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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第五章 反逆への誘い
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 精保のラボで、レアは顎に手をあてながら、眼前にある多面モニターを睨んでいた。

 表示されている映像を繰り返し再生しては思考を巡らす。もう片方の指はしきりに机を叩き、せわしない。

 らしくない。平静さを失っている。自分でもそう理解しているが、感情の抑制が上手くいかない。


「……ふぅ」


 もう何度ため息を漏らしたことか。

 こいつはただの直感だ。記憶を辿った上での憶測でしかない。

 だとしても、事実を確認することを本能が恐れている。

 それでも、リピートされる音声を耳に入れれば入れるほど、“彼女”なのではないかという疑念が強くなっていく。

 今まで幾度となく犯人の特定をしてきた。その作業こそが、レアにとってのカタルシス。探求心の塊である彼女の至福のときだった。

 躊躇が、キーボードに向かう手を鈍らせる。

 それからどれくらい時間が経ったのか。映像のループは、既に百回は超えている。

 机を叩く音が、ピタリと止む。

 背筋を伸ばし、もう一度、今度は大きく肺の中の空気を一気に吐き出す。

 ようやく決意し、レアがキーボードへと腕を伸ばした――瞬間だった。


「どうよ、何か掴めたか?」

「!?」


 背後からの声。思わぬ不意打ちに、振り向くと同時にモニターを思わず消してしまった。

 ラボの自動扉の前にいたのはキョウヤだった。少し疲れているのか、首を鳴らしながらレアの所まで近寄ってくる。


「キョ、キョウヤ? 何故ここに……」


 心臓が強く鳴っている。見慣れた来客に、激しい動揺を隠せなかった。


「何故って、お前が呼んだんだろうよ」


 キョウヤは眉根を寄せた。


「ハイトの件で情報が欲しいんじゃないのか?――ってか、どうした? 様子が変だぞ?」

「あ、ああ。そ、そうだったな」


 訝しがるキョウヤから顔を背けるようにモニターに顔を戻し、一呼吸。平静を取り戻す。

 キーボードに指を走らせ、画面を切り替える。表示されたのは二人の男。キョウヤ組と交戦した

『伊邪那美の継承者』の構成員だ。そこからさらに別地区にいた五人加わり、合計七人のストレイエレメンタラーが列になって現れる。


「こいつらの身元は割れた。予想通り、ストレイエレメンタラーだ。犯罪歴持ちもいるな」

「というか、ほとんどだな。それだけ攻撃性の高い奴を選んでんだ」


 経歴を見てみても、過去に一度捕まっても再犯している者もいる。住所も、誰もがスラム街に身を置き、日々の生活に困窮している。こんな世の中だ。仕事もまともにありつけやしないのだろう。


「しかし、今回の破壊活動は何が目的だ? 狙いが全く読めん」

「無差別テロ……とは断言できねぇんだよな」


 キョウヤが頭を掻きながら唸る。


「どうも引っかかるんだよな。デパートはまだしも、図書館を襲撃したのが」

「大勢の人間を殺すことが主目的じゃない、と?」

「それも計画の一つとは思うけどな。カモフラージュってのもあるんじゃねぇかな」


 自分は洞察力に優れている。レアにはその自負があるが、逆に直感力はあまり自信がない。その点、キョウヤにはそれがある。猟犬のような鋭さ。種類の違う頭のキレには、敬服するところだ。


「あの図書館に、奴らにとってなにか重要な資料があった?」


 そこまでは、といったようにキョウヤは大きく嘆息した。持ち逃げされたのか、あるいは消滅したか。あの場所は文化遺産の宝庫だ。『伊邪那美の継承者』がどんな狙いがあるのか分からない以上、山ほどの財産から一粒の金を探り当てるのは不可能に等しい。

 キョウヤが切り替えるように、うつむいた顔を上げる。


「それよりもハイトだ。練馬区のデータは出せるか?」

「ストレイ区画の? 何を探る気だ?」

「あの辺りは、もう何年も使われていない廃ビルとか工場がとにかく多い。通常、電力や水道は通っていないはずだ」

「――そうか。コイツ等のアジトとして使用するなら人気がない場所……」


 合点がいったようにレアが呟く。


「特に電気だな。使われていない可能性もあるが、ごく最近――ここ数日の電力消費量を調べてみてくれ」

「プラス、複数のマナが検出されればビンゴだな」

「そーゆーこと」


 すぐさまレアは練馬区の電力供給網を表示。区内一帯の電力消費量の数値が出る。廃棄された施設だけに注視してみるが、特に不審な点はない。

 続けて時間帯別のマナ分布に切り替えてみると、キョウヤが身を乗り出してある一つの施設を指差す。


「ここ、見てみろ」


 そこは何年も前に廃業となった古い工場。数日前に一瞬ではあるが、かなり大きな精霊が発生した痕跡があった。


「陽、それに闇だな。看過できない数字ではあるが、ハイトがいた証拠にはならんぞ」

「でもこれだけの能力者なら、別の誰かの可能性がある。このエリアじゃ、お目にかかれない高出力の精霊使い。例えば――」

「親玉か。ならばここが奴等の拠点か?」


 キョウヤは僅かに思案し、軽くかぶりを振る。


「それならインフラの不正使用があるんじゃねぇかな。おそらく、ここは単なる集会場所。今回の騒動の計画を話してたんだと思う」

「本拠地ではない、か」

「だが、あの区画に絞って考えた方がいい。潜伏するなら、あそこ以外ありえねぇ」

「ふふっ、お前の勘は良く当たるからな。どうする? この工場跡に誰か行かせるか?」

「俺が行く。向こうが尻尾を見せない以上、潜入役は目立たない奴がいい。――他に分かったこともないんだろ?」

「ん? あ、ああ……そう、だな」

「……? 何かあるのか?」


 歯切れの悪い返事にキョウヤは首を傾げた。


「いや、なにもないさ」


 レアはぎこちない笑みを作る。分析班の仕事は結果のみを伝える仕事だ。憶測段階の話を出すべきではない。

 そのときだ。

 事件発生を告げるアラートが鳴る。映し出された地図上に、現場を示す赤い点が点滅する。

 通報者は不明。ちょうど練馬区付近の雑居ビルらしい。


「またか。今度は何だ」

「このタイミングだからな。伊邪那美絡みに違ぇねぇ」

「おい、キョウヤ」


 踵を返し、ラボから出ようとしたキョウヤをレアは呼び止めた。


「おん?」

「その……なんだ。気を付けろよ」


 レアから心配されるのが余程珍しいのか、キョウヤは目を丸くする。


「レアちゃんから気を遣われるなんて、明日は雪かな。大丈夫だって」


 扉が閉まる。

 レアはチェアに背中に押し込み、息を吐き出した。

 それからレアは立ち上がり、コーヒーを淹れる。黒い液体がマシンから抽出される間、トップで纏めた髪を解き、もう一度硬く縛った。

 そしてデスクに戻ると、キョウヤが来る前の画面に戻す。


 ――そう、あの声と対峙するために。


 腹を括り、レアは照合するボタンに手を伸ばす。






 カイと別れた織笠とモエナは、消えた男たちの足取りを追い、街中を走り回っていた。

 あれ以降、『伊邪那美の継承者』が現れた知らせはない。被害報告がない以上、あちらサイドはある程度の目的は達したと考えるべきなのか。

 それにしても、空間転移というのは想像以上に厄介な術なようだ。モエナに言わせれば、一度発生した精霊は、匂いのように術者にまとわりつくらしい。彼女にしか知覚できない微粒子。その残り香がプッツリ消えてしまっては、モエナのマナ感知能力をもってしても相当困難らしい。


「ったく、どこに行ったのよ……」


 先程からしかめっ面で、何度も同じ台詞を繰り返している。


「もう近くにはいないのかな?」

「どうかしらね……。時間と共に反応は薄れてしまうから。それに空間転移の影響がゼロなのか、もあるしね」

「というと?」

「空間転移は理論上、解明されていない術式。人体にどれだけの影響が生まれるのか、予測が付かないのよ。おそらく、編み出した本人にさえ分からないと思う」


 A地点からB地点への瞬間的な移動。非常に便利ではあるが、それだけに生身では負荷が大きい――とモエナは言いたいのだろう。ハイトという男がどこまでリスクを考慮した上で、実用したのか。


「やっぱり、基礎的な術ほど完璧な安定性を誇るのよ。逆に、難しければ難しいほど、その精度が失われる。キョウヤのインビジブルがいい例ね。普段はあんな男だけど、本当はとてつもなく繊細な性格なのよ。あんな男だけど」


 渋い顔でキョウヤを評価するモエナに、苦笑を浮かべる織笠。


「おそらくは、マスターたちが行った時空転移を参考に開発したんだろうけど……。システマティックな部分は非公表なはずだし、それを一人で組んだとしたら、とんでもない天才よね」

「そうだね……」


 術式は、感性な部分が特に重要である。それは織笠も身に染みて実感している。特に彼の場合、生来の精霊使いではないために、よりマナを実感するには苦労する。それを高度に会得した上で、科学と融合させるなんて……。織笠には途方もない技術の結晶である。


「アンタも頑張りなさいよ。精霊に意思はないけど、本当に本質を理解している精霊使いは少ないの。ま、少しはマシになってきてると思うけどね」


 モエナが織笠を見上げて目を細めた。

 おや? と、首を傾げる。これは褒めてくれているのかな?

 もうそれなりに一緒にいるが、褒められたことなんて一度もない。というより、織笠だけでなく他人に対しても、モエナの評価は厳しい。

 織笠は照れくさくて頬を掻く。

 視線を逸らし、意味もなく街中に目を向けた――そのとき。


「……?」


 織笠たちから道路を挟んで数キロ先。見覚えのある後ろ姿が目に止まった。


(あれは……、イナンナさん……?)


 視界に映ったのは、腰まで届く銀髪をなびかせた、白いスーツ姿の女性。精霊使いの中でも、そんな目立つ容姿をしている知人は一人しかいない。

 イナンナ・クルヌギアだ。


「なんでこんなところに……!」


 ただでさえこんな状況。

 伊邪那美の継承者のメンバーが現れた場所からそんなに距離は離れていないのだ。他に人だって歩いていないし、車だって走っていない。

 避難勧告だって出されているのに、なぜ彼女は平然と歩いているのか。

 彼女が街角にあるアパレルショップを曲がり、姿が消えていくのを見て、思わず駆けだす。


「え!? ちょっとアンタ、どこ行くのよ!!」


 突如車道に飛び出す織笠に、モエナが叫ぶ。訳が分からないモエナも彼を追い、付いて行く。

 織笠は彼女のいた曲がり角に着いたところで、足を止めた。


「いない……」


 息を切らせながら、織笠は呟く。

 見失った。さっきまでいた場所からここまでで、たかだか十秒程度しかかかっていない。なのに、どこを探しても見当たらない。


「ったく、なんなのよ。どうしたってのよ……」

「いや……」


 閑散としている街中。見通しはいい。遠くに目を凝らせば、人影なんてすぐに見つかるはずなのに。


「一体どこに……」


 呆然としながらも、織笠は彼女を探し歩く。

 放ってはおけない。彼女と会ったのは数度。いわば、ただの顔見知りだ。なのに、なぜか気にかかる。

 モエナが傍で理由を尋ねてくるが、織笠の耳には入ってこない。それだけリーシャに対して気を揉んでいた。

 ――そこに。


「おや」


 不意に。

 背後から声がした。

 織笠は足を止め、ゆっくり振り返る。

 そこにいたのは、茶褐色のスーツを着た壮年の男。線が細く、頬もこけている。くたびれたサラリーマンに見えるのだが、しかし丸眼鏡の奥の狐のように細い眼には、剣呑さが滲み出ていた。


「これはこれは。天下のインジェクター様がご苦労様です。……織笠零治さんですよね?」


 気さくな調子で男に名前を言い当てられた瞬間、織笠の警戒度は一気に跳ね上がった。

 インジェクターとして公表されていない自分の存在を、この男は知っている。


「そんなに切羽詰まって、何かお探しですか? ああ、そうか。この近辺で起きた襲撃犯でも追っているのですねー」

「……あなたは……?」


 心臓が強く脈打ち、脂汗が流れる。


「……レイジ」

「……分かってる」


 傍らのモエナも、他人に声を聞かれるのもお構い無しに声をかける。

 E.A.Wの発動に備え、精神を集中。両手の指先に、マナを注ぎ込む。

 これが無関係の人間ならば、武器を取るわけにはいかない。そんなはずはないと、本能が否定しているのだが。

 男は浮かべた笑みをさらに深くすると、慇懃にお辞儀をしながら自らの名を口にした。


「私はハイト。ハイト・オーベルグと申します。貴方方の敵、『伊邪那美の継承者』にて参謀を務めております」


 ……やはり。

 織笠は、即座に純白の剣と漆黒の剣を顕現。臨戦態勢に入る。


「こんなところで貴方に会えるなんて、光栄の至り。本来は言葉を交わすことも許されないのでしょうが、まぁ仕方ありませんよね」


 肩をすくめるハイト。


「じゃあ、我等が神の願いに応えるため、少しお付き合い頂きましょうか――奇跡の存在さん?」





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