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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第四章 未来は嗤う
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 精霊使いとしての素質。その目覚めには大きく分けて二つのパターンがある。

 一つは遺伝形質。親から子へと、その属性を受け継ぐ。基本として、何代もかけて積み上げた歴史の濃さがあるために資質は高いが、絶対ではなく、時として凡庸な者も生まれる。才能は計算ではなく、運要素が強い。

 もう一つは、人間から精霊使いに突発的に変異してしまうパターンである。はっきりとした理由は不明だが、生活環境によるものが大きいとされている。自然――つまり、マナに触れながら暮らしていると、知らない内になってしまうという、神の気まぐれのようなものだ。

 ユリカは後者だった。

 彼女には元々親がいなかった。孤児だったのだ。

 捨てられたのか、死んでいるのかさえ知らない。物心ついたときからユリカは、とある集落に住み、そこの人々と暮らしていた。

 親がいないことについて、彼女は特に疑問を抱くことはなかった。否、そんな余裕が無かったと言えばいいか。集落の人間たちは皆ユリカを気にかけてくれるものの、誰もが裕福なわけではなかった。農業で食いつなぐ質素な暮らし。ユリカも畑を耕し、育てた野菜を遠方の市場に売りに行くという、ぎりぎりな毎日を送っていた。


 本人すら把握していないが、年齢にして十歳の頃。本当に突然だった。


 ユリカは体内を巡る不思議な流れを自覚する。偶然の産物である精霊の発現は、ユリカに衝撃をもたらした。まるで星のような圧倒的な輝き。いくら手を伸ばしても届かない光が触れられる程近く、こんなにも温かい。親がいない彼女にとって、孤独感を紛らわしてくれる精霊は家族も同然だった。

 ほどなくして、集落に見知らぬ人たちが現れる。

 どこかの宗教に属しているような全身ローブに身を包んだ彼らは、自らを大地の精霊使いだと名乗り、ユリカをスカウトしに来たのだという。

 精霊使いそのものを知らないユリカには胡散臭くもあったが、力が覚醒したことは誰にも話してはいない。だから証明としてあの魔法のような光を見せられれば、信用してもいいと思える。

 後に知るが、彼らは世界を監視しながらマナの流れを常に把握しているので、僅かな変化が起きればこうして出向いて素質ある者に勧誘活動も行うのだという。

 ユリカは彼らの誘いに応じることにした。精霊の有用性と危険性は子供心に理解できたし、それ以上に、人生の分岐点を目の当たりにして高揚していたのだろう。

 大地の里に連れていかれたユリカは、そこで出会う。

 自分と歳が近い、美しい少女に。

 柘榴ざくろのように赤く肩まで伸びた艶やかな髪と黄金の瞳。近寄りがたく、どこか神秘的で、大人びた印象だった。田舎くさい自分とは対照的で少し恥ずかしさを覚えた。

 ミコト。それが彼女の名。

 ミコトの精霊を操る技術はずば抜けていた。周囲の大人をも屈服させる実力。それに、顕現させる際の滑らかに舞う姿が、音楽を奏でる演奏者のようで美しい。

 そんな天才も、窮屈な思いをしていた。里で生まれれば、ずっと修行の日々。同年代の子どもも他にいない。だから、ユリカと友達になるのも時間の問題だった。

 ユリカにとって、ミコトは親友であり、先輩であり、先生でもあり、全部ひっくるめて憧れ。彼女に依存していたのかもしれない。

 凡人には眩しすぎるから。傍でその輝きに触れていたかった。

 一緒に、ずっと一緒にいたかった。

 ただ、それだけ。

 なのに。

 些細なことで、その想いは砕け散った。

 子どもなら、よくある気持ち。

 修練場でいつものように、彼女に精霊の使い方を教えてもらっていたときだ。

 ちょっといいところ見せたかった。そう、張り切ってしまったのだ。でも、それがいけなかった。

 オーバーレブ――つまり、暴走を引き起こした。

 訳が分からなかった。頭が混乱して、真っ白。ただただ戦慄した。制御がきかない。恐怖が波となって押し寄せる。

 そして、その余波がミコトを巻き込んだ。幾らミコトでも対処の仕方は知らなかった。必要性がなかったから。結果、爆発的な精霊の奔流をまともに浴びることとなる。

 そのとき、ミコトが放った言葉が今でも耳にこびりついて離れない。


 ――『いや、殺さないで』……と。




 そこから、プッツリと記憶が飛んでいる。

 意識の断絶。目が覚めたのは、あの悪夢から随分時間が経ってからのことだった。

 後に知ったのは、ミコトは治療のため隔離されたこと。面会も許されず、謝罪さえさせてもらえない。罪の重みと、会えない寂しさ。

 まるで、自分の半身を失ったようだった。

 それっきり彼女と会えないまま一年が過ぎた、ある日。

 心がズタズタに引き裂かれた。


 親友が死んだのだ。


 その事実を聞かされた瞬間、視界が歪んで、かすれて、何も見えなくなった。

 子どもの回復では追い付かず、徐々に衰弱したことが死因に繋がったらしい。里中が大騒ぎになっても、ユリカの思考は停止したまま動かない。

 私が殺したんだ。

 その言葉が呪詛となり、脳内を反芻はんすうして、遂には精神が崩壊した。



 ……それが、私の罪の始まり。






 インジェクターB班のオフィスには、重々しい空気が流れていた。

 有栖の追跡は結局、失敗に終わった。逃走を開始してから時間が経ち過ぎていたし、加えてそれ以前にユリカ一人に任せてしまったことが、致命的な判断ミスとなった。

 捜索は一時中止。カイたちが精保に戻ると、既に時刻は深夜を回っていた。

 街中には網の目のように設置された監視カメラがある。記録した映像は随時精保に送られており、織笠を含めた全員が有栖の行方をチェックしていくが、発見にまでは至らない。

 事前に逃走ルートを計画していたのかもしれない。困り果てて頭を抱えていると、空気の抜けるような音と共にドアが開く。

 治療を終えたユリカが戻ってきたのだ。

 足元もおぼつかず、壁に寄りかかっていないと立ってさえいられない状態で。

 全員が心配する中、彼女はそこで面々を談話スペースに集めた。まず有栖との戦闘で何があったかを話し、その上で自らの過去を語り出したのだ。

 封印していたものを開けるのはさぞ辛い作業だっただろう。

 それでも、彼女は話し切った。時折、詰まりそうになったり、苦しそうに胸を押さえながらではあったけれども。

 数十分間にわたる懺悔を終えると、ユリカはゆっくりと目を伏せた。体力もまだ戻っていない身体には、相当な疲労感が見て取れた。


「ユリカ姉、大丈夫?」


 悄然としたユリカに、隣に座っていたアイサが水の入ったコップを差しだす。お礼を言いながらユリカは受け取るも、それに口を付けようとはしなかった。


「それから、里の重鎮たちによる話し合いが行われましたが、私に罰が与えられることはありませんでした。しかし直接ではないにせよ、私が殺したことに変わりはありません」


 声がわずかに震えていた。今まで我慢していたものが、抑えられなくなったのかもしれない。


「それから私は力を使うことが怖くなっていきました。拒絶反応まで起こるようになったのです。それが何年間も続いて、ようやく立ち直りかけましたが、無論、罪は消えません。ですから私は、二度と誰も傷つけないようにと職務を放棄したのです」


 それが、ユリカが“不破羅刹”と畏怖されながらも、他の里に何の情報も行き渡らなかった理由。

 己の力を憎んで、恨んで。いっそ、消し去ってしまいたい。ユリカはずっとその想いと、精霊使いの在り方とで苦しんできたのだ。


「……彼女のことを忘れていたわけではありません。ですが、まさかあんな形でまた私の前に現れるなんて……」

「そうか……」


 重い荷物を下ろすように息をついたカイは、ゆっくりとソファにもたれかかる。


「よく話してくれた、ユリカ。無理させたな」

「いえ」


 カイの気遣いに小さくかぶりを振りながら、ようやく水を含むユリカ。強張った体に力が抜けて、静かに息を吐く。


「これは必要なことですから。むしろ今まで隠してきたことを謝らねばなりません」


 話を聞きながら、織笠の中で全てが繋がっていた。

 ユリカの様子がおかしくなったのは、訊き込みのために初めてアビュランスへ行ったときだ。女子生徒がマナを暴走させたあの状況が自分と重なり、フラッシュバックを起こしたのだ。その直前に彼女から友人の話が出たことも、要因の一つになったのだろう。

 二つ目の遺体発見現場のときにしても、誰にも感じ取れなかったマナを、彼女は真っ先に感知していた。それが死んだはずの友人のものだと知れば、動揺するのも無理はない。

 そして、ミコトはユリカの前に姿を現した。


「けどよ……、信じられないよな。死者が蘇るなんてよ。しかも他人の身体で」


 膝に頬杖をついて、キョウヤは誰となく言った。


「なんでそんなことが起きたんだ? 理解出来ねぇ」

「彼女と会話したとき――その時点では有栖本人でしたが、恐らく施術を受けたのではないかと」

「施術……?」

「おい、まさか……」


 眉をひそめる織笠の横で、愕然とするカイ。ユリカは静かな口調で言った。


「ミコトの遺体を事前に入手し、移植する。であれば、雨と大地のマナが混在していた理由になります」

「馬鹿な!」


 思わず立ち上がりながらカイが声を張り上げる。


「治療ならともかく、能力の強化のために他者のマナを移植するなんて常軌を逸している!」


 現代の医療では治療法としてマナ移植が認可されている。精霊使いには能力や素質に関係なく、基準となる量があるのだが、稀にその一定量を下回って産まれてくる場合がある。そうなると、まず精霊を生み出す際に暴発する可能性が高くなるし、そもそもの抵抗力が弱いために極度の虚弱体質となってしまう。

 そのもっとも有効な治療が、輸血でマナを入れ、体質の改善をするというものだ。その際、拒絶反応が起きないよう、もっとも適合率の高い人物――主に親族が選ばれる。

 だからこそ、理解できないのだ。


「証拠はありません。確かめようにも、ミコトの遺体は向こうの世界にありますから」

「……演技という線は?」

「……あれは間違いなくミコトです。ですが、実際に彼女が蘇ったというのは、語弊があるように思えます」

「それは……どうして?」

「人格が入れ替わる直前、彼女は頭痛を訴えていました。考えられるのは移植の後遺症。他人のマナでは、やはり適合が上手くいかなかったのでしょう」

「まあ、前例もないしなぁ」

「これは私の推測なのですが、マナには個人の情報が多く含まれています。それが全く別のマナと混ざり合うことで情報が上積みされ、二重人格のようになったのではないかと」

「統合した上で、意識を乗っ取る……か。過去の亡霊が取り憑くとはわけが違うな」


 ユリカはきゅっと唇をかみしめる。うなだれながら躊躇いがちに、小さく言葉をこぼした。


「……ミコトは私を恨んでいますから。私との戦闘がきっかけで表面化したのでしょう」

「ユリカさん……」


 織笠は彼女の名を呟きながら、それ以上かける言葉が見つからなかった。それは他のメンバーも同様。室内に重い沈黙が落ちた。

 しかし――何たる不運な巡り合わせだろうか。

 移植に使われたマナの持ち主が、ユリカのトラウマを生んだ根源だったとは。

 手術を施した者がどういった意図で、ミコトという少女を選んだのか定かではないが、残酷な事態になってしまったものだ。


(単なる偶然? にしては、出来過ぎているような……)


 まさか、それすらも狙いだったのだろうか。始めからユリカを殺すことが目的で移植を行った。だとすれば、死者の蘇生すらも織り込み済みということになる。

 有栖の裏にいる者は、彼女の動機を利用して、精保を標的にしている……?

 そう考えると背筋に冷たいものが流れた。


(いやいや、思考が飛躍し過ぎだろ)


 思考が闇に呑まれそうで、織笠は心中でかぶりを振る。

 今は、有栖の確保が最優先だ。


「カイさん、これからどうしますか?」


 織笠が今後の方針を訊ねる。沈んだ空気を払拭させる毅然とした態度にカイは面食らうも、目を細めて皆に通達した。


「学校の名簿に宗島有栖の住所が載っていた筈だ。自宅を当たるぞ」


 現状、打てる手立てはそれしかないだろう。各々が立ち上がり準備を始める中、座ったまま動かないユリカにカイが声をかける。


「ユリカ、いけるか?」

「――はい」


 やや遅れてユリカは答えた。


「あれがミコトであろうと有栖であろうと、捕まえるだけです」


 膝元で組まれた細長い両指は、まだ震えたままだ。気持ちの整理を付けたいところだろうが、そんな時間の余裕はない。


「でもおかしくね?」


 ジャケットを羽織りながら、キョウヤがふと思いついたように言った。


「何がだ?」

精保(ウチ)のデータには、宗島有栖の名前は無かったろ。精霊使いの全リストが収められている筈のマザーブレインが、だ。なら、最初からそんな人物は存在しなかったってことだろ」

「…………」

「なのに学校にはちゃんと情報が残されていて、本人も確かに存在している。――どういうこった?」

「ちょっ、待ってくださいよ。精保のデータをハッキングしたっていうんスか?」

「導水路の監視カメラも乗っ取られただろ。有栖とハッカーは同一人物なのかは、まだ分かっちゃいないが」


 精保は日本の中枢だ。その管理システムに侵入し記録を書き換えただけでなく、足跡残さず立ち去るなど常人のなせる業ではない。

 監視カメラをハッキングした犯人は未だ特定されていないが、民間の警備とはレベルが違うのだ。

 だが、キョウヤの感じた違和感はそこではないらしい。


「今回の一連の犯行が有栖だと悟られないように隠蔽工作したんだろ。なら、何故アビュランスの在籍記録まで消さなかった?」

「確かにそうですね」


 アイサが唸りながら首を捻る。


「ちょっと杜撰(ずさん)というか……。まるで、いつか見つかるようにわざと手掛かりを残しておきました、みたいな……」


 精保の記録をいじれるようなスペシャリストなら、学校のシステムに侵入するなんていとも簡単な筈だ。アイサの言うように、詰めが甘い気がする。


「分からん。有栖の目的はあの三人だった。それを達成するまでの間、我々の捜査を攪乱(かくらん)したかったのかもしれん」

「そうなのかねぇ……」


 あまり納得がいっていないキョウヤが、こめかみを掻く。

 もやもやはするが、管理システムのことは分析班に報告して、改めて調べてもらう必要があるだろう。

 しかし――ここ最近の事件は本当に判然としないことが多い。肝心なところは霧で覆われ、完全な解決までには至らないのである。

 だからといって立ち止まるわけにはいかない。

 一つ一つでもいいから、やれることを確実に処理すべきだ。


「ともかく、俺達は為すべきことをしよう」


 その号令に、織笠は強く頷く。


(闇に飛び込むには、まだ勇気が足りない)


 だけど、それでも俺は。

 ユリカを視界の端に捉えながら、密かに覚悟を決める。 



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