18
夜の街に、ようやく静寂が戻った。
戦いの余波なのか元からかは定かではないが、電球が剥き出しになった街灯だけが、電流の弾ける音をあちこちで奏でていた。
数キロ離れた先で、ミコトが横たわっている。残留マナを探ってみたが、大地の気配は微塵もない。恐らく、現実としてあり得ない意識は、E.A.Wによって消去されてしまったのだろう。
張り詰めていた糸が切れるように、ユリカはその場に腰を下ろした。マナを最大放出したからか、身体に力が入らない。安堵感と疲労感――どちらにせよ悪い気分ではなかった。
織笠が、ユリカの背中を支えながら心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「ええ。安心して気が抜けただけですから」
今日は何度、この温かい手に助けられただろうか。肩口に乗せられた手に触れ、ユリカは微笑む。
「改めてお礼を言わせてください、レイジさん。貴方のおかげで、私は救われた」
ゆっくりと織笠はかぶりを振る。
「俺は何もしていません。ユリカさんが自分で運命を受け入れた――それだけです」
「だとしても、レイジさんが全力で諌めて下さらなければ、私は死を以て罪を贖うところでした。私はそれでもいいと思っていたのに。より残酷な提示をしてくれた。――全く、意地悪な方ですね。レイジさんは」
「い、いや! 俺は単純にユリカさんに死んで欲しくなかった、それだけで! 他意はなかったというか……」
「あら。私のことを一生かけて支えると言ってくださったじゃないですか。あれは口からのでまかせだったと?」
「まさかそんな! 違いますよ!」
「では、そういう意味と受け取っていいのでしょう? その責任は、取ってくださるのですよね?」
「え……、えええええええええ!?」
赤面してオロオロする織笠の姿が可笑しくて、ユリカは思わず吹き出す。慌てて両手を離しかける織笠に対し、悪戯心が働いてより強い力で握り締める。
自分でも不思議だった。こんな感情は。
過去から逃げ出していても、自分は今まで心のどこかで死に場所を求めていた。戦いの鬼と化し、インジェクターとして職務を全うしながら神経をすり減らすことで、いつか破滅できれば。そんな間違ったすり替えをしていた。
だが、生きてもいい。いや、生き続けなければならない。十字架を背負いながら。それが唯一の贖罪だと信じて。
解決の道ではない。長い、長く険しい道。きっと、挫ける日も来る。思っている以上に、自分は弱い女だから。
そこに、傍にいてくれる人がいたら。だから少しだけ、少しだけでいい。傲慢になってもいいかもしれない。
(マナよりも、精霊よりも。貴方は大事なことを教えてくれた)
それは、人の中枢に根付くもの。どんなことにも屈せず、煌々とした美しい輝きを放つ。
強い魂。
尊く、気高い芯を、織笠は持っている。
いつか私も――。ユリカはそう心に思いながら、満面の笑顔を浮かべていた。
「は……はは……。負けちゃったんだ、私」
今にも消え入りそうな声が、前方から聞こえてきた。即座に見やると、発生源は数メートル先。道路に突っ伏していたはずのミコトが起き上がっていた。
だが、声は別人だ。本来の持ち主である有栖が、意識を取り戻したらしい。
「ざ~んねん。悔しいなぁ……」
力なく、薄い笑みを漏らす有栖。大量の血を吐き出し、激しくせき込む。
「……どう……して、こう……上手くいかないかなぁ……。本当、嫌になっちゃう」
「すぐに精保に搬送させます。話は貴女が回復してから、ゆっくり聞きましょう」
「このまま……楽に死なせてくれないのね。どんだけサドなのよ。さすが、世界の支配者」
口元を歪めて、有栖は観念したように夜空を見上げた。
「これで私の役目は終わりか。あっけない……」
ユリカは眉をひそめた。有栖の言葉に、後悔の念が含まれているような気がしたからだ。
「役目、とは? 貴女の復讐は果たされたのでしょう?」
「私自身のは、ね。……言わなかったかしら。私には運命を変えてくれた御方がいた。個人的な目的を終えれば、その御方のために残りの人生の全てを使いたかった」
「一体、何者なのです? 貴女に力を与えて、その方は何をしようというのです?」
「だから知らないってば」
笑みはそのままに、有栖がこちらを見る。軽い否定も、誤魔化しているようには思えなかった。
「嘘じゃない。そうね、でも確実に言えるのは、お姉様の計画は必ず遂行される。準備段階はそろそろ終わりだから」
「計……画?」
「もうじき分かる。嫌ってくらいにね。私達が成そうとしている大義を、指をくわえて見てるがいいわ」
「待ってください。ということは、貴女達の他にもまだ仲間がいるのですか」
喉を鳴らして有栖が笑う。
協力者の存在。その人物を中心として、徒党を組んでいるとでもいうのか。
織笠も一言も発せず、ただ驚愕している。
しかも有栖の口ぶりだと、計画は水面下で進行中だという。ならば――。
「今回の一連の殺人も、その計画の内だと……?」
「どうかしら」
「はぐらかさないで下さい」
ユリカの語気が強まる。言い知れぬ不安が脳をじわじわと占拠していく。
「お姉様は私に手を貸しただけ。それは事実。だけど、その真意は別にあったのかもしれない」
「手のひらで踊らされていた、と……?」
「その捉え方はむかつくけど、そうかもしれない。けど、私はそれでよかった」
本心なのだろう、穏やかな表情で有栖は言った。
「あの人は正しく広大な海。知ろうとしても地平線にはいつまでたっても辿り着かない。同様に、いくら潜っても深すぎて息がもたない」
「その者の……名は……?」
絞り出すようなユリカの質問。女性の精霊使いなのは確かだ。しかし、そんな強力な術者がこの国にいただろうか。問いかけながら思考を巡らしても、心当たりはない。
他人に力を与える? 目的のために?
「最後に一つだけ、私が知ってることを教えてあげる」
有栖が震える手で胸元を押さえる。
「“伊邪那美の継承者”それがお姉様が立ち上げた組織の名前よ」
ふと、冷気がユリカの頬を撫でた。夜風かとも思えたが、違う。雨のマナが空気とは逆らい有栖の元に流れていく。
「――ッ!?」
あまりに微弱なマナだったために、気付くのが遅れてしまった。注視したのは有栖の胸に置かれた右手――ではなく、地面に置かれた左手。そこに精霊が集まっている。
「やめなさい!!」
「――さよなら」
有栖が呟く。その安らかな表情には、死の恐怖などなかった。直後、地面から突き出た氷柱に有栖は背中から貫かれた。
「――!!」
胸元に鮮血の花が咲く。
「……お……姉…………様……」
虚ろな眼で夜空に向かって呼びかける。言葉の続きは、口から溢れ出す赤い波で聞き取れなかった。
小さい痙攣が始まる。しかし、彼女が痛みに呻くことはなかった。苦悶の表情を欠片も浮かべずに彼女は。
実に満足そうな顔をしながら、有栖は息絶えていた。




