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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第六章 TRUTH
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「なんだ、こりゃ……」


 精保、インジェクターB班オフィス。各人のPCに、次々と事件発生の通報が表示される。エラーにでもなったかのように、平面モニターが多重に展開し、けたたましいアラート音が鳴り響く。映し出されたのは、あらゆる区域での暴動、暴動、暴動――。


「マジかよ……」


 呆然と呟くキョウヤ。


「これって、映画じゃないですよね……」

「フィクションならどんなにありがたいか。だが、残念なことに現実だ」


 動揺のあまり声が震えるアイサに、カイが苦虫を噛み潰したような顔でカイが答えた。ユリカに至っては、食い入るように画面を見たまま一言も発していない。

 どの画面を見てみても、暴行のシーンばかり。誰しもが冷静でいられるわけがなかった。


「どうしてこうなった?」

「魔窟の住人共の仕業だな。仕掛けた側はあの地区の奴等ばっかりだ」

「変な表現は止めろ、キョウヤ。あそこにいる連中も犯罪者ばかりじゃない」

「これを見てまだそんなことが言えんのかよ。だがな、不穏分子を閉じ込めた巣窟なのは事実だろ。誰も寄り付かないし、出ていかない。それが、どうだ。子供でも知ってる暗黙の了解が破られたんだぞ」

「言い争いしてる場合じゃないっスよ」


 席を立ちあがってアイサが二人を制す。


「事はそんな段階を超えてます。アングラに住むストレイの暴動にとどまってない。よく見て下さいよ」


 被害を受けた精霊使いも、ただ一方的に暴力に屈しているだけじゃない。恐怖のあまり錯乱し、精霊を用いて反撃。勢い余って殺害してしまっている。人間側も同じだ。理不尽な事態に、我が身を守ろうと必死に抵抗。刃物、日用品、車。なんでもいい。ありとあらゆる物でストレイに暴行を加えている。

 過剰防衛。

 いや、違う。

 これは最早、大々的な殺戮ショーだった。


「もしかして、これが『伊邪那美の継承者』の狙いだった……?」

「だろうよ。間違いなく奴らの行動が、コイツ等に火を点けた」

「『伊邪那美の継承者』のリーダーがアイドルのライブジャックを行ったときの言ってた言葉……。まさかこんな形で民衆を操作するなんて……」

「やってくれるぜ、ちきしょう!」


 キョウヤがデスクに拳を叩きつけながら吐き捨てた。

 ストレイの蜂起。それは、あのライブの一件だけじゃない。メイガスや有栖の事件も含めてだ。正規とストレイの埋まらない溝をより明確にし、徐々にその規模を大きくする。

 全部が、このための布石。そんな風に思えてならない。


「これからどうするんスか。呑気にしてる場合じゃないですよ」

「分かっている。これから三班合同で特別会議を行う予定――」


 カイがPCを閉じながら席を立った、その時だった。

 デスクと談話スペースの、丁度その中間。その床に燐光が突如として現れ、円を描く。精霊による魔法陣である。精保の内部には、外気のマナ干渉を受けないように遮断装置を配備してあるにも(かかわ)らず、それをものともしない鮮やかな侵入。

 そんなことが可能なのはただ一人しかいない。


『選ばれし我が子たちよ』


 魔法陣の上に立つ、全身ローブを被った神秘的な雰囲気を纏う女性。

 陽のマスターである。ただし、実体はそこになく、ホログラムのような立体映像。本体はアークのまま、精神体のみを転移させているのだろう。理解は容易に出来るのだが、その術式は有能な精霊使いであっても常識の範疇を超えるものだ。


『精霊社会が誕生して数十年。日本という国家に再生と繁栄に長い時間を費やし、ようやくたどり着いた理想郷。それが今、かつてない事態に直面しています』


 悲壮感を漂わせつつも、映像とは思えないほどに威厳を宿した声。誰もが、身体を硬直させていた。

 普段はアークと呼ばれるマナ運用施設に籠っているはずの彼女が、こうして公に姿を現すことはまずありえない。それだけの緊急性なのだ。

 精霊使いとマスターが顔を合わせる機会はほぼ皆無といって等しい。インジェクターであってもごく一部だ。リーダーのカイにしても定期的な報告のために謁見を許される、その程度。

 室内に緊張が張り詰めるのは必然だった。


『貴方方も知っての通り、一部の市民が暴動を起こし被害は急速に広まっている。これも全て伊邪那美の継承者と呼ばれる反社会的勢力によるもの。彼らの愚行を決して許してはなりません』


 マスターの口調は、はっきりと分かるほどに熱を帯びていた。


『しかし、まずは目下の混乱に対処しなくてはなりません。インジェクターの役割は市民の安全が最優先。A、B、Cすべての班総動員で街の鎮圧にあたってもらいたいのです』


 マスターが指令を下す。彼女の言葉からして、この通信は他の班の所にも届いているのだろう。これで決まりだ。もう、『伊邪那美の継承者』は自分たちだけの捜査対象ではない。精保のすべてを結集させて、執行しなければならない敵だと。


『インジェクターは少数精鋭。しかも首都圏全体となれば、さらに人員を削るのは得策ではないでしょう。だが、これしかないのです。現在、警察にも助力をお願いしていますが、これは我々が処理すべき案件。警察には人間側の避難誘導だけをお任せし、精霊使いの問題は精保が処理しましょう。各々の負担は承知ですが、貴方方しか戦士はいないのです。――それでは、よろしくお願いいたします』


 最後に穏やかな微笑みをたたえ、マスターの姿が消える。張り詰めていた緊張が解けるのには、少々時間を要した。それだけの圧倒的存在感。


「ふあぁ……。び、びっくりしたぁ……」


 全身の力が抜けたのか、チェアにへたり込むアイサ。


「まさかマスターが直々に、とはな。……どう思ったよ?」

「……失礼に当たるから、あまり口に出したくはない。ないが、やはり焦りがあったように俺には見えた」


 戸惑いを挟みつつ、言葉を選びながらカイは答えた。超然としたマスターにとっても、動揺があったということなのか。


「マスターは精保の最高責任者でありながら、世界を見守る者だ。こういった事態にも、いち早く気付いていたはず。だが、『伊邪那美の継承者』がその予測よりも上回った……ということになる」

「または勘づいておきながら、敢えて泳がしておいた……か」

「何のために?」

「さてね」


 肩をすくめるキョウヤに、カイはため息をつく。適当な発言ではないにしろ、上司についてあれこれ言うのも褒められたものではない。これ以上の話は無粋だろう。


「それよりも早いところ出動しよう。マスターの言う通り、班を二つに分ける。俺とユリカ、キョウヤとアイサ。E.A.Wは常に携行しておけ。それでいいな?」

「――あの、カイ様……」


 自分のE.A.Wを発動し、扉に向かおうとしたカイは不意に呼び止められた。

 これまで一言も発していなかったユリカである。


「……どうした?」

「…………」


 カイが問いかけても、ユリカは胸の前に手を置いたまま、答えようとはしなかった。沈痛な表情で。だが、それだけで、カイだけではなくキョウヤやアイサにも察しが付いてしまう。途端に重苦しい空気が降りた。


「あの――」


 意を決したように、ユリカが口を開いた――そのとき。

 さらなる来客がやってきた。

 空気が抜ける音と共に、スライドドアから現れた、二人の男女。

 華美な改造制服を着た金髪女性は、C班のリーダーであるメディエラ。そして、彼女が先を譲るようにして室内に入ってきた男性。上背のあるカイでも見上げてしまうほど大柄であり、彫りの深い顔立ち。眼光の鋭さは獰猛な野獣を連想させる。茶褐色の髪をオールバックにし、頑強な身体を革のコートで包んでいた。武人、といった例えがしっくりくる。


「ジンさん……」


 カイが男の名を呼ぶ。

 新条仁しんじょうじん。インジェクター三班の内、最も規律を重んじ厳格主義で知られるA班。班員全員がマスタークラスであり、その精鋭者ぞろいの班をまとめ上げる精保最強のリーダーである。


「我々にも勅命が下ったのでな」


 低音で、武骨な声。言葉少なでも、威圧感がたっぷり含まれていた。


「そうですか、やはり」

「今から出動いたしますわ。大掛かりな分担作業になるので、こうして打ち合わせにと」


 メディエラが硬い表情で言う。


「『伊邪那美の継承者』については以前に報告は受けている。組織としての統率は取れてないものの、お前が手を焼くほどだ。トップは実に狡猾だな」

「ええ……」


 ジンは、現時点で最もマスターに近い精霊使いと評されている。この男と比べれば、自分などひよっこでしかない。それだけに彼の言葉は一つ一つが重い。


「時間も惜しい。簡単に持ち場を確認しよう――いいな?」


 それから十分間ほど話し合い、均等に地区を振り分ける。当然ながらこの事件は本来、B班の担当。しかし、打ち合わせの主導権はジンがする。それだけ彼は合理的であり、誰にも有無を言わせない圧力がある。A班とB、C班にはそれだけ立場に差があるのだ。


「では我々が先に出る。お前らは俺たちの後に続け」

「分かりましたわ」

「…………」


 僅かに唇を噛み締め、カイは頷く。情けなさが痛烈に押し寄せる。だが、A班まで出張ってしまっては従うしかない。


「……それと」


 コートを翻し、立ち去ろうとしたジンが足を止めた。顔だけをこちらに向けて言った。


「例の新人、行方不明だそうだな」

「――!」


 心臓に痛みが走った。

 もう、そんなことまで知っているのか。

 新人とは無論、織笠のことである。彼が今この場にいないのは、治療中というわけではない。

 レアから連絡を受けた後、駆け付けたときには既に織笠の姿はなかった。発見したのは、倒れていたハイトとモエナのみ。交戦中に何かがあったのは間違いない。しばらく辺りを捜索してみたが、見つからなかった。現場の状況からして相当激しい戦闘だったと思われるのだが……。

 ユリカが先程言いかけたのもこのことだろう。


「これはお前の失態だぞ。――分かっているな?」

「……はい」


 端的な言葉だからこそ、突き刺さる。


「彼の者の登用を責めているわけではない。事情は聞いている。……問題はその扱い方だ。お前らしくもない判断だったな」


 決して、叱咤ではない。叱責、そして失望。


「どんなに特殊な性能を持ち合わせていようと、イレギュラーな存在なのは確かなのだろう? ならば、そのコントロールは慎重に行わなければならん」

「…………」


 知らぬ間に、カイは拳を強く握り締めていた。


「戦闘用精霊使いは兵器と同じだ。悪を断罪するために己を殺し、寡黙にただ任務を遂行する。インジェクターとはそういう存在なのだと、俺はお前に教えたはずだが」

「それは――」

「まして、彼の者は正道で入局したのではない。なら、厳格な精神は培われにくい。脆弱だと生に対する執着心は低かろう」

「待って下さい。……レイジが死んだとでも言いたいのですか?」


 カイの低く唸るような抗議にも、ジンはさらに呆れたように息を吐く。


「甘いな。現実的に考えろ。『伊邪那美の継承者』は、精霊使いの中でも凶悪な部類だ。発見されなければ“消滅”、というのが妥当な結論ではないのか。リーダーであるなら、使えなくなった兵器はとっとと捨て去るべきだ」

「やめてください。俺は、仲間をそんな風に――」

「ぬるい」


 語気を強め、ジンははっきりと切り捨てた。


「お前は何を期待している? お前もゆくゆくは雨の精霊使いを背負っていかねばならん男だ。インジェクターとしての矜持を履き違えれば、そこで終わりだぞ。戦ってこその俺たちなのだ。無用な駒に執心して何の――」

「いい加減にしてください!!」


 カイの我慢も限界だった――そのとき。声を張り上げたのは、すぐ後ろにいたユリカだった。


「ユリカ……」


 目を向けると、ユリカが肩を震わせていた。怒りを露に、ジンを睨み付ける。


「この班の流儀は貴方方とは違います。結束力が命なのです。……A班にはかつて私も所属していましたから、ジン様のやり方を否定するつもりはありません。ですが、ジン様。カイ様はB班をしっかりまとめ上げています。非難するのは許せません」

「…………」

「そして、レイジさんは生きています。必ず、絶対に。私たちは誰も彼を見捨てません。命を預けるに足りる、立派なインジェクターですから」

「不破羅刹と呼ばれたお前が変わったものだ。昔はもっと、俺が畏怖するほど鬼気迫るものがあったが」

「この変化は私にとって良かったと思っています。この班の一員として過ごした時間を大切に思っていますし、汚されたくありません。……誰であろうと」


 ユリカとジンの視線が激しく交錯する。二人からは僅かに殺気が発せられて周囲に伝わり、室内が軋みを上げた。


「まあまあ、ちょっと待ってくださいよ」


 張り詰めた緊張感などどこ吹く風のように、二人の間にキョウヤが割って入る。宥めるようにユリカの肩に手を置き、人懐っこい笑みをジンへ向ける。


「今熱くなったってしょうがないっすよ。そういう気概をぶつけるのは相手が違う。……でしょ?」


 じっとキョウヤを見つめるジン。その視線に含まれるのは飄々とした男の真意。ユリカを庇って自分に歯向かう気なのか、それとも……。しかし、作り笑いの奥を見透かせないと分かるや、ジンは肩の力を抜く。


「ふん、それもそうだな。……それにしても、さすがは風の精霊使いか。俺に悟らせんとはな」

「そいつはどうも。別に裏なんてないんですがねー」

「申し訳……ありません……」


 カイが、ホッと胸を撫で降ろす。カイは内心、情けないリーダーだと己を嘲笑いながら、ジンに穏やかな口調で本心を口にした。


「ジンさん、俺もレイジが生きていると信じています。アイツは確かに戦闘に関しては素人です。それでもインジェクターの資質はちゃんと備わっていますよ。事実、『伊邪那美の継承者』の幹部を倒した」


 ハイトは現在、一般の病院ではなく、精保直轄の治療施設に搬送されている。余程激闘だったのだろう、意識はまだ戻っていない。レイジの居場所もヤツが握っている可能性も十分にある。目覚め次第、取り調べを行うつもりだ。


「ジンさん、俺の責任問題をマスターに進言するなら勝手にしてください。それで俺がどうなろうと構いません。ただ、この件だけはちゃんとケリをつけますから。進退ならその後に決めます」

「…………」


 無言で去っていくジン。何か言いたげなメディエラも、黙ってその後を追っていった。


「カイさん、いいんですか……?」


 ドアが閉まりきり、心配そうにアイサが声をかける。大きく深呼吸したカイは振り返り、三人を見渡しながらゆっくり頷いた。


「すまんな、おかげで目が覚めた」

「おーおー。あーんな啖呵を切っちまって、いいのかよ?」


 にやにやと嬉しそうなキョウヤ。盾突いたことなど些末なことだといわんばかりに、カイは肩をすくめて小さく口角を上げた。


「知るか。俺は俺で好きなようにさせてもらう」


 そして、表情を引き締めて部下にこう通達する。


「俺たちも行くぞ。相手が民間人だからとくれぐれも油断するなよ」


 カイはE.A.Wを発動。それに合わせて三人も己の武器を手にする。


「各員、全力で事に当たれ。そして、同時進行でレイジの捜索も行う。絶対に見つけ出せ。大事な仲間、だからな」


 その言葉を受けた全員が、笑みを浮かべながら力強く頷く。

 パトカーが次々と精保の駐車区画から飛び出していき、それぞれの目的地へと散っていった。



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