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暴動は短時間にも拘らず、広範囲に至っていた。規模は東京全域にしても、やはり練馬区に隣接する地区の被害が最も大きい。杉並区や板橋区などだ。この辺りは練馬区を意図的に隔離しようとしたために日本復興の際、特に政府が力を入れていた場所でもある。その周辺地区をまとめて担当したのが、新条仁率いるA班だった。
「……どうかしましたか?」
二台連なって現場へと向かうその先頭車両。運転席でハンドルを握りながら、ゴーグルのような眼鏡をかけた、いかにも理知的なスーツ姿の男――A班の副班長、副島宗暁が、後部座席に鎮座するジンに訊いた。
「……何がだ?」
つむっていた目を開け、ジンが問い返す。腕を組んで憮然としていた彼に引っ掛かりを覚えたのだろう。長い付き合いだと僅かな変化でもすぐ気づく。それが尊敬する上司となれば尚更に。ムネアキはバックミラーをちらりと見やり、すぐに前方へ視線を戻す。
「いえ、精保を出てからずっと不機嫌そうでしたので。何かあったのかと」
「なにもありはしない」
即答だった。声色には少し苛立ちが含まれている。
「そうですか。無意味な質問でしたね」
無遠慮な追及はしない。肩書は班長、副班長という間柄でも、他の班とは違い、そこに馴れ合いは存在しない。ムネアキ自身、そういう性格ではないし、何よりA班のリーダーというのは特別なのだ。インジェクターの代表、マスターに次ぐ精保の顔だ。階級以上の差がある。
「……お前はアイツと同期だったな」
会話を淡白に終わらせたつもりだったが、不意に口を開いたのはジンの方だった。
「アイツ……とは?」
「B班の班長だ」
「あぁ、カイのことですか。ええ、そうですね」
ムネアキは大地の精霊使いだ。だから、カイとはこちらの世界に来てから知り合った。新人時代は共同捜査を行ったこともあったものの、特に親しい間柄ではない。勤勉な男、という印象のみだ。
「確かに入局したのは同時期ですが、あまり接点はありませんでしたね。私より班長の方が彼のこと詳しいのでは?」
「期待……、していたんだがな。非情になりきれないのが、奴の欠点だ」
嘆息交じりにジンは呟く。
新人時代もだが、カイがB班を任されてからも何かと気にかけていたのはムネアキも知っている。弟分として可愛がっていたのだろう。確かにジンとカイは似ている気がする。
「甘いのだ、何もかも。『伊邪那美の継承者』にしても、生温いやり方をしていたためにこんな事態を招いた」
運転席から覗く景色は最悪の一言だった。
どこかしくも死体だらけ。車道にも転がっているために、大幅な回避を要求される。路地には火の手があちこち上がり、黒煙が立ち昇っている。灰の空だった。
「とはいえ、アイツらばかりを責めるわけにはいかん。対処の仕様があったのは我々も同じ。これは精保全体の責任だ」
「その存在が確認された時点で、捜査権を我々に移動させていればもっと早い段階で止められていたかもしれませんね」
「B班が無能だとは言わん。敵が巧妙なのも事実だ。……だからこそ、疑問なのだ」
「と、言いますと?」
答えはすぐに返ってこなかった。黙考しているのか、言い淀んでいるのかバックミラー越しの表情からは判別できない。
「知能犯では括り切れない……我々の動きを見透かしているような気さえするのだ」
「?」
「分からんか。この国のシステムは世界に二つとない。人間と精霊使いが作る社会。それゆえに落とし穴はどうしてもある。どこに穴があって、どこを突けば壊れるのか。しかもそれは、高みにいる者にしか気づけない」
「それは、どういう――」
「着いたようだな」
ムネアキはハッとして、急ブレーキを踏む。
大きな物体が、フロントガラスに激突したのだ。衝撃で割れたガラスに何かが勢いよく付着する。
鮮血だ。車体の上を跳ねながら道路に落ちたそれは、紛れもなく人だった。
「ち……ッ!」
数十メートル先で、大勢の精霊使いが暴れていた。精霊を身体に纏って直接殴り合っている者もいれば、一定の距離から砲弾を撃ち合っていた。いかに数々の凶悪事件を解決してきたA班でも、この光景は戦慄を覚える。それでも険しい表情を一切変えないジンが降車すると、ゆったりとした足取りで群衆の中へ向かっていく。近くまで行ったところで、ジンは大きく息を吸い込み、声を張り上げる。
「精霊保全局だ!! 貴様ら、暴力行為をただちに止めろ!!」
拡声器も使わない肉声にもかかわらず、大地が大きく震動した。誰もが攻撃の手を止め、唖然とジンの方を見る。
「全員拘束させて貰う。大人しくしていろ」
何台もの車が燃え盛り、見通しのいい道路が炎の海と化している中、水を打ったように静まり返る。
普通なら、最早抵抗しても無意味だと観念するところだ。ジンの眼力に怖気づき、戦いの本能を刈り取る威圧感に押し潰される。
――そう、普通ならば。
彼等の行動はそんな予定調和を崩すものだった。
屈強なインジェクターを前にしながら、精霊の発動を止めなかった。正規もストレイも共に示し合わせたわけでもないのに、敵意が一斉にジンに向けられる。その表情から窺えるのは、恐怖や憎悪。こんな状況下である。平常心が消え去った彼等には、後先を考えるだけの思考能力は欠落してしまっているのだろう。
「馬鹿者どもが……」
ジンが嘆く。その視界の端で、じりじりと近付く人影が映った。茫洋としながら、狂ったような笑みを浮かべる若い男。
「精保……。インジェクター……」
血まみれなのは、自分の血液ではないだろう。どれだけの人を殺したのか。返り血を浴びすぎて、自我も失っているようだった。
「ひゃああああああああああああああ!!」
奇声を発しながら、ジンに突進を計る男。その手には殺傷性を増すために、精霊を付与したナイフが握られている。何とも原始的な方法に呆れを通り越したのか、ジンは身構える気配すらない。
一切、回避行動を取ろうとしないジンの無防備な腹部に、刃が深く突き刺さった。あまりに呆気なく、そして掌に伝わる生々しい感触。男は下卑た笑みをより深くする。
「――そんなに面白いか」
男は耳を疑う。苦痛に呻くはずのジンの声が、あまりに普通であることに。
そこで男は、違和感にようやく気付く。ジンの腹から血が噴き出さないこと。
そして、ナイフの柄が異常に熱くなっていること。
男は思わずナイフを放り捨てる。地面に転がったナイフを見て、顔が驚愕に染まる。
刃の部分が、ドロドロに溶けているのだ。金属が液状化し、原型を留めていない。人間を刺して、どうしてこんな現象が起きるのか。しかも刺した脇腹には、傷一つ付いていない。
「信じられない、といった表情だな」
へたり込んだ男を見下ろし、ジンは言った。
「考えれば答えは簡単だぞ。精霊使いなら誰でも思いつく、単純な理屈だ。俺が炎の精霊使いなのは、勘づいているだろう?」
想像なら、容易につく。肉体と刃が触れる寸前に、炎の膜を張りダメージを防ぐ。むしろ、それしか思い付かない。
だとしても、刃の部分が燃えて終わるだけ。融解するまでには至らないはずだ。
どれだけ純度が高ければ、そんな風になるのか。
「分からんか。ならば、教えてやろう。どんな精霊使いでも、まず体内のマナをエネルギーにし、外に放出する。それが精霊だ。だが俺は少々、特殊な体質でな。この身体全てが内燃機関なのだ」
その説明を補足するためか、ずっとコートに突っ込んでいた手を男の顔の前にかざす。瞬間、みるみる拳がオレンジ色に変化していく。熱を帯びている、そんなのは触れなくても伝わってくる。それも、水が沸騰するような低い温度ではない。とてつもない高温だ。これではナイフが溶けてしまったのも道理がいく。
「融解炉と言い換えてもいい。精霊を生み出す原理が根本的に他者とは異なるのだ」
インジェクターとは、精霊使いの中でも選ばれし豪傑。ただでさえ素質に恵まれているために、精霊の質が高い。その膨大な力を内包しているとなると、それはむしろ精霊使いではなく妖精に近い。
「は、反則だ……。E.A.Wも無しにそんな……」
ようやく男にも、ジンの不条理さを理解した。
インジェクターのトップに君臨する男に愕然とし、気安く挑んだことを後悔し、戦意を喪失。同時に、この場にいる全員が同じ思いを抱く。力の片鱗さえ見せていないジンに。
このインジェクターが本気を出せば、この世界など一瞬で消し炭になるのでは――と。
「E.A.Wか。インジェクターにとってE.A.Wは証明であると同時に、裁くための武器だ。俺が所有していないのも、おかしな話だろう。――あるのだ、しっかりと」
「は……?」
「俺は今、武器と言った。そう、武器は必要ない。この肉体が武器そのものだからな。しかし、故に耐えられんのだ」
胸元を押さえるジン。その行動が指し示すのは、彼が見に纏う黒衣のジャケットだ。
「灼熱を宿した身体とは何分不自由なことも多くてな。恥ずかしい話だが、この特殊繊維で施された衣服がE.A.Wだ」
「な――!!」
次元が違い過ぎる。精霊使いの常識を覆す存在。いや、もはや精霊使いの域など超えてしまっている。炎の化身――神話で語り継がれる神の領域だ。
「それを知ってなお、俺に挑む者はいるか? いるなら、愚行とは言わないでおこう。勇敢さを称え、全力で相手をするぞ?」
傲岸な物言いであっても、意を唱える者はいるはずもなく。群衆は一斉に精霊を解除、凶器を捨てながら両手を頭の後ろに組んで、地面に膝をつく。
「お見事です、班長」
傍らに寄り添う執事のように、称賛を述べるムネアキ。
「いつもながら感服致します」
「世辞は止めろ。俺がそういうのを嫌いなのは知っているだろう」
「いえ、力を揮うことなく大多数の犯罪者を屈服させられるのは貴方以外にいませんよ」
事実、長い間ジンを補佐しているムネアキでさえ、彼が本気を出す場面を見たことがない。誰も計りきれない凶悪な力。今後一切、ジンと対等に渡り合える能力者など出てこないのでは……とも思えてならない。
「まだ終わっていない。エリアは山ほど残っている。次に行くぞ」




