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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第六章 TRUTH
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『ごきげんよう。……いえ、お久しぶりと言ったほうが正解かしら? ねぇ、皆?』


 かつての仲間――白袖・リーシャ・ケイオスは無邪気に微笑みかけた。

 一年ほど前。B班のメンバーだった彼女は、突然精保からいなくなった。理由は不明。犯罪者による拉致の線で当初は捜査が行われたが発見には至らず、声明などもなかったことから彼女本人の意志で抜けた可能性が高く、捜索は打ち切りになっていた。


「リーシャ……なのか……?」


 そんな言葉しか出てこなかった。

 訊きたいことは山ほどあるというのに。

 理解が追い付かないのだ。

 他の面子も同様に、唖然といった表情だ。唯一彼女を姉のように慕っていたアイサだけが、大きな瞳に潤みを帯びている。


『ええ、そうよ。どうしたの? 一年ぶりだから私の顔を忘れちゃったのかしら?』


 彼女は目を細めながら首を傾げた。


「忘れるわけねぇだろ、このバカ野郎!」

「そうだよ! 今までどこにいたのさ、リーシャ姉!」


 堰を切ったようにキョウヤとアイサが叫ぶ。


『ごめんなさい、黙って消えてしまって。皆には本当に悪いと思ってる』


 眉根を下げるリーシャ。目を伏せて、謝罪の言葉を口にする。


『精保を抜けたのには事情があってね。勘違いしないで欲しいのは、決して皆といるのが嫌になったとか、激務に耐えられなくなったとかそんな陳腐な理由じゃないの』

「だったら連絡の一つくらい……」

「事情……?」


 泣きそうなアイサの横で、カイが眉をひそめる。


『世界は常に非情よ。新しく画期的なシステムを構築しようとも、その運用者が同じならまた破壊の歴史を辿る。人々もまた最高の社会だと信じ込み、依存してしまう。根本にある精神は変わらないがゆえに罪は繰り返され、新たな罪が生まれる。私はそれを知りながら生きてきた。……屈辱に耐えながら、ね』

「ディストピアだとお前は考えたのか、この世界が」

『ほんの一握りの人々とマスターにとっては理想郷でしょうけどね』

「お前がどういう経緯でインジェクターになったのかは、ある程度だが知っている。行方不明になったときに失礼だとは思ったが調べさせてもらった」

『でしょうね』


 リーシャが肩を竦める。

 インジェクターに恨みを持つ者はやはり存在する。リーシャが消息を絶った際に事件性が考えられた為、彼女の身辺を洗った。そこで彼女の経歴に関連して、陽のマスターとの関係性が露わになった。認められない他属性との婚姻。事故とはいえ父を失い、確執を生みながらもインジェクターになることをリーシャは選んだのだ。


「精保に入局したのも社会秩序のためだけじゃない。お前は取引したんじゃないのか? 自分が身代わりになることで、これ以上母親に手出しさせないようにと」

『ご明察。母を守るために、私は自らあの女の操り人形になったの』

「だったらどうして……。それで辞めちゃったら何の意味も……」

『その必要がなくなったからよ』


 アイサのか細い声を打ち消すように、リーシャはピシャリと言った。


「え……」

『神と自負するものは何をしようと許される。思考イコール必然だから。……私は甘かった。邪神との約束なんて成立しないのだと、後で思い知った』

「まさか、リーシャちゃんのお袋さんは……」

「――一つ、いいか?」


 キョウヤの呟きをカイが遮った。

 カイだけが彼女の突然の登場に対し、顔を強張らせたままでいる。

 旧友との再会を手放しで喜べない理由があるのだ。

 不可解な訳。

 ――そう。織笠の端末からかけているという点である。


『どうしたの? そんな怖い顔をして』

「お前が今いる場所、そこはどこだ? そして、何故今になって急に俺たちの前に現れた?」


 リーシャの笑みがより深くなった。まただ。一年前には見せなかった、暗く凍てつくような瞳。

 感動に浸っていた周囲の仲間もカイが放つ不穏な空気を察して、黙ったままのリーシャを凝視しながら徐々に顔色を変えていく。


『邪神に従えし愚かな番犬は、どこまで世界の深淵に近づいたのかしら? まさかこれだけの事態に直面しながら、無知だとは言わないでしょう?』

「その口ぶり……、お前も今回の騒動に何かしら絡んでいるのか」

『肯定よ。だけど期待しないで。正義には価値がないと痛感した私は、貴方たちとは別に外側から事件を追うような真似はしていない』

「じゃあ、何を……」

『数年前に母は急死したのは知っているわよね? 私はその原因を探っていた。そこでようやく知ったの。神と勘違いした女の愚行を』


 B班だった当時、母親の死を酷く悲しんでいた姿は記憶に残っている。元々身体が弱いために死期が近いのは覚悟していたそうだが、母の突然の死に対し、彼女には思う部分があったのだろう。死の真相を調べる一方で、こちらに悟られないように職務をこなしていたのだ。

 今にして思えば、彼女が変わり始めたのはあの頃からかもしれない。


『精保を抜けてからの約一年間、私は復讐の準備を整えてきた。黄泉から魔物を解き放ち、この粉飾の社会を崩壊させるために。そうした中で一番の障害になるのは、やはり貴方たちインジェクター。勇健な戦士に対抗するためこちらも手駒を揃え、実行に移した』


 そう、とリーシャはたっぷりと間を開けて、滑らかに言葉を紡ぐ。


『伊邪那美の継承者として、ね』


 水を打ったように、場が静まり返る。誰しもが絶句していた。ただただ、衝撃的過ぎて思考が働かない。


「お前……」


 震え混じりに、カイは言った。凍結された脳が次第に熱を帯び、携帯端末を強く握り締めて怒声を放つ。


「ふざけるな! いきなり何を言いだすかと思えば『伊邪那美の継承者』だと!? 冗談にも程があるぞ!!」

『私は至って真面目に貴方たちと話しているわ。――そう、これは対等の会話。宣戦布告なのよ』

「やめてよ、リーシャ姉! じゃ、じゃあこんな大規模犯罪や今までの事件すべての元凶がリーシャ姉だっていうの!?」


 当然のように反発したのはアイサ。今まで追い続けてきた反社会組織のリーダーが、家族のように想っていた仲間だなんて信じられるはずがない。


「そんな証拠どこにも――!」

『証拠ならある』


 会話に割り込んできたのはレアだった。精保との回線は繋いだままだったので、彼女もリーシャの登場には驚いたはずだ。にも拘わらず、レアは冷静にアイサの叫びを打ち消すように断言してきた。


『少し前、“伊邪那美の継承者”の活動が本格化する前だったか。アイドルのライブが突如ジャックされる事件があっただろう。私は担当したC班から記録映像を預かって声紋鑑定を進めていたんだ』


 アイドルグループの一人がライブ中、何者かに精神を乗っ取られ、メンバーの一人を殺害した事件。犯人は他人の意識を奪っただけでなく、まるで憑依して他人のマナを自在に操り、凶行に及んだ。

 時間的にはそれほど経過していないはずなのに、体感では恐ろしく昔のように感じる。


『最初は過去に犯罪歴のある者、又は行方不明者に絞って照合していたんだがな。一切ヒットしなかった。そこで何回も繰り返し聞いていく内に、どうにも嫌な感じがしてな。まさかとは思わなかったが……。さすがの私もショックだったぞ』

『さすがですね、レアさん』

『被害者の意識をハックしたときに、お前ならば音声を変換でもして誤魔化すことぐらい容易だったはずだ。それは敢えてしなかったんだな? 私たちに気付かせるために』

『その通りですよ』


 レアの推測に、リーシャは即答した。


『音声を加工したところでレアさんにはいずれ分かってしまうと思ったので。それに肉声を使っても最早支障はないほど、計画は進行していた』

「……どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ、レアちゃん」

『すまん。科学が絶対と信じる私でさえ、打ち出された結果をどうしても信じたくなくてな。報告がここまで遅れてしまった』


 レアの素直な謝罪。悔しそうに下唇を噛み締めるキョウヤは「くそっ」と吐き捨てた。


「……リーシャ」


 相手は最早、苦楽を共にした旧友でも戦友でもない。歴史上類を見ない凶悪犯罪者だ。キョウヤやアイサにはまだどこかで嘘であってほしいと本心では思っている筈。しかし、自分はそうはいかない。

 リーダーとして判断を下さなければいけないのだ。

 ――決別。

 リーシャが公に姿を現したのには、その意味も含まれているのだ。

 ならば、とカイは険しい表情でリーシャを睨みつける。


「お前は今、宣戦布告と言ったな? これだけのことをしておいて今更のように、だ。だったら、お前にはまだ目的がある……そういうことか?」


 にやり、とリーシャの笑みが深くなる。


『長年かけて積み上げてきたものを徐々に崩壊させていく――それが“伊邪那美の継承者”のベースとなっている。思い返してみなさい、我々が何を重要視して破壊してきたのかを』


 すぐ思い浮かぶのは、メイガスや有栖の事件だ。彼等には個人的な動機……つまりは復讐の一点だけだった。ただ、リーシャが言いたいのはそこではないのだろう。

 背景を見ろ、ということだ。

 舞台は大学や精霊学校といった教育機関。しかも“精霊”といった現代になくてはならないジャンルに特化した学校だ。そこを潰されれば、後進に影響を及ぼす。


「この際だから訊くが、メディカルセンターや造園会社もお前等が関与しているんだろう? 精神支配はお前の専売特許だったしな」

『イエスよ』


 国内でも屈指の医療施設と環境整備を主とした大企業。影内にはドラッグの情報を横流しし、メディカルセンターの悪評を高めたことで医療機関への不安感を煽った。一方、造園会社は佐久間の精神が暴走した理由が謎のままだった。しかし、アイドルのライブジャックとの類似からリーシャが佐久間の精神を乗っ取ったと考えれば、合点がいく。


 その全ての共通点。

 カイは頭を絞って一つの答えを導き出す。


「インフラ……、いや違うな。その先…、お前は未来を奪うつもりなのか」

『正解よ。よくできました』


 喜色満面で手を叩くリーシャ。


『政府認可のアイドルグループを狙ったのもそれに付随するわ。私が直接表に出て言うより彼女等の影響力を借りれば、より世界の綻びは顕著になる。マスターが堅牢だと思った社会がいかに脆弱か。貴方達もこれで痛感したでしょう?』


 あらゆる不信にまみれた現状。不安感から見えてきた国の破綻。そこから追い打ちをかけるようなアンダーグラウンドからの侵攻。パニックは必定だ。

 それら全部が、リーシャによって用意周到に進められていたというのか。


『そしてカイの言う通り、ここまでは単なる足場づくり……前奏曲(プレリュード)でしかない。私の最終目的、それは――』

「マスターの殺害……だな」


 カイの言葉に全員が絶句する。同様に、一瞬、リーシャも目を見張るものの、それもすぐに冷たい微笑みに変化する。


『そう、そこまで辿り着いていたのね』

「さっきまでは全然分からなかったさ。だが、お前とマスターの関係性、それにD・E・Pも含めれば、お前のやろうとしていることが見えてきた」

『なら話が早いわ。――ここでもう一人、新たな仲間を紹介するわ。……いえ、そもそも“伊邪那美の継承者”は私と彼の二人だけの為にある。さあ、おいで?』


 リーシャに手を引っ張られるようにして、一人の男が姿を現した。

 黒髪の、至って純朴そうな顔立ち。細身だし、とてもじゃないが凶悪犯罪に手を染めるような人間じゃない。

 そう、カイたちは彼をよく知っている。

 精保のジャケットに身を包んだ青年のことを。


「レイジ!?」


 行方が知れなかった織笠零治を見て驚愕する面々。一人、彼の居所について予想していたカイだけは、強く奥歯を噛み締めた。

                  

 やはりか……と。


『レイジこそ、私が探し求めたラストピース。世界再構築になくてはならない大事な存在なの』


 織笠の身体にもたれかかって、うっとりと彼の横顔を見つめるリーシャ。繊手(せんしゅ)が織笠の頬を撫でた瞬間、これまで黙っていたユリカが怒声を放つ。


「レイジさん、一体何をしているのですか!! その人から早く離れて下さい! その人は――!?」


 何か異変に気付いたのか、ユリカの表情が突然強張った。キョウヤやアイサよりも後ろに位置取っていたユリカが、二人を押しのける形で叫んだため、当然その声は織笠に届いているはず……だった。

 織笠の反応が一切無いのである。

 焦点の定まらない虚ろな瞳。微かに左右に揺れ動く全身。意識はある。あるのだが、感情がまるで感じられない。


「リーシャ……。お前、まさかレイジまでも……!」


 精神支配。それしか考えられない。

 陽と闇は相克関係にあるのだが、その実、密接に繋がっていて、生物の生死に深く関わりを持っている。陽のマナは活性化――つまり生きる上での自然と沸き起こる活力であり、逆に闇のマナは衰退もしくは形骸化――役目を終えた命が永遠の眠りにつく手助けをする。

 すなわち、魂の円環を担う役目を持っているのである。

 特に人は思考に精神が左右される生き物なため、陽と闇の影響は受けやすい。この二つが上手く循環することで平穏は保たれるのだが、犯罪が多発したときは陽と闇のバランスが崩れているというのがデータに結果として表れている。

 リーシャは稀に見る両方の属性を持つ精霊使い。他者の精神状態を操るなんて容易なのだ。昔、まだインジェクターだった頃は、そんな人道に反した行為は絶対にしないと固く誓っていたのだが。


「今すぐ暗示を解け!」


 怒りに震えるカイに、リーシャはわざとらしく悲しげに目を伏せて首を振った。


『やめて。私は何もしていない。この子は失意の底にいた。だから私は彼が少しでも楽になれるよう支えてあげたの』

「心を奪うことが貴女の救いだというのですか。だとしたら、とんだ二流能力者ですね」

『私からレイジを奪ったのは貴方達の方。引き裂かれた魂の半分を私は取り返しただけ。横取り女のヒステリーは醜くてはなくて? ユリカさん?』


 リーシャの挑発的な微笑みに、ユリカの瞳から光彩が失われる。力の抑制が利かなくなったのか、彼女の足元に亀裂が走った。憤怒のあまり暴走しそうなユリカを鎮めようと、キョウヤは彼女の肩に手を置いてリーシャに向き直る。


「ったく、随分レイジにご執心じゃねぇの。昔は俺がいくら誘っても振り向いてくれなかったくせによ。恋愛には興味ないと思ってたぜ」

『貴方に魅力がないわけじゃない。ただ、私にはこの人が必要なの』

「……それもやっぱレイジが合成体だからか」

『脈々と流れる精霊使いの負の歴史。それを終わらせるための切り札が私とレイジの血。あの女を神の座から引きずり下ろせるのは私達だけなのよ』

「やめろ、リーシャちゃん。個人的な復讐にレイジを巻き込むんじゃねぇ」

『私だけのものじゃない。彼も嘆いていたわ、自分の真実に。だから手を差し伸べた。抱きしめた』


 驚くべきことに、操られ自我がないはずの織笠の瞳から一滴の涙が頬を伝った。術者であるリーシャの演出なのかもしれない。リーシャはそれを黒いドレスの袖で優しく拭う。


『レイジのことを知ったときは震えたわ。世界にはもう一人、私と同じ境遇の人間がいたんだと。故に見えてきたのが、あの女の浅はかさ。レイジという存在を生み出してしまったことが弱みとなる。それは他のマスターも同様。陽のマスターも殺し、全てのマスターも消す。それでようやく私とレイジの新世界が誕生するの。そう、今度こそ伊邪那岐と伊邪那美は添い遂げるのよ』


 リーシャは、D・E・Pというマスターの汚点を突いてこの社会を崩壊させるつもりなのだ。加担した他のマスターをも失脚させ、社会的に抹殺することで今度は自分たちが新世界の神となる――。もしそうなれば、ストレイの扇動者(アジテーター)として保たれていた秩序は無くなり、今よりもっと混沌とした世界になってしまうだろう。


「戯言だな。お前がそんな浅はかなことをいう女だとは思わなかったぞ」


 リーシャの言葉を借りながら、カイが憐れむように言う。明らかな挑発に動じる気配さえなく、リーシャも織笠から離れると高圧的に返してきた。


『そう思うのなら止めてみなさい。“伊邪那美の継承者”はこれから最終局面に入る。それが意味することが何か……分かるわね?』


 そして通話は切れた。

 訪れたのは重い沈黙。

 思いもかけない裏切りに、沈痛な面持ちで肩を落とす面々。きっと織笠とリーシャがいたのは合成実験が行われていた研究所だ。そこで織笠は出生の秘密を知らされた。その精神的ショックをリーシャに付け込まれたのだ。同じ陽と闇の属性を持つ織笠なら、人工生命体であったとしてもある程度の耐性はあるはずだが、それをも無効化するほどに織笠が酷く絶望していたのだろう。リーシャの言うように、誰にも理解できない苦しみ。そう思うと、心が痛む。


「……行こう。陽のアークへ」


 憔悴した声を出して、カイは自らを戒めるかのように背筋を伸ばす。落ち込んでばかりもいられない。仲間も決意に満ちた顔で頷いた。駆け込むように、四人は車へと乗りこんだ。






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