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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第六章 TRUTH
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 急激に加速していた暴動も、少しずつではあるものの勢いが弱まってきた。大多数とはいえ、所詮は衝動に任せただけの者たちばかり。脳を支配してしまうような確固たる使命があるわけではない。統率など皆無。現状に流されただけに過ぎない。

 サイレンの音が常時どこかで鳴り続けている。何重奏にも激しいそれは、無数の阿鼻叫喚のようにも思えた。カイはいつまでも耳朶に張り付いた甲高い音楽を聞きながら、横を通り過ぎるパトカーや救急車を疲弊した様子で眺めていた。


(波は収まりつつある。それに反比例して、これからもっと怪我人や死亡者は増えていくが……)


 B班が担当するエリアは騒動の中心地から比較的離れているためか、暴徒と化したストレイが雪崩れ込むといったパターンは少なかった。それでもこの機に乗じてなのか、この地区に生活しているストレイが日頃の溜まりに溜まった負の感情を一気に噴出――それに逆上した正規が過剰防衛で返り討ちにする、といったケースが主だった。

 そうなると抵抗の意思は低く、E.A.Wを使用しなくても警告だけで終了する。その際の威嚇射撃を何回放ったことか。引き金を引くだけで弾丸代わりである体内のマナは消費する。そこを無視し、自暴自棄などで襲いかかってくる場合は応戦止む無しである。


「カイ様、そろそろ行きましょう」


 傍ら立つユリカも、声に覇気が無くなってきた。こちらは体力面よりも精神面の負担が大きい。そもそも清い心の持ち主なだけに、この街の闇を全て吐き出したような光景は()()ものがあるのだろう。


「終わりは見えてきている。このふざけた馬鹿騒ぎも大詰めだ。――頼むぞ」

「問題ありません。ご心配なく」


 気遣いなど無用、といったようにユリカは微笑む。


「キョウヤやアイサもへばってなければいいが」

「ですから私は疲れてませんよ。……あちらは少し気になりますが」

「自分に正直な連中だからな」


 肩をすくませるカイに、ユリカが苦笑になる。そこへ、前方から一台の乗用車がやってきて彼等の前で停車した。運転席から現れたくたびれたスーツ姿の男を見て、カイは思わず驚きの声を上げる。


「静郷さん」


 重い足取りで近づいてくる警視庁のベテラン刑事は、困った様子で嘆息して頭を掻く。


「よぉ。大変なことになったな」


 静郷もまた、全身に疲労感を滲ませていた。衣服がかなり乱れてしまっている。暴動の仲裁を行って抵抗を受けたのだろう。はだけた胸元に、所々血が付着している。


「ええ。我々の不手際で……。言葉もありません」

「誰もこんなことになるなんざ予期しなかったさ。自分を責めんな」

「……はい」


 勘のいい静郷のことだ。この状況が偶然の産物でないことは感じているはずだ。さすがに『伊邪那美の継承者』の存在までは知らないだろうが――気休めの言葉でも胸が締め付けられる。


「市民の避難誘導はどうなりました?」

「あらかた終了だ。特に意味もなく暴れてる連中ばっかりだからな。首都圏を壊せばどうにかなると考えてるなら郊外に逃がせば済む話だよ」


 ただし、と付け加え、静郷の眉間の皺が深くなる。


「単純に暴力に走るなら対処はしやすい。問題は加えて金品を狙う輩がいることだ。これは人間勢にも言えた話だが……。いや、むしろ人間側の方が多いかもしれねぇな」


 うなだれながら静郷は嘆息交じりに吐く。


「……特に身寄りのない老人がターゲットになってる。自宅に押し入ってはカードや宝飾品をかっさらっていきやがるんだ。自分は精霊使いだと、嘘までついてな」

「そんな……」

「詰まるトコ、人間も精霊使いも本質は一緒にだってこったな。心の奥底には悪魔が棲みついて何かのきっかけで顔を出す。強者が弱者を喰う――そんな構図がいとも簡単に成立するわけだ」

「…………」


 カイもユリカも反論できなかった。する気すら起きなかった。誰だってこんな現実を見せつけられれば、希望も捨てたくなるというものだ。


「これが……この精霊社会がもたらしたひずみなんでしょうか……」


 つい、そんな言葉が出てしまう。何十年もかけて作り上げたものの末路がこれでは悲しすぎる。

 弱々しい呟きを聞いた静郷は、コートの胸ポケットから煙草を取り出し、口に咥えた。年代物のジッポライターで火を点けて、ゆっくりと灰色の空に紫煙を吐き出した。

 そういえば。キョウヤに煙草を教えたのは静郷だったか。


「なぁ、カイ坊」

「……はい」

「前例のないオリジナルっつーのは、常に不安定な要素が存在する。いや、むしろそれのみなのか。宙ぶらりんな中で歴史が作られていくんだ。そんなとき、俺たちは何をしなきゃいけないか分かるか?」


 しばらく考えてみたが、答えは出なかった。無言でカイは首を横に振る。


「足元を見るんだ。とにかく、目先のことに全力で挑む。そうしていけば、地盤ってのは作られていく」


 カイの肩に手を乗せる静郷。大きくて、重みのある手だ。


「お前は頭がキレすぎるんだ。だからアレコレ余計なことを考える。シンプルにいけ、シンプルに。特に刑事ってのはそういうもんだ」

「そう……、ですね。ありがとうございます」

「ったく、ほら。シャキッとしろ、シャキッと!」


 静郷が豪快に笑いながらカイの背中を何度も叩く。

 そうだった。カイ自身も一時期、静郷を模範としていた時期があった。刑事としての在り方、立ち振る舞い。一本の太い芯が通った静郷晴信という男に、カイは憧れたのだ。今思えば、青臭くこそばゆいが。


「……と、愚痴をこぼしてる場合じゃなかったんだ」


 何かを思い出したように、自分の車の方へ振り返る静郷。


「どうかしたんですか?」

「実はここでお前らと会ったのは偶然じゃねぇんだ。少し前、気になるものを目撃してな」

「はぁ」

「避難誘導で列を作ってる市民から外れて、警官に詰め寄る夫婦がいてよ。何事かと思って事情を訊いてみたら、どうやら息子さんが行方不明らしくてな。そこまでは、まぁこんな現状だからよくある話だろう……と、俺も思ってたんだが……。その子供の名前を聞いて『おや?』ってなってな」

「静郷様、まさか……」


 静郷の説明に、ユリカが呻いた。静郷は二人を交互に見ながら、硬い声で問う。


「織笠零治。確か、お前らのトコの新人がそんな名前じゃなかったか?……どういうこった?」

「…………ッ」


 カイが目線を車へと移す。フロントガラス越しに眇め見ると、後部座席に二人の男女が座っている。あれが、織笠の両親か。


「あの小僧は精霊使いじゃなかったのか? カイ坊よ」


 静郷の目つきがやや鋭くなる。刑事の嗅覚が疼いたのか、問いただす口調も若干強い。


「静郷さん、その件は後でお話しします。面談、いいですか?」

「あ、おい」


 静郷の返事も待たず、カイは車に歩み寄る。すると、こちらに存在に気付いた織笠夫妻が車から降りてきた。


「織笠雅英です。こちらは妻の天音」


 織笠夫妻が揃って会釈する。

 ――想像していたよりも若い。外見から判断して三十代後半くらいか。一般家庭の、どこにでもいる人のよさそうな夫婦だ。とても大学生の息子がいるとは思えない。


「精保所属、インジェクターB班のカイです。静郷さんからお話は聞いていますか?」

「はい。息子が――レイジがそちらで働いていると……。聞いたときはとても驚きました」

「彼には、少し特別な事情がありましたので……。本人にも固く口留めするように、と言ってありましたから。無理もありません」

「それで……息子は?」


 妻が悲痛な面持ちでカイに詰め寄ってくる。祈るように組む両手から、カイは目を伏せる。


「……申し訳ありません。事件捜査の途中で戦闘に巻き込まれらたらしく……。現在、我々も捜索中です」


 愕然としながら、織笠天音は崩れ落ちた。織笠雅英も、唇を強く噛み締め、うなだれる。


「本当に……なんとお詫びしたらよいか……」


 どんなに言い繕っても許されるはずがない。大事な息子を預かっておきながら、この体たらく。どれだけの罵倒を浴びせられても仕方がない。

 カイが深く頭を下げる。しかし、そこで思いもよらぬ言葉が返ってきた。


「……頭を上げて下さい、カイさん」


 怒気など一切ない、穏やかな口調。


「何となく、こんな日が来るのではないかと想像していたんです」


 不可解な言葉にカイが顔を上げると、織笠天音は憂いを帯びた顔をしていた。責め立てられて当然と思い込んでいただけに、カイは困惑する。


「あの猫ちゃんが家に来てから薄々勘づいてはいたんです。あれは、妖精なのでしょう?」

「どうしてそれを……」


 モエナが妖精だと知っている? 妖精は滅多に生まれるものじゃない。たかだか生きて八十年の人間に、知られる存在じゃないのだ。

 困惑するカイに、織笠天音は重々しく言った。


「お話したいことがあります。――あの子の秘密について」




 何やら込み入った事情がありそうなため、場所を移動。関係者以外他言は控えたいと織笠夫妻の希望で、カイたちの車内で話を伺うことにした。静郷は外で待機。話が終われば、彼らを送ってもらうためだ。


「あの子は……。レイジは私たちの本当の息子ではないんです」


 そう切り出したのは織笠天音の方だった。いきなりの衝撃的な発言にカイもユリカも面食らう。


「どういう……ことです?」


 ユリカが助手席から体を捻じるようにして後部座席に座る天音に訊く。


「それは……、やはりレイジの特異な性質と関係が?」


 カイがバックミラーを見る。織笠天音は俯きがちに、膝の上で組んだ両手を見つめながら、小さく頷いた。


「二十年程前の話です。私たちはとある研究員をしていました。主に薬剤の開発、研究です。当時……今でもそうですが、こちら側に適応できない精霊使いは多い。特にメンタル面での異常でマナトラブルが起こしやすいんです。その為の精神安定剤などの薬品作りに日夜勤しんでいました」


 彼女が言っているのは開拓世代のことだろう。

 こちらの環境は向こうに比べて悪い。空気中のマナに不純物が多く含まれているためだ。精霊を生み出すのは繊細な作業。今でこそしっかりと整備がしっかりとされてリスクはほとんどないに等しいが、昔は原因不明の病気にかかることもあった。今日まで精霊使いが安心に生活ができるのは彼等のおかげだろう。


「ある日のことでした。私たち二人の元に書簡が届いたんです。差出人は陽のマスターからでした」

「マスターから個人宛に?」

「ええ、内容はこうでした。『これから新たに行われる実験のため、力を貸して欲しい。これは未来に連なる重要な案件。精霊使いの更なる繁栄に繋がる』――と、六属性全てのマスターの署名付きでした」

「え……」

「初耳だな、そんなの」


 カイとユリカがお互いに顔を見合わせる。六属性のマスター合意となると、国家規模の大掛かりな計画だ。


「きっと秘密裏に動いていたのでしょう。我々にも他言無用と言いつけられていましたから」


 織笠雅英が驚く二人に説明する。


「無論、拒否する理由もありませんから参加することにしました。研究施設も特別に用意され、そこには精霊使いに関する各分野の優秀な研究者が揃っていました」

「それは、何人ほど?」

「十数名はいたと思います。人数の少なさも公言できない理由に含まれていたんでしょう」

「それで……一体どんな実験を……」

「集められた我々にメッセージが残されていました。命じられたテーマ……。マスターから放たれたその言葉に全員驚愕しました」

「何を……させられたんですか?」


 口に出すのが躊躇われるのか、織笠夫妻から中々答えようとはしなかった。やがて覚悟を決めたのか、織笠天音が顔を上げ、震える唇でゆっくりと言った。


「異なる属性の精霊使いの遺伝子を掛け合わせて、人工的に混血児を造り出す実験――“デザイナー・エレメンタル・プロジェクト”です」

「な……ッ!?」


 絶句するカイとユリカ。

 彼女の言葉を反芻してみたが、意味が分からなかった。脳が理解することを拒んでいるのかもしれない。それだけ、精霊使いにとっては衝撃的な話だ。


 精霊使いには大昔から厳格に定められた掟がある。


 それは『他属性の精霊使いとの婚姻は認めない』というものだ。人間と精霊使いとでは単純に推奨されていないだけなのだが、どうして精霊使い同士だと禁止されているのか。

 それは、子どもにどんな影響をもたらすのか神にすら分からないからだ。別々の精霊使いの遺伝子が組み合わさることで、子どもは当然二つのマナを受け継ぐことになる。その結果、どちらの属性が濃くなるのか。片方のみなのか? もしくは両方持って生まれるのか? 

 それとも。親同士が相克関係な場合、最悪消滅して無属性になることだって十分に有り得る。

 それに、母体や胎児の段階で負担に耐えられず、死亡してしまうかもしれないのである。


「精霊使いにとって、最大の禁忌じゃないですか。現在だってその法は変えられていないんですよ? それを敢えて犯す真似をあなた方はやっていたっていうんですか!?」

「カイ様!」


 声を荒げ、後部座席に身を乗り出そうとするカイを、ユリカが慌てて制す。


「怒りはごもっともです。私たちも勿論最初は反対でした。乗り気だった者なんて一人もいません。ですが、これは六属性のマスターの総意。それがどういうことか、インジェクターの方々の方が分かるはずです」

「……ッ」

「そう、どんなに異を唱えようが無駄なんです。拒否権なんて無かった。だから極秘なんです。公にすればどんな非難が待っているか――想像もつきませんから」


 脱力しながらカイはシートに腰掛け、ハンドルにもたれるように頭を打ち付けた。


(どういうことだ……? 掟の体現であるマスターがどうしてそんなことを……)


 やはり納得がいかない。妄想話もいいとこだ。嘘だと信じてしまいたいが、そんなことを彼等が口にしても何の得もない。


「各々が不安の中、実験は開始されました。あらかじめ用意された生殖細胞を使い、何パターンも試すんです。下手な言い逃れではありませんが、実験体となった精霊使いを、我々は一切知りません。用意したのはマスターですから。失敗すれば、新しいものを補充してくださっていたので」

「そんなことが……。でも、そう簡単に上手くいく筈が……」


 想像して気分が悪くなったのだろう、ユリカが青ざめた顔で言うと、織笠天音は重々しく頷いた。


「やはり生命をもてあそぶことなど許されない、ということでしょう。成功なんてしませんでした。受精の段階で異分子に拒絶反応を起こして壊れたり、そこを例えクリアしたとしても病気にかかって朽ちてしまったり……。数年間実験は繰り返されましたが、全て無駄に終わりました」

「当たり前だ。どれだけの未来ある命を……!」


 カイが唸る。呆れを通り越して、頭痛がしてきた。


「こんな無意味なことをして一体何になるのか。私達はずっと自分を責め続けていました。何年も何年も、何年も……っ」


 織笠天音が涙をこぼす。自分の好奇心を満たすためにやっていたことじゃない。だからこそ、今までずっと罪の意識に苛まれてきたのだろう。生命が誕生しかけては死ぬ。そのあまりに短いサイクルを、彼らは自らの手で操作していた。非人道的行為だという自覚は無論あるだろう。告白したくてもできない、許されたくても懺悔をさせてもらえない――それをやっと吐露して感情が溢れ出したのだ。


「我々は疲れきっていました。ですが、そんなときでした。奇跡的に成功したんです」


 すすり泣きながら、織笠天音がポツリと言った。


「え……?」

「とても優秀な闇の遺伝子と、まさかの相克関係にある陽の遺伝子が組み合わさって一つの命が完成したのです」

「ま、まさかそれって……」


 ユリカが口元に手を押さえる。カイが勢いよく振り返り織笠雅英を見た。彼は妻の肩を抱きながら唇を強く噛み締めて深く頷く。

 有り得ない事実に今度こそ頭が真っ白になった。放心したために背中がハンドルに当たり、クラクションが大きく鳴り放つ。

 織笠天音が次に言った言葉。それはどんなに蚊の鳴くような小さな声であっても、強烈に耳に残るものだった。


「それがあの子……。レイジなのです」



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