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再び一人になった病室。
(俺の……これからの選択……)
まずは混乱を落ち着かせよう。そう思った織笠は、頭を整理するため深呼吸をした。そうして、気持ちが穏やかになるのを待つ。思考を空っぽに。呼吸を繰り返すことで幾分か気分が和らぐ。
織笠は薄く瞳を開けた。
そして、改めて自身と向き合う。
次に取る行動を。今後、自分自身がどうしたいのか。どうすべきなのか。未来を選ばなければならない。
「…………」
手のひらを見つめる。
強制的に授かったこの望まぬ力を、どのように揮うべきか。多くの情報から一つを抜き取るやり方は得意じゃない。本心に従う――本能のままに動くことがきっと正解かもしれないが、そんな性格じゃない。ここは選択肢を一つずつ除外していくことこそが、納得のいく結論に至るはずだ。
大きく分けて、選択肢は二つ。
「白袖・リーシャ・ケイオス……」
まず彼女の顔が頭に浮かんだ。織笠零治という有機体のオリジナル。
リーシャの計画は成功寸前までこぎつけた。アジテーターとして市民を恐怖に陥れ、マスターによる統治社会の不安感を抱かせた。ただし、彼女の中でそれはお膳立てに過ぎない。リーシャの目的はあくまで復讐だ。マスターの殺害を政治的犯行に見せかけ、英雄として支持されるように仕向けたのだ。新たな世界の神となるために。
だが、狂いが生じた。総仕上げの直前に、カイたちによって阻まれたのである。
そこで織笠は首を振る。
(いや、そもそもあの人には失敗だなんて認識はない。ここで止まるような弱い憎悪なら、とっくに諦めてどこかへ逃げるはず)
多少のズレなら問題視しないはず。問題なのは時間が空いてしまうことだ。民衆の効果が薄れることこそ何より怖いはず。だから立て直さない。孤独でも躍起になって目的を果たそうとする。完璧性を求めるが故に。
彼女は近々攻めの一手を打つ。それこそ王手を狙いにいくはずだ。
そんな彼女に寄り添い、革命家としての道を突き進む。
それが一つ目の選択肢。
無論、リーシャに与すれば、史上類を見ない凶悪犯罪者の誕生となる。世界を敵に回すわけだ。
濁った瞳で織笠は前方にある硬質な扉を見つめる。
リーシャに加担した場合、カイはここに拘束すると言っていたが、やろうと思えば脱走することも可能だ。E.A.Wなんて必要ない。医療スタッフからマナを拝借すれば、強引にでも外に出られる。
マスターの本性。命を命とも思わない所業の数々。自分もその被害者なのだ。
じわじわと、次第にどろっとした黒いモノが全身を巡っていく。
リーシャは言った。
『貴方は一人じゃない。私がいます。この世界で本当に貴方を理解できるのは私だけ』
『立ち向かいましょう。世界に二人だけの、許された復讐はこれからです』
眠りに落ちるように、織笠の身体がゆっくり前屈みに沈む。
――心が闇に呑まれていく。
「駄目だ!!」
ハッとして、織笠は首を激しく振った。
危なかった。深淵に囚われかけていた。
動悸が激しく、呼吸が乱れる。胸を押さえ、必死に落ち着けと自分に言い聞かせる。自分の意思とは関係なく闇に引きずり込まれそうな錯覚に陥ってしまった。まだ洗脳の後遺症が残っているのだろうか。
まるで呪いじゃないか。
理性を取り戻せ。ベッド脇の棚に置かれた水の入ったコップを取り、勢いよく飲み込む。
(落ち着け、そんなの間違ってるだろ……!)
彼女は本来、優しく純粋な人だったはずだ。仲間に慕われていたのは本当だし、悲惨な人生が故に復讐鬼に変貌しただけに過ぎない。
彼女を救いたい。織笠もそう思うが、そういうやり方では何も解決しないのだ。
ならば。と、
織笠はもう一つの選択肢に思考を巡らす。
カイたちともう一度インジェクターとして、リーシャを捕まえる。そして法の裁きを受けてもらう。
極めて常識的で、正当な方法だろう。
だけど、と織笠は眉根を寄せる。
そうしたとして、こちらも本当の意味で彼女は救えるのか。
この世界の法律はイコールマスターだ。マスターの思うままに、リーシャを裁くことになる。あらゆる情報を操作し、リーシャを極刑へと導くに違いない。死罪なのは明白。マスターもまた、人心を掌握する術は長けている。
そうじゃない。単純にリーシャを殺せばいい話でもないのだ。
はあ、と大きなため息を漏らす織笠。
ベッドに戻り、頭を抱える。
どうすればいい。どうすれば彼女を救える?
(そもそも救うってなんだ? なにを以って救ったといえる……?)
精保側でもリーシャ側でもどちらでも無理なのか。
「白袖・リーシャ・ケイオス……。あの人は“呪い”だ。精霊社会の裏に隠れた負の象徴……。悲しみの連鎖を断ち切るには……」
あんな悲劇を繰り返させない為には。人間や精霊使いにとって、より良い未来を迎えるにはどうすればいいのか。
思い悩み、結論が出ないまま時間が刻々と過ぎていく。リーシャが再び動くまで、あまり猶予もない。焦りばかりが先行して、いい考えが浮かばない。
悄然とし、織笠はベッドに倒れ込む。
そんなとき、ふとある考えが頭をよぎった。
それはあまりに短絡的で、恐らく誰も納得しないであろう解決策。果たしてそれが『救い』となるかは、各々の受け取り方次第――つまり、これは織笠の自己満足でしかない。だとしても、これは自分にしか許されない愚行。
想像してみると、全身を冷たいものが駆け巡る。震えが止まらなくて、力一杯自分の体を抱き締めた。
でも。
残された道はきっとそれだけだ。
いざ決断すると、次第に震えが治まった。
それにしても、と織笠は苦笑混じりに呟く。
(いかにも古典的な決着の仕方だな。覚悟が出来たと言えばそれまでだけど)
顔を手で覆う織笠。指の隙間から覗く瞳に、剣呑さが宿る。
「……だけど、それだけじゃ足りない。全員で地獄に落ちないと意味がない。きっちり裁きは受けてもらう」
不穏な言葉を口にしながら織笠はおもむろに立ち上がると、壁掛けのワイヤレスコールに手を伸ばす。詰所から応対したスタッフは何の警戒もなく、カイとの連絡を取り次いでもらうことを了承してくれた。多分、カイが予め伝えておいてくれたのだろう。スムーズに事が運ぶように。
そう、織笠が自分たちの元へ戻ってくるという確信からの手回し。そんな期待に少し罪悪感を覚えてしまう。
スタッフによればカイたちは既に精保に戻っているらしく、代わりに迎えの車を寄越してくれるとのことだった。
織笠は来客用の椅子の上に畳んであった衣服を手に取った。真新しい精保のジャケット。アイサかカイが置いてくれたのだろうか。織笠は逡巡し、やがて袖を通す。
「そう、これが俺の最後の仕事だ……」
織笠の脳裏に過去の記憶が甦る。インジェクターB班と出会ってから様々なことがあった。一年も経っていないが、共に過ごした時間はあまりに濃密で、かけがえのないものだ。大抵は苦しい思い出しかないが、それでも彼等には感謝しかない。心から信じられる仲間――自分には無理だと思っていた“他者との繋がり”が出来たのだから。
「もう少し一緒にいたかったって思うのは、俺のエゴなんだよな……」
ドアが開く。入ってきたのは屈強なサングラスをかけた男二人。精霊警備員というやつだろう。二人とも織笠より一回りも二回りも大きい。彼等は何も言わず入室するなり、ドアを挟むようにして姿勢を正す。驚きを隠せない織笠に、男は二人とも無反応。さながら命令を忠実にこなす精密機械のような佇まいである。きっと織笠の護衛役として手配されたのだろう。
「行きましょう」
襟を正す織笠。しっかりとした足取りで彼等の間を抜けるようにして通り、外へ出た。




