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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第七章 心の行方
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 東京の街中を何台もの救急車両が行き交っている。この暴動騒ぎによってどこの医療施設もパンク状態になっていた。しかも余計な二次災害を防ぐため、人間と精霊使いを明確に区別しなければならず、より患者の搬送先は限られてしまう。受け入れが拒否され、救急車はただただ行き場を求めて走るだけ。そのため、体育館や公民館が仮で設けられた治療所になり、重傷者が優先的に送られていた。

 そうした中に一台、どこの治療施設にも向かわず郊外へとひた走る救急車があった。


「……それは構わんが、いいのか本当に?」


 携帯端末を頬と肩で挟みながら医療班の主任――辰善怜亜(レア)は困惑したように訊いた。

 彼女は先刻まで、精保で暴動騒ぎによる陣頭指揮を任されていた。医療班もそこまで人数がいるわけではない。そもそも戦闘を担当するインジェクターが少ないため、スタッフも当然少数。彼等も現場に駆り出されているが、まず手が足りない。そこで人間、精霊使い問わず各医療機関と連絡を取り、死傷者の位置情報をレアが通達。現場の混乱を極力抑える役割を彼女が行っていた。

 そこへ突然、彼女本人に出向いて欲しいと連絡があった。当初は現状優先の観点から拒否していたのだが、相手のただならぬ様子から、仕方なく了承。スタッフを一人呼び戻し、役目を代わってもらうことにした。

 そうしてレアは救急車に乗り込み、とある患者の治療を行っていた。


「下手をすれば、お前の立場も危うくなるんだぞ」

『アイツを守るにはそうするしかない。それに、今回の事件はアイツなしでは絶対に解決できないからな――だろ?』


 通話口から固い決意が感じ取れた。他人のことなどあまり興味を示さないレアだが、危険な頼みごとをされてはさすがに心配にもなる。


「そこまで覚悟を決めているなら、もう止めはしないが……。分かった。私も最善を尽くそう」

『すまんな。……頼む』

「謝るくらいなら後で何か奢れ、バカモン」


 苦笑いの後、通信は切れた。やれやれと重い溜息を吐くレア。気を取り直し、治療に取りかかるため両手にグローブを嵌める。簡易ベッドに横たわっているのは二人。織笠とユリカだった。


「やれやれ。お前のとこのリーダーは、どうやら無茶をやらかすつもりだぞ」


 レアの対面――並ぶ織笠とユリカを挟んでキョウヤが腰を下ろしていた。

意識のない二人に比べ、キョウヤは軽傷。疲労感からか、はたまた元・同僚から告げられた無慈悲な真実からか――今の今まで無言だったキョウヤは、かすれた声で言った。


「ま、現状、何を信じていいのか分かんねぇからな。誰を信頼するか……その線引きをはっきりさせておきたいのさ。範囲を狭くしとけばそれだけ思い切って行動しやすくなる」

「寂しい話だな。内部にさえ助けを乞えないとは」

「ヤローの場合は、どっちかっていうと責任感からくるもんかも知んねぇけどな。ケツを拭くのは自分たちでってのは俺も同意見だ。……で、どうなんだ?」


 レアはまずユリカの方に腕を伸ばし、少しだけ手をかざした後に織笠に触れる。胸、腕、脚――こちらは念入りに調べていく。触診が終われば治療に取りかかる。陽のマナを纏った指で傷口をなぞる。そうすることで止血と縫合も同時にこなせる。最後に包帯を巻いて、短時間で治療は終了した。


「ユリカは問題ないだろう。見た目は酷いが、上手く致命傷は避けている。これはコイツの技術だな。応急処置のみで、後は豊富な大地のマナによる自然治癒に任せれば大丈夫だろう。……問題はレイジだ」


 グローブを外したレアは、切れ長の瞳をより眇めながら織笠を見る。


「リーシャによる洗脳……。こればっかりは治療法がない。脳に関係することだからな」

「レアちゃんでもか?」

「私も天才だが、ヤツも計り知れない天才だ。人を巧みに操る手法を体得している。精霊だけの干渉なら、相手にもそもそも耐性があるために効果は薄い。しかし、リーシャの恐ろしいところはそれに頼りきっていないところだ」

「伊邪那美にしろレイジにしろ、精霊は関係ないってのか? けど現にレイジは……」


 不服そうにキョウヤが訊く。自分等に刃を向けてきた後輩の姿。そこに攻撃性はまるでなく、思考と行動が乖離(かいり)したようなちぐはぐさがあった。機械を相手にしているといえば正しいのか――それが操られていないのなら、一体何だというのか。


「陽や闇には、確かに人の意思に介入する力はある。但し、それはあくまで方向を促すだけで、ねじ曲げるだけの強制力はない。……まあ、程度の問題はあるが」

「ってーとあれか? 気分が変わる……みたいなことか?」


 ふぅ、と一息ついて眼鏡を押し上げたレアがキョウヤと視線を合わす。


「感情操作……は言い過ぎか。例えば音楽を聴けば高揚したり落胆するだろう? 精神科医なんかも陽か闇であることが絶対条件だ。カウンセリングに使用する精霊もいわば処方箋みたいなものなんだよ」

「じゃ、それも量を間違えば……」

()()()


 断言するレア。


「人格が崩壊し、人ではなくなる。だから国からの認可が必要なのさ。――しかし、リーシャがレイジの精神を破壊するとは考えにくい。どうやらリーシャはレイジの能力だけが欲しいのではなく、彼そのものに固執しているようだからな」

「そう……みたいだな。レイジを取り返した時のあの形相にはさすがにビビったぜ」


 キョウヤが唸る。

 異常な執着心。過去を思い返しても、仲間だった頃の彼女にはなかった反応だった。


「ヤツが、短期間でこれまでの大規模なテロリスト集団を作り上げた要因――精霊なんて使わない、持って生まれたスキル……。“カリスマ性”だと、私は思う。しかも極めて高いレベルのな」

「おいおい、科学者がそんな曖昧な……」


 苦笑するキョウヤだが、レアはあくまで真剣に話を続ける。


「人心掌握術に長けているってことさ。一つ訊くが、『伊邪那美の継承者』のメンバーは皆レイジのような症状だったか?」

「いや……、むしろ真逆だな」


 少し考え、キョウヤは否定した。特にこの暴動を引き起こしたストレイの連中は、リーシャをまるで神のように崇拝していた。社会への復讐のためだけに同調したわけではなく、彼女の思想を信奉し、意向に沿って行動していたように思える。


「破壊だけが目的なら、それが終わればどうだっていいはずだ。だが、奴らは未来に目を向けていた。その為に駒として働くことに何の抵抗もないようだったな。……結局、全員死んじまったからホントのとこは分かんねぇけど」


 困ったようにキョウヤはこめかみを掻いた。


「そう。未来に何の希望を持たない人種の心を動かす――そんなのは並大抵なことじゃない。リーシャにはそれだけの魅力があったのさ。精霊使いとしてのポテンシャルは勿論、世界を変えるだけの器量、語る理想が空論だと反論させないだけの雄弁さ、演出力……。全てを兼ね揃えた、正しくカリスマだ」

「まるで王様だな」


 呆れ気味にぼやくキョウヤ。レアは目を伏せがちにして、独り言のように声を落とした。


「……昔の彼女からはそんなもの感じなかった。いや、感じさせなかった? 違うな。闇に堕ちたことで眠っていた資質が目覚めたのか。……皮肉なもんだ」

「だったらレイジは? どうしてあそこまで……」

「知ってしまったからだろうよ、自分の秘密を」


 ゆっくりと瞠目するキョウヤ。

 秘密――すなわち、禁断の実験によって意図的に生み出された禁忌の子。人造精霊使い。


「その精神的ショックに付け込まれた。洗脳のための精霊なんて、要は最後の一押しでしかない」

「…………ッ」

「さっきの私の説明を逆手に取った上手い方法さ。人格を完全に崩壊させる一歩手前で、精霊という接着剤で繋ぎ止めた」

「だからリーシャちゃんの意のままに操られたってのか」

「“人の精神が精霊の影響を受ける”と一般的に言われているのには、そういった理由があるのさ。思考の波があってこそ成立する話だ」

「成程な」

「どのみち、ここじゃ満足いく治療はできん。早いとこ、レイジの検査も色々したいところだな」


 二人が揃って織笠に目をやった。

 問題は意識を取り戻したときだろう。洗脳の後遺症がどれほどなのか、見当もつかない。術者が離れたため解けていない、というのはさすがに考えにくいが後遺症の程度によって現場復帰に支障が出てしまう。

 レアの説明が終わった丁度そのとき、彼女の携帯端末が再び鳴り響く。胸元から取り出し、耳に当てるレア。部下からの報告だろう。手短にやりとりを済ませるとキョウヤに向けて唇の端を吊り上げる。


「『伊邪那美の継承者』の正規メンバーは全員死んだとお前は言っていたが、一人だけ生きているやつがいたじゃないか。どうやらソイツが目を覚ましたらしいぞ」


 その言葉にハッとするキョウヤ。


「ハイトか……!!」


 風の精霊使いにして、『伊邪那美の継承者』の参謀――ハイト・オーベルグ。この男がリーシャの側近として暗躍していたからこそ、『伊邪那美の継承者』はここまで急激な成長を見せたのだ。正しく重要人物である。この暴動だけじゃない、過去の事件にもハイトは大きく関与している。

 レイジとの戦闘で精保直轄の治療施設で眠っていたはずだが、ようやく目を覚ましたらしい。

 太ももの上で拳を強く握り締めたキョウヤが低い声で言う。


「なら俺の出番だな。奴には訊きたいことが山ほどある」


 剣呑さを露わにした目つきでキョウヤは立ち上がると、運転手に指示。車を停止させた。織笠とユリカをレアに任せ、キョウヤは精保へと戻る。



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