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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第四章 未来は嗤う
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 アビュランス精霊学校は、遺体発見現場からさほど遠くない場所にあった。

 この辺り一帯は、いわゆる“人生の勝ち組”がこぞって暮らす富裕層地区。この世界に順応した精霊使いはもとより、政治家や芸能人も多い。ある種独立した区画で、一般人はまず近寄れない。

 自尊心の象徴か、あるいはステータスの誇示か――屹立する高級マンション。その隣には広告ホログラムがひしめく繁華街を挟んで、商業ビルが立ち並ぶ。

 アビュランス精霊学校も、その大手企業ビルに隣接する形で建っていた。デザイン的にはどこにでもあるような高層ビル。学校、というよりは学習塾のようだと、織笠は率直に思った。といっても全体の大きさは他のビルの比ではないが。

 現在の時刻は十四時。平日なので生徒は授業の真っ最中である。なので、学生のアイサも今日は不在。それ以外の四人でここを訪れていた。


「しっかし、なーんでまたこんな真っ昼間にしたんだ?」


 正面玄関から少し離れた来客用の入り口に向かいながら、ポツリとキョウヤが言った。


「訊き込みをするんなら下校時まで待たねぇ? 普通」


 学生の殺人事件となれば、そこに通う学校側の対処としてまずは騒ぎを大きくしないことを念頭に置く。生徒をみだりに刺激しないこと。不安を助長させないためにも文科省を通じて大っぴらな捜査活動は控えるようにと、お願いするものだ。


「俺も最初はそのつもりで連絡は取ったさ。被害者のクラスメイト、中でも特に親しい友人にだけ事情を訊きたいとな」

「学生の時分はあまりに繊細ですからね。私たちが多くの方々に接触するのは控えるべきでしょう」

「ああ、慎重に動かなければならん。だからキョウヤ。あらかじめ言っておくが、くれぐれも慎めよ」

「――おい。なんで俺だけ注意されるんだよ」


 納得がいかないといった表情で、キョウヤが唇を尖らせる。


「毎度毎度よぉ。俺が高校生相手にどうかするとでも思うのか、お前さんは」

「…………」

「……んだよ、その目は」

「胸に手を当てて考えてみろ。そして思い出せ。……ったく、自覚がないのなら問題だぞ」


 呆れながらため息をつくカイ。


「相手の歳なんて関係なく、貴様は呼吸をするようにナンパに走る万年発情期野郎だろうが」

「さすがに言い過ぎだろテメェ! お前は俺が女だったら何でもいいみたいに思っているんだろうが、違うぞ。そりゃ、まあ? 俺のストライクゾーンは結構広めよ? だけどよ、さすがに未成年に手は出しませんて。実際、新明大学のときだって何もしてねぇだろうが。――なあ、レイジ?」

「は、はぁ……」


 いきなり振られても、答えに困る織笠は苦笑いするしかない。確かに彼の言う通り、大学構内では大人しくしていたが、その後の捜査で彼の好色っぷりを見てしまっている。しかし、それは彼の情報入手のための常套手段なのだから、織笠も軽蔑しきれない。


「ねぇねぇ、ユリカちゃん。俺、そんな素行悪いかな?」

「最低ですねぇ」

「ぶふぉっ!」


 爽やかな笑みと涼しげな声でさらりと斬り捨てるユリカに、キョウヤはガクリと崩れ落ちる。落胆しながらも、それでもめげずに立ち上がったキョウヤは勢いよく織笠を指さす。


「だ、だったらコイツはどうなんだよ!」

「は!? 俺!?」

「そうだぞ。レイジなんていざとなったら女性が持つ母性本能を全開にさせる大変なパワーの持ち主なんだ! しかもこいつの場合、無自覚だから余計質が悪い!」

「ちょっ、俺がいつそんなの出しました!?」

「クラブのお姉さんの心をいとも簡単に鷲掴んだだろうが! あの人はな、そう滅多にお客さんに本心を見せないことで有名なんだ。鉄壁の城塞だぞ。それを一瞬で陥落させやがって、どんなスケコマシだよ!」

「ぐっ……!」


 言葉に詰まる織笠。事実が事実なだけに反論できない。返答に窮していると、キョウヤがここぞとばかりに立て続けで叫ぶ。


「というか、レイジは年上キラーなんだよ! クラブのお姉さんもそうだし、レアにだって気に入られてんだろ。妖精のモエナだって考えようによっちゃ果てしなく年上だ。こんの、天然タラシが!」

「そうなのですか? レイジさんは年上の方にことごとく好かれる性質なのですか?」


 何故だか興味津々といった表情で、年上のユリカが尋ねてくる。


「ユリカさんも信じないで下さい! おかしいでしょ、語弊です。こじつけが過ぎます!」


 レアは単に研究対象として見られているだけだし、モエナはどちらかといえば姫と従者のような関係だ。なぜかそこに食い付くユリカの誤解を解いていると、カイがこめかみで指をおさえながら言った。


「……あー、話を脱線させた俺が悪かった。だからこんなところで(わめ)かないでくれ」

「そうだよ、どうしてこんな時間に訊き込みすることになったんだって話だろ。それに、わざわざ俺たち全員出張ってるしさ。そんなに人数がいるのか?」

「……まさか、カイ様はこの学校の関係者に容疑者がいるとお思いなのですか?」

「……いや、そうじゃない。確かにその可能性もあるが、現時点で証拠は何もない。……この時間も、人数の多さも全て向こうの指定だ」

「……? どういうことですか?」


 思わず眉根を寄せる一同にカイが答えようとした、その時だった。


「――ようこそおいでくださいました、インジェクターの方々。お待ちしていましたよ」


 まるでこちらの来訪を待ち望んでいたのかのようなタイミングの良さで、来客用玄関から一人の男性がこちらに歩いてくる。


「私はここの校長をしております、桑舘(くわだて)といいます」


 薄い頭髪を整髪料で固め、高級そうなスーツがはちきれんばかりに膨らんだ恰幅のいい男は笑みを浮かべながら言った。


「B班、班長のカイです。そして――」


 カイが他のメンバーを紹介しようとするも、桑舘が手で制する。


「それには及びません。キョウヤ様にユリカ様ですね。勿論知っていますとも。インジェクターの中でもB班は特に優秀なことで有名ですからな。おや、そちらは?」


 桑舘の細い目が織笠を捉えた。


「先日加わった新しいメンバーです」

「ほう……。お名前は?」

「レ、レイジです」


 会釈しながらぎこちなく挨拶すると、桑舘の目がよりすぼまった。じっとりとして湿っぽく、なんとも気味の悪い視線が織笠に絡みつく。


「そうですか。インジェクターは選定基準が限りなく厳しいと伺いますが、貴方は余程有望なようだ」

「は、はあ……」

「桑舘さん、お話の件ですが……」


 カイがそう切り出すと、桑舘は思い出したように頷いた。


「そうですな。では、こちらに」


 桑舘校長に案内され、四人は校舎内に入った。玄関から中央ロビーを横切り、奥へと進む。至るところに学内掲示板の精霊ホログラムが展開されているが、ロビー自体がかなり広々としているためか目には痛くない。


「前々からお訊きしたかったのですが……、インジェクターの皆さんは全員“開拓世代”ですかな?」

「そうですが……、それが何か?」


 桑舘のすぐ後ろを歩くカイが答える。


(開拓世代……?)


 聞き慣れない言葉だった。織笠は隣を歩くユリカにそっと小声で尋ねてみると、どうやら開拓世代というのは『向こうの世界から転移してきた精霊使い』を差すらしい。この世界に住む社会人は大抵、開拓世代にあたるのだが、反対に学生などの子どもは向こうの世界を知らない。そういった者たちをを一括りに『第二世代』と呼ぶようだ。


「ここに限らず精霊学校全般に言えることなのですが……、学生のほとんどは第二世代なんですよ。一般的な認識として精霊学校は第二世代以降の救済措置と思われがちですが、私の考えは違っていましてね」

「……と、仰いますと?」

「開拓世代と第二世代……。この二つを比べたとき、ストレイエレメンタラーの人口が少ないのはどちらだと思いますか?」

「第二世代だよな、そりゃ」


 聞かれるまでもない、といった風にキョウヤは答えた。

 嬉しそうに桑舘は頷く。


「私なんかもそうですが、向こうの世界からの移住者はこちらの生活に馴染むのに非常に苦労する。それは長く向こうで生活していればいるほど。余計な固定観念が邪魔をするんですな」


 大きな理由として、精霊使いと人間との地位の差だと桑舘は言う。

 あちらでは、精霊使いはまるで神のような対象として崇められる。ところが、こちらでは皆平等。その扱いの差がどうしても受け入れられず、結果『ストレイ堕ち』してしまうのはよくある話だ。


「ですが、第二世代にはそんなものはない。だからこちらの文化をすんなりと受け入れられる。――この差は大きいですよ。私はね、第二世代こそがゆくゆくこのハイブリッドな世界の主役になっていくと思っているんです」


 歩みを止め、横を向いた彼の視線の先――壁一面のガラスケースに目を細める。中にはトロフィーが隙間なく収められていた。


「……これがその証明だと」

「なに、自慢したいわけじゃありませんよ。ただね、さらなる社会の発展にはよりよい人材を輩出しなければならない責任はあると感じてはいます。――だから今回のことは非常に残念でした。咲島さんは期待の星でしたから」


 精霊学校には定期的に各校を一堂に会して能力を競う大会が催されている。ここに並べられているトロフィーの数々は見る限り、それがほとんど。個人タイトルから学校代表のものまで、毎年総なめしているらしく、彼女の名前が彫られたプレートも沢山あった。


「彼女もまた優秀な遺伝子を受け継いだ純血の子でね。紛れもなく百年に一度の逸材だった」

「確か……父親は環境ホログラムの開発担当者だったとか」

「ご家族も相当ショックを受けているようでした。葬儀の方はこれからのようですが、私も出席するつもりですよ」


 目を伏せ、かぶりを振る桑舘。


「本人もさぞ悔やんでいるでしょうな。こんな形で未来が奪われてしまうなんて……。いや、実に惜しい」


 その言葉とは裏腹に、織笠は微妙な違和感を覚えた。この男の表情や声色には悲壮感のようなものが感じられない。通常ならもっと神妙な態度を取ってもおかしくないのだが。


「咲島さんは下校時に殺害されています。事件当日で彼女を最後に見た人は?」

「どうですかな。詳しい話は担任の大河内君に訊いてみてください」

「……校長のあなたが何の報告を受けていないのですか?」


 訝し気に尋ねるカイに、校長は困ったように笑う。


「我々も今回の事で参ってましてな。マスコミの対応として、彼女の人となりや評判は知っていますが」

「それだけですか?」

「事件は学外で起きたわけですから。私の主観で言わせてもらえるなら、彼女は恨まれるような生徒ではないと思います」


 どこか他人事のような回答に、織笠どころか他の面々も呆れているようだった。要はこの校長は、この学校に殺人者はいないと暗に言いたいのだろう。


「それでは、まずその担任の方からお話を訊きましょうか」

「ああ」


 とりあえずこのままでは埒が明かない。カイが頷く。


「大河内君なら今授業中ですよ」

「では次の休憩時間にでも――」

「いやいや、ちょっとお待ちください。彼の時間を拘束するのはなるべく控えたい。後に生徒にも訊くのでしょう? でしたら放課後にしていただけませんか」

「…………」


 こめかみに指を置き、小さく息を漏らすカイ。

 なら、なぜこの時間を向こうは指定したのか。当初の疑問が頭に浮かぶ。


「私共も仕事です。犯人は未だ不透明。被害者のご遺族を安心させるためにも、融通は利かせていただきたい」


 僅かな苛立ちを見せたカイは「それに」と語気を強めた。


「この時間に来いと指定して譲らなかったのはあなただ」


 睨むカイと、不自然なまでに笑顔を崩さない学長。二人の瞳が交錯し、剣呑な空気が辺りを包む。


「我々も暇ではない」

「ここへは被害者の情報を得るために来たのでしょう? でしたら耳だけでなく、目からも得る必要があるのでは?――さあ、案内を続けましょう」


 嫌な雰囲気を意に介さず、桑舘は再び歩き出す。カイは大きなため息を吐いて、首を振った。


「――なるほどねぇ」


 会話から何かを察したのか、キョウヤが呟いた。


「そういうわけかい。でもよ、突っぱねてもよかったんじゃねーの?」

「ここの建造にはマスターが強く関わっている。融資もしているし、文科省もお気に入りなんだ。失礼は出来ん」

「……どういう……ことですか?」


 いまいち話が見えてこない織笠は首をかしげる。


「あのオッサンはな、セールスがしたいんだよ」

「セールス?」

「ここは優秀な人材を多く輩出してきてんだろ? だから、その手腕を自慢したいのさ」

「はあ」

「アピールだよ、アピール。いわば生徒は商品。んで、俺たちは超極上のお客様。多少強引にでも俺たちの目に触れさせて、唾を付けてほしいみたいなことだろ。こういう事件でも起きなきゃ、俺たちが足を運ぶことはまずないからな。皮肉にもあのオッサンにとっちゃ、またとないチャンスってわけ」

「はぁ!?」


 思わず声を張り上げる織笠。


「自分のところの生徒が殺されているんですよ!?」


 理解できない。激昂する織笠を静めようと、キョウヤは人差し指を唇にあてる。


「常人の神経じゃねぇよなぁ。表と裏で上手いこと顔を使い分けてんだろうよ。腹黒狸ってか」

「……良くも悪くも経営者、ということだろ」


 困ったもんだ、と呆れながらカイは言った。


「ですが、我々インジェクターに精保の人選の決定権はありませんよ?」

「そんなことは向こうも百も承知。俺たちに対するあの人の望みはマスターへの進言なんだろ」

「……ったく、俺たちをスカウトマンかなんかと勘違いしてんのかねぇ」

「……ッ」


 馬鹿馬鹿しい、と織笠は心の中で吐き捨てた。怒りで震える彼の肩に、キョウヤはポンと叩いて苦笑する。


「そう気張んな。これも仕事ってな。納得のいかないこともある程度は割り切らねえとな。でないと、そこのお兄さんのように眉間のしわが消えなくなっちまうぞ」

「うるさい。――行くぞ」






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