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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第四章 未来は嗤う
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 それから三時間。

 学校内の施設をとにかく連れまわされてしまった。

 うんざりするほどに。

 生徒たちが授業を真剣に取り組む様は素直に感嘆するのだが、時折挟まれる校長のプレゼンは、どうにも鬱陶しい。

 カイたちは対処に慣れているのか、興味のあるふりをしながら上手く聞き流している。

 織笠といえば、見学していく内に妙な気味の悪さを感じていた。


(なんか……、アイサちゃんの言ってた通りだな……)


 クラスは属性ごとに分かれているようで、座学はもちろんのこと、どちらかといえば能力の開発や修練に重きを置いている。教室の窓から覗く彼らの姿は、熱心とか必死というよりも、何かに取り憑かれたかのように殺気立っている。

 異様にして異常。

 常人である織笠の目にはそう映って仕方がなかった。




 そして放課後。

 ようやく校長から解放された四人は、職員室へと赴いた。

 さすがにこの時間になれば教師の出入りは激しい。さっさと身支度を済ませ帰宅しようとする者、部活のために準備する者、談笑する者と、割と賑やかだ。

 校長から事前に写真を見せてもらっていた織笠たちは、窓際に座りPCと向き合う大人しそうな教師に近づき、声をかけた。


「あなたが大河内先生ですね」

「……そうですが、あなた方は?」


 部外者に警戒していた大河内だったが、カイが手帳型デバイスを見せると納得したように頷いた。


「咲島君の件ですね」

「はい。お話を伺いたいのですが」

「……彼女のことは本当に残念です」


 大河内は目を伏せる。


「とてもいい子でした。勉強熱心で成績は軒並みトップクラス。立ち振る舞いも淑女然として、クラスの中心人物――私の目にはそう映っています」

「誰からも好かれる模範的な生徒、だったと?」

「そうですね」

「生徒間のトラブルなどは?」

「私の知る限りなかったと思いますが……」


 記憶を探りながら自信なさげに答える大河内。

 教師がどこまで生徒間の問題を把握しているのかは分からない。本当に無い場合もあれば、彼の知らないところで生徒が巧妙に隠している場合もある。

 カイは質問を変えることにした。


「では事件当日、変わった様子などはありましたか?」

「いえ、特には。この学校は自主性を尊重しています。生徒が自分自身でカリキュラムを組んで、伸ばしたい部分や苦手を克服したい箇所を決めます。なので、私共教師はあまり生徒に干渉することはないんです。あの日も、咲島君は自らのカリキュラムをこなして、その後に居残りで訓練していました」

「それは一人で?」

「いえ、彼女の友人と三人ですね。居残りを希望する場合、事前に担任教師にその旨を専用の用紙に記入し、提出するので」

「友人と、ですか」


 ちょっと待ってください、と大河内はデスクの引き出しから一枚の紙を取り出し、カイに渡す。綺麗な字だ。内容も律儀に書かれていて、それだけでも真面目さが窺える。


「閉鎖環境における極度のマナ濃度低下状況下での精霊の顕現を高める修練……」

「彼女、将来は精保を希望していましたから。中でも医療班を目指していましたよ」


 大河内が寂しそうに笑う。被害者は未来をしっかりと見据えて、今自分が何をすべきかを実行していたようだ。もしかしたら、一年後には一緒に働いていたかもしれないと思うと、心が痛む。


「……その友人たちとお話はできますか?」

「ええ、今日も居残りで訓練すると言っていましたから。五階の特別演習室にいると思いますよ」


 PCに表示させた生徒の写真に全員が目を通すと、カイはユリカと視線を合わせた。真剣な顔つきでユリカは小さく頷くと、迅速に着物の裾をひるがえす。


「行きましょう、レイジさん」

「は、はい!」


 職員室の扉へと向かうユリカを慌てて織笠が追いかける。

 それを見送ったキョウヤがぼそりと。


「……俺も行くか」


 そう呟く彼の襟首をカイがすぐさま掴む。


「お前はいらん、いいからここにいろ。――数時間前の発言はどこにいった、このロリコンが」

「誰がロリコンだ、コラァ!」


 己の欲望に忠実な男の叫びが職員室に響き渡るのであった。





 放課後間もない校舎。

 勉学から離れるとさすがに開放的になるのか、殺伐とした空気が緩和されて生徒たちの穏やかで楽しげな会話があちこちで広がっている。

 そんな喧騒が、あるものを目にした途端に消えて、誰もが息を呑む。

 生徒の視線を奪って離さない人物――それがユリカだった。

 五階へと向かう階段で何人もの生徒とすれ違う中、着物姿のユリカはどうしても目立つ。部外者が上の階まで来ることは滅多にないだろうし、不審に思われても仕方がないと織笠は思っていたが、どうにも様子が違う。

 特に女子の反応が分かりやすい。惚けたようにユリカを見つめていたかと思うと、黄色い悲鳴が沸き上がる。

 彼女への羨望。

 インジェクターの情報は捜査の関係で一般公開されていない。

 が、生徒の口々からユリカの名が飛び出すということは、この学校は特別に情報の開示が許可されているのかもしれない。精保の象徴でもある、インジェクターをモチベーションの一つとするために。

 この学校は二階から四階までが各学年の教室となっており、五階は全て特別演習室という造りになっている。写真の生徒二人を見つけて中に入ると、織笠には見慣れた光景が飛び込んできた。

 青い正方形のブロックを全面に敷き詰めた無機質な空間。フロアの端にはせり上がった台座。

 色調は違うものの、精保のトレーニングルームに似ている。多分、仕組みを提供して参考にしているのだろう。

 二人の女生徒は向かい合いながら、今まさに始めようとしていたところだった。一人は、黒いショートカットの、いかにも運動が得意そうな雰囲気のある、スレンダーな少女。もう片方は、その女生徒より頭一つ小さく、ふんわりとした茶髪のおさげが特徴の少女だ。こちらは反対に、内向的な印象。

 二人が織笠たちに気付くと、驚いて途端に硬直してしまった。


「――お邪魔して申し訳ありません。少しよろしいでしょうか?」

「は、はいィィッ!」


 話しかけられると、今度は頬を紅潮させ、「ねぇねぇどうしよう、ユリカ様に声かけられたんだけど!」「やばい、超やばいって! これってまさかスカウトなのかな!?」とキャアキャアとはしゃぎ始める女生徒二人。ユリカに会えて感激しているようだが、ここまでくるとさすがに当の本人も苦笑いを浮かべている。教室の外には生徒たちが集まってきているし、妙な盛り上がりになってしまったが、これはこれで好都合かもしれない。

 これだけユリカに憧れを抱いているのなら、こちらの質問にも正直に答えてくれる可能性は高い。


「……コホン」


 ユリカも少し照れくさいのか、小さく咳払いをして彼女らに問う。


「あなた方は先日亡くなった咲島さんのご友人だと、先程大河内教諭から伺ったのですが」


 と、被害者の名前が出た途端。あれだけ上気していた頬が急激に冷め、明らかに落胆の色になる。


「友達……というか、ただのクラスメイトですよ」

「別にあの子と遊んだりもしませんし」

「…………?」


 素っ気ない反応に眉をひそめるユリカ。


「あの……」


 今まで視界に入っていなかったのか、女生徒二人は織笠を見ると揃って怪訝な表情を浮かべた。さすがにまだインジェクターとなって日が浅い織笠の顔を当然知るはずもない。情報も公開されていないため、不審がられるのも無理はない。慣れない手つきで織笠が手帳型デバイスを提示すると、一応関係者だと信じてくれたようで警戒を緩めてくれた。


「お二人は、咲島さんとは普段からあまり交流はないんですか?」

「ええ」

「なら……、どういった経緯で咲島さんと放課後、居残りをすることに?」

「あれは向こうが無理矢理誘ってきたんですよ。私たち、本当は嫌だったのに」

「……どういうことです? 私用があった、とか?」

「いえ、そうじゃないですけど……」

「なら、断ればよろしいのでは? そうできない事情でも?」

「それは……、ねぇ?」

「うん……」


 ユリカの質問に、歯切れが悪くなる女生徒の二人。互いを見合ったまま、黙ってしまった。そして、黒髪の女生徒が、意を決したように言ってきた。


「実はあの子……、周囲からあまり快く思われていなかったんですよ」

「それは、疎まれていた……ということですか?」


 茶髪の女生徒が深く頷く。


「どちらかと言えば皆、嫉妬に近いんでしょうけど。文武両道、私たちの学年を見ても一つ飛び抜けていますから」

「……おまけに可愛いし」


 黒髪の女生徒が唇を尖らせながら呟いた。


「それだけなら尊敬されて終わり、でしょうけど」

「……他にも何か?」

「彼女、そういったステータスを鼻にかけていたんです。常に偉そうにしていました」

「さらに取り巻きなんか連れて、女王様を気取っちゃって。男子はともかく、女子からはとにかく嫌われていましたよ」

「あまり死んだ人のことを、悪く言いたくないんですけどねぇ」


 と言いつつ、普段の鬱憤を晴らすように、愚痴をぶちまける二人。


(やっぱり、大河内先生は知らないだけだったんだ)


 学校という隔絶した箱庭には、学生のみのヒエラルキーが存在する。表面化したいざこざは無くとも、教師の知り得ないところで、闇は確実にある。実力主義の精霊学校なら尚更だろう。


「だからですよ。昨日、あの子の誘いを断らなかったのは。もし、断りでもしたら後で何されるか分かったものじゃないし」

「表面上では皆、ご機嫌取って、かしずいて。窮屈な思いはしていましたね」

「……では、恨まれる材料はあった、ということですか」

「そうかもしれません。――でも、誰も殺人なんかしないと思いますよ。いえ、庇っているわけじゃなくて、そんなことをする暇があれば少しでも成績を上げようとしますもん」

「上昇志向の塊ですから、ここの生徒」


 平然と言い切る彼女たちに、さすがの織笠も少し呆れた。

 他人の死を悼むよりも、まず自分か。

 思考の物差しが、多少ずれている。

 ユリカも、道徳を説きたいところだろうが、今は我慢し、話を続けた。


「それでは、この学校以外での交遊は?」

「特に聞きませんね。彼氏もいませんし、あの子性格は最低だけど、素行は良かったので。それも進路のためですけどね」

「そうですか……」


 ユリカは、胸元に忍ばせたメモ帳を取り出し、会話の内容を記していく。いかにもアナログな彼女らしい。


「ご協力感謝致します。あなた方も研鑽は結構ですが、あまり遅くにならないように」

「あ、ちょっと待ってください」


 部屋を後にしようと踵を返したところで呼び止められる。


「何でしょう? まだ何かありますか?」

「いえ、そうじゃなくて……」


 胸の前で指を組む黒髪の女生徒。おずおずと、真剣な顔つきで言った。


「お願いがあります。ユリカ様、私たちの特訓に付き合ってくださいませんか?」

「……は?」


 思わず、素っ頓狂な声を出したのは織笠の方だった。


「私たちユリカ様に憧れているんです。目標なんです! ですので、私たちの実力を見てもらって、指導していただきたいなーと!」


 茶髪の女生徒も、うんうんと何度も首を振っている。

 織笠の顔がみるみる青ざめる。

 なんてことを言い出すんだ、この子たちは。正気の沙汰とは思えない。特訓時にけるユリカの鬼神っぷりは、織笠が死ぬほど痛感している。無知とはなんと残酷なことか。

 それに。

 そんな申し出を、ユリカが受けないわけがない。嬉々として引き受けるのは明白。


(マズい、これは非常にマズい流れだ!!)


 ユリカは一片の慈悲もなく、叩きのめすに決まっている。瀕死にさせることが、相手のためになると本気で思っているから、余計に質が悪いのだ。

 下手したら再起不能。これは一刻も早く、この場から立ち去らねば。

 織笠はすかさずユリカに促す。


「ユ、ユリカさん、カイさんたちが待ってますよ。早く、早く戻りましょう!」

「ちょっとでいいんです! お願いですから、私たちを鍛えてください!」


 またそんな琴線をくすぐるような台詞を。向上心の塊な彼女たちは、期待の眼差しでユリカを見つめる。

 だが。


「申し訳ありません。その申し出は大変有り難いのですが、それは無理なのです」


 これには織笠も予想外。


「えぇ、どうしてですかぁ?」

「私共の職務は犯罪者を裁くこと。人材の育成に要する資格はないのです」

「それって、免許ってことですか?」

「そういった証ではなく、領分の話です。我々インジェクターは、言ってしまえば“武”を極限にまで高めただけの戦闘特化型。犯罪者と同列に、精霊使いの本分から逸脱した暴力にしか精霊をふるえない職業軍人なのです」


 自嘲気味に、ユリカは言った。


「精霊使いは自然の調和を第一とするもの。これからの未来を担う雛鳥を育てるのに、私たちは相応しくない」

「そんなことありませんよ。だって、インジェクターはエリート中のエリートじゃないですか」


 まるでインジェクターが至高だと、疑わない彼女らにユリカは苦笑する。右手を胸に、言葉を漏らす。


「私個人の本音を言わせていただければ、私はこういう道でしか生きていけなかった」


 ユリカは、二人の後輩に慈愛に満ちた眼差しを向ける。


「ですが、あなた方には無限の可能性がある。色々な選択肢がある。だから、私が何かを伝えることで、その選択を狭めたくないのです」

「謙遜なさるんですね」

「今と昔では精霊使いの在り方が違う。また、その価値も。だから、あなた方はこの精霊世界の、開拓者として進んでいけばいいと思いますよ」

「……そう、ですか……。ユリカ様がそう仰るなら……」


 インジェクターはマスターの代理人とも呼ばれ、一挙手一投足に絶大な影響が生まれる。安易な発言や行為は出来ない。

 落胆し、されど納得したような彼女たちを見て、今度こそ戻ろう――安心した、その時。


「で、では、せめて、せめて私たちの立ち合いを、見てくださいませんか!」

「……はい?」


 再び、踏み出した足が止まる。

 憧れのユリカに出会えるチャンスは、犯罪を犯さぬ限りゼロに近い。その絶好の機会を逃がすまいと、少女たちはどうにかして引き留めようとする。


「ですが、先程申した通り……」

「見てくださるだけでいいんです! 助言も不要です! 時間も取らせませんので!!」


 それでは何の意味があるのか、と問いたくなるが、ユリカに詰め寄る二人の少女には、鬼気迫るものがある。


「私たち、クラスでは落ちこぼれなんです」


 茶髪の女生徒が、小さく、震える声で言った。


「ユリカ様は自分が教える役目ではないと仰いましたが、はっきり言って、ここの教師はお飾りなんですよ。生徒に自主性を求めているようで、協力的じゃない」


 だから、と黒髪の女生徒が言葉を引き継ぐ。


「少しでもいい。きっかけが欲しい。じゃないと、私たちストレイと何ら変わらない。大人になっても惨めなままでいたくないんです!!」


 今にも泣きだしそうな顔で、ユリカに懇願する少女二人。切実で痛々しい彼女たちに胸がつまる。

 ストレイエレメンタラーが、この国では冷遇されているのを、政府が敢えて黙認することで社会が成り立っているわけだが、決して履き違えてはいけない。ストレイだって、この国に必要不可欠。

 比較対象として、危機感を覚えるのはどうかと思うが、ストレイがこの国の鼻つまみだと刷り込まれた第二世代には、特にエリート意識の強い彼女たちなら仕方がないことか。


「……ふぅ。……分かりました」


 ここまで言われては、さすがに邪険にするわけにもいかず、ユリカは観念したように息を吐く。


「ほ、本当ですか!?」

「ですが、我々も公務の最中。少しだけですよ?」

「――は、はい!」


 ぱあっと花を咲かせ、女生徒二人がはしゃぐ。ユリカは織笠を見て、「ごめんなさい」と、眉を下げながら小さく謝罪した。






 少女二人は、再び教室の中央で向かい合わせになり、精神統一を始めていた。

 織笠とユリカは隅に立ち、様子を見守ることにした。


「――懐かしいですね」


 静かな教室内に、ユリカのふとした呟きが織笠の耳に届く。


「私にもいたのです。幼少の時期ですが、ああやって切磋琢磨した友が」


 白い燐光が、女生徒二人の足元から発せられる。あまりに弱々しく、頼りない精霊。ユリカは、未熟な彼女等に過去の自分を重ねたようだ。


「それって……、向こうの世界の話ですか?」

「ええ。当時、子供といえば、私とその女の子の二人のみでした。修行のときも遊ぶときも常に一緒で……。大地の里は、レイジさんもあのトレーニングルーム(修練部屋)で体験した通り、殺風景な峡谷。娯楽など、ありはしない。子供には退屈な場所でしかなかった」


 本当はこんなこと言ってはいけないんですけどね、とユリカは笑う。


「それでも彼女さえいれば、退屈しなかった。峡谷を飛び回るだけで楽しかった」

「へぇ……」

「彼女は私の憧れ。優しく、清廉であり、才能に溢れていた。……目標でした」

「まるでユリカさんのようですね」

「お恥ずかしい話ですが、小さい頃の私は人に誇れるような力の持ち主ではありませんでした。どこまでも未熟で、不器用。精霊の扱い方を理解したのも時間がかかりました」


「えっ」と驚きに思わず漏らす織笠。


「意外ですね、ユリカさんがそんな……。てっきり神童クラスの人かと……」

「その例えなら、彼女の方が当てはまりますね。どれだけ褒めても褒め足りない――素晴らしい子でした」

「その方は、今どうされているんですか?」

「彼女は――」


 そう言いかけた直後だった。ユリカの大きな瞳がみるみる見開かれ、全身が小刻みに震え始めた。


「ユ、ユリカさん?」

「だ、大丈夫です」


 とてもそうは思えない。元々の白磁のような白い肌をさらに悪くして、立っているのもやっとのようなのに。


「すみません、少し立ちくらみをしただけですので……」


 頭を振り、深呼吸をしながら落ち着こうとする彼女を心配そうに織笠は見つめる。

 依然として苦しそうだが、ユリカは顔をしかめながら前方に向ける。瞬間、愕然の色に染まった。


「いけないッ!!」


 悲痛とも思える叫び。咄嗟に織笠はユリカの視線の先を追う。

 黒髪の女生徒が精霊を発動させ終えたところのようだ。大量の陽の精霊が、彼女の周囲を取り囲んでいる。

 彼女等の話では、劣等生だと自らを言い表していたが、とてもそうは思えない。あの精霊の量なら平均以上の能力ではないだろうか。

 ユリカが感じる異変。少なくとも織笠には分からない。

 しかし、ユリカは歯を食いしばって唸る。


「あれでは、力に飲み込まれる……ッ!」

「飲み込まれる……?」

「彼女をよく見て下さい。周りに浮かぶ精霊の旋転が異常なまでに激しいでしょう。正常ならもっと緩やかなはずです」

「そう、いえば……」


 織笠は、黒髪の女生徒をよく注視してみた。全身に力が入り過ぎているのか、また、顔つきも獰猛な獣のそれに変貌していた。精霊にいたっては、せっかく発現したものが、次々に消滅してしまい、さらには高周波のような耳障りな音がしている。


「己の限界以上に精霊を呼ぼうとすれば、体内のマナが暴れ、制御が利かなくなります。例えるなら、煮え立った湯が吹きこぼれるようなもの。血管の中をマナが泡立ち、遂には――」


 その瞬間。

 ゴボッ、と黒髪の女生徒の口から多量の赤い液体が吐き出される。組織がズタズタに破壊され、激痛に顔を歪め、さらには白目を剥いて膝をつく。


「これじゃあ……薬物の暴走と変わらないじゃないか……!」

「似たようなものです。違いは良識があるかどうかだけ。――それより、早く彼女を止めないと、このままでは命が危険です!」


 ユリカがE.A.Wの刀を取り出す。ユリカは彼女の意識、加えて荒ぶる精霊ごと刈り取るつもりだ。

 しかし、状況はさらに悪化する。

 術者の意識が途絶えたことでタガが外れ、精霊の暴発がより酷くなった。

 粒子の奔流が教室中に襲い掛かる。攻撃性を持った凄まじい暴風が、鋼鉄製の扉を潰し、織笠たちを容赦なく吹き飛ばし、壁に叩きつけた。

 特に身近にいた茶髪の女生徒は、背中を強く打ったために息苦しそうにせき込んでいた。

 こんな事態に陥ったのは初めてなのだろう。

 むしろ、気絶してしまった方が彼女には良かったかもしれない。

 茶髪の女生徒は、恐怖を宿した顔で、黒髪の女生徒を見上げる。


「い、いや……やめて……」


 そして、怪物を見るかのような怯えた瞳で、こう言った。


 ()()()()()()()――と。


 当然のように吐き出された言葉。

 それ以上、それ以下の意味を持たない言葉。

 しかし、織笠は感じた。ユリカが息を呑むのを。


「ユリカさん?」


 織笠は呼びかける。


「あ……あ……」

「どうしたんですか、ユリカさん?」


 応答がない。


「そんな……。い……いや、やめて……。どうして……。これ以上……溢れないで……」

「ユリカさん!? しっかりしてください、ユリカさん!!」


 激しく肩を揺らすも、反応はない。これでもかというくらい、目を見開き、首を小さく横に振りながらうわ言を呟いている。織笠は、精霊の攻撃を背中で庇いつつ、ユリカに何度も声をかけるが、虚ろな状態に変化はなかった。


「がぁッ!」


 背中に焼けるような衝撃。気を失いかねない痛みに、織笠は歯を食い縛ることで耐えた。


(く……)


 ユリカが正気に戻らない原因は何なのか。判然としないが、この事態の収拾をユリカに頼れない以上、自分でどうにかするしかない。

 織笠は辺りを見回し、床に転がるユリカの刀を拾い上げると、黒髪の女生徒へ低い体勢のまま突進する。


「りゃぁぁぁぁぁああああああああッ!!」


 精霊で構築された刀は、迷いなく意識のない少女の胸を貫いた。

 両手に伝わる感触は、呆気ないほど軽い。肉体が水のように何の抵抗もなく、滑らかに通り抜けた。

 直後。織笠の視界が、眩い光に覆われた。少女の体内で膨張したマナが、切り口から溢れ出したのだ。溺れる程の大量のマナに驚き、思わずその場から逃れた織笠は後ろのめりに倒れる。呆然と成り行きを見ていると、しばらくして放出は止み、空間一面に飛び散ったマナはあっという間に消滅してしまった。

 教室内に静寂が戻る。


「どうにか……、なったか……」


 ユリカの刀も、手を離した瞬間に消え去ってしまったらしい。


「レイジ……さん……」


 一息ついたところで、かすかなユリカの声が耳に届いた。


「ユリカさん、大丈夫ですか!?」

「え、ええ……。申し訳ありません」


 慌てて駆け寄ると、ユリカは青白い顔のまま、微かな反応を返してきた。


「一体、どうしたんです? 何があったんですか」

「……なんでもありません……」

「そんなわけないでしょ。いつもしっかりしているユリカさんがあんな取り乱すなんて」

「…………」


 理由を問うものの、ユリカは口を噤んでしまう。辛そうに、そして苦しそうに。


「すいません、少し……いいですか」

「え、ユ、ユリカさん!?」


 ユリカが、織笠の袖を強く握り締め、胸に顔をうずめてきた。思わず動揺してしまう織笠だったが、悲痛な彼女の声を聞くと、そっと、そのままでいるしかなかった。


「どうして私は……。忘れて――」







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