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精保のラボで、レアは顎に手をあてながら、眼前にある多面モニターを睨んでいた。
表示されている映像を繰り返し再生しては思考を巡らす。もう片方の指はしきりに机を叩き、せわしない。
らしくない。平静さを失っている。自分でもそう理解しているが、感情の抑制が上手くいかない。
「……ふぅ」
もう何度ため息を漏らしたことか。
こいつはただの直感だ。記憶を辿った上での憶測でしかない。
だとしても、事実を確認することを本能が恐れている。
それでも、リピートされる音声を耳に入れれば入れるほど、“彼女”なのではないかという疑念が強くなっていく。
今まで幾度となく犯人の特定をしてきた。その作業こそが、レアにとってのカタルシス。探求心の塊である彼女の至福のときだった。
躊躇が、キーボードに向かう手を鈍らせる。
それからどれくらい時間が経ったのか。映像のループは、既に百回は超えている。
机を叩く音が、ピタリと止む。
背筋を伸ばし、もう一度、今度は大きく肺の中の空気を一気に吐き出す。
ようやく決意し、レアがキーボードへと腕を伸ばした――瞬間だった。
「どうよ、何か掴めたか?」
「!?」
背後からの声。思わぬ不意打ちに、振り向くと同時にモニターを思わず消してしまった。
ラボの自動扉の前にいたのはキョウヤだった。少し疲れているのか、首を鳴らしながらレアの所まで近寄ってくる。
「キョ、キョウヤ? 何故ここに……」
心臓が強く鳴っている。見慣れた来客に、激しい動揺を隠せなかった。
「何故って、お前が呼んだんだろうよ」
キョウヤは眉根を寄せた。
「ハイトの件で情報が欲しいんじゃないのか?――ってか、どうした? 様子が変だぞ?」
「あ、ああ。そ、そうだったな」
訝しがるキョウヤから顔を背けるようにモニターに顔を戻し、一呼吸。平静を取り戻す。
キーボードに指を走らせ、画面を切り替える。表示されたのは二人の男。キョウヤ組と交戦した
『伊邪那美の継承者』の構成員だ。そこからさらに別地区にいた五人加わり、合計七人のストレイエレメンタラーが列になって現れる。
「こいつらの身元は割れた。予想通り、ストレイエレメンタラーだ。犯罪歴持ちもいるな」
「というか、ほとんどだな。それだけ攻撃性の高い奴を選んでんだ」
経歴を見てみても、過去に一度捕まっても再犯している者もいる。住所も、誰もがスラム街に身を置き、日々の生活に困窮している。こんな世の中だ。仕事もまともにありつけやしないのだろう。
「しかし、今回の破壊活動は何が目的だ? 狙いが全く読めん」
「無差別テロ……とは断言できねぇんだよな」
キョウヤが頭を掻きながら唸る。
「どうも引っかかるんだよな。デパートはまだしも、図書館を襲撃したのが」
「大勢の人間を殺すことが主目的じゃない、と?」
「それも計画の一つとは思うけどな。カモフラージュってのもあるんじゃねぇかな」
自分は洞察力に優れている。レアにはその自負があるが、逆に直感力はあまり自信がない。その点、キョウヤにはそれがある。猟犬のような鋭さ。種類の違う頭のキレには、敬服するところだ。
「あの図書館に、奴らにとってなにか重要な資料があった?」
そこまでは、といったようにキョウヤは大きく嘆息した。持ち逃げされたのか、あるいは消滅したか。あの場所は文化遺産の宝庫だ。『伊邪那美の継承者』がどんな狙いがあるのか分からない以上、山ほどの財産から一粒の金を探り当てるのは不可能に等しい。
キョウヤが切り替えるように、うつむいた顔を上げる。
「それよりもハイトだ。練馬区のデータは出せるか?」
「ストレイ区画の? 何を探る気だ?」
「あの辺りは、もう何年も使われていない廃ビルとか工場がとにかく多い。通常、電力や水道は通っていないはずだ」
「――そうか。コイツ等のアジトとして使用するなら人気がない場所……」
合点がいったようにレアが呟く。
「特に電気だな。使われていない可能性もあるが、ごく最近――ここ数日の電力消費量を調べてみてくれ」
「プラス、複数のマナが検出されればビンゴだな」
「そーゆーこと」
すぐさまレアは練馬区の電力供給網を表示。区内一帯の電力消費量の数値が出る。廃棄された施設だけに注視してみるが、特に不審な点はない。
続けて時間帯別のマナ分布に切り替えてみると、キョウヤが身を乗り出してある一つの施設を指差す。
「ここ、見てみろ」
そこは何年も前に廃業となった古い工場。数日前に一瞬ではあるが、かなり大きな精霊が発生した痕跡があった。
「陽、それに闇だな。看過できない数字ではあるが、ハイトがいた証拠にはならんぞ」
「でもこれだけの能力者なら、別の誰かの可能性がある。このエリアじゃ、お目にかかれない高出力の精霊使い。例えば――」
「親玉か。ならばここが奴等の拠点か?」
キョウヤは僅かに思案し、軽くかぶりを振る。
「それならインフラの不正使用があるんじゃねぇかな。おそらく、ここは単なる集会場所。今回の騒動の計画を話してたんだと思う」
「本拠地ではない、か」
「だが、あの区画に絞って考えた方がいい。潜伏するなら、あそこ以外ありえねぇ」
「ふふっ、お前の勘は良く当たるからな。どうする? この工場跡に誰か行かせるか?」
「俺が行く。向こうが尻尾を見せない以上、潜入役は目立たない奴がいい。――他に分かったこともないんだろ?」
「ん? あ、ああ……そう、だな」
「……? 何かあるのか?」
歯切れの悪い返事にキョウヤは首を傾げた。
「いや、なにもないさ」
レアはぎこちない笑みを作る。分析班の仕事は結果のみを伝える仕事だ。憶測段階の話を出すべきではない。
そのときだ。
事件発生を告げるアラートが鳴る。映し出された地図上に、現場を示す赤い点が点滅する。
通報者は不明。ちょうど練馬区付近の雑居ビルらしい。
「またか。今度は何だ」
「このタイミングだからな。伊邪那美絡みに違ぇねぇ」
「おい、キョウヤ」
踵を返し、ラボから出ようとしたキョウヤをレアは呼び止めた。
「おん?」
「その……なんだ。気を付けろよ」
レアから心配されるのが余程珍しいのか、キョウヤは目を丸くする。
「レアちゃんから気を遣われるなんて、明日は雪かな。大丈夫だって」
扉が閉まる。
レアはチェアに背中に押し込み、息を吐き出した。
それからレアは立ち上がり、コーヒーを淹れる。黒い液体がマシンから抽出される間、トップで纏めた髪を解き、もう一度硬く縛った。
そしてデスクに戻ると、キョウヤが来る前の画面に戻す。
――そう、あの声と対峙するために。
腹を括り、レアは照合するボタンに手を伸ばす。
カイと別れた織笠とモエナは、消えた男たちの足取りを追い、街中を走り回っていた。
あれ以降、『伊邪那美の継承者』が現れた知らせはない。被害報告がない以上、あちらサイドはある程度の目的は達したと考えるべきなのか。
それにしても、空間転移というのは想像以上に厄介な術なようだ。モエナに言わせれば、一度発生した精霊は、匂いのように術者にまとわりつくらしい。彼女にしか知覚できない微粒子。その残り香がプッツリ消えてしまっては、モエナのマナ感知能力をもってしても相当困難らしい。
「ったく、どこに行ったのよ……」
先程からしかめっ面で、何度も同じ台詞を繰り返している。
「もう近くにはいないのかな?」
「どうかしらね……。時間と共に反応は薄れてしまうから。それに空間転移の影響がゼロなのか、もあるしね」
「というと?」
「空間転移は理論上、解明されていない術式。人体にどれだけの影響が生まれるのか、予測が付かないのよ。おそらく、編み出した本人にさえ分からないと思う」
A地点からB地点への瞬間的な移動。非常に便利ではあるが、それだけに生身では負荷が大きい――とモエナは言いたいのだろう。ハイトという男がどこまでリスクを考慮した上で、実用したのか。
「やっぱり、基礎的な術ほど完璧な安定性を誇るのよ。逆に、難しければ難しいほど、その精度が失われる。キョウヤのインビジブルがいい例ね。普段はあんな男だけど、本当はとてつもなく繊細な性格なのよ。あんな男だけど」
渋い顔でキョウヤを評価するモエナに、苦笑を浮かべる織笠。
「おそらくは、マスターたちが行った時空転移を参考に開発したんだろうけど……。システマティックな部分は非公表なはずだし、それを一人で組んだとしたら、とんでもない天才よね」
「そうだね……」
術式は、感性な部分が特に重要である。それは織笠も身に染みて実感している。特に彼の場合、生来の精霊使いではないために、よりマナを実感するには苦労する。それを高度に会得した上で、科学と融合させるなんて……。織笠には途方もない技術の結晶である。
「アンタも頑張りなさいよ。精霊に意思はないけど、本当に本質を理解している精霊使いは少ないの。ま、少しはマシになってきてると思うけどね」
モエナが織笠を見上げて目を細めた。
おや? と、首を傾げる。これは褒めてくれているのかな?
もうそれなりに一緒にいるが、褒められたことなんて一度もない。というより、織笠だけでなく他人に対しても、モエナの評価は厳しい。
織笠は照れくさくて頬を掻く。
視線を逸らし、意味もなく街中に目を向けた――そのとき。
「……?」
織笠たちから道路を挟んで数キロ先。見覚えのある後ろ姿が目に止まった。
(あれは……、イナンナさん……?)
視界に映ったのは、腰まで届く銀髪をなびかせた、白いスーツ姿の女性。精霊使いの中でも、そんな目立つ容姿をしている知人は一人しかいない。
イナンナ・クルヌギアだ。
「なんでこんなところに……!」
ただでさえこんな状況。
伊邪那美の継承者のメンバーが現れた場所からそんなに距離は離れていないのだ。他に人だって歩いていないし、車だって走っていない。
避難勧告だって出されているのに、なぜ彼女は平然と歩いているのか。
彼女が街角にあるアパレルショップを曲がり、姿が消えていくのを見て、思わず駆けだす。
「え!? ちょっとアンタ、どこ行くのよ!!」
突如車道に飛び出す織笠に、モエナが叫ぶ。訳が分からないモエナも彼を追い、付いて行く。
織笠は彼女のいた曲がり角に着いたところで、足を止めた。
「いない……」
息を切らせながら、織笠は呟く。
見失った。さっきまでいた場所からここまでで、たかだか十秒程度しかかかっていない。なのに、どこを探しても見当たらない。
「ったく、なんなのよ。どうしたってのよ……」
「いや……」
閑散としている街中。見通しはいい。遠くに目を凝らせば、人影なんてすぐに見つかるはずなのに。
「一体どこに……」
呆然としながらも、織笠は彼女を探し歩く。
放ってはおけない。彼女と会ったのは数度。いわば、ただの顔見知りだ。なのに、なぜか気にかかる。
モエナが傍で理由を尋ねてくるが、織笠の耳には入ってこない。それだけリーシャに対して気を揉んでいた。
――そこに。
「おや」
不意に。
背後から声がした。
織笠は足を止め、ゆっくり振り返る。
そこにいたのは、茶褐色のスーツを着た壮年の男。線が細く、頬もこけている。くたびれたサラリーマンに見えるのだが、しかし丸眼鏡の奥の狐のように細い眼には、剣呑さが滲み出ていた。
「これはこれは。天下のインジェクター様がご苦労様です。……織笠零治さんですよね?」
気さくな調子で男に名前を言い当てられた瞬間、織笠の警戒度は一気に跳ね上がった。
インジェクターとして公表されていない自分の存在を、この男は知っている。
「そんなに切羽詰まって、何かお探しですか? ああ、そうか。この近辺で起きた襲撃犯でも追っているのですねー」
「……あなたは……?」
心臓が強く脈打ち、脂汗が流れる。
「……レイジ」
「……分かってる」
傍らのモエナも、他人に声を聞かれるのもお構い無しに声をかける。
E.A.Wの発動に備え、精神を集中。両手の指先に、マナを注ぎ込む。
これが無関係の人間ならば、武器を取るわけにはいかない。そんなはずはないと、本能が否定しているのだが。
男は浮かべた笑みをさらに深くすると、慇懃にお辞儀をしながら自らの名を口にした。
「私はハイト。ハイト・オーベルグと申します。貴方方の敵、『伊邪那美の継承者』にて参謀を務めております」
……やはり。
織笠は、即座に純白の剣と漆黒の剣を顕現。臨戦態勢に入る。
「こんなところで貴方に会えるなんて、光栄の至り。本来は言葉を交わすことも許されないのでしょうが、まぁ仕方ありませんよね」
肩をすくめるハイト。
「じゃあ、我等が神の願いに応えるため、少しお付き合い頂きましょうか――奇跡の存在さん?」




