10
途中合流したカイとキョウヤ。
二人は、スラム街を人気を避けるようにして通報のあったオフィスビルに向かう。
ここは精霊社会の暗部。犯罪者予備軍の巣窟だ。あまり目立つ行動はできない。
『伊邪那美の継承者』が隠れ蓑としても利用しているのも、またこの場所。どこにそのメンバーがいるかも分からない。だから慎重に、かつ迅速に建物の影から影への移動を繰り返す。
「……どう思う?」
日陰とはいえ、まだ陽は高い。にも拘わらず、粘っこい空気が肌にまとわりつく。そして、いるはずもないのに常に感じる無数の視線。一時間いただけで、常人であれば気が狂うだろう。この区画独特の闇の気に当てられながらも、平然としたキョウヤが声を潜め、カイに問う。
「……この通報が奴らの罠、ということか?」
建物の角から人通りを窺いながら、カイが少し考えた後に答える。
通報者は匿名。内容も「ビルの一室で誰かが暴れている」といった判然としないもの。勿論、これがインジェクターを誘うための偽の通報ではなく、別件の単なるいざこざであることも否定できない。どのみち無視などあり得ない。
「下っ端が姿をくらました直後でこれだろ? 今、俺たちが別行動してるのも奴らの狙いだとすりゃ……」
「個別に叩く――か。精保を潰すのも伊邪那美の目的なら妥当な作戦だが」
カイがキョウヤの言葉を引き継ぎ、軽く嘆く。
「見事に振り回されているな」
「気疲れしてる場合でもねぇぞ。今頃、別働隊が動いてるかもしれねぇ」
「分かってる。だが……」
そうするしかない。例え、これが向こうの計算だとして、しかもこれから向かう場所が主目的とは別だったとしても火消しは徹底にやらなければ。
戦力を割くしかないのだ。全員で行動していたら対処に遅れていまう。
心の中で幾つもの言い訳が浮かび、それを全部飲み込む。
「けど意外だったぜ」
「……ん? 何がだ?」
鼻腔を刺激する匂い。振り向けば、キョウヤが煙草に火を点けていた。煙を一旦吐き出し、咥えながら目を細める。
「過保護なお前さんが、レイジに単独捜査を許すなんてな」
「……それは……」
痛いところを突かれて、カイはこめかみを押さえた。
「…………」
「ま、話を聞かなくても、ある程度は見えるけどな。どうせ志願してきたんだろ? アイツ普段大人しいくせに、時として頑固だからな」
「……止めたんだがな」
ズバリである。嘆息しながら、カイは弱々しく言った。
「レイジの真剣な眼差しに負けた」
「分かる分かる。あんな澄んだ目でお願いされたら、アイサちゃんやユリカちゃんだって、きっと断れなかっただろうぜ」
キョウヤが喉を鳴らして笑う。
「一応釘は刺しておいたが……」
「どうだかなー。無茶するからな、アイツ。従順なフリして中身は獰猛だし」
カイは天を仰ぐ。
困ったことに、織笠零治はそういう人間なのだ。
度重なる困難を乗り越えたことによる後天的な影響なのか、それとも特異体質が故の本人すら自覚し得ない隠れた本性なのか……。
「だが、インジェクターという特殊な立場には必要な資質だろう」
「……だな」
言葉と共にキョウヤは煙草を地面に落とし、靴底でもみ消す。
「なら、俺たちも行くとしますか。先輩としてやるべきことはきっちりやろうぜ」
「……ふん」
二人は移動を再開。この区域は他と違い、無作為に建てられた建築物が多く、道幅もあまり広くない。ここの住人でも、一度道を間違えたら最後、簡単には住処には戻れない。まるで迷路のような構造なのだ。しかも、そうなればテリトリー意識の強い厄介な輩に捕まってしまう。
カイはあらかじめルート検索しておいた携帯端末を見ながら、最短距離で目的地を目指す。
無駄のない経路で進み、五分足らずでオフィスビルへと辿り着いた。
何の変哲もない四階建ての小さなビル。元々は精霊使い専門の人材派遣業を営んでいたと、データには残っている。
現場は二階のオフィス。外側から様子を見る限り、静かなものだ。野次馬もいないし、騒ぎは収まっているのか。
それとも――やはり罠とみるべきなのか。
「行くぞ」
意を決して踏み込む。階段を上がり、簡素なドアの前で一旦立ち止まる。アイコンタクト――突撃。
「精霊保全局だ! 大人しく――」
銃を構えたカイは、最後まで警告を言うことはできなかった。
眼前に広がるその光景に、思わず絶句するしかなかったのだ。
「な……んだ、こりゃ……」
インビジブルを解除したキョウヤも、喘ぐように言葉を紡ぐ。
呆然と立ちすくむ二人。
正方形の空間に蔓延る異常。
床を埋め尽くすほどのおびただしい赤黒い液体。一目で、それは血だと理解する。そして、その血の海に浸かる何人もの人間。死体から発生する特有の臭気は遅れてやって来た。
そう、生存反応を持つ者は誰一人いない。全部死体だ。
死体なんて見慣れている。だとしても、これほどのものだと歩を進めるにも躊躇してしまう。
「何があったんだよ、ここで……」
混乱しながらも、重い足取りでキョウヤは死体に近寄っていく。眩暈を覚えながらカイも別の死体を調べてみる。
「こいつら……」
「ああ。伊邪那美の継承者のメンバーだな」
血まみれになって分かりにくいが、間違いない。数時間前に戦っていた男たちだ。恐らく他に転がっているのも、『伊邪那美の継承者』の構成員だろう。皆、苦悶の表情を浮かべていた。
続けて、全身を見てみる。
胸を掻きむしった痕跡はあるが、直接死因に繋がるものは残されていない。これだけの血液量だと、刺殺がまず始めに頭に浮かんでしまうが。
「外傷がないなら、薬物か何かか……?」
キョウヤの問いに、カイは黙ってかぶりを振る。そうかもしれない。しかし、吐血だけでこれほどの血だまりを作ることが可能だろうか。
「仲間割れでも起こしたんか?」
その問いにも、カイには答えを出すことは出来なかった。やられている側からすれば、『伊邪那美の継承者』の計画は順調だったように思える。だから理解できない。最初の三件の同時テロ以外のメンバーもいるところから、構成員全員殺したのか。集団自殺の線も頭に浮かんだが、向こうの計画はまだ終わってない。そんな予感は常々ある。
それに。
「ここにいるべきヤツらがいない」
「リーダーとハイトだな。――おい!」
キョウヤの鋭い声が飛ぶ。反射的に顔を上げたカイは、そこでさらなる驚愕に目を剥いた。
室内の壁面。
雲に隠れていた太陽が窓から差し込み、それははっきりと姿を現した。
壁紙などないひび割れたコンクリートには、何かの広告文のような文字が、赤い絵の具で大きく踊っていた。
『D・E・P』『Sacrifice』
そしてその下には、こう書きなぐられていた。
『窯の中には何が入っている?』――と。
「……どういう意味だ?」
首を捻るキョウヤ。
「分からん……が」
訝しげにカイも壁を凝視して、床一面の惨状に目を移す。
「きっとこれを書いたのはこの状況を作り出した人物。それしか考えられない」
「ダイイングメッセージにしちゃ凝ってるしな。なら、何かしらのアピールってわけか」
「他の二つはさっぱりだが、Sacrifice……これは確か生贄という意味だな」
「生贄、それに窯ね。何かの儀式……か。これ、多分コイツ等の血で書いたんだろうぜ」
「…………」
儀式。
まさかこのメッセージを伝えるために、こんな大量殺人を犯したのか。この死体の山が何かしらの暗示だとして、その対象はどこなのか。
(通報は直接精保だった。しかも匿名で。これが幹部クラスの仕業なら、俺たちに向けて?)
くそっ、と吐き捨てて、カイは壁を睨みつける。
『伊邪那美の継承者』の最終的な着地点はどこなのか。世の中をかき乱すだけの快楽主義の集団でないのは分かっている。過去の事件も含めて、まるで自分たちに『答えを探してみろ』とでも言わんばかりに、それはちらほらと残されていた。カードの表面が犯人の動機なら、組織としての主軸が裏面に――というように。
この暗号めいたメッセージにも意味があるのだ。絶対に。
「とりあえず死体を回収してもらおうぜ。解剖すりゃ、死因も特定できる」
「そうだな……」
分析班に連絡し、壁の文字は撮影して保存する。
携帯端末を収めようとしたところで、着信が来た。
『おいっ、今どこにいる!?』
通話口から叫んだのはレアだった。嫌に切迫した声。自然と緊張が走る。
「どうした? 俺たちはまだ現場だが――」
『最悪のニュースだ! レイジがハイトと接触した!』
「!?」
一瞬、思考が停止しかけた。
なんだって?
理解が追い付かず唖然とする。荒い語気でレアが応答を求めているが、耳に入らない。
携帯がするりと手から落ち、それをキョウヤが拾う。
「んだよ、それ! どういうこった!?」
『そんなの知るか! 会話だけが流れてきているから、恐らく密かに端末をオンにしているんだろう』
「もうやり合ってんのか?」
『いや、まだらしい。場所はそこから遠くない、早く行け!』
弾かれるようにカイは駆け出した。窓ガラスを開け放ち、勢いよく宙に飛び出す。
「あっ、おい!」
高速落下しながら、カイはE.A.Wを地面に射出する。焦燥感からか、威力の調整を忘れ、路面を抉り取り、カイもその余波で着地地点から大きく流された。地面を転がりながら素早く立ち上がり、送られてきた座標へ走り出す。
(レイジ……!!)
カイの脳裏に、あのときの決意の顔が浮かぶ。インジェクターとしての覚悟が垣間見えた戦士の表情。それを嬉しく思った。だからこそ許可した。
だが、よりにもよって、どうして。
やはり止めるべきだったのか。
いや。
自分の判断ミスを悔いている場合じゃない。
混乱続く街中を、カイは全速力で駆け抜ける。




