2
「なんだ、こりゃ……」
精保、インジェクターB班オフィス。各人のPCに、次々と事件発生の通報が表示される。エラーにでもなったかのように、平面モニターが多重に展開し、けたたましいアラート音が鳴り響く。映し出されたのは、あらゆる区域での暴動、暴動、暴動――。
「マジかよ……」
呆然と呟くキョウヤ。
「これって、映画じゃないですよね……」
「フィクションならどんなにありがたいか。だが、残念なことに現実だ」
動揺のあまり声が震えるアイサに、カイが苦虫を噛み潰したような顔でカイが答えた。ユリカに至っては、食い入るように画面を見たまま一言も発していない。
どの画面を見てみても、暴行のシーンばかり。誰しもが冷静でいられるわけがなかった。
「どうしてこうなった?」
「魔窟の住人共の仕業だな。仕掛けた側はあの地区の奴等ばっかりだ」
「変な表現は止めろ、キョウヤ。あそこにいる連中も犯罪者ばかりじゃない」
「これを見てまだそんなことが言えんのかよ。だがな、不穏分子を閉じ込めた巣窟なのは事実だろ。誰も寄り付かないし、出ていかない。それが、どうだ。子供でも知ってる暗黙の了解が破られたんだぞ」
「言い争いしてる場合じゃないっスよ」
席を立ちあがってアイサが二人を制す。
「事はそんな段階を超えてます。アングラに住むストレイの暴動にとどまってない。よく見て下さいよ」
被害を受けた精霊使いも、ただ一方的に暴力に屈しているだけじゃない。恐怖のあまり錯乱し、精霊を用いて反撃。勢い余って殺害してしまっている。人間側も同じだ。理不尽な事態に、我が身を守ろうと必死に抵抗。刃物、日用品、車。なんでもいい。ありとあらゆる物でストレイに暴行を加えている。
過剰防衛。
いや、違う。
これは最早、大々的な殺戮ショーだった。
「もしかして、これが『伊邪那美の継承者』の狙いだった……?」
「だろうよ。間違いなく奴らの行動が、コイツ等に火を点けた」
「『伊邪那美の継承者』のリーダーがアイドルのライブジャックを行ったときの言ってた言葉……。まさかこんな形で民衆を操作するなんて……」
「やってくれるぜ、ちきしょう!」
キョウヤがデスクに拳を叩きつけながら吐き捨てた。
ストレイの蜂起。それは、あのライブの一件だけじゃない。メイガスや有栖の事件も含めてだ。正規とストレイの埋まらない溝をより明確にし、徐々にその規模を大きくする。
全部が、このための布石。そんな風に思えてならない。
「これからどうするんスか。呑気にしてる場合じゃないですよ」
「分かっている。これから三班合同で特別会議を行う予定――」
カイがPCを閉じながら席を立った、その時だった。
デスクと談話スペースの、丁度その中間。その床に燐光が突如として現れ、円を描く。精霊による魔法陣である。精保の内部には、外気のマナ干渉を受けないように遮断装置を配備してあるにも拘らず、それをものともしない鮮やかな侵入。
そんなことが可能なのはただ一人しかいない。
『選ばれし我が子たちよ』
魔法陣の上に立つ、全身ローブを被った神秘的な雰囲気を纏う女性。
陽のマスターである。ただし、実体はそこになく、ホログラムのような立体映像。本体はアークのまま、精神体のみを転移させているのだろう。理解は容易に出来るのだが、その術式は有能な精霊使いであっても常識の範疇を超えるものだ。
『精霊社会が誕生して数十年。日本という国家に再生と繁栄に長い時間を費やし、ようやくたどり着いた理想郷。それが今、かつてない事態に直面しています』
悲壮感を漂わせつつも、映像とは思えないほどに威厳を宿した声。誰もが、身体を硬直させていた。
普段はアークと呼ばれるマナ運用施設に籠っているはずの彼女が、こうして公に姿を現すことはまずありえない。それだけの緊急性なのだ。
精霊使いとマスターが顔を合わせる機会はほぼ皆無といって等しい。インジェクターであってもごく一部だ。リーダーのカイにしても定期的な報告のために謁見を許される、その程度。
室内に緊張が張り詰めるのは必然だった。
『貴方方も知っての通り、一部の市民が暴動を起こし被害は急速に広まっている。これも全て伊邪那美の継承者と呼ばれる反社会的勢力によるもの。彼らの愚行を決して許してはなりません』
マスターの口調は、はっきりと分かるほどに熱を帯びていた。
『しかし、まずは目下の混乱に対処しなくてはなりません。インジェクターの役割は市民の安全が最優先。A、B、Cすべての班総動員で街の鎮圧にあたってもらいたいのです』
マスターが指令を下す。彼女の言葉からして、この通信は他の班の所にも届いているのだろう。これで決まりだ。もう、『伊邪那美の継承者』は自分たちだけの捜査対象ではない。精保のすべてを結集させて、執行しなければならない敵だと。
『インジェクターは少数精鋭。しかも首都圏全体となれば、さらに人員を削るのは得策ではないでしょう。だが、これしかないのです。現在、警察にも助力をお願いしていますが、これは我々が処理すべき案件。警察には人間側の避難誘導だけをお任せし、精霊使いの問題は精保が処理しましょう。各々の負担は承知ですが、貴方方しか戦士はいないのです。――それでは、よろしくお願いいたします』
最後に穏やかな微笑みをたたえ、マスターの姿が消える。張り詰めていた緊張が解けるのには、少々時間を要した。それだけの圧倒的存在感。
「ふあぁ……。び、びっくりしたぁ……」
全身の力が抜けたのか、チェアにへたり込むアイサ。
「まさかマスターが直々に、とはな。……どう思ったよ?」
「……失礼に当たるから、あまり口に出したくはない。ないが、やはり焦りがあったように俺には見えた」
戸惑いを挟みつつ、言葉を選びながらカイは答えた。超然としたマスターにとっても、動揺があったということなのか。
「マスターは精保の最高責任者でありながら、世界を見守る者だ。こういった事態にも、いち早く気付いていたはず。だが、『伊邪那美の継承者』がその予測よりも上回った……ということになる」
「または勘づいておきながら、敢えて泳がしておいた……か」
「何のために?」
「さてね」
肩をすくめるキョウヤに、カイはため息をつく。適当な発言ではないにしろ、上司についてあれこれ言うのも褒められたものではない。これ以上の話は無粋だろう。
「それよりも早いところ出動しよう。マスターの言う通り、班を二つに分ける。俺とユリカ、キョウヤとアイサ。E.A.Wは常に携行しておけ。それでいいな?」
「――あの、カイ様……」
自分のE.A.Wを発動し、扉に向かおうとしたカイは不意に呼び止められた。
これまで一言も発していなかったユリカである。
「……どうした?」
「…………」
カイが問いかけても、ユリカは胸の前に手を置いたまま、答えようとはしなかった。沈痛な表情で。だが、それだけで、カイだけではなくキョウヤやアイサにも察しが付いてしまう。途端に重苦しい空気が降りた。
「あの――」
意を決したように、ユリカが口を開いた――そのとき。
さらなる来客がやってきた。
空気が抜ける音と共に、スライドドアから現れた、二人の男女。
華美な改造制服を着た金髪女性は、C班のリーダーであるメディエラ。そして、彼女が先を譲るようにして室内に入ってきた男性。上背のあるカイでも見上げてしまうほど大柄であり、彫りの深い顔立ち。眼光の鋭さは獰猛な野獣を連想させる。茶褐色の髪をオールバックにし、頑強な身体を革のコートで包んでいた。武人、といった例えがしっくりくる。
「ジンさん……」
カイが男の名を呼ぶ。
新条仁。インジェクター三班の内、最も規律を重んじ厳格主義で知られるA班。班員全員がマスタークラスであり、その精鋭者ぞろいの班をまとめ上げる精保最強のリーダーである。
「我々にも勅命が下ったのでな」
低音で、武骨な声。言葉少なでも、威圧感がたっぷり含まれていた。
「そうですか、やはり」
「今から出動いたしますわ。大掛かりな分担作業になるので、こうして打ち合わせにと」
メディエラが硬い表情で言う。
「『伊邪那美の継承者』については以前に報告は受けている。組織としての統率は取れてないものの、お前が手を焼くほどだ。トップは実に狡猾だな」
「ええ……」
ジンは、現時点で最もマスターに近い精霊使いと評されている。この男と比べれば、自分などひよっこでしかない。それだけに彼の言葉は一つ一つが重い。
「時間も惜しい。簡単に持ち場を確認しよう――いいな?」
それから十分間ほど話し合い、均等に地区を振り分ける。当然ながらこの事件は本来、B班の担当。しかし、打ち合わせの主導権はジンがする。それだけ彼は合理的であり、誰にも有無を言わせない圧力がある。A班とB、C班にはそれだけ立場に差があるのだ。
「では我々が先に出る。お前らは俺たちの後に続け」
「分かりましたわ」
「…………」
僅かに唇を噛み締め、カイは頷く。情けなさが痛烈に押し寄せる。だが、A班まで出張ってしまっては従うしかない。
「……それと」
コートを翻し、立ち去ろうとしたジンが足を止めた。顔だけをこちらに向けて言った。
「例の新人、行方不明だそうだな」
「――!」
心臓に痛みが走った。
もう、そんなことまで知っているのか。
新人とは無論、織笠のことである。彼が今この場にいないのは、治療中というわけではない。
レアから連絡を受けた後、駆け付けたときには既に織笠の姿はなかった。発見したのは、倒れていたハイトとモエナのみ。交戦中に何かがあったのは間違いない。しばらく辺りを捜索してみたが、見つからなかった。現場の状況からして相当激しい戦闘だったと思われるのだが……。
ユリカが先程言いかけたのもこのことだろう。
「これはお前の失態だぞ。――分かっているな?」
「……はい」
端的な言葉だからこそ、突き刺さる。
「彼の者の登用を責めているわけではない。事情は聞いている。……問題はその扱い方だ。お前らしくもない判断だったな」
決して、叱咤ではない。叱責、そして失望。
「どんなに特殊な性能を持ち合わせていようと、イレギュラーな存在なのは確かなのだろう? ならば、そのコントロールは慎重に行わなければならん」
「…………」
知らぬ間に、カイは拳を強く握り締めていた。
「戦闘用精霊使いは兵器と同じだ。悪を断罪するために己を殺し、寡黙にただ任務を遂行する。インジェクターとはそういう存在なのだと、俺はお前に教えたはずだが」
「それは――」
「まして、彼の者は正道で入局したのではない。なら、厳格な精神は培われにくい。脆弱だと生に対する執着心は低かろう」
「待って下さい。……レイジが死んだとでも言いたいのですか?」
カイの低く唸るような抗議にも、ジンはさらに呆れたように息を吐く。
「甘いな。現実的に考えろ。『伊邪那美の継承者』は、精霊使いの中でも凶悪な部類だ。発見されなければ“消滅”、というのが妥当な結論ではないのか。リーダーであるなら、使えなくなった兵器はとっとと捨て去るべきだ」
「やめてください。俺は、仲間をそんな風に――」
「ぬるい」
語気を強め、ジンははっきりと切り捨てた。
「お前は何を期待している? お前もゆくゆくは雨の精霊使いを背負っていかねばならん男だ。インジェクターとしての矜持を履き違えれば、そこで終わりだぞ。戦ってこその俺たちなのだ。無用な駒に執心して何の――」
「いい加減にしてください!!」
カイの我慢も限界だった――そのとき。声を張り上げたのは、すぐ後ろにいたユリカだった。
「ユリカ……」
目を向けると、ユリカが肩を震わせていた。怒りを露に、ジンを睨み付ける。
「この班の流儀は貴方方とは違います。結束力が命なのです。……A班にはかつて私も所属していましたから、ジン様のやり方を否定するつもりはありません。ですが、ジン様。カイ様はB班をしっかりまとめ上げています。非難するのは許せません」
「…………」
「そして、レイジさんは生きています。必ず、絶対に。私たちは誰も彼を見捨てません。命を預けるに足りる、立派なインジェクターですから」
「不破羅刹と呼ばれたお前が変わったものだ。昔はもっと、俺が畏怖するほど鬼気迫るものがあったが」
「この変化は私にとって良かったと思っています。この班の一員として過ごした時間を大切に思っていますし、汚されたくありません。……誰であろうと」
ユリカとジンの視線が激しく交錯する。二人からは僅かに殺気が発せられて周囲に伝わり、室内が軋みを上げた。
「まあまあ、ちょっと待ってくださいよ」
張り詰めた緊張感などどこ吹く風のように、二人の間にキョウヤが割って入る。宥めるようにユリカの肩に手を置き、人懐っこい笑みをジンへ向ける。
「今熱くなったってしょうがないっすよ。そういう気概をぶつけるのは相手が違う。……でしょ?」
じっとキョウヤを見つめるジン。その視線に含まれるのは飄々とした男の真意。ユリカを庇って自分に歯向かう気なのか、それとも……。しかし、作り笑いの奥を見透かせないと分かるや、ジンは肩の力を抜く。
「ふん、それもそうだな。……それにしても、さすがは風の精霊使いか。俺に悟らせんとはな」
「そいつはどうも。別に裏なんてないんですがねー」
「申し訳……ありません……」
カイが、ホッと胸を撫で降ろす。カイは内心、情けないリーダーだと己を嘲笑いながら、ジンに穏やかな口調で本心を口にした。
「ジンさん、俺もレイジが生きていると信じています。アイツは確かに戦闘に関しては素人です。それでもインジェクターの資質はちゃんと備わっていますよ。事実、『伊邪那美の継承者』の幹部を倒した」
ハイトは現在、一般の病院ではなく、精保直轄の治療施設に搬送されている。余程激闘だったのだろう、意識はまだ戻っていない。レイジの居場所もヤツが握っている可能性も十分にある。目覚め次第、取り調べを行うつもりだ。
「ジンさん、俺の責任問題をマスターに進言するなら勝手にしてください。それで俺がどうなろうと構いません。ただ、この件だけはちゃんとケリをつけますから。進退ならその後に決めます」
「…………」
無言で去っていくジン。何か言いたげなメディエラも、黙ってその後を追っていった。
「カイさん、いいんですか……?」
ドアが閉まりきり、心配そうにアイサが声をかける。大きく深呼吸したカイは振り返り、三人を見渡しながらゆっくり頷いた。
「すまんな、おかげで目が覚めた」
「おーおー。あーんな啖呵を切っちまって、いいのかよ?」
にやにやと嬉しそうなキョウヤ。盾突いたことなど些末なことだといわんばかりに、カイは肩をすくめて小さく口角を上げた。
「知るか。俺は俺で好きなようにさせてもらう」
そして、表情を引き締めて部下にこう通達する。
「俺たちも行くぞ。相手が民間人だからとくれぐれも油断するなよ」
カイはE.A.Wを発動。それに合わせて三人も己の武器を手にする。
「各員、全力で事に当たれ。そして、同時進行でレイジの捜索も行う。絶対に見つけ出せ。大事な仲間、だからな」
その言葉を受けた全員が、笑みを浮かべながら力強く頷く。
パトカーが次々と精保の駐車区画から飛び出していき、それぞれの目的地へと散っていった。




