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精保に戻ったキョウヤは、急ぎ足で取調室へ向かっていた。
暴動騒ぎの影響で職員は全員出払っているらしく、エントランスには人気が無かった。いつもなら人があちこちにいるはずなのだが、受付さえもいない無人の状態。医療関係でない職員も現場に駆り出されているのだ。
異様な静けさにキョウヤは違和感を覚えながら、エレベーターに乗り込んでインジェクターが詰めるオフィスのある階で降りた。廊下の端が取調室になっている。扉の前では警備員が二人立っていた。中にいる人物の見張り役だろう。彼等に身分証を提示し、部屋へと足を踏み入れる。
窓もない、暗く簡素な造りの部屋の中央で、テーブルを挟み男は座っていた。
丸眼鏡をかけた頬のこけた男。治療を受けていたため、薄手の入院着のまま移送されてきた彼の手首にはしっかりと手錠が嵌められていた。少し武骨な金属製の筒には赤い宝石のようなものが取り付けられており、その部分がマナを遮断する構造になっている。例え無理矢理に力を行使しようとしてもマナが結合することなく、精霊が生み出されることはない。といっても織笠のE.A.Wによって根こそぎ絞り尽くされたため、鎖で繋ぐことすら無意味だと思うのだが。
本人も自覚しているのか、抵抗の意思もなく椅子にもたれながらまるで眠っているかのように大人しくしている。
『伊邪那美の継承者』の参謀、ハイト・オーベルグ。キョウヤにとっては同じ風の精霊使いではあるものの、直接面識はない。本来の使命よりも、科学を優先させた偏屈者――そんな誰もが噂する程度しか知らなかった。
キョウヤの入室に気付いたハイトが、伏せていた細い目を開ける。
「おやおや、これは」
かすれた声で、ハイトは笑みを作った。
「まさか貴方が担当だとは。驚きだ」
「正攻法じゃお前さんを落とすのは無理だろうからな。それとも俺じゃ不満か?」
「いえいえ、身に余る光栄ですよ。まさか故郷の英雄に尋問していただけるとは」
「ハッ。お前に愛郷心があったとは驚きだな。転移の話に真っ先に食いついたのはどこのどいつだっけな?」
「それは誤解だ。別に、風の里が嫌だからこちらに逃げてきたわけではありませんよ。単純に好奇心ですよ、好奇心」
「で、どうだったよ? こっちの世界は。お気に召したかい?」
「いやぁ、実に心地いい。エゴにまみれた人々の世は、私を満たしてくれましたよ」
「そうかい。そりゃ良かった」
口先だけの相づちに、ハイトは眉根がピクリと反応した。
「おや。貴方こそ満足していないのですか? 楽しいでしょう、生きる価値もない者を狩るのは。最高に興奮しませんか?」
「……俺はもっと穏やかに暮らしたいねぇ。退屈ぐらいが丁度いいと思ってんよ」
「はっはっは。食えない人だ」
「お前にだけは言われたくねぇな」
互いに冷ややかな笑みを浮かべながら上辺だけのやり取りを済ませると、キョウヤはゆっくりと椅子に腰を下ろした。足を組んで、ハイトをじっくりと睨め付ける。元々、線の細い男だとは思っていたが、織笠との一件でより痩せこけただろうか。顔の血色も悪い。だが、薄気味の悪い笑顔は、決してやせ我慢などではなさそうだ。
「身体の具合はどうよ。随分派手にやられたようじゃねぇか」
「いやはや。軽ーく痛めつけるつもりが、見事に返り討ちにされてしまいましたねぇ。さすがは奇跡の子」
意識不明の重傷にまでされておきながら、ハイトは愉快そうに肩を揺らす。
「……レイジとリーシャを引き合わせるために動いたんだろうが、残念だったな」
「どうでしょうか。私がどうこうしなくても結果は変わらなかったと思いますよ。伊邪那美は伊邪那岐をちゃんと迎え入れた――違いますか?」
「…………」
だろうな、とキョウヤは心の中で呟く。
ここに戻ってくる間、頭から離れなかったことがある。
暴動の裏に隠された、もう一つの目的。いや、それこそがリーシャにとって本来の作戦だったのかもしれない。
『織笠零治』という、今後の未来を占う“核”を手に入れること。そのためにメイガスや有栖が火種を撒き、大掛かりな暴動を呼び起こす。終いには、わざわざヒントを与えるためだけに構成員を殺し、こちらを誘導する。
織笠と精保を切り離す――絶望を見せ、孤立させるために。孤独にさせた上で、同じ境遇であるリーシャが崩壊した心を埋める。
全ては織笠零治のために。伏線に次ぐ伏線じゃないのかと。
「ワリィが、お前等の目論見は失敗だ。レイジは取り返したぞ」
「ほう。やりますね」
「リーシャもじきに確保する。そうなればゲームセットだ」
「どうでしょうねぇ。そう簡単に終わりはしないと思いますが」
どこか他人事のような言い草に、キョウヤが眉をひそめる。
「あの御方は、我々のように易々と止まりはしません。天地創造の神になられる御人ですから。千切れた片翼を取り戻し、必ず再生を成し遂げる。元より『伊邪那美の継承者』は、あの御方一人だけのもの。我々は神に仕える下僕に過ぎない」
「信心深い科学者なんて初めて見たぜ」
「それだけ偉大なのですよ」
皮肉を込めて言ったつもりだが、ハイトはむしろ褒め言葉のように喜ぶ。キョウヤは呆れながら唇を歪め、真剣な顔つきで前のめりになる。
「お前と宗教論を説くつもりはねぇ。訊きたいのはお前自身の話だ」
「まさか私に興味があると? 女好きで有名なキョウヤさんが、男にも手を出すようになりましたか」
ヘラヘラと笑うハイト。下品な言葉を口にされようと、キョウヤは軽く無視し、質問を投げ掛ける。
「ハイト・オーベルグ。お前の経歴を調べさせてもらったよ。こちらの世界に来てからどんな生活をしていたのかなんて、さすがに知らねぇしな」
携帯端末を机に置くと、空間投影されたハイトのプロフィール画像が映し出される。あらかじめ救急車での移動の最中にPCから転送しておいたのだ。
「……まさか製薬会社とはね。納得だぜ」
『伊邪那美の継承者』絡みの事件には、薬物が強く関わっていた。
不正に精製された極めて危険性の高い薬物が横流しされていたメディカルセンターの一件。さらに、『伊邪那美の継承者』の構成員が全員死亡していたこと。それもマナ増強の副作用によるものだ。
「お前が全部用意していたものだったのか? 『伊邪那美の継承者』のシナリオを完成させるために」
「まさか。薬剤師なんて、つまらな過ぎてすぐ辞めましたよ。私は集めただけ。悪さする同業者はいくらでもいるので」
ま、ちょーっとは真似しましたかねー、と手錠に繋がれた腕を上げ、人差し指と親指で小さな隙間を作ってみせる。ふてぶてしい態度に、口元を歪めるキョウヤ。
「ふざけるなよ。それでどれだけの死人が出た? 死なないまでも、そのドラッグのせいで多くの精霊使いが苦しんだんだ」
「おや? そうでしたか。生きる価値のない無能な者が死ねば、ココの仕事も楽になるのでは?」
「仕事で何が一番面倒くさいか分かるか?――後処理だよ。死体を片付けるのがどれだけ大変か分かっちゃいねぇ。それを街ごと滅茶苦茶に荒らしやがって」
「ははっ、そりゃそうだ!!」
笑い声を上げて、大きく手を叩くハイト。
「それは失礼をしました。ボランティアのつもりで彼等を一掃したのですが。余計な手間でしたか」
「D.E.Pのことを教えたいなら、もっとスマートなやり方を選んで欲しかったね」
「私は指示に従ったまでなので。そうか、なら彼等にも死ぬ意味があったんですねぇ。さすがはリーシャ様だ」
分かってはいたが、ふざけた野郎だ。飄々とした言動に少し苛立ちを覚えながら、キョウヤは話を続ける。
「一つ教えて欲しいんだが、造園会社の件はどうやった。佐久間には薬物は検出されなかった。何故だ?」
「あれはリーシャ様が直接洗脳をかけたんですよ。実に羨ましいとは思いませんか」
あっさりとハイトは答えた。
佐久間には事件当時の記憶が欠落していた。多分だが、洗脳というよりは催眠の一種なのだろう。暴力的になるスイッチを埋め込まれ、効力が切れる頃に追加で記憶を削除するという、二重暗示をかけられていた。リーシャなら、そんな高難度な技を容易く仕掛けられるはずだ。
「直接的な関与を認めるわけだな」
「ここまで計画は進行しているわけですから隠す意味もないでしょう。リーシャ様も咎めはしません」
「それは信頼か? それとも……見放されているのか――どっちだろうな?」
キョウヤが挑発的にささやく。唇の端を持ち上げたまま、ハイトはゆっくりと背もたれに身体を預けた。
「私はね、もどかしかった。夢の実現に一歩届かないことが。だからこちらに来た。自分の渇望を満たすために」
「テレポートだな」
ハイトは嬉しそうに頷く。
「そう。長年の研究を完成させるには、この世界の文明は十分すぎるほど発達していた。私は震えましたよ。遂に、遂に念願が叶うと」
身体を震わして興奮したように語るハイトだったが、途端に肩を落とした。芝居がかったように、オーバーにかぶりを振りながら嘆息する。
「ですが、どうですか。つまらない仕事を命じられて。淡々と無意味な日々なんて求めていなかったのに」
ハイトという人間は、昔から、幻の秘術の完成に囚われてきた。“テレポート”という空間を移動する術式。どこにそんな傾倒するほどの魅力があるのか、キョウヤにはいまいち理解できなかった。
倫理観すら排除してまで。ただひたすらに。
「どうしてあの術にこだわる? 称賛されたかったのか?」
「“欲”ですよ。純粋なまでの、ね。貴方にもあるでしょう。理性では抑えられない欲望が。本能が語りかけてくるでしょう?」
「だから生活の基盤を捨ててまで、本来の目的を追い始めたのか」
「その通りです」
よくやるぜ、とキョウヤは鼻を鳴らす。
「といっても、術の完成には資金が必要でしてね。それこそ賃金なんかでどうにかなるレベルではない。莫大な投資をしてくれるスポンサーがいるわけです。――そこで出会ったのですよ、白袖・リーシャ・ケイオスという女神に」
興奮気味に、机に身を乗り出すようにして、ハイトはキョウヤに顔を近づける。細い両眼が大きく剥く。
「女神というのは大げさに言っているわけではありませんよ。力も財力もない、この私に声をかけて下さったのですから」
「そりゃ、いつの話だ?」
「一年ほど前ですか。素晴らしい材料や機材を提供していただいて貰いました。何の見返りも無しに。無償で。あの方には感謝しかありませんよ」
やはり、か。リーシャが精保を抜け出した直後だ。恐らく、精保にいる頃からこの時のための準備を進めていたに違いない。キョウヤは眉一つ動かさずハイトと目を合わしつつも、心の内では複雑な気分を抱く。
「そう、『伊邪那美の継承者』としてのあの御方に出会ったのは、私が初めてだったのです。リーシャ様はね、孤独だったんですよ。いや、申し訳ありません。“孤高”と言った方が正しい。誰もリーシャ様には届かず、思考すら窺えしれない。そんな方に“世界を変革しよう”と言われれば、疑いの余地なんてありません。何せ、神ですから」
すっかり陶酔したように、ハイトは熱っぽく早口でまくし立てる。さすがに鬱陶しくなってきたキョウヤは、頭を抱えながら待ったをかける。
「あー……。それで、そこからメイガスや有栖が加わっていったのか」
「それはもうちょっと後ですね。しばらくは私とあの御方、二人で行動していましたから」
「……何?」
眉をひそめるキョウヤ。
「メイガスさんや有栖さんとは、同志、といっても少し立ち位置が違います。彼等には個人の復讐があった。それもまた計画の大事なファクターではありますが、あくまで一部。対して、私にはなーんにもありません。研究はありましたが、最優先すべきものがあったのです」
不穏な予感が、心臓を鷲掴む。
「失われた片翼を探すこと。計画の前段階で、織笠零治を見つけることが何より大切だったのです。そこでリーシャ様は、当時のD.E.Pに携わった研究員から、詳細を聞き出して回った」
「よく、その所在が分かったな」
「いやぁ、苦労しました。関わった研究員は全部で十一人。誰が参加したのかまでは突き止めても、その後の居場所までは残されていないのですから。まるで死んだことにされてるように、一切の情報が消されていた」
「ふん、高飛びでも決め込んだか」
「さぁ? だとしても、完全に存在を消去するのは不可能だ。立つ鳥跡を濁さずではないですが、人間を意図的に抹消させられる――そんなこと、それ相応の権力の持ち主でもないと無理でしょう」
シニカルに微笑みかけるハイト。その意味を理解出来ないキョウヤではない。マスターが仕組んだのだとでも言いたいのだろう。
ただ、崇拝すべき人物を貶されても怒りは湧かなかった。D.E.Pは陽のマスターが立案したものだ。例え、国の最高権力者が秘密裏に行っていたものが成功であれ失敗であれ、最初からマスターは公にするつもりは無かったとも思える。
「ただ、下っ端所員は成功例があったことすら知らなかったようで。知っていたのは三人だけ。主任とその近しい人間のみでした」
「レイジの両親だろ? あと一人は?」
「知ってどうします? 白浪総司郎という男ですよ。研究員としてはそれなりに優秀だったようで」
「レイジのことを知って、よく黙っていたもんだ。世紀の大発見だろうに」
「成功例はいずこへ消え、手柄も消失。それ以上の成果も出せない。そうなれば科学者に価値なんてないんですよ。ま、打ち明けたくても既にこの世にはいませんしねー」
「……殺したのか」
「当たり前でしょう」
あっけあかんとハイトは言った。
「彼も上昇志向が強い男で、利用すれば中々面白くなりそうだったんですが。命令なので仕方がありませんよねー」
大きく舌打ちをするキョウヤ。
反吐が出そうだった。ハイトにも、こんな実験に関与した者達にも。そして、情報を引き出すためとはいえ、後輩をなじる己にも。
「それが片付いた後は貴方が仰った通り――メイガスと有栖を加えて『伊邪那美の継承者』が始動していったわけです。いかがです、ご満足頂けましたか?」
まるでおとぎ話をするように愉快な口調で語り終えたハイトだったが、その締めくくりの言葉はキョウヤの耳には届いていなかった。
硬く握られた拳が、机の上で微かに震えていた。唇を噛み締め、キョウヤは悲痛に顔を歪める。
善悪の線引きなど、簡単だと思っていた。
心さえ割り切れば、インジェクターはやっていける。そう、思っていた。事実、これまではそうだった。精霊を悪用する輩を取り締まればいい。犯罪者の言い分など、耳を貸すだけ時間の無駄。法に当てはめれば役目はそれで終了なのだから。
しかし、今回はどうだ。
なにもかもがぐちゃぐちゃで、真実を知れば知るほど経験で培った“芯”が折れそうになっていく。誰もが己の善に従い、欲望を叶えただけ。その結果が、悲しみと苦しみの連鎖だった。
(そうだ。だからアイツは――)
頭によぎったのは、堅物なあの男。
カイが行ったことは実にシンプルだった。自分の信頼する相手以外の一切を排他しようというのだ。それが彼のやった線引き。どこにも何にも属さない。
自分達の力で解決しようという――強い覚悟。
ならば。
フッと笑みがこぼれる。
自分も決断しなければならない。全てを敵に回しても、自分の正しいと思う道に進むことを。
「……ん? おい」
ふと顔を上げるキョウヤ。
「お前、今研究者は殺したって言ったよな? その白浪とかいう」
「はい。それが何か?」
キョトンとハイトは首を傾げた。
「まさか、他の研究員も――」
「はい。それが何か?」
キョウヤが言い終える前に、ハイトは即答した。
瞬間、キョウヤの表情がみるみる強張っていく。
「だって、悲劇を根絶することこそがリーシャ様の宿願ですから。残念ですねぇ。あの御方の海のように深い悲しみを、元・同僚でありながらまるで理解していらっしゃらないようだ」
「ハイト!!」
キョウヤが勢いよく立ち上がる。同時に椅子が扉の方にまで転がった。ハイトの胸ぐらを掴んで強引に立たせ、顔を至近距離にまで近づける。
「何をそう興奮しているのですか? 私は真摯に話しているだけだというのに」
「正直に言え、ハイト!!」
「だから、最初から真実だけを答えているじゃないですか。リーシャ様はどんなことがあろうと歩みは止めない――と。神に対抗できるのは神しかいない。しかし、その前にやり残していることはまだある。……でしょう?」
沸騰した血が急激に冷めていく。
リーシャにとってD.E.Pは恥辱以外の何物でもない。だから関与した者たちを殺害していったのだ。そして、それはまだ達成されていない。
織笠零治と共に、消えた研究者があと二人いる。
自分で口にしておいて、今さら気付いた無能さに悔しさが募る。
「くそッ!!」
ほくそ笑むハイトを突き飛ばし、キョウヤは足早に取調室を出る。扉が閉まる直前、ハイトが何事かを叫びながら哄笑を上げていた。それが耳障りなノイズとなって鼓膜に纏わりつくが、必死に振り払う。携帯端末を取り出し、キョウヤは連絡を取る。
「間に合えよ――くそったれッ!!」




