たちがいる。自分を変えてくれた大切な仲間が。彼等を失わさせない為にも、俺が全てのケリをつける!」
織笠は走り出す。
意識的に他人を遠ざけてきた過去。何にも執着せず、ただ流れるままの生を受け入れていた。
そんな消極的な自分が心から惹かれ、ずっと一緒にいたいとさえ思った。彼等を守りたい。救いたい。生きていてほしい。だから何もかもかなぐり捨てても構わない。自分を犠牲にすることさえ、厭わない。
だから戦う。
命を賭けて。
「素晴らしい。精霊世界の模倣でしかないこの社会は、いわば女王蜂の巣。誰もが女王の為に身を粉にする。他者を蹴落とし、自己の評価のために生きるしかない。そんな世界で他者を尊重する貴方は人類が目指すべき理想の精神だわ。――でも、残念ね」
リーシャに突撃する織笠を、セクメトとタナトスが阻む。
「サンプルモデルとして織笠零治という存在が君臨すれば、世界は上方修正せざるを得ない。目指すべき理想郷はそこだった。そんな神を消すのは非常に心が痛む。……そして」
セクメトの牙が織笠の肩に突き刺さる。そのまま肉を噛みちぎらんばかりの勢いだ。激痛に織笠は発狂。そのまま押し倒される寸前、今度はタナトスの鎌が、がら空きの腹部を裂く。
「貴方の守るべき対象に私がいないことも」
雌雄は決したとばかりにリーシャは目を伏せた。
悲しげな呟きは、魂の半身を失った孤独感。これでこの世界も滅びゆくだけ。何も変わらない。一握りの人間と精霊使いが得をするだけのつまらない社会だ。
心は空虚。喪失感で一杯になったリーシャは憐みの瞳で、死んだ織笠を見つめようとした。
しかし。
「あああああああああああああああ!」
決して、悲鳴などではない。咆哮だ。自らを奮い立たせるための。
織笠は倒れてなどいなかった。両脚が、しっかりと大地を踏みしめている。
肩口を嚙まれたまま、セクメトのこめかみに銃を押し当て発砲。セクメトは消し飛び、己の銃撃の爆風にふらつきながらも、織笠はタナトスに飛びついて骸の眉間に剣を突き立てた。言葉にならない叫びを上げながら、タナトスも霧散する。
「何……?」
リーシャの相貌が一変する。織笠の実力を過小評価していたわけではない。むしろ、潜在的な能力は自分よりも上回るとリーシャは考えていた。ただ、現時点での実力ではまだ遠く及ばないと考えていただけに、驚きは隠せなかった。
「そう……だな。そう……だよな……」
ぶつぶつと呟きながら、織笠は立ち上がる。身体は満身創痍だった。全身血まみれの、いつ意識を失ってもおかしくない状態。なのに、織笠の双眸には力強さが残っている。
「どこにそんな力が……」
「俺の能力じゃ、こんなもんだよな」
ハハッと頼りなく笑う。様子の変化にますますリーシャは戸惑う。
「よか……ったぜ。こんなこともあろうかと……用意しておいてな」
ゆらゆらと織笠の身体から煙のようなものが昇っていく。言うまでもなく、精霊だった。
但し、織笠の持つ色とはまた違う。
陽なら白、闇なら黒。立ち昇る色で属性は判別できる。その能力者が何の精霊使いなのか、最も分かりやすい意思表示である。
織笠のオーラは、形容しがたい色を発していた。何色も混じり合ったような、だが混沌とするわけでもなく綺麗な虹のような鮮やかな光彩。
不可思議な現象を目の当たりにして、リーシャの警戒心は高まる。かつてない動揺が走っていた。
「な、なに……? なんなの、それは……」
“怯え”に近いかもしれない。無意識に後退るリーシャ。
織笠の纏うオーラが一層激しさを増す。天にも届かんばかりの色鮮やかな光は、すなわち強大な力の証。
「行くぞ、白袖・リーシャ・ケイオス。これが俺の、俺にしか出来ない最終兵器だ!!」




