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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第八章 信念と共に
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 一夜明けて。

 精霊保全局、インジェクター専用駐車場。

 地下にある一般職員用とは別に、エントランス横に設けられた駐車場には常時複数台のパトカーが待機してある。早朝にも拘らず台数が少ないのは、AとC班がまだ現場から帰ってきていないからだろう。

 B班の面々は全員仮眠室で休息を取った。カイだけは別行動のため早めに起床。エントランスからここにやって来た。

 外から射し込む朝日の眩しさは睡眠不足の身体に堪える。疲れていたはずなのにあまり眠れなかったのは、やはり織笠の言葉があったからだろう。

 覆面パトカーに乗り込もうとドアに手をかけた、そのときだった。


「よぉ」


 気だるげな声に引き寄せられるようにそちらを見ると、キョウヤが駐車場の柱にもたれるようにして立っていた。


「これから出発か?」


 近付いてきてようやく分かったが、キョウヤもまた眠れなかったのか目の下にクマが酷い。煙草を口に咥え、ボンネットの上に座り込む。


「待っていたのか?」

「まさか。ちょっと話したくってな」


 力なく笑った後、キョウヤは煙を一気に吸い吐き出す。灰を地面に落としながら、カイの方には視線を移さず言った。


「……どう思ったよ? レイジのこと」

「どう……とは?」

「分かってんだろ? アイツの変貌ぶりを見て、何か思わなかったのかって話だよ」

「…………」

「……いや、俺も疑ってる訳じゃねぇよ? でも、あの変わりようは普通じゃねぇ。人格が反転したみてぇに冷酷になってやがる」

「風の力で確かめたらどうだ? そいつが本心で言っているのかどうか分かるだろ」

「人を嘘発見器みたいに言うんじゃねぇよ。確かに、感情の揺れ動きを察知するのは得意だけどよ」


 キョウヤが眉間に皺を寄せて鼻息を漏らす。


「探りは入れたさ。だが、アイツが何を考えてるのか全然掴めねぇ。裏がありそうなのは何となく読めるんだが」

「……そうか」

「リーシャの対処にしても、だ。よくもまあ、あんなえげつない作戦をこんな短時間で練り上げたもんだ。自分のトラウマを敢えて抉るようなもんだぞ」

「逆に言えば、俺たちじゃ絶対に思いつかんな」


 苦々しく顔を歪めるキョウヤに同意しつつ、カイは嘆息した。

 隔離施設で会った織笠は衰弱していたとはいえ、あれが自分達のよく知る彼だった。それが時間を置いて、どうしてあそこまで変化したのか。

 まるで修羅のように。

 両親を殺されかけた恨み――それもあるような気がするが、恐らく違う。そう言い切れるのはキョウヤの言うように、作戦の緻密さにある。



 織笠が立てた作戦はこうだ。

『六属性合同会議』を各マスターに提案。『伊邪那美の継承者』の事件のような事件が今回限りではないことを重点に、会議の必要性を説く。そうして迅速に開いてもらうわけだ。

 そこで重要なのが、会議の開催をメディアに取り上げてもらうことである。本来、通常の合同会議は詳細な場所や日時などは一切報じられない。各属性の代表が集まる場だ。何かしらの妨害がある可能性も考慮し、基本は秘密裏に行われている。合同会議自体は誰でも知っているため、緊急的となれば、ニュースも大々的に報じるはずである。

 リーシャも間違いなく、そこに食いつく。

 陽のマスターを狙うなら、警備が手薄になる会議の場への移動中だろう。


「車の中にダミーを置くなんてな。それもマスターのマナを埋め込んだ」

「それなら、遠目からじゃ本人か偽物かなんて見分けがつかんだろうが……。要はそれって……」


 キョウヤが言いよどむ。

 車の中にマナを注入した人形を用意する。そこをリーシャに襲わせるわけだ。では本物のマスターはどうするのかと言えば、会議には出席しない。そもそも外には出ないのだ。カイが他のアークに赴くのも、各マスターから会議の承諾を得るのと同時に、余計な混乱を防ぐためだ。

 つまり、会議を開くというのは名目であって、偽情報なのだ。

 ただ、彼らが気に病んでいるのが“マナ入りダミー人形”である。

 人形は、精保のトレーニングルームで使用する訓練用ロボットを借りる。見た目は人間そっくりなどこにでもあるマネキンだが、様々な格闘技がプログラムされており、設定を変えることで全種の精霊すらも扱える。

 とはいえ、それはトレーニングルームの設備からリンクして動くのであって接続を切れば、ただの人形でしかない。マナを埋め込むのはレアにかかれば造作もないのだが、問題はそれを思い付いたのが織笠だという点だ。

 人間が、人間でないものに命を与える――マナ入りダミー人形とはいわば人工生命体に酷似している。その行為そのものが『D.E.P』と同じ。禁忌の手法を、その被害者である織笠が取ろうということに他ならない。


「俺は初めてアイツを怖いと思ったね。心底さ。リーシャを捕まえるためとはいえ、自分をそこまで犠牲にするかね?」


 携帯灰皿に煙草を押し込んだキョウヤは、遠い目で空を眺めた。彼の背中が少し寂しげなのが伝わってくる。


「リーシャが嵌まってくれるかどうか、賭けの部分が強いが織笠には妙な自信があった。まるでリーシャ行動を理解しているかのような思考……。レイジが危険な状態なのは俺も同意する。しかし、対象の捜索が手詰まりな以上、他に手立てもないだろう」


 カイはドアを開け、運転席に乗り込む。閉まる音がすると、キョウヤが立ち上がって、カイの傍へと近寄る。エンジンをかけ、カイはウィンドウを下げた。


「行くのか」

「それぞれのマスターを説得するとなると時間がかかり過ぎる。連絡は入れておくが、それでも今日中は難しいだろう」

「作戦決行は明日だろ。戻れそうか?」

「恐らく、無理だな」


 シートベルトをしながら即答するカイ。思い詰めた表情に映ったのか、キョウヤが訝しむ。


「どうした?」


 いや、と首を振ってカイはキョウヤに視線を合わす。あまりに真剣な眼差しに、キョウヤは仰け反ってしまう。


「な、何だよ?」

「俺はこの事件の決着を見届けることが出来そうにない。――だから、頼んだぞ」

「……なんか意味深だな」

「それだけ大掛かりなんだ。俺が現場にいられない以上、判断はお前に任せるしかない」

「レイジに、じゃなくてか?」

「アイツの理屈は正しいと俺は思っている。だから条件も呑んだ。それでも、レイジに任せて自分たちは傍観……なんて選択肢は取りたくない」

「二人の戦いに割って入れ……ってか? レイジの意志を無視してでも」


 低い声音でキョウヤは言う。察しの良さは、キョウヤもカイと同様の考えだったというところだろう。


「展開次第では。レイジにしてみれば、勝ち目のない戦いだ。そもそも、策が上手くいくとも限らん。どのような事態になっても、己の役目を果たすことに全力を尽くせ」


 語調を強め、言葉を結ぶ。

 直接口には出さないが、求められるものは守り抜くことだ。レイジだけでなく、リーシャも含めて。彼等を失う――それでは何の意味もなさない。インジェクターとして、元・仲間として。本人たちにどんな願いがあろうとも、優先されるべきは“命”なのだから。


「んなの、わぁーかってるよ。どうにかしてみるさ。アイツらよりも暴走するのは女子組かもしれねぇけどな。ま、そこはお兄さんに任せときな」


 おどけたように肩を竦めつつ、キョウヤの表情が緩む。普段なら気に障るところだが、一番長い付き合いでもあるキョウヤだ。確かな信頼は置いている。

 念を押すようにもう一度「頼む」と一言加えて、カイは車を走らせる。

 サイドミラー越しにキョウヤの姿が遠ざかる。やがて見えなくなった頃、カイは織笠から託された使命を思い出す。

 今回の作戦とは別に、ある意味では国家を揺るがしかねないような裏工作。まさかの提案に、最初は拒絶した。しかし。これからの未来を考えれば、そうするのがいい筈だと思い直した。どのみち、全部を敵に回す覚悟でこれまで行動してきたのだ。失うものはなにもない。

 ハンドルを握る指に自然と力が入る。耳にインカムをつけ、カイは、近場である雨のアークに連絡を取り始めた。





 駐車場から一台のパトカーが出てくるのを、織笠は精保の窓から物憂げに眺めていた。


(よろしくお願いします、カイさん……)


 織笠が立てた計画において、カイはキーマンになる。彼の立ち回り次第で、精霊使いが踏み外した間違った歴史を正せる結果に繋がる。清算とは、新たにまたやり直すこと。悲劇を繰り返さないことだ。そう、自分のような紛い物をまた生み出さないように。

 今回の件で、精霊使いの立場は失墜した。信用を回復するには相当の時間がかかるだろう。これから先、人間と精霊使いが共に幸福でいるためには、インジェクターが最も重要な役回りになっていくことだろう。

 だから託すのだ。大好きだった彼等に。もう一緒に、その未来を見ることは出来ないのだから。


「レイジさん」


 背中にそっと触れるような、微かで震えた声。振り返ると、織笠からは少し離れた位置でユリカが立っていた。


「どうかしましたか?」

「レイジさん。その……あの……」


 声をかけてきたというのに、ユリカは織笠と目を合わそうとしない。伏し目がちな瞳で、唇を噛み締めている。何かを言おうとして躊躇っている姿。

 どこか思い詰めたような表情の彼女を見て、織笠は、以前にも似たようなことがあったなと、ふと思い出す。辛そうな顔は、やはりユリカには似合わない。そんなことを何気なく考えていると、ユリカは意を決したかのように言った。


「……レイジさん。もしかして死ぬ気……じゃ、ありませんよね?」


 ゆっくり瞠目する織笠。瞬間、その動揺を悟られぬよう、織笠は苦笑しながらすぐに横に首を振って誤魔化す。


「どうして……そう思うんですか?」

「かつての私と似ているからです。ミコトと再会した時の私と」


 以前の事件で、ユリカは幼少時のトラウマともいえる友人と再会を果たした。幼いが故に起きたマナコントロール事故――その被害者で死亡した筈のミコトがユリカの前に現れたのだ。それも『伊邪那美の継承者』が仕組んだものだったのだが、その亡霊を前に、ユリカの戦意は喪失。罪の意識から、自らの死で全てを贖おうとしたのだ。結果として織笠は身体を張って彼女を奮い立たせ、ミコトの撃退に成功した。


「私は自分の死を以って終わりにしようとした。許されるために。終わらせるために。レイジさん。私は、昨晩貴方が戻ってきたときからずっと気になっていた。何もかも悟って、死に行く決意をした表情――あの時の私と同じだと」

「…………」

「リーシャさんと自分が死ぬことで何もかも終わらせようとしているんですね?」


 織笠は答えなかった。いや、答えたくなかった。だが、反射的にユリカから目を逸らす――その行為が返答になってしまう。


「やめて下さい。そんなこと、私が許しません」


 確信を得たように、ユリカが言い放つ。


「確かに、レイジさんの苦しみや悲しみは誰にも理解できない。私が言えた義理ではありませんが、でも今の私なら言える。生まれてきたことを責めてはいけません。己にだって否定する権利はないのです」

「ユリカさん……」


 次第に熱を帯びていくユリカの口調。憤りすら含まれているような物言いだ。

 それも当然。

 過去にそういう判断を下したユリカを間近に目にし、間違っていると指摘して諌めておきながら、今度はその張本人が同じ過ちを犯そうというのだから。まるっきり逆転している状況なのだ。


「一対一にしたのは、レイジさんが一人で何もかも片付けようと考えたから、ですよね? 背負うべき業は自分だけだからと。だから最低限の助力のみ、私たちに求めた」


 織笠は表情を変えずに、ただただ静かにユリカの言葉を聞く。


「そんなのはただの自己満足です。そうすれば誰にも迷惑がかからないと思ったのでしょうが、違います。そうやって残された者たちはどうすればいいのですか? 外野は黙っていろとでも? むしろ、そちらのほうが寝覚めが悪い」


 早口でまくしたてるユリカ。無理をして辛辣な言い方にしているのが、織笠の心に突き刺さる。涙をこらえているのか、瞳がうるんでいた。

 それでも止めない。堰を切ったように溢れる言葉。


「私は貴方を失いたくない。私だけじゃない。皆、想いは一緒です」

「……じゃあ、ユリカさんは俺が生まれてよかったとでも? 沢山の死者の魂の上に俺がいるんですよ。それでも俺には何の非もないと?」

「過程がどうであれ、誕生してはいけない命などない。もしレイジさんが生まれなかったら、実験は私たちの知らないところで今でも続いていたでしょう。より犠牲者は出ていたかもしれない」


 そうかもしれない、と織笠は目を伏せた。

 だが、自分が生まれてしまった。


「『伊邪那美の継承者』という組織は、俺が重要なファクターとなって活発化していった。リーシャも俺という存在を知らなければ、ここまで被害を大きくしなかったかもしれない。俺が責任を取らなければいけないんです」


 リーシャはマスターに復讐する目的で『伊邪那美の継承者』を立ち上げたにせよ、その本線と同等に、織笠を手に入れることも活動の軸になっていた。実験がなければ、もっと別の方法でマスターを追い詰めていただろうし、それこそただの個人的な復讐で終わっていた可能性もある。


「いずれにせよ、混血児による悲しみは続けさせない。俺たちを以って終わりにさせます。それが俺の最後の仕事だから」

「ふざけないでください」


 いいですか、レイジさん――と、彼女は前置きして。


「それは決死の覚悟なんかじゃない。無惨に散る決心です」


 そう、ユリカは静かに言い放った。


「そもそもレイジさんがリーシャさんに勝てる確率は万に一つもないじゃありませんか。ご自身でも分かっている筈です。それを理解していながら戦うのは自殺行為以外の何物でもない」

「別に無駄死にしようってわけじゃないですよ。むざむざ死に行くだけなら、わざわざあんなまどろっこしい策を用意したりしませんから」


 織笠は微かな笑みを浮かべた。

 正直なところ、単なる強がりだ。直接対決まで持ち込んだとして、そこから先のプランはない。だが、インジェク(みんな)ターの力は借りられない。借りてはいけない。あくまで、自分が片を付ける。これは私闘のようなものなのだから。


「俺にだって、あの人に一太刀浴びせるチャンスぐらいあるでしょう。そこに賭けますよ」


 なんて説得力に欠ける言葉だろう。そう、自嘲する織笠。安易な期待を抱いているわけではないが、リーシャが隙を見せるかもしれないその一瞬を狙うに他ない。


「ならば、私だけでも助太刀致します。貴方が私を救ってくれたように、今度は私が貴方を守ります」


 織笠は弱々しく首を振った。


「どのみち、その身体じゃ無理だ」

「ですが!」


 ユリカの気持ちは嬉しい。こんなにも自分のことを想ってくれていたのかと思うだけで心が温かくなる。


「だからユリカさんは、キョウヤさんやアイサちゃんのサポートをお願いします」


 織笠は一歩、脚を踏み出す。ユリカは織笠の進路を妨害するように、両手を広げて廊下に立ち塞がった。


「嫌です。私の助力を拒むというのなら、ここから行かせません」


 織笠は、目に涙をためて強がりを見せるユリカの腕を取る。抵抗したいのに力が思うように入らないのか、あまりに呆気なく腕は下りた。


「ユリカさんは罪を受け入れた。受け入れた上で、また前に進んでいった。だから俺もそうします」


 すれ違いざま、織笠は彼女に優しくささやく。


「ありがとう」

「駄目です! レイジさん!!」

「俺が生まれたことに感謝するのなら、皆に出会えたこと。ほんの一時だったけど、本当に楽しかった」


 紛れもない本心を口にして、織笠はユリカに微笑みかける。狼狽え、顔を強張らせる彼女は何かを言いかけ――織笠は遮る。


「白袖・リーシャ・ケイオスは俺が必ず倒します。その後は――お願いします」


 そうして、織笠はユリカから離れていく。振り返ることはしない。

 彼女からは、もう何も言ってこなかった。追っても来なかった。

 ただ、背中越しに、絞り出すように喘ぐ悲痛な声が微かに聞こえた気がした――。







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