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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第四章 未来は嗤う
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14

 重傷を負ったユリカは緊急搬送され、すぐさま精保のレストルームに運ばれた。一時的な応急処置は護送車で済ませ、今は治療カプセルで高濃度マナによるミスト治癒を行っている。

 護送車から付き添ってきた織笠は、時折苦しそうに呼吸をしながら眠るユリカを、沈痛な面持ちで見ていた。


(ユリカさん……)


 ――到着のタイミングが良かった。


 連絡を受けた織笠がアビュランス精霊学校に駆け付けたのは騒動が収束した直後だった。負傷した生徒の対応に追われるカイの指示で屋上に向かうと、ユリカがおびただしい量の血を流しているのを発見。すぐに運び出したというわけだ。

 治療が開始されて、もう一時間ぐらい経っただろうか。

 外の廊下から慌ただしい足音が響く。扉が開き切る前に、緋色の髪の少女が顔を出した。


「レイジ!」


 肩で息をして、アイサが室内に入る。


「ユリカ姉は大丈夫なの!?」

「……あまりいい状態とは言えない。出血量が多かったから」

「そんな……」

「下腹部の刺し傷が、結構深いらしくて。まだ発見が早かったからよかったけど、油断はできない状態だって」


 織笠は視線を動かし、真横を見る。暗い室内に灯る、小さな明かり。モニターには、患者の情報を逐一チェックするグラフが表示されている。


「医療班のスタッフさんは、ユリカさんの大地としての生命力があればどうにかなりそうとは言っていたけど」

「ああ、うん。大地の精霊使いは、地脈から力を常時得ているからね。基本的に頑丈なんだよ」

「地脈って……地下に流れる根のこと?」

「目に見えるわけじゃないけどね」


 とアイサは言う。

 地中には無数のマナの線が、それこそ網の目に張り巡らされている。そこから大地の精霊使いは、自動的に栄養を与えられている。彼らが身体的な面で優れているのは、そのためだ。


「でも、そっか。なら、なんとかなりそうだね……」


 ホッとしたのか、脱力しながら柔らかな笑みを浮かべるアイサ。


「だけど信じられないよ。あのユリカさんが、こんなことになるなんて……」


 救急車両の中で事態の全容は大方教えられたが、さすがにすぐには受け入れられなかった。

 相手は自分より年下の少女。しかもストレイエレメンタラーだというではないか。

 屋上の倒壊具合から激しい戦いだったのは想像に容易い。今回の事件の犯人がどれだけの能力者であったとしても、ユリカが負けるなんてどうしても思えないのだ。


「今なら、ユリカさんの実力は身をもって知っているから分かる。あの人の強さは異次元だ。だから信じられないよ」

「別班も含めて、ユリカ姉最強説は確かだからね。私も驚いたよ、レイジから連絡を貰ったときは。学校抜け出して来ちゃったよ」


 苦笑しつつ、ちろりと舌を出すアイサ。


「誰もその戦いの様子を見てなかったんだよね?」


 織笠は頷いて黙り込む。


(油断……? いやいや、ユリカさんに限ってそんな……。でも最近、様子がおかしかったからな……)


 ここのところの不調は誰が見ても明らかだった。一人で何かを抱え込み、思い詰めていた。それが戦闘に影響したのだろうか。


「それで、皆は?」

「ん? 多分まだ逃げた犯人を追っていると思うけど……」


 ユリカと交戦して、向こうだって無傷なはずがない。そう遠くには行けないだろうから、どこかに潜伏している可能性は高い。


「そっか。じゃ、アタシも合流しようかな。――ユリカ姉のこと頼んだよ、レイジ」


 そう言うと、携帯端末で連絡を取りながらアイサは部屋を出る。安心したからだろう。きびきびとした行動に、思わず小さい笑みが漏れた。

 しかし、ユリカが目を覚ますまでは本当の意味で安心はできない。もどかしさを紛らわすために身体を動かすのはアイサらしい。自分も一緒に行った方がいいとは思うのだが、今はユリカについてやりたい。

 まだ戦える実力が十分に備わっていない織笠には、彼らをサポートすることでしか貢献できないのだから。






 ユリカを刺した少女は、逃亡の後、自宅まで戻ってきていた。

 練馬区のスラム街に近い、小さなバーの地下。酒瓶保管用の倉庫が彼女のねぐらだった。

 ここは、とある女性から提供されたものだ。もうとっくの昔に閉店した空き物件。行く当てのなかった少女はその女性に拾われ、この場所を使わせてもらっていた。

 宗島有栖は表の入り口を素通りして、裏手に回る。

 いや、正確には今は違う。ユリカとの戦闘で変わった人格が、有栖という少女を動かしていた。

 彼女の足取りは非常に重かった。歩きながら、身体が大きく左右に揺れる。階段を降りるのも壁に寄りかかりながらだった。

 原因は激しい頭痛によるもの。

 脳から肉体への伝達が上手くいかないためなのか、指一本でも動かせば神経が千切れるような感覚が襲う。

 痛みに顔を歪めながら扉を開けると、コンクリートで覆われただけの殺風景な室内に、似つかわしくない人影があった。

 豊かな銀髪を腰まで下ろした、白いスーツの美女。


「誰……?」


 警戒気味に呟く少女。銀髪の女性は一瞬だけ驚いたような反応を示しながら、すぐに目を細めた。


「そうですね。貴女とお会いするのはこれが初めてですね。私は白袖・リーシャ・ケイオス。こうしてお話しできてうれしいわ、ミコトさん」


 ミコト、と呼ばれた少女が大きく目を見開く。


「……そうか。お前が……」

「そう。貴女をもう一度、この世に呼び戻した張本人。お目覚めの気分はいかがですか?」

「よくもこんな神をも恐れぬ愚行を、と言いたいわね。……でも、悪くない気分だわ」

「それはなにより」


 どこか近寄りがたい空気を漂わせながら、微笑みをたたえるリーシャ。彼女を一目見たときから化けものじみたオーラを感じていたミコトは、低い声音で訊ねた。


「私を生き返らせて、何のつもり?」


 リーシャは苦笑しながら胸の下で腕を組み、肩を竦める。


「正直、こちらとしても貴女の覚醒は予想外でした。私どもは、あの子に力を与えたかっただけなので」

「その検体に選ばれたのが私なわけ。良く見つけたわね。――それで、私の何をこの子に入れたの? 骨髄?」


 ええ、とリーシャは頷く。


「選ぶ過程で重視したのが適合率でした。属性が違うとしても、同じ女性、加えて年齢という部分でもっとも近しい素材を探していたところ、貴女が相応しいのではと行き当たりまして」

「ふうん……。でも予想外だと言うなら、もう少し驚いてほしいわね。私自身、いまだに信じられないんだから」


 死者の蘇生。それは、決してあり得ない。例え生命を管理する、陽や闇の精霊使いであっても出来はしないのだ。

 それに、骨髄移植は精霊使いの治療法として禁止されている。

 理由は簡単。

 何が起こるか分からないからだ。

 血液中にマナが含有されている精霊使いには、非常にリスキーでしかない。もはやそれは、治療ではなく自殺行為と言い換えてもいいのである。

 だが、リーシャの平然とした口調は変わらない。むしろ愉しげだ。


「有栖と貴女には共通点がある。心に煮えたぎる憎悪。その素晴らしい魂があれば、復活も可能だろうと思っていました。それに、貴女は私どもの標的の一つでもあるインジェクターの関係者だ」

「……ユリカは渡さないわよ」


 明確な殺意が露わになる。ミコトの執着はただ一つ。ユリカだ。

 ミコトの右腕に淡い黄色の光が宿るのを視野の端で捉えながら、リーシャは挑発的に笑う。


「あら? 止めは刺してこなかったのですか? 貴女が出たのなら、てっきり仕留めたのかと思っていましたが」


 ミコトは、小さく舌打ちをする。

 ユリカを殺さなかったのは、ミコトの酔狂によるものではない。

 この頭痛が原因だった。意識を乗っ取った反動からだろう。そして、精霊を発動したためにより酷くなったこの痛みは同時に、タイムリミットを教えてくれているようだった。


「貴女の意識と有栖の意識がせめぎ合っているからでしょう。むしろ、人格の融合が始まっているのかもしれませんね。――ふふっ、実に面白い」

「……イかれてるわ」


 吐き捨てるようにミコトは呟く。

 そろそろ限界か。彼女が起きる。


「少し、休ませてもらうわ。この娘にもよく言っておいて。ユリカを殺るのは、この私だと」

「大丈夫ですよ。時が来れば、その願いも叶いましょう」


 最後までリーシャを睨んだまま、彼女は目を伏せる。

 右腕の光が霧散し、有栖を支配していたミコトの意識が途切れる。少女の小さな身体が前のめりに倒れそうになったところを、リーシャが抱きとめた。


「ん……」


 しばらくして。リーシャの胸の中で眠っていた少女が薄く目を開く。


「起きたようね」

「お……姉様……? それにここは……」


 ぼんやりとした顔で辺りを見回す。先ほどとは違う、幼い声。それは、有栖本人のものだった。


「あれ……。私……どうして自分の家にいるんですか? 私、あのインジェクターと戦って……」


 自分の置かれた状況を理解していないようだった。どうやら、ミコトと入れ替わっていたときの記憶にないらしい。

 しかし。


「分からない……なんで……」


 有栖は声を震わしながらリーシャの衣服を強く握った。


「私、眠っていた。でも、悪い夢だった。昔も酷い夢は見ていたけど何か違う。黒くて渦巻いた海に飲み込まれるような……」

「…………」


 記憶一時的に失っていても、ミコトに意識を乗っ取られていた感覚は残っているようだ。有栖の夢の内容はリーシャの読み通り、人格の融合の暗示だろう。


「大丈夫、大丈夫よ。何も心配はいらない」


 リーシャは不安に怯える有栖をもう一度深く抱き寄せた。穏やかに微笑みかけ、有栖の頭を優しく撫でる。


「お姉様……」

「もうじき終わるわ。貴女の恐怖も、そのときに解放される。――だから今はゆっくり眠りなさい」

「でも……」

「私がいつまでもこうしているから。だから次は悪い夢は見ないはずよ」

「……はい」


 有栖は安堵しながら、リーシャの胸に顔を埋めた。

 戦闘に加えて、過度な精神の負担。疲弊の度合いは推し量るまでもない。有栖はすぐに寝息を立てていた。


「ここらへんが限界か」


 だから届くわけもなかった。


「だけど、まだ利用価値はある。この世界に傷跡を残すために、その魂を輝かせてもらいましょうか」


 異様に冷たい目をしたリーシャから告げられた、残酷な言葉が。



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