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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第八章 信念と共に
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 精保内――インジェクターB班オフィス。

 カイの招集を受け、B班の面々は全員オフィスに戻っていた。一切会話を交わすこともなく、各々のデスクでPCに睨みを利かせている。奥にあるカイの机にはレアも一緒になって、展開された多面モニターを凝視していた。


「……くそ」


 カイが苦虫を噛み潰したように吐くと、レアも嘆息した。


「やはりどこにもいないか」

「――そっちはどうだ?」


 カイが他のメンバーに訊く。だが、揃って彼等は首を横に振った。カイは頭痛を和らげるようにこめかみを揉みながら、


「織笠家から逃亡してからのルートが一向に辿れん。街には監視カメラが山のようにあるというのにな」

「向こうもそれは知ってますからね」


 と、アイサ。


「その目をかいくぐる……。ううん、全く届かないように範囲外を飛んでいるのかも」

「……セクメトですね。確かに、あれだけ精巧な精霊なら持続時間も長いでしょうし、長距離飛行も可能でしょうが」


 ユリカが同意して着物の袖をギュッと握りしめた。彼女の細い五指には包帯が巻かれていた。いまだ残る痛みからなのか、ユリカは微かな呻き声を上げて唇を噛む。

 彼等全員のPCに映し出されているのは街中に設置された街頭カメラの映像だ。都内の様子を至る角度から撮影した光景はどれも悲惨なもので、破壊された建物や道路に座り込む怪我人が鮮明に映し出されている。

 その中でリーシャの姿だけが見当たらない。時間を遡りながら全台のカメラを使ってくまなくチェックしているのだが、一向に足跡を辿れないでいた。


「でもよ」


 と、キョウヤがレアに向かって言う。


「それだけ強いマナの放出があったんなら、どこかしらで検知するんじゃ――」

「……敢えて説明する必要性を感じないんだが?」

「……そうね。こんな壊滅状態じゃシステムもダウンしてて当然か」


 睨みつけるレアから目を逸らすキョウヤ。やれやれと肩を竦めながらレアは、ため息交じりに吐く。


「アイサやユリカの推測が恐らく正解だろう。精霊の具現化なんて高出力の精霊を解放しても逃げ切れる確信があるんだ。個人的には一度拝ませてほしいものだが」

「ええ。ですが、その分消費も激しい。長時間の召喚が可能なのも心身が正常ならの話。あの状態でどこまで逃げ切れるか……」


 唯一、リーシャと対等に渡り合ったユリカの言葉には説得力があった。レアも、ふむ、と唸りながら、


「“具現化”という異次元のスキル。その力を会得した者は過去に一〇人といない。あれは科学を一切用いない、いわば純粋な精霊の昇華だ。妖精と似て非なるものだが、自然発生的に進化する妖精に対してこちらは人為的。意思は持たないものの、基本宿主の命じるままに行動する。マナという血を分け与えた子供のようなものだからな」

「少し前の事件……。有栖の中にいたミコトも同じような術を使っていましたが、あれは土を媒介にして練り上げただけの只の人形。リーシャさんに比べれば玩具程度に過ぎません」

「しかもそれが二体なんだろ? つくづくバケモンだよなぁ、アイツは」


 天井を見上げて苦笑するキョウヤ。


「やれんのか? ユリカちゃんだって戦える状態じゃないんだろ?」

「……ッ」


 悔しさを滲ませてユリカが奥歯を噛み締める。己の不甲斐なさを感じている彼女を見かねてレアが言う。


「絶対安静にしていても一週間はかかるダメージだ。それでもコイツは頑固でな。捜査に復帰すると言って、レストルームでの治療を拒否したんだ。精神論でモノは語りたくないが見上げた根性だよ。今だって、激痛でまともに歩けやしないのに」

「一週間なんて待っていられません。その間に絶対リーシャさんは動きます。戦闘に加われなくても、やれることはあるはずですから」


 断固としてユリカは言った。


「向こうだってのんびり回復を待ってから仕掛けようだなんて、微塵も考えていないでしょうから。……ですよね、カイ様」


 ユリカがカイに問う。黙考するように目をつむり、腕を組んでじっとしていたカイは、落ち着きを払った声で言った。


「リーシャが身を隠すなら打ってつけの場所があるだろう。監視もされず、誰の目にも触れない安全区域が」

「……そっか、スラム地区。アングラですね」


 ハッとしたようなアイサに、首肯するカイ。


「ま、そこしかねぇよなぁ。……で、どうするよ? 潜伏先に全員で突撃でもするか?」

「無謀だな。あの区画は全体が迷路のような構造になっている。地理はリーシャの方が詳しいだろうから、最悪、俺たちが分断させられる危険性がある」

「だがそれじゃジリ貧だ。時間を与えて有利なのはあっちなんだろ?」

「手をこまねいているのは向こうも同じだ。こちらも陽のアーク近辺の警備は強化してある。精霊警備員を多数投入――それだけじゃやはり不安だからな、C班にも待機してもらっている」

「強行突破は難しい、か……」

「どのみち我々も戦力が足りない。戦力が……な」


 独り言のように呟きながら、カイは椅子に深く寄り掛かった。それきり、誰も言葉を発さなくなった。悶々とした空気が鉛のように重く沈殿し、聞こえてくるのはため息ばかり。あともう一押し、その一押しが欲しい。

 行き詰まりをみせたかに思えた、そのとき。

 オフィスのドアが不意に開く。

 現れたその人物を見て誰もが驚きを隠せない中、カイだけが安心したように息を吐く。


「来たか」


 精保のジャケットを身に纏う黒髪の青年。室内にいる面々を一瞥して、織笠零治は神妙な面持ちで静かに頭を下げた。







 夢を見ていた。

 いや、正確にはまだ眠りにつく前のあやふやな意識の中かもしれない。

 リーシャは回想に浸っていた。

 人が溢れる街中。どこもかしこも巨大なビル群にあって、精霊の加護とばかりに使われている煌びやかなホログラム。精霊と科学の融合。リーシャは横断歩道の真ん中で立ち止まり、その光景を睨む。

 何が、理想的な未来図だ――と。

 ただの虚飾だ。影の権力者によって生み出された単なるテーマパーク。数々の犠牲者の上に成り立った、一部の有力者だけの娯楽街。つまりは、幻想。

 信号の点滅が始まった。それでもリーシャはゆったりと歩いていくと、反対側から走ってきた黒髪の青年とすれ違う。急いでいるのだろうか、青年はあっという間にいなくなってしまった。

 リーシャは思わず微笑む。そうだ、彼は知らないのだ、私のことを。だけど私は良く知っている。誰よりも。今はまだ許されないけど、いつか迎えに行く――その想いを胸にリーシャは銀髪をたなびかせながら悠然と歩く。

 そんなリーシャに追従するように、彼女の後ろを付いてくる者たちがいる。メイガス、有栖、そしてハイト。彼等の協力なくしては今の自分はない。能力だけではない、世界に与える影響力が彼等にはあった。

 気がつけば彼等の姿がなかった。

 あれだけ雑然としていた街並みも広大な花畑へと変化し、リーシャは一人ポツンと立っていた。

 孤独。心が空虚になっていく。リーシャは色とりどりの花畑を進んでいくと、小さな人影が見えた。

 見覚えのある後ろ姿。以前よりも体つきが大きくなっただろうか。困難を乗り越えて逞しくなったのだろう。それが自分のことのように嬉しくなる。

 黒髪の青年――織笠零治が振り返る。

 リーシャはいとおしい彼の名を呼ぼうとし、思わずとどまった。織笠の両手には武器が握りしめられていたのだ。自分と似た白と黒の剣と銃。彼の血が通った、間違いなく魂の結晶だ。

 織笠の目には敵意が宿っていた。どこか思い詰めたような表情で。

 そう、そうなのね。

 リーシャは全てを悟る。

 風にさらわれて、花びらが舞う。



 リーシャは目を覚ました。

 いつの間に眠っていたのだろうか。

 リーシャは織笠宅から逃げた後、スラム地区にあるセーフハウスで休息を取っていた。必要最低限の家具しかない小さな小屋だが、スラム地区でも目立たない場所なため、身を隠すなら最適だ。

 傷を癒しながら少し休むつもりだったのだが、ベッドを背もたれに床に座り込んだまま眠ったようだ。

 外は夜なのか、真っ暗だった。思いの外、疲労していたのだろう、短時間だが身体は楽になっていた。傷も完治した。これならば最終段階にいける。

 立ち上がって窓の外を眺めたリーシャはふと、夢の内容を思い出した。

 現実の彼はどうしているのだろうか。

 もしかしたら――と思い馳せて、リーシャは一人笑みを漏らす。







「レイジ!」


 まさかの人物の来訪に、キョウヤとユリカが慌てたように席を立つ。織笠に駆け寄った。


「お前、身体は大丈夫なのかよ!?」

「……はい、ご心配をおかけしました。……それとすみませんでした、皆さんにご迷惑をおかけしてしまって……」

「レイジさんが謝ることではありませんよ。貴方が自ら望んでやったことではないのですし」


 複雑な表情で、織笠はうつむく。そんな彼の様子をまじまじと見つめていたカイは、隣にいるレアに訊ねた。


「レア、どうなんだ? レイジの状態は」


 そう振られたレアは、腕に装着したデバイスで空間に映像を投影。表示された織笠のカルテを確認する。


「向こうからの報告じゃ、外傷そのものに異状はないらしい。完治している。問題は洗脳による脳の後遺症だが……。それはさすがに医術ではわかりかねるな。脳波を見たところで判断は難しい。当人の問題だからな」


 お手上げとばかりにレアは顔をしかめて言った。


「一番の治療は、やはりじっくり時間をかけて静養すること……だろうな。それもなるべくストレスがかからないような生活を心がけるしかない」

「…………」

「……治ったのかどうか、俺自身にもよく分かりません。いや、きっとまだ残っていると思います」


 織笠が弱々しい声で言う。

 なんとなくだが、洗脳はまだ抜け切れていない気がする。憎しみや恨みの感情が増幅すると意識が闇に溶け込んでいってしまう。理性があるならまだしも、あまりに深く闇に堕ちてしまうと自我を失い、抑制が利かなくなる。あの時と同じように、ただ暴れるだけの機械と化すだろう。


「そんな!? それでは寝ていなくては駄目じゃないですか!」


 自分のことは棚に上げるほど心配するユリカに織笠は苦笑いを浮かべ、かぶりを振る。


「そうもいきませんよ。俺は当事者だ。なら戦わなきゃ」

「でも!」

「無理を言ったのは俺だ」


 ユリカの非難をカイが遮る。腰を上げたカイはゆっくりと織笠に近付いて、彼の目を見据えた。


「よく……来てくれたな」

「……はい」


 重々しく頷いて、織笠もまたカイをしっかりと見つめ返す。

 考えるだけ考えた。悩むだけ悩んだ。その上で、自分なりの決断をした。

 もう、迷いはない。

 導き出したその答えを、自分は伝えに来たのだ。


「お前はさっき、“戦う”と言ったな? それはつまり、俺たちに協力する道を選んだ……と受け取っていいんだな?」


 決意に満ちた表情、それに織笠が自らの足で精保に来たという事実から真意を読み取り、カイが改めて問う。織笠は少し間を置いて、こう答えた。


「答えを言う前に、俺の考えを聞いてもらえますか?」

「……何だ?」


 織笠は室内にいる全員を見回した。まだそう時間も経っていない筈なのに、離れていたのがもう随分昔のような感覚だ。それだけ色々なことがあった。

 そんな彼等が、固唾を飲んで織笠の言葉を待っている。


「今回の事件を解決するにあたって、どうすれば一番より良い結末を迎えるのか……。カイさんに言われてから俺なりにずっと考えていました」

「……それで?」

「そもそもの始まりは、リーシャと陽のマスターの因縁によるもの。それぞれの憎しみが悲劇を呼び、大きくなったことで無関係な人を巻き込んでここまでの大惨事になった。……俺のような者も生まれて、失われなくてもいい命もあった」


 試験管の中から生まれることさえ叶わなかった、いわば兄弟たちを想うと胸が苦しくなる。織笠は拳を震わせながら、悲痛な面持ちで話す。


「もうこんなのは終わりにしなきゃならない。悲しい歴史を、これ以上続けさせてはいけないんです」

「レイジさん……」


 心配そうな瞳を織笠に向けるユリカ。


「負の連鎖を断ち切ること。そのためには決着に意味を持たせなきゃいけない。……だから俺はここに来たんです」

「同意見だ。単純にリーシャを捕まえれば全てが丸く収まるなんて、俺も考えちゃいない。だから自身の最終的な決定権はお前に委ねたんだ」

「俺も皆さんを信用しているからこちらに来た。恩義もあります……ですが全面的に協力する、という答えを俺はどうしても出せなかった」

「……何?」


 全員の表情が一斉に怪訝なものへと変化する。


「リーシャを倒すために、またインジェクターとして皆さんと共に戦うことはない、ということです」

「はぁ!? なんだよ、お前そりゃ!?」

「そうだよ、意味わかんないよ!!」


 放たれた予想外の言葉に誰もが驚きを示す。慌ててキョウヤとアイサが織笠に詰め寄った。


「どういうことか説明して、レイジ!」

「言ったとおりだよ、アイサちゃん。俺はもうインジェクターには戻らない。というより、戻る資格がない」


 悲しげに首を振る織笠。


「俺は皆を裏切ったんだ。これまで散々お世話になったのに、剣を、銃を向けた」

「それは洗脳されていたからではありませんか。レイジさんが気にすることはないのです」


 ユリカが必死に織笠の言葉を否定しようとする。戸惑いと怒りがない交ぜになった彼女の表情は、繊細な陶器のように今にも壊れそうだった。


「言い訳の理由になりませんよ。反逆は反逆。しかも任務中の単独行動の挙句に奴等に捕まったんだ。その間、俺にはリーシャを捕まえられるチャンスがいつでもあった。けれど俺は敢えて彼女の口車に乗ってしまった。その結果、まんまと利用されたんだ。とてつもない真実と共にね」


 彼等の気遣いは本当に嬉しい。だが、そこに織笠は甘えるわけにいかなかった。大好きな人たちだからこそ、心を鬼にして突き放す。


「その真実も、俺は知れてよかったとさえ思っているんですから。だから、皆さんとはもう並んで歩けない」


 織笠ははっきりと告げた。全員がショックのあまり口を噤んでしまう。

 沈黙のまま時間が過ぎていく。


「……では、なぜお前はこちら側につく?」


 次に口を開いたのはカイだった。彼もまた元来、優しい性格なのを織笠は知っている。リーダーとして気丈に話しを進めようとしてくれるのが伝わる。


()()皆さんの協力を必要とするからです」

「……は?」


 困惑にキョウヤが首を傾げた。


「ん? ど、どういうことだ? さっきの会話が全無視な気がするんだが」

「レ、レイジ?」

「レイジさん、一体何を……」


 ぽかんとするアイサやユリカに、思わず笑みが漏れる織笠。

 詳しい説明をしようとしたところで、レアが冷静な口調で口を挟む。


「共同戦線を張ろうって意味か」


 どんなときも世界を俯瞰から愉しんでいるようなレアが真剣な眼差しで言った。頭が切れ過ぎる彼女のことだ。既に織笠の計画に勘付いているのかもしれない。


「つまりお前が主役となって、私達はサポートに回れと――そういうことだな?」

「どの面が言うのか、と思うでしょうね。ですが、そうしなければ何の意味もない。それが俺の考えた解決策です」

「言ってみろ青年」

「おい、レア――」


 勝手に話を進めようとするレアをカイが咎めようとするも、彼女に睨まれ断念。続きを促すようにレアは織笠に顎をしゃくる。


「一切の禍根を残さず、この戦いを終結させる方法――そのためには条件が幾つかあります」

「条件だと?」

「彼女の相手は俺が一人でします。他の皆さんは一切、手出ししないで下さい。それが第一の条件です」




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