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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第五章 反逆への誘い
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『……申し訳ありません。取り逃がしました』


 ユリカの沈んだ声が、デバイスに表示された画面越しに届く。

 織笠とカイは同時に肩を落とした。

 突如、行方をくらました『伊邪那美の継承者』の構成員の捜索を小一時間程行ったが、やはり徒労に終わった。

 生体反応が消滅しているのでは、足取りを追うもくそもない。そこで一時中断し、試しにユリカに連絡を取ってみれば、こちらも同様の事態に遭遇したのだという。


『こちらの人数は三人。実力はどれも並程度で、連携もおざなり。正直、対処は容易でした。しかし……、二人を無力化したところで、残りの一人が逃走を図りました』

「じゃあ、二人は拘束したんですか?」


 織笠がくいつく。淡い期待だったが、短い沈黙の末にもろくも崩れ去った。


『……いえ。結果、全員逃亡致しました。……まさに消えるようにして』

「……何が起きたか、お前には理解出来たか?」

『と、仰いますと……。まさかそちらも?』

「ああ。きっとお前と同じような現象に当たったと思う。マナすら残さず、完璧に消え去りやがった」

『……そう、ですか……』


 再び、ユリカは黙り込む。

 こちらは構成員がどのような手段で逃走したのか、直に目にしていない。ユリカが目撃したのであれば、検討が付くかもしれない。

 やがて、記憶を手繰り寄せるようにして彼女は語り出した。


『……少し曖昧になりますが、私にはその一人が何かを取り出したように見えました。小さく、片手に収まる物体です。その直後でした。光に包まれて全員消えてしまったのです』

「何かって……、何を?」

『分かりません……。一種の装置だと思いますが……』


 織笠は首を捻る。ただ、恐らく自分たちもその正体不明の道具を使われた可能性が高い。ならば、逃亡の直前に吹いたあの突風は目くらましか。

 カイはデバイスを起動したまま、違う人物に呼びかける。


「――レア、聞いていたな?」

『ああ』


 カイは、あらかじめ精保と回線を繋ぎながらユリカとやり取りを行っていた。不測の事態だ。分析の専門家を交えれば、糸口が見えるかもしれない。


「ユリカの言っていた、その装置。お前には見当が付くか?」

『あのな、幾ら天才の私でもたったそれだけの情報で分かるわけないだろうが。下らん質問をするな』


 不満を露わに、レアは言った。


『戦闘の解析結果は逐一こちらに送られてくるが、やはり感想は同じだよ。反応の消滅は死亡か離脱。しかし、それでも残滓は搾り取れる。見当は皆無、だよ』

「……そうか……」


 ため息をつきながら、眉間を強く揉むカイ。


『ですが、戦闘の痕跡から犯人の居場所を割り出せるのでは?』

『普段ならそれも出来るんだがな。現状、これだけ街が破壊されてしまっては正確なデータが取れん。もしかしたら、向こうさんはそれも織り込み済みなのかもな』

「そんな……」

『ただ、新たな被害報告は受けていない。軒並みレッドゾーンだった数値も徐々に落ち着いてきている。そこは安心していい。やるだけやって、雲隠れの真っ最中なんだろうさ』


 それでも安堵は許されない。

 織笠は唇を強く噛む。

 全く以て歯痒い。分からないことだらけだ。『伊邪那美の継承者』の目的は本当に殺戮と破壊、それのみなのか。主犯格は、極めて知能が高いテロリスト。裏にはきっと何かある――そう思わずにはいられない。

 ……この逃亡劇にしても。


『しかし……人体が突然消えるか』

「まるでワープですね……」


 レアの呟きに、織笠は空を軽く睨む。


「馬鹿馬鹿しい。そんな非現実的な――」

『いや、存外、レイジの憶測はいいとこ突いてるかもしんねぇぜ』


 通信に割り込んで、また別の声が流れてきた。


「キョウヤさん?」

『すまん、遅くなっちまった』

「……どういう意味だ? お前、何か知っているのか」


 含みを持たせた言い方に、カイが訝しむ。


『その前に、レアちゃん。“ハイト・オーベルグ”で検索をかけてくれないか?』

『構わんが……、精霊使いのなのか?』

「あぁ、風の精霊使いだ。男、年齢は俺よりも少し上だろうな」

「おい、キョウヤ、一体……」

『まあ黙っててくれ』


 ふむ、と唸りながらレアはキョウヤの指示に従う。

 レアがデータベースにアクセスしている間、織笠たちも釈然としないながらも、静かに待つことにする。

 数分後。


『……おい、ヒットしないぞ。本当にそれで名前は合っているのか?』

『ん……。そっか……。成程な……』

「おい。一人だけで納得しないで、どういうことか説明しろ」


 カイが焦れて、やや語気強めに問う。


『ハイト・オーベルグ。こいつは風の精霊使いの間じゃ、ある意味有名人だった』

『……と、言いますと?』


 ユリカが訊く。


『変人って意味さ。能力的に優れていたわけじゃない。奴はどっちかってーと研究者肌つーのかな。とにかく、精霊の概念そのものに注力していた。そりゃもう、徹底的に』

『ほう、それはまるで我々のようだな』

『今思えば、変態度合いはレアちゃんといい勝負かもな。そこは置いといて、奴は向こうの世界にいたときから自身の研究に没頭していた。本来の使命もおざなりに、だ。精霊の深淵を覗く――そんな途方もない作業に心血を注いでいたんだ。そして、ある一つのテーマを実現させるために、実験を繰り返した。それが――』


 緊張感を高めるために、キョウヤは敢えて間を置いた。織笠の唾を飲み込む音が、静かな街に大きく響く。


『テレポート……、つまり空間転移だ』

「な……ッ!?」


 カイやユリカが言葉を失う。「ほう」と、興味深げなレア。反応が様々な中、織笠はキョトンと首を傾げる。


「テレポートって……テレポートですか?」


 まぬけな質問をする織笠の足元で、モエナは呆れながらうなだれた。ただ、次には黄金の瞳を(すが)めて吐き捨てる。


「また面倒なものに目を付けたわね、ソイツ……」

『空間転移ってのは、時間操作のように禁忌とまではされてないが、おおよそ実現不可能とされてきた秘術でな。誰もが無理だと愚かだと、ハイトを揶揄した。しかし、奴はそんな周囲の雑音など意に介さず、ひたすら術式の開発に時間を費やした。結果としては、まぁ完成しなかったんだが』


「だろうな」とレアが小さく漏らす。

 もしも成功したとしたら、風の歴史を大きく変えるほどの大事件だ。そのハイトという人物が何のためにそんな研究したのかまでは分からない、とキョウヤは言う。マスターになるためか、それとも己の純粋な興味のためか。いずれにせよ、完成してしまったら碌なことにならないだろう。


「しかし……なら……。いや、まさか……」

『そこに、だ。思いがけない転機が、俺たちに訪れた』


 こちらの世界への転移。頓挫していた実験に光が射したのである。


『奴にとって科学の力は、さぞ魅力的だったろうよ。精霊と科学の融合。絶対に相容れない二つを先駆けて組み合わせ、独自に開発したんだろうよ。空間転移を成功させるガジェットを』

『それが……あの装置だと……?』


 ユリカが声を震わせる。常に冷静な彼女の動揺で、ようやく織笠も事の大きさを実感する。


『あぁ。俺もその装置を使う瞬間を見た。間違いねぇ、ありゃテレポートだ』


 断言するキョウヤ。それでも半信半疑に、カイは訊ねる。


「ちょっと待て。本当にそのハイトという男はこっちに来ているのか? 精保のデータには登録されていないんだぞ」

『俺と奴は同時期にこちらに来ている。転移のときに俺はアイツの姿を見た』

「だが、見間違いだということも……」

『いや』


 キョウヤが答える前に、レアが口を挟む。


『宗島有栖の事件、覚えているな? 彼女もデータを消されていた。それだけ科学に精通しているのなら、そいつがハッキングして自分もついでに消しておいたんじゃないか?』

『さっすがレアちゃん。俺もそう睨んでいた。奴は腐っても天才だ。精霊を操るよりも、そっち方面に強かったというとこだろ』

「そんな……」


 ハッカーの存在。それこそが『伊邪那美の継承者』関連の事件で、捜査の大きな障害になっていたものだ。宗島有栖の件では、彼女自身だけでなく犯行を収めた監視カメラの映像も改竄されていた。

 それだけじゃない。思い返せば、メディカルセンターのときも実行犯にドラッグの情報を流した者は判明していない。

 推測の域は出ないが、都合よく繋ぎ合わせればこんなにもハマるパズルはない。調査する価値は十分にある。


「なら、どうやって探す? 登録上、存在しない精霊使いを」

『問題ない。宗島有栖も、精保以外には残されていた。となると、ハイトという男は敢えて精保だけに狙いを絞ったんだと、私は考える。ハッカーとしての実力を試すためにな。その勇猛さは称えたいね』


 実に愉快そうに、精保の科学者は言った。


『潜っているなら、同じように点と点を辿るだけだ。任せとけ。……後は、そうだな。一応の保険として、キョウヤ。お前だけ一度こっちに戻ってこい』

『ん? ああ、分かった』

「なら、俺たちは捜索に戻るぞ。レア」

『了解した。所在が不明といっても、全部が消えたわけじゃない。前に送ってもらったマナの残滓を分析して身元を特定してやろう。上手くいけば、一網打尽できる』

「頼んだぞ」


 通信終了。携帯端末をしまうカイに、織笠は言った。


「捜索範囲を拡げるんですよね?」

「ああ。骨の折れる作業だが、レアの解析が終わるまで俺たちは足で稼ぐしかない」

「なら、手分けしましょう。その方が効率がいい」


 想定外な提案に、カイは少々面食らう。


「確かにそうだが……大丈夫か?」


 現場経験の乏しい織笠に、単独捜査は危険すぎる。戦闘ともなれば尚の事、実力も未熟な彼では最悪“死”すら有り得る。班長としては、到底許可することは出来ない――が、そんな悠長な状況でもない。戦力を分散して、少しでも奴等の尻尾は掴みたいのが本音なのだが……。

 そんなカイの判断の迷いを打ち消すかのように、織笠は強く頷く。


「はい。決して無茶はしませんから」


 織笠という青年は、こうして時折、こちらが驚くような態度を示す。

 確固たる決意というのだろうか。他者には曲げられない意志の強さがある。

 二面性――まるで人格が二つあるような……。いや、これも彼の置かれた環境がそうさせるのか……。


「心配なのは分かります。でもモエナだって付いていますし、何かあればすぐ連絡しますから」

「…………」

「いいんじゃない? コイツの意思を尊重してやれば」

「モエナまで……」

「いつまでも見習いってわけにもいかないでしょ。要は、条件を設定してやればいいだけの話よ。行うのは捜索のみ。“戦闘は避ける”ことってね」


 頭を掻くカイ。しばらく逡巡した後、硬い口調で告げた。


「分かった、それでいこう。だからレイジ。くれぐれも命令は守れ。自分の命を最優先に考えろ」

「――はいッ」


 力強く頷き、織笠はモエナと共に走り去って行く。

 まだまだ頼りないその背中に、カイは一抹な不安を抱かずにはいられなかった。

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