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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第四章 未来は嗤う
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 ひんやりとした風が気持ちいい。

 高層ビルの入り口から出た咲島知絵里は、夜空に煌々と浮かぶ満月に向かって白い息を吐きだした。

 もう十月も半ば。通りにはコートを着用し、寒そうに襟元で口元を隠す仕事終わりのビジネスマンが多い。ただ、ハードなトレーニングをこなした彼女とっては、上気した頬を撫でる冷風はむしろ心地良かった。とはいえ、油断をすれば風邪を引いてしまう。咲島はマフラーを巻いて、足早にビルの敷地外へ出た。

 機嫌がすこぶるいい。自然と鼻歌が出てしまうほど浮かれていた。能力査定は変わらずAランク。年齢と共に能力値は上がるとも言うが、それも限界はある。先天的にどれだけの容量があるのか。結局、そこなのだ。

 私は資質に恵まれている。大した努力も苦労もしていないのに、精霊を意のままに操れる。この優越感と充足感。堪らない。

 きっとこのままいけば将来は大企業か、念願の精保に就職出来ちゃうかも。そうなれば薔薇色の人生だ。

 世の中なんて、あまりにちょろい――と、咲島は軽やかな足取りで街中を歩く。

 しばらくして繁華街に差し掛かる。言うまでもなく賑やかだ。アーケード通りには普段の拘束から解放され、各々のプライベートタイムを楽しむ人々。今日が週末なのも心が躍る一因だろう。服が人間を着て歩いているような下品なキャッチを颯爽とあしらいながら、「低俗ね」と鼻で笑う。

 友達と取り留めのないメールのやり取りをしていると、ふと足元のマンホールに目が止まった。この下には、まるで迷路のような下水道があり、終着点となる下水処理施設へと繋がっている。その浄化作業は、主に雨の精霊使いの仕事だ。漠然とだが、いいイメージはない。地味で臭く、汚物にまみれる。一日中そんな場所に軟禁されれば、すぐにでも気が狂いそう。なので、職員の大半はストレイエレメンタラーだと聞く。


(ストレイなんて、何が楽しくて生きているのやら)


 せっかくこちらの世界に来て人生を変えようと意気込んだものの、出鼻をくじかれた者たち。正直、底辺共の気持ちなんてさっぱりだし、分かりたくもない。下級階層の人生なんて、想像しただけで寒気がする。

 比べて、私の未来は何て明るいのか。大手で働き、その能力の高さをフルに活かして世間から注目される。もちろん恋愛だって。私なら数多のエリートを選びたい放題だ。

 際限のない未来を想像しながら繁華街を通り過ぎる。

 自宅である高級マンションが間近に見えてきた。

 咲島の親も高位の能力者だった。精霊を使ったホログラム機器の開発責任者。母はその秘書だったらしい。二人とも才能もそうだが、適応力に優れていた。この国で精霊使いが成り上がるには、誰よりも早く、違うレベルの文明を吸収し新たな知性を身に付けるか。ハイブリッドな生命体になることこそが、成功者の証を手に入れられるのである。

 その優秀な遺伝子を、私は受け継いでいる。親の築いた基盤が私の道を明瞭に照らしてくれているのだ。

 と、等間隔に並ぶ街灯の下、数メートル先に人影の姿があった。年齢的には同じくらいだろうか。少女がこちらに歩いてきていた。

 腰まで届く、綺麗に切りそろえた長い黒髪。なんだか、前に見たテレビ番組の特集で紹介されていた古い人形みたいだった。全身黒で統一された服装は、葬儀の帰りとかだろうか。

 どこかで会ったかな――なんとなくそんな気がしたが、特にそれ以上記憶を辿ることはしなかった。覚えていないのなら、取るに足らない情報なのだろう。


 ただ一点。


 どうにも目を引くものがある。それを少女は、大事そうに胸に抱えていた。どうせカバンだろうと思い、目を離そうとしてギョッとした。

 何と、彼女が抱えていたのは“枕”だった。少女の小さな胸をすっぽりと覆う大きめの枕。

 なぜこんな場所で……? ホテルを閉め出されたわけでもなさそうだが。

 その異様な雰囲気に、咲島は思わず立ち止まってしまった。

 少女は自分を見ていた。笑みを浮かべながら。じっと。

 やはり、彼女は私のことを知っているのか。だが、会釈するでもなく、声をかけるわけでもない。光彩のない黒い瞳は、咲島を捉えて離さない。


(なっ、なによ、この子……!?)


 気味が悪い。

 少女が目の前に立ち止まる。咲島は縛り付けられたように動けない。携帯が手から滑り落ちる。


 そして――少女の唇が裂けるようにゆっくり開く。





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