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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第六章 TRUTH
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 無言が続く。

 リーシャとの会話をしていくうちに彼女の目的地が何なのか、織笠にも次第に分かってきた。

 精霊使いの合成実験が行われていたラボ。リーシャはそこへ案内しているようだ。

 不幸な生い立ちと、マスターへの猜疑心。同情を引くためだけにここへ来たかったわけではないのは強く伝わってくる。だが、肝心の核心部分は不透明のまま。まだリーシャは何かを隠している――そんな気がしてならない。

 しばらくして、二人を待っていたのは一枚の鋼鉄の扉だった。そこが終点とばかりに他に通路はなく、実質地下の最奥までやってきたということだ。


「着きました」


 数分前まで心を乱していたときは違い、すっかり落ち着き払った声。リーシャはそれだけ言うと、ここも衝撃波で簡単に扉を吹き飛ばす。へしゃげた鉄板が前方に回転しながら床を跳ねた。

 リーシャに続き、織笠も足を踏み入れる。そこは、他の場所とも少し様相が違っていた。

 天井が高く、全面硬質な素材で造られた無機質な空間。

 リーシャが陽の精霊を上に放り投げ、照明器代わりとして全体を照らすと、そこが何の施設なのか一瞬で判明した。


「まさか、ここが……」

「この世界最大の暗部へようこそ。精霊使いにとって尊き掟を王自ら破り、社会の頂点に君臨する為だけに産み出された産屋。それがこの場所――」

「精霊使いの合成実験室……!」


 まるで巨大な箱の中に閉じ込められたようで息が詰まる。

 そして、部屋の至る所に置かれたコンピュータの数々。沈黙したモニターの裏には太い配線が何本も蛇のようにうねって絡み合う。ここが過去に地獄のような所業を行っていた場所だと思うと、暗澹(あんたん)とした気持ちになる。

 しかし、同時に織笠はこの光景を前にして妙な感覚に陥っていた。

 何故だろうか。初めて訪れたというのに、この部屋だけ見覚えがあるのだ。ただ、どれだけ記憶を探っても思い出せない。


「どうかしましたか?」

「いや……」


 部屋の中央に置かれた長方形の台座。既視感を抱えながら、まるで何かに引き寄せられるように織笠はそこへ近づく。台座には、ユニットに接続された細長い透明な試験管が幾つも並んでいる。アークにあるマナタンクを小型化したような感じだ。中身は……ない。


「それが人工精霊使いを造りだしていた装置。特殊な培養液に生殖細胞を浸し、成長を促す。負の遺産です」


 リーシャが背後に寄り添うように立ち、言葉を投げる。しかし、食い入るように見つめた織笠の耳にはまるで入ってこなかった。

 やはりどこかで、という既視感がより強くなっていく。来た記憶がないのなら、どこかで映像として見たのだろうか。


(だめだ、思い出せない……!)


 どうにも頭に靄がかかった気分だ。織笠は頭を激しく振り払い、とりあえず置いておくことにする。


「……そろそろ教えてもらえますか? 俺を連れてきた本当の理由を」


 ゆっくりと織笠は振り返り、リーシャに正対する。了承したとばかりにリーシャは一度目を伏せて、織笠から離れた。


「ご覧の通り――」


 室内を見渡しつつ、リーシャは機材の一つ一つに指を触れていく。


「現在、実験は行われてはおりません。システムは凍結、データも削除。あるのは先ほどあった紙の資料のみ」

「中止……になったんですか?」


 首肯するリーシャ。


「隠れ蓑だった筈のマナ測定所が不要になりましたからね。廃棄された施設で不正なインフラが使用されているとなれば目につく。したくても現実として出来なくなった――ということです」

「それは……でも、これはマスター達が黙認してやっていることなんでしょう? 誤魔化すことなら幾らでも……」

「マスター共は人間との諍いを避けるべきだと考えている。我々は所詮、異邦人。こんなことをしているとなれば、精霊使い反対派の人間サイドに有利な材料を与えることになる。立場を危うくしないためには、事を水面下でやらざるを得なかった」


 マスターはこの国全体の掌握を目論んでいる――。そう、リーシャは最後に言った。

 だから、この世界を救ったのは純粋な善意ではなく。新たな社会を構築し、精霊使いの地位をさらに強固にして自分が絶対的な王になること――だと。

 リーシャはそう断言した。

 信じられるわけがなかった。全部、犯罪者がぬかす戯言だと、片付けようと思えば簡単にできた。ただ、人間側がこんな愚かな実験をしようとは思わない。考えもつかない。それこそ密かに、それでいて時間も金すらもかかる所業、マスターにしか出来ないだろう。


「その辺の事情は本人に訊けばいいでしょう。私の母が死んだことで良質な検体が手に入らなくなったのも中止の理由だと思います。ですが、私個人の考えでは、まだ陽のマスターは諦めていない。精鋭部隊を造り上げ、王たる地位を確固たるものにする――人間さらには精霊六属性全ての高みに行くために」

「そんなの何の意味が――」

「精霊使いというものは互いに不干渉です。関わりを持つようになったのもこちらに来てから。やはり他の属性には負けられないという、古くから根付いた文化がある。魂がある。不戦の約定も、下手な混乱を起こさないために妥協したが故。根底は違うのですよ」


 嘲笑。心底下らないといった様子でリーシャは言った。


「ですが、マスターすらも知らない真実があるのです」


 リーシャが自分の胸元に手を入れる。そこから取り出したのは、指で挟まる程の小さなチップだった。彼女はそれを織笠の手を掴んで、そっと掌に乗せる。


「これは……?」


 一見するに、何かしらのデータが収められているメモリーチップだろうか。織笠はリーシャと小さい物体を交互に見るが、彼女は無言でこちらに微笑みかけるのみ。

 こんなものを渡されてどうしろというのか。ここは電力が供給されていないし、織笠もデバイスを持っていない。行動の意味に困惑していると、さらに彼女が何かを差し出してきた。


「ッ!? それ……!」


 それこそ、織笠が無くしたと思っていた精保の携帯端末だった。ハイトとの戦闘の拍子でどこかぶつけたのか、傷だらけになっている。


「落とされたようなので一時的に私が預かっておきました。これがあれば、そのチップの中身を確かめられるでしょう?」


 よく言う。俺が皆に連絡が取れないように隠し持っていたんだろ、と織笠はリーシャを軽く睨む。溜息を吐きながら、織笠は端末を受け取りチップを差し込んでみる。

 チップの中身はどうやら動画。まもなくして自動再生される。映し出されたのは小さな部屋の中だ。ウッド調の壁と窓から見える雑木林から、どこかの山奥辺りのロッジで撮影されたものだろうか。画質が荒いのは、撮影者が移動しているからだろう。ほどなくして、ブレは収まった。

 織笠の顔色が即座に変化したのはそれからすぐのことだった。

 四〇代後半ぐらいか。眼鏡をかけた細身の男が椅子に縛られているのだ。顔には痣があり、白衣には所々赤い染みが散っている。暴行を受けたのだろう、拷問の痕跡が画面越しでも痛々しく伝わってくる。


『さてさて、そろそろ喋ってくれる気になりましたかねぇ?』


 背筋を這うようなねっとりとした口調。聞き覚えのある声だった。画面端から現れた人影に、織笠は大きく目を剥く。


「!!」


 一見して、サラリーマンのような出で立ち。群衆に紛れれば存在すら霞むほどの影の薄さ。しかし、心に棲むのは狂気のみ。一度顔を合わせれば、この男に関わってはいけないと誰もが直感するだろう。

 ハイト・オーベルグが、そこにいる。


「ハイト……!」


 撮影していたのはどうやらハイトらしい。固定されたのはテーブルの上にでも置いたのだろう。あの気味悪い薄ら笑いを浮かべながら、縛られた男性の前に立つ。


『私もね、こんなことはしたくないんですよ。良心が咎めるといいますか』


 男性に顔を近づけるハイト。男性は鋭い悲鳴を上げた。


『だから早く真実を話してくれさえすればそれで済むんですが――ねぇ?』

『ふふっ……。よく言うわね、あんなに嬉しそうに人をいたぶっておいて』


 画面の外からまた別の声が聞こえた。織笠は端末から視線をずらし、リーシャを睨みつける。映像の中にいる彼女もまたこの状況を愉しんでいる様子だ。


『何を仰いますか。情報を引き出すだけなら幾らでも方法はあったでしょうに、こうやって研究員を次々に殺すやり方を選んだのはリーシャ様じゃありませんか。貴女の方が余程性質が悪い』


 ハイトは縛られた男性に向き直る。人差し指の先から薄い緑光の刃を生み出し、男の首筋にあてがう。


『面白いもので、皆さん何も喋ってくれないんですよねぇ。口が堅いのか、単に何も知らないのか……。でも、白浪総司郎さん。貴方なら知っていますよね? 研究員として二番手に甘んじていた貴方だ。当時主任だった織笠雅英と事あるごとに対立していた、なんて話は皆さんしていましたよ? 何があったんです?』

『そ、そんなこと知ってなんだというんだ! お前たちには関係ない!』


 白浪と呼ばれた男が叫ぶ。言葉こそ強がってはいるが、声が震えていた。


『ふむ……』


 ハイトの手が白浪の首筋から離れる。白浪がほっとしたのも束の間、ハイトが腕を真下に振るった。彼の太ももから勢いよく血しぶきが上がる。


『ぎゃああああああああああああ!』

『おーおー。まだ元気そうだ。それだけ騒げるなら、もう少々痛めつけても死にはしませんか』

『わ、分かった! やめてくれ。喋る、喋るから! これ以上は!!』

『結構』


 ハイトが目を細める。白浪は滂沱の涙を流しながら、上ずった声で話し始めた。


『そ、そうだ。私は奴が憎かった。あんな崇高な研究をさせてもらい、尚且つ主任という立場でありながら、実験に否定的な奴が。考えてもみてくれ、人体精製を認可でやれるのだぞ、まるでゆ、夢のようじゃないか』

『……そうね、まるで神のような気分でしょうね』


 同意しながらも、リーシャの声色はあまりに冷ややかだ。


『でも、実験は上手くいかなかったのでしょう?』

『そんなもの、成功の道筋の中で当然生まれる石ころのようなものだ。失敗とは呼ばない』

『……そう』

『だから理解できなかったのだ、奴の思考が。私こそが主任という立場に相応しいといつも思っていたよ』

『いいですねぇ、中々のマッドぶりだ。……っとと、睨まないでくださいよー』


 賛辞を贈るハイトが画面の外に向けて肩を竦める。

 と、突然白浪が首を垂れた。泣き止んだのか嗚咽すら聞こえない。気絶でもしたのだろうか――しばらく黙り込んでいた白浪の顔をハイトが覗き込むと、男は床を見つめながらぽつりと言った。


『……そんなある日だ。遂に成功したのだよ』


 弾かれたように顔を上げた白浪。そこには恍惚があった。視線を宙に定めながら、最早うわ言のように男は言った。


『成功したのだ! 断じて奇跡などではない、研究という分野には必然しか起きないのだ。経験し、試行を重ね、結実する……。そして誕生したのだ、一つの生命が!!』

「え……!?」

『ほぉ……』


 織笠と画面内のリーシャの声が重なる。


『私の読み通り、共に命を司る陽と闇は相性が良かったのだ! この成功を偉大なるマスターに捧げれば、私は多大なる寵愛と栄誉を頂けるはずだった! ――だが!!』


 せわしなく、白浪の感情がコロコロと移り変わる。今度は憤怒の形相で、上半身を前のめりに喉を締め付けたような声で叫ぶ。


『奴は! 織笠は! こともあろうに“報告はしない”などとぬかしたのだ! “この子はモラルに反し、望まれない形で生まれた。きっとマスターの元に預けられれば存在が明るみになり、辛い人生が待っているだけだ”と只の有機体に情が移ってしまったんだよ、あの男は!』


 興奮のあまり白浪の眼が血走り、口の端から泡まで噴き出している。


『いや、奴だけではない。その妻もだ。あまつさえ“()()()()()()()()()()”と言いだした。最初は私も信じていなかったが、奴等は本気だった。数日後に合成体を持ち逃げしていったのだ』

『ほう、それはそれは。貴方にとっては大いなる誤算だ』

『いや、そうでもない。マスターには奴等は罪の意識に耐えれず逃げたと説明し、予定こそ違ったが結果として私は晴れて主任になれた。合成体など幾らでもまた造れる――そう……思っていた』

『私共も結末は知っていますが、まぁそう上手くいきませんよね~』


 項垂れる白浪。


『その通りだ。結局、成功はあの一体だけだった。そしてマスターも我々を見限り、遂には中止。施設は閉鎖した。あの実験に関わった研究者も二度と元の生活には戻ることを許されず、口止め料だけを貰い、地方に飛ばされた。おかげで私は今でもこんな山奥暮らしだよ』

『……そう。それはご愁傷様』


 同情心の欠けらもなく、淡白に言うリーシャ。


『それで? 織笠さんと、その子供は?』

『分からん。消息を絶った後、一応は捜したのだ。成功体を持ち逃げしたのだからな。しかし、見つからなかった。……ふん、だがあれからもう二十年ぐらいか。幾ら成功体といえど、ちゃんと育つかは分からん。……が、今でも生きているなら大人になっているだろうな』

『そう……ありがと』


 画面外から足音がする。リーシャが部屋から離れようとしているらしい。次第に音が遠のき、止まる。


『とてもいい情報をありがとう。あとは任せたわよ、ハイト』

『承知しました』


 直後、白浪の絶叫が端末のスピーカーから響いてくる。ただし、そこで何が起こったのか、織笠が動画の最後を観ることはなかった。例え持っていたとしても、彼の耳には届かなかっただろう。

 携帯端末が床を叩く。織笠の手が震えていた。


「……い、いや……。そ、そん……な……」


 膝に力が入らない。足元をふらつかせて、徐々に後退りしていく。


「……あ、あ……あ……」


 言葉にならない呻き。

 背中に何かがぶつかった。そこにはリーシャがいた。彼女は織笠の背中にそっと手を触れて、今にも倒れそうな彼を支えていた。

 目が合う。悲痛な面持ちのリーシャは織笠の肩に顔を埋め、両手を胸へと回した。

 それ以上、リーシャは何も言わない。優しく抱きしめるだけ。

 心中に吹き荒れる疑問。彼女のその行動こそが、答えであるかのように。


「うあ、あああ、ああああああああああああああ!!」


 困惑が、絶望が。様々な負の感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、奔流となって脳をかき乱す。炎獄に身を投じたかのように、全身が沸騰していく。


 ようやく。

 全てのピースが揃い、パズルが完成した。



 そう。

 そうだったのだ。

 俺が。俺こそが。

 精霊合成実験唯一の成功例。人工的に生み出された精霊使いだったのだ。


 他人のマナをコピーすることでしか能力を発現できないのも、幼いころからある謎の病気も模造品であるが故の欠陥。前例がなくて当然なのだ。



「ぁぁぁぁああああああ……!!」


 声を限りなく絞り出す。嗚咽が止まらない。頭を掻きむしりながら全身を振り乱し、織笠は地面へうずくまった。

 慟哭。

 泣き喚き続ける織笠を、リーシャはずっと抱きしめていた。

 母親のように。姉のように。優しく、慈しむように彼の頭を撫でながら。


「……レイジ。大丈夫、大丈夫です。貴方は一人じゃない。私がいます。この世界で本当に貴方を理解できるのは私だけ」


 ――愛しています。永遠に。


 そう耳元で囁いて、リーシャは視線を前方に移す。台座にある古びた試験管を見つめながら、笑みを深くする。


「立ち向かいましょう。世界に二人だけの、許された復讐はこれからです」





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