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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第四章 未来は嗤う
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 死体が見つかった。

 場所は杉並区の河川敷。早朝、川に人が浮かんでいると、出勤するサラリーマンから通報があった。

 正確には、第一発見者のサラリーマンはまず警察に通報。死体の検視を経て、精保にお鉢が回ってきた。

 織笠とカイ、ユリカは現場に。キョウヤとアイサは待機。心配されたユリカは、多少まだ元気のない様子だった。こちらに気を遣って笑顔は見せてくれるものの、心労が祟っているためか、かなり弱々しい。

 とはいえ、事件が起こってしまったのなら、休ませておくわけにもいかない。むしろ、現場組で連れて行った方が余計なことを考えなくて済む。そう、カイは判断したのだろう。ユリカだって、腫れ物扱いは嫌なはずだ。特に示し合わせたわけではないが、全員普段通り彼女に接していた。

 現場に急行してみると、沿道には野次馬の人だかりが出来上がっていた。人ごみをかき分け、川岸に降りる。警察は既に精保の分担だと断定したためか、数人を残し、とっとと引き揚げていた。


(また……水か……)


 思わずそんな感想を抱く織笠。

 数日前は導水路。今度は見通しのいい川。こう連続だと嫌でも関連付けたくなるが、まずは確認してからだ。

 生い茂る草むらに設置された四角いブルーシートのテントに三人が入ろうとしたところで、丁度出てきた一人の男性と鉢合せた。


「よう、来たか」


 寝起きなのか、声をかけてきた男は大きな欠伸を漏らす。


「今日はまた一段とだらしないですね」

「仕方ねぇだろ。こんな朝早くに叩き起こされたんだからよ」


 脱力するカイに、男は億劫さを隠そうともせず言った。

 五十代くらいだろうか。短く刈り上げた短髪にところどころ白髪が混じっている。彫りが深い顔には、何年も重ねてきた人生の苦労という年輪がしっかり刻まれている。ジムでトレーニングしているのか、肉体は織笠よりも一回り大きい。


「せっかくカミさんが用意してくれた朝飯も食い損ねたよ。ガキのお守りもあるから、お小言だけで済んだが……。あ~あ、後が怖ぇなあ」


 剃る時間も惜しかったのだろう、うんざりしながら無精髭を撫でる。


「しっかりした奥様じゃないですか」

「かかあ天下だよ、完全に。こっちの意見なんかなーんも届きやしねぇ。……おっかしいよなぁ、昔はこうじゃなかったんだが……」

「静郷さんの手綱を握るんだから、余程器が大きい」


 静郷と呼ばれた男は、「けっ」と渋面で唇を尖らせた。


「でも……、聞くところによると、静郷様の奥様はかなり年下だとか」


 横から会話に加わったのはユリカだ。他人の夫婦関係に興味があるのか、心なしか顔の血色が良くなっている。


「見た目は今でも大学生で通るだろうなぁ。ベラベラ言うとまた怒られっから、あんま喋りたくねぇけど……。カミさんは混血なんだよ。精霊使いと人間の、な」

「それは……初耳ですね」


 カイが静かに驚く。


「むかーしの話だ。カミさんの両親が不審死を遂げたんだ。あの頃はまだ精霊使いと人間との事件の管轄が曖昧でな、何の因果か、まだ学生だったカミさんを俺が保護したのが始まりだ」

「その事件というのは?」

「通り魔殺人。犯人はストレイエレメンタラーで、カミさんの両親の仕事場に侵入、社員を無差別に殺害。その後に逃走を図るも、どうにか逮捕された。胸糞悪かったし、捕まえるまでも色々あったが……、嫌な事件だったよ」

「そんなことが……」

「ま、とりわけ話題性もない、よくある出来事だ」


 静郷は穏やかな川の流れに目をやって、淡々と語った。それは歴史的には些末で、すぐに風化させられる物語でも、当人にとっては人生を大きく狂わせた悲劇だったはずだ。


「んで、解決後も身寄りがないし、面倒見てたらいつの間にか、な。昔から口うるさかったが、結婚して余計ひどくなったぜ」

「縁、ですわね。本音でぶつかり合えるのは親愛の証拠。互いに想い合っていて素敵だと思いますよ」


 ユリカが胸の前に手を重ねて言う。静郷たちが様々な困難を乗り越え、英雄譚へ変えたことに感動しているようだ。


「けっ、茶化すんじゃねーよ。こちとら毎日喧嘩三昧だっての。――ってかテメェら、俺の馴れ初め話を訊きに来たんじゃねぇだろうがよ。とっとと仕事を始めやが……お?」


 そこでようやく、静郷は二人のインジェクターの後ろに立つ青年の存在に気付いた。警察か精保にしか立ち入れないこの場所にいる、いかにも純朴そうな青年を怪訝に見つめる。威圧感たっぷりな眼差しに、青年は竦みあがってしまう。


「おい、カイ坊。無関係な一般人を連れてくんじゃねぇよ」

「違いますよ。彼はウチの新人です」

「……うえ?」


 静郷はもう一度、青年を凝視する。青年は怯えながらも律儀にお辞儀した。


「お、織笠零治といいます」


 証拠として手帳型デバイスを提示してみせると、静郷が目を丸くする。


「……マジか」

「これでも有望株なんですよ、コイツは」


 あんぐりと口を開ける静郷に、カイが笑いをこらえながら言った。


「レイジ、こちらは静郷春信さん。警視庁の刑事だが、たまに俺達の捜査にも協力してくれる。頼りになる人だ」

「よ、よろしくお願いします」

「はぁ~、まぁアイサみてぇなのもいるしなぁ。なりじゃ判断できねぇか」


 どうやら織笠のことを精霊使いと誤認してしまったようだが、説明するとややこしい事態になるので敢えて黙っておく。

 静郷は、その熊のような大きな手で織笠の肩を叩くと、穏やかに微笑み言葉をかけた。


「インジェクターなんて荒事専門のハチャメチャな職業だ。ま、気張って頑張れや」


 がさつそうで怖い印象――織笠の苦手なタイプだと想像したが、そのイメージは一気に払拭された。根はいい人なのだろう。少なくとも桑舘のような値踏みする意図は感じられない。カイ達が信頼を置いているのも理解できる。


「――はい!」


 安堵から、織笠の表情が明るくなる。


「静郷さん、警察の検分は終わったのでしょう? 中に入っても?」

「おう。言っとくが、酷いぜ。覚悟しとけよ?」

「分かっていますよ」


 カイが声色を硬くして頷く。

 この通報を精保で受けた時点で、皆ある程度の予感はしていた。むしろ、繋げない方がおかしいだろう。

 織笠にとって、直に死体を拝むのは二度目。全身に血の気が引くし、喉が枯渇する。

 足を踏み出すのも躊躇うが、ごくりと生唾を飲み、カイ達の後に続いてテントの中に入った。


「――ッ!?」


 予感は的中。

 ……だが。


「これは……」


 顔をしかめてカイが呻く。

 覚悟していたが、やはり酷い有様だった。シートに仰向けにされているのは男性。ブレザーを着ているところから学生か。

 死因は明白。真っ赤に染まった両手足。注視しなければ判別不可能な程の小さな穴が無数に開いていた。蜂の巣という表現がぴったり当てはまる。

 どれだけの激痛だったのか、それは苦悶に満ちた表情が物語っていた。


「やっぱりか……」

「やっぱりって、これに見覚えでもあんのか?」


 うんざりと呟くカイに、静郷が尋ねる。


「ええ。腕と足を貫通した無数の穴。今追っている事件と同じ手口なんですよ」


 前回と違うのは、創傷が腕にまで及んでいる点ですが、とカイは付け足す。カイは死体の傍にしゃがみ込み、手をかざす。


「この遺体は陽の精霊使いのようですね。それと体内に、僅かな雨のマナが混流している。この前と全く一緒だ」


 ふむ、と静郷は唸って、


「散弾銃を至近距離で浴びた傷口だな」

「もしそうなら、ここまで貫通性は生まれません。しかもこんな局所的に狙うなんて芸当は、あり得ない。雨の精霊を鋭利な針状にしたもの、と俺達は考えています」

「成程ねぇ。だからその前の事件は警察も知らないのか」


 静郷春信は、刑事の中でも特殊な人間だった。

 通常、精霊犯罪に警察は一切関与しない。当然そこには、両機関の不文律がある。しかし、警察には精霊使いの力には対処不可能という劣等感があるのか、特に上層部には未だに精保を敵対視している人間が多い。

 警察の威信を脅かす異邦人。そんな認識が蔓延している組織にあって、静郷のように、独断で捜査しインジェクターに協力する奴は目の上のたんこぶでしかない。上からの圧力もあるだろうに、彼自身はそれに屈せず、己の正義感から精保に情報を提供してくれる。その一因に、彼の妻の影響もあるのかもしれない。


「となると、同一犯か」

「もしくは手口を模倣した愉快犯の線もありますが……」

「共通点はそれだけか?」


 カイが思案していると、ふと静郷が振り返る。身体を強張らせた織笠を見て、意地の悪い笑みを浮かべる。


「どうした、顔が青いぞ。やっぱ新人にはキツイか?」

「だ、大丈夫です! 俺も予想してましたから……」


 と言いつつ一歩後退る織笠。初々しい反応が面白いのか、「がっがっが!」と豪快な笑い声を上げる。


「――レイジ」


 じっと、死体を観察していたカイが、視線そのままに織笠を呼ぶ。


「はい?」

「さっきの静郷さんの問い、お前には分かるか?」

「共通点……ですか? でも俺には――」


 精霊で他者を探る能力はない、そう言いかけて口を噤んだ。そんなことを言えば、静郷に要らぬ誤解を与えるだけだ。

 カイが求めているのはそこじゃない。試しているのは別の部分だ。

 臆病になっている場合じゃない。織笠は死体を覗き込み、頭から足先にかけてじっくり見つめる。

 そこで織笠は気付いた。


「あ……この制服って……」

「そう。あの高校のものだな」


 正解、とでも言いたげにカイは目尻を下げる。嫌という程見たから、よく覚えている。死体が着用しているのはアビュランス精霊学校の制服だ。


「明らかに犯人は、あの学校の生徒を狙っている。被害者に個人的な恨みがあるのか、それとも無作為に選んだのか……」

「こだわり……、でしょうか」


 ユリカが伏し目がちに呟く。

 殺害の方法、遺体の遺棄の仕方も統一されている。衝動的ではない、計画的な犯行。殺し方からして、証拠隠滅のために水に放り込んだとは考えにくい。


「正気の沙汰じゃねぇよな。わざわざ四肢を狙い撃ちして殺すなんざ異常だ」


 苦虫を噛み潰したような顔で、静郷は吐き捨てた。


「精神的に歪んでいるにしても、俺には犯人に独自の固執があるように思えてなりません。ユリカの言うように、腕と脚を奪い殺さなければならないルールが」

「刑事……、いや、インジェクターの勘か」


 長年培われた経験でしか得られない能力。織笠には圧倒的に足りないものだ。


「じゃあ、俺の出る幕はねぇな」


 悔しそうに唇を歪ませる静郷に、呆れながらカイは微笑む。


「本職があるでしょう。もっとも、こちらとしては静郷さんの異動は大歓迎ですよ」

「じゃ、俺がクビになったら頼むわ」


 冗談めいたやり取りを済ませ、静郷は去っていった。


 織笠達はまず死体を分析班に回し、何か手掛かりないか辺りを探索。目撃者など訊き込みを行うも、見事に空振りだった。数日前の殺人もだが、誰も何も知らないのは奇妙だ。人目を避け夜間を犯行に選んだのだろうが、精霊を使用したなら誰かが感知してもおかしくないのに。

 大した情報も得られず頭を悩ませていると、見慣れた黒猫がビルの隙間の前に座っているのを発見した。


「モエナ! どうしたんだ、こんなところで」


 モエナとは、織笠が形式的に飼うはめになった猫の名である。黒い艶やかな毛並み。狭い路地裏を見据える大きな金色の瞳はどこか神秘的な輝きを放ち、セレブの愛情を一身に受けたような高級感が漂う。

 だが、その正体は精霊の上位種――妖精なのである。

 妖精とは精霊が意思を持った生命体。何百年という時を経て進化した存在だ。どうしてそうなるのか、理由も条件も不明。そんな生きた奇跡が、どうしてこんな場所にいる? 織笠の自宅から相当距離があるはずなのに。


「ここ……何か感じない?」


 織笠の質問を無視して、明瞭な声で彼女は言った。


「感じないかって……何の変哲もない路地裏だろ?」


 ふぅ……とモエナは鼻息を漏らす。どうやら落胆しているらしい。


「そうね。誰も何も気にも留めない狭い小道。あんたの脳も『ここには何もない』と端から意識の外へ弾き出している」


 普段からの生意気な口調はそのままに、どこか含みのある言い方。織笠はムッとしながら反論する。


「だからなんなんだよ。回りくどい言い方するなよな」


 モエナが何の理由もなしに、ここまで散歩するわけない。妖精はマナの流れを微細なレベルで感知できる。ならばと、織笠は神経を尖らせて路地裏を見つめ――ようとした。が、


「やめときなさい。無理すると脳が焼き切れるわよ」


 モエナの鋭い声が飛ぶ。集中を強制的にストップをかけられた織笠は、ますます困惑してしまう。


「……あのさ、一体どういうことなのか説明してくれよ。遠回しな言い方じゃ分かんないって」

「…………」


 黒猫は、まるで置物のように表情を消し、じっと佇む。


「――レイジ?」


 織笠が呆然と路上で突っ立っていたそのとき、合流していたカイとユリカがやって来る。


「こんなところでぼうっとして、どうした――ってモエナ?」

「どうしてこのような場所に……」

「さっきから俺もそう訊いているんですけど……。」


 取り付く島もないと、織笠は肩をすくめる。


「来たわね」


 もしかして三人が揃うのを待っていたのか。するりと尻を持ち上げたモエナは、大きな瞳をさらに見開く。その瞬間、路地裏の入り口の上空から光が降り注いだ。

 透明の波打つカーテン。

 織笠にも見覚えのある光の滝に、思わず言葉を失う。


「これは……人払いの結界か……ッ!」


 愕然とカイが呻く。


「アンタ達はまんまと向こうの策に嵌まったの。この近辺一帯を支配する意識操作の罠に、ね」

「誰もが自分の知らぬ間に、ここから遠ざけられていたわけですね……」


 ユリカも驚きを隠せない様子だ。

 周囲を見回しても、通行人は誰一人としてこの光の壁を認識することはない。この奇妙な感覚を、織笠は一度体験していた。自然と苦い記憶が甦る。


「じゃあ……この中にあるのは……」

「アンタ達が求める起因でしょうね。業の結果が満ちた深淵」


 モエナが無情に告げて、結界の中へと足を踏み入れる。緊張した面持ちで織笠達は頷くと、モエナの後に続く。

 一瞬の柔らかな感触。それを抜けると、妙な悪寒を感じた。陽の光が届かず、どうにも埃っぽい。どんよりとした生ぬるい空気が肺腑を汚染し、顔をしかめる。

 そして、それはすぐ先にあった。

 薄暗く狭い道の真ん中に拡がる、黒くおびただしい量の液体。

 ――血液。理解するのに、そう時間は要らなかった。


「これって、被害者の……」

「……ああ。ここが犯行現場だろうな」


 被害者はここで殺された。一般の学生が何故こんな場所にいたのか不明だが、間違いないだろう。


「ホンっト、すごい臭いね。淀んだマナが充満していて鼻が曲がりそうなんだけど」


 不快感を露わにモエナが血だまりを睨む。血中のマナが徐々に蒸発しているのだろう。織笠でも容易に知覚できる濃度だ。


「確かに、複数のマナがない交ぜになっているな。雨と……陽が二種類か」


 雨は無論、殺人者。陽の内、一つは被害者の学生のもの、そしてもう一つは結界の構成に使用されたものだろう。


「いえ……それだけではありません」


 今にも消え入りそうな弱々しい声が、微かに織笠の耳に届く。


「ユリカさん?」


 見れば、ユリカは震えていた。

 何かに恐怖するように。戦慄するように。


「わずかに……本当に微量ですが、大地のマナを感じます」

「大地……?」


 カイが眉根を寄せた。確かめるため沈黙し、目を閉じて全神経を張り巡らす。


「いや……俺には全く引っかからないが……」

「……私も。っていうか、これだけ気持ち悪いマナがごちゃ混ぜになっているんですもの。勘違いじゃない? そこらへんのビルにいる人のとか」


 マナ感知に優れたモエナが否定するも、ユリカは苦しそうにゆっくりと首を横に振る。


「恐らく……、いえ、きっと私にしか感じ取ることはできないと思います」

「ユリカ……さん?」


 これは怯え、なのか。痙攣が続く腕が重たそうに上がり、血の気を失った顔を押さえる。


「だってこれは……このマナは……」


 酸素を求めるように唇が動く。まるでその言葉を口にすれば、もうその事実から逃れられないかのように。

 躊躇いが悪戯に時間を奪う。奥歯を噛み締め、ユリカはようやっと、それを口にした。


「私がよく知る者のものですから……」












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