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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第七章 心の行方
80/100

 カイたちが戦闘を行っている、その上空では。

 鉄塔の上で未だ睨み合いを続ける二人の女性がいる。


 ユリカとリーシャ。


 鉄塔の先端は片足程度の幅しかなく、立っていることさえ困難なはずなのだが、彼女たちは微動だにしない。ときおり吹く、強烈な突風さえも二人は意に介さず、ただただずっと互いを牽制し合っていた――言葉ではなく、殺気で。

 空間に乾いた音が走り、火花のようなものが弾けるのはそのためだ。尋常ではない気迫が、鋭利な刃物のように連続で交錯しているのである。もし、どちらかが勝り、相手にまで届けばそこで均衡が崩れる。勝敗も、自ずと決するだろう。

 しかし、破れない。もう数分間もこの状態でいるにも拘わらず、殺気の撃ち合いは終わることはなかった。

 そして――、一際大きな火花が散った。

 探り合いは終わりと言わんばかりに。

 静かに息を吸い、深く吐く。それが終わると、ユリカは身を少し沈める。腰元にはE.A.W――霊滅地閃。ゆっくりと弧を描きながら構え、低い声音で言った。


「――いざ」


 その言葉に、強敵を前にしながら自然体のままでいるリーシャはこう答えた。


「尋常に――」


 二人の女傑から立ち昇る精霊のオーラがより一層濃くなり、空を突き破りそうな程にどこまでも伸びていく。大気が彼女等に恐れをなしたように小刻みに震え出し、揺れはどんどん激しくなる。

 ユリカとリーシャは同時に口を開き、声高に叫ぶ。


「勝負!!」


 身を乗り出すように、二人の身体が前方に傾く。刹那、二人の姿が消えた。肉眼では捉えきれない速度で飛び出し、衝突する。瞬く閃光。次には轟音が響き渡った。衝撃波がまるで台風のように荒れ狂う。それが何発も続くのだ。果ては彼女たちがあちこち移動しているために、その度に海面から巨大な水しぶきが上がる。

 これが何の事情も知らない人間なら、天変地異かと恐怖してしまうに違いない。そういった精霊のぶつかり合いだ。

 後方に水面を弾いて跳躍したリーシャをユリカが追う。距離を詰めたところで、一度腰元に戻した霊滅地閃を抜き放つ。神速の抜刀術。胴体を真っ二つにするような横薙ぎの斬撃が、リーシャに届く――寸前。見えない壁によって防がれてしまう。まるで硬質な盾でも斬ったような感触に、ユリカは顔をしかめた。

 ユリカはリーシャから一旦離れ、また塔の天辺に着地。リーシャも同様、少し離れた塔の上にふわりと降り立った。


「結界……いえ、違いますね。これは……」


 ユリカが刀を凝視して呟く。大地の精霊で構築されている刀身部分に僅かに残る、陽の精霊。リーシャが何かをした様子はなかった。しかし、繰り出した斬撃全てが、ああやって弾かれてしまっている。


「幾ら貴女が強く気高い戦士といえど、所詮E.A.Wなんてガラクタを手にしている時点で、私には絶対勝てない」


 不可解そうなユリカに、リーシャは涼しげな声で髪を払う。


「過去にはインジェクターだった貴女が、よくもそんなことを。リーシャさんだって、E.A.Wに絶対の信頼を置いていたはずでしょう」

「だからこそ、とうの昔に捨てたの。あんなもの断罪の武器ではない。悲しみが連鎖する、呪われた武具。マナだけでなく、精霊使いの尊厳すら奪う――そして奪われたものは、やがて憎悪に取り憑かれ復讐に走るだけ」

「リーシャさん、貴女のように……ですか」


 ふっ、と小さな笑みを漏らすリーシャ。


「私たちが取り締まるのは、法を犯した者です。むやみやたらに力を行使するわけではありません。憎しみが増幅するのは『伊邪那美の継承者』の方。何の罪もない人々が大勢、傷ついた。決して許すわけにはいかない」


 厳しい語調でユリカが刀の柄に手をかけ、縦に大きく振った。たちまち突風が巻き起こり、大地の精霊を含んだ衝撃波に変化。リーシャを飲み込もうとする。が、黄金の波はまるで彼女を避けるように真っ二つに割れ、彼方へと消えていく。


「……なるほど。違和感の正体はそれですか」


 確信したようにユリカは呟く。彼女の視線の先――リーシャの傍らには今までいなかった大きな物体が突然現れていた。

 一言で表すなら、獣だ。全身真っ白な、それこそリーシャの髪と同じ白銀の毛並み。威厳漂うたてがみを携えた巨大な獅子が顕現している。当然実在する獅子でなく、精霊によって構築されている物質だ。だとしても精巧さは本物と遜色なく、そのリアルさこそがリーシャの能力の高さを物語っている。


「精霊を極限の領域まで丹念に練り上げ、形あるものへと創造する――。E.A.Wとも妖精とも違う、ある意味精霊使いが目指す理想の境地――“具現化”ですね」

「セクメトよ。ほら、挨拶をして」


 精霊の純粋な化身が、まるで創造主の求めに応じたかのように咆哮を上げた。大気が震動する。


(彼女が精保にいた頃は、こんなこと出来なかったはず……。いえ、E.A.Wがあったせいで必要ないと隠していたか、それとも私達が知らなかっただけなのか……。いずれにせよ、あの領域に到達しているとなれば、これほど厄介なことはない)


 そう悲観的なことを考えつつも、ユリカの魂は熱を帯びていた。かつてない強敵を前にし、戦闘狂の血が騒ぐ。

 自身も知らぬ間に笑みを浮かべていたユリカは、全身から精霊を放出させた。


「私もそろそろ本気を出しましょう。死力を尽くして、貴女を討つ」


 鉄塔が倒壊しそうなほど強く蹴って、ユリカが高く跳ぶ。霊滅地閃を高く掲げ、一気に落下。真正面から斬りにかかる。重力による落下速度で倍増された渾身の一閃。先ほどのような相手の実力を計るような余力を残したものとは違う。大地を割断しかねない全力の一振り。

 これに素早く反応したのは白銀の獅子だった。空中を駆け、獲物を捕食しようと口を大きく開く。

 巨大な精霊の塊同士が真っ向から激突した。稲妻が四方八方に炸裂し、周囲に飛散していく。金属を削るような高音が、刀と野獣の牙の衝突面から鳴り響く。


「う……ぐ……!」


 ユリカの表情がみるみる歪む。刀が通らない。それどころかこちらが押し負けているのか、じわじわと凶暴な獅子の顔が迫ってくる。

 純粋な力の差は僅かだろう。しかし、向こうは精霊そのもの。ユリカが一刀に全て注いでいるのに対し、セクメトと名付けられた獅子は一定量、つまり全身のエネルギーを集中して砲弾のようにぶつけている。


(なんという純度……。このままでは……!)


 間違いなく喰い千切られる。予想外だった。精霊をベースにした具現化がこれほど強力だとは。いくら意思があるとはいえ、術者はあくまでリーシャ。コントロールするのにも相当のマナ消費があるはずなのだが。

 もうセクメトとの距離は目と鼻の先。ユリカの顔ほどもある鋭利な牙が、刀を挟んですぐそこにある。


「――ふっ!」


 あろうことか、ユリカは腕を引いた。

 死を悟って諦めたのではない。獅子の勢いを利用して身体を横に回転させ、受け流す方法に切り替えたのだ。

 突然障害が消えたセクメトは、そのまま地上へと激突すると思われた。が、すぐさま反転。機敏な動きでユリカへめがけて、再度突進を開始した。


「速ッ……!」


 脅威のスピードに、ユリカの方が付いていけなかった。上から叩きつけるように、巨腕を振るうセクメト。尖った爪がユリカの背中を引き裂き、真下に落下する。

 あまりの威力に意識を失うユリカ。鉄塔の先端にぶつかったことで目を覚まし、水泳のターンのように空中で一回転しながらゆるやかに張られたケーブルを滑り降りる。


「痛ぅ……!」


 激痛に呻いて、ユリカはしゃがみ込む。背中の柔肌が無惨に切り裂かれ、着物が赤く染まってしまっていた。

 気を緩めればまた意識が途切れそうになるところで、獅子の咆哮が耳に届く。ハッと、ユリカは顔を上げた。すると、セクメトが地のない宙を踏み鳴らし、駆け出してきた。

 呑気に気絶している場合ではない。

 ゆらゆらとユリカは立ち上がり、瞳を閉じた。荒くなった呼吸を静める。雑念を忘れ、刀身と同化するように意識を集中。痛みは自然と感じなくなっていく。

 ユリカの全身が黄金色に包まれる。弓を引くように、腕を肩の位置に固定させ――瞳を見開く。


「豊穣の鐘を鳴らす槌の如く――“地龍砕破”!!」


 勢いよく腕を前へ。放たれた突きから高出力の大地の精霊が放出して、まるでキャノン砲のように直線状に光が伸びていく。セクメトは避ける暇さえなく一気に呑み込まれ、呆気なく消滅してしまった。

 対象の障害となる邪魔者を排除したものの、ユリカに安堵の色はなかった。むしろ、罠と分かりながら敢えて踏み込んだような、徒労感が滲み出ていた。


「お見事」


 上空を見上げれば、リーシャが手を叩いていた。ゆっくりと下降しながら、彼女もケーブルに足を着く。

 それを不愉快そうに見つめるユリカ。理由は、感嘆しながら拍手するリーシャに……ではなく、その傍らにいる白銀の獅子がいるためだ。


「だけど無駄。この子は魂を持った肉体じゃない。永遠に消し去るなんてできないわ」

「分かりきったこと。貴女を直接叩かなければ何の意味もない」

「そういうこと。でもどうかしら? セクメトをかいくぐりながら、その刃が私に届かせられるとは思えないのだけれど……」


 セクメトの頭を撫でながら、リーシャは横目でユリカを窺う。


「残念ながら、私は他の皆さんのように頭は良くありません。器用な戦い方を知らないのです。ですから回りくどいことはせず、真っ向から捻じ伏せる――ただそれだけです」


 こうなれば強引な手段を取る。

 体勢を低く、ユリカが走り出す。刀を腰元に据え、ケーブルを駆け上がる。

 狙いはリーシャ。セクメトがまた盾になるだろうが、それごと斬り捨てる。


 己の神技――『天地開闢(てんちかいびゃく)』で。

『天地開闢』は地脈に含まれる大地のマナを借りて放つ強力な技。しかし、ここは足元もおぼつかないケーブルの上。自身も足を踏み込まなければいけないため、十分な威力は望めない。だから。己のマナをより絞り出して、技にかかる負担を補填する。

 刀身が黄金から橙色に、色濃く輝きだす。

 血管が切れたのか、指先……爪から血が流れる。


「おおおおおおおおおお!!」


 ありったけの力を込めて、刀を振り上げ――ようとした。

 だが。

 技が発動する直前、ユリカは強制的に動きを止めた。


「惜しい。自身の手で旧友を殺したその秘技……見てみたかったところだけど、私も死にたくはないのでね」


 残念そうに微笑みながら、目を伏せるリーシャ。

 ユリカとリーシャを阻むようにして立ち塞がるものが急に姿を現したのだ。それを目にして、ユリカの顔が驚愕に染まる。

 そう。ユリカだからこそ、まだ言葉を失う程度で済んだのだ。これが別の人間なら恐怖どころか、卒倒してしまうはずである。

 人間の頭骨が漂っているのだ。それが暗幕のような真っ黒なローブを被って、上下にゆらゆらと浮いている。ローブの端から覗く、手の骨は細い棒状のようなものを握りしめ、先には鋭く曲がった刃。空間さえも切断しそうな大きな鎌が太陽光を吸い取って、妖しく輝く。

 それは正しく、死の象徴。冥府の神とも呼ばれる存在。

 ユリカは震える唇で、その名を呼ぶ。


「死……神……」


 一瞬の意識の逸れ。死神の薙いだ鎌が、ユリカの喉元を捉える。


「ッ!?」


 上体を逸らし、どうにか刀で受け止めるユリカ。甲高い音が鳴ると同時に、ユリカは真横に吹き飛ばされた。


「……ぐッ……!」


 数メートル先の海に叩き込まれる寸前で全身を起こし、急制動をかける。足元の水面が割れ、飛沫がユリカへ降り注いだ。


「今度は、闇の具現化ですか……」


 リーシャは陽と闇の混血児。陽の眷属を創造したのなら、闇も当然あるべきだと決めてかかるべきだった。

 今の一撃を防いだことで、大地のマナを根こそぎ奪われた気分だ。闇の特性である『黄泉送り』だろう。生命を安息の場所へと送り届ける役目にあるのが闇の精霊使い。触れるものの魂を浄化、そして陽の『再生』と対になり、二つ揃って『輪廻』となる。


「生きとし生けるものを送る案内役として死神を選ぶとは……安直ですね」

「タナトスよ。伊邪那美が日本の死神ならば、西洋も揃えないと、と思ってね」


 悠然と見下ろしながらリーシャは言った。距離が離れているにもかかわらず、彼女の声は良く通る。


「造形に関しては、シンプルにして王道なのがより相手の戦意を喪失させ、こちらが有利に立つというのが私の理論よ」


 左には獅子。右には死神。

 文句のつけようもなく天才だ。さすがにここまでくれば、戦闘を愉しむなんて余裕はなくなる。死すら頭によぎってくる。


「でも、さすがね。この二人を同時に出させたのはユリカさん、貴女が初めてだわ。だけど私も悠長にしている時間は無いの。そろそろ終わらせて本来の目的に戻らないと」

「まだですよ。リーシャさんもようやく本来の力を解放したのです。戦いはまだこれから……違いますか?」

「……確かに、ね。貴重な時間ではあるわ」

 

 不安を払うように、ユリカは霊滅地閃を軽く振った。

 全ての元凶であるこの女を止め、織笠を救う。想いはその一点のみ。



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