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『伊邪那美の継承者』が起こした反乱。それは、確実に人々に恐怖を植え付けた。といっても彼らの標的が今度は自分に及ぶのでは、といった単純な話だけではない。事は正規、そしてストレイエレメンタラー、この棲み分け全般を意味する。
『伊邪那美の継承者』が、ストレイのみで構成されているのは既に誰もが知っている。対立構造にすることで、両者間の不安を煽るのだ。故に、正規は例え今までストレイと良好な関係性を築いていたとしても、“もしや”という疑念を持つ。一方ストレイも、根付いていた従属心に“このままでいいのか?”と疑いが生まれる。
そう、猜疑心。
それだけで、構築されていた信頼は簡単に壊れる。今まで何てことはない考え方や価値観の違い。それが、強制的に狭められたせいで、途端に攻撃性へと変貌してしまう。大きな諍いへと、容易に発展してしまうのである。
世界の歯車は軋みを上げ始めた。重要な歯車ほど、一度壊れればすべてが機能しなくなる。この時点ではまだ、その予兆でしかなかった。きっかけは『伊邪那美の継承者』だ。それさえなくなれば、自然に収束すると安易に考える者もいたかもしれない。
しかし。その損傷度をさらに高めるように、加速させるように、常識を破壊する出来事が起きる。
通称、見捨てられた楽園と呼ばれるスラム地区。行き場を失くした精霊使いたちが寄り添い、独自に造り上げた集合地獄。普段はそこに暮らし、外界とは完全に途絶しているはずの彼等には倫理というものは存在しない。放置区画となっているために、治安は劣悪。犯罪は日常茶飯事。一秒単位で横行する、そこに住まう人々の欲望のはけ口だった。
ただし、それは彼等の支配欲というよりも、縋りついた環境下においていつ住処を奪われるのだろうか――という強迫観念の方が大きいのかもしれない。
それが、『伊邪那美の継承者』の登場によって希望を与えてしまったのである。彼らは追随するように己の守り抜いた住処から飛び出し、外界へ足を踏み入れてしまった。
大挙として。
そう。それこそ、黄泉の国で約束を破った伊邪那岐命に、伊邪那美命が大量の悪魔を放ったように――。
境界線を越えた彼等に、躊躇の二文字はなかった。
街行く通りがかりの人々に向けて精霊を放つ。そこに含まれるのは殺傷性のみ。殴り、蹴り、刺す。突然の襲撃に、人々は成す術はなく呆気なく死を迎える。
一般人には、正規かストレイかなどは一見して判別する方法はない。かろうじて見分けがつくのは、身なり程度。しかし、そんなことは普段アングラに身を置いている彼等にはどうでもよかった。自分より裕福でありそうなら、十分殺害する動機に足りえるのだ。
『伊邪那美の継承者』との違いは、明確な目的がないこと。長きに渡る鬱々とした感情から解放されたことへの、殺戮衝動のみ。
彼等はそれに従い、あらゆる場所へと散り始めた。個人的な復讐を果たすために。もしくは、金品目当てに。あるいは、単純な快楽を満たすために。学校、高級住宅地、病院、銀行……。幼い子供だろうが、老人だろうが、精霊という凶刃を振るう。
暴虐の限りを尽くす。
もう、止まらなかった。
そうした情報をどこで仕入れたのか、アングラの住人は続けとばかりに絶対的なラインを踏み越える。数十人程度だったであろう、最初の侵攻から五十、百、数百――と、爆発的に数を伸ばす。
時間が経てば経つほど、被害は甚大になってゆく。
もはや安全圏など、どこにもない。
東京全土が混乱に陥る。
十数名で起こした『伊邪那美の継承者』の反乱など、些細な序章でしかない。比較にならない、未曾有の災禍がこの日から始まった――。




