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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第三章 アンダーグラウンド
30/100

15

 異国の宮殿を模したと思われるカジノは圧倒的な存在感を放っていた。

 そこはまさに、この世界の終点。県境近くまで行けば、もう後は一本道。周囲は雑居ビルに囲まれ、道幅は三メートルもない。その狭い路地を、期待と絶望を浮かべた人が往来する。この区画から逃げ出したいなら、大金を手にするしか道はない。抜け出すなら、死ぬか生きるかの選択を己の運で決めろ――そう言われているかのようにカジノがそびえ待っている、というわけだ。

 中に入り、まず織笠達はエントランスにいた従業員に闘技場について訊いてみた。すると、エレベーターの階層ボタンの下にあるカードキーに、あの赤紫のカードを通せば自動的に地下へ降りる仕組みになっているのだという。

 織笠達は言われた通り実行。地下のフロアへ降りてみる。扉が開くと、暗く細い通路が彼らを迎えた。華やかなエントランスとは真逆な雰囲気。過去は資材搬入の為に使われていたような廊下だ。十メートル先の壁に二つのライトがあり、鉄の扉を照らすのが見える。そこからわずかながら歓声が漏れていた。足早に進み、キョウヤが扉を慎重に開ける。

 強烈な光が織笠の視界を襲い、思わずまぶたを閉じた。暗がりに慣れ始めた瞳には刺激が強かったのだ。そっと目を開け、飛び込んできた光景に織笠は息を飲む。


「うわ……」


 地下格闘技場は、大勢の観客の熱気で満ち溢れていた。

 無機質な倉庫を改造した空間。天井に吊り下がる無数のスポットライトが、中央のオクタゴンリングに降り注ぎ、屈強な戦士達を輝かす。音響は生々しい打撃音が紡ぐ、観客の歓声だ。選手の口から血飛沫が舞う度、ぐるりと囲んだ興奮のボルテージが際限なく上がる。

 ざっと見渡しても空席はほぼ無く、まだ昼前だというのにこの動員数……。娯楽施設の中でも一番の盛況ぶりだろう。

 独特の空気に気圧される織笠とキョウヤ。彼らのもとに連絡が入ったのは、そんなときだった。


「メイガス……。こいつが……?」


 携帯端末を確認したキョウヤの目つきが鋭くなる。


「どうかしましたか?」


 呟きがかろうじて聞こえた織笠が体を寄せると、キョウヤは何も言わず、顎で携帯を示す。見てみろ、とばかりに。精保からの連絡であるのはなんとなく想像がつく。何か判ったのか。

 画面を覗いてみる。


「――ッ!?」


 添付された写真を確認した瞬間、ドクンッと心臓が強く鳴った。

 黒の短髪に頑強な顔立ち――脳内がフラッシュバックする。炎の海と化した路面に悠然と立つ黒コートの男。首を締められたあの苦しさが、感触が、錯覚となって再び蘇る。呼吸困難に陥り、ふらついた。


「お、おい、大丈夫か!?」


 あわや前のめりに倒れかかったところを、キョウヤは慌てて支えた。


「す、すいません。ちょっと思い出しちゃって……」

「……ってことは、コイツ……なんだな?」


 血の気の引いた顔で織笠は頷く。


「はい……。あの時はサングラスをしていて、確か髪の色も少し違いましたが間違いない……と思います」

「そうか……。ナイスタイミングだぜ」


 わずかに口角を上げたキョウヤは携帯を手に持ったまま、移動を開始。出入り口付近の角にある受付へ足を運ぶ。織笠も付いて行ったのだが、突然、キョウヤは受付カウンターの手前でピタッと動きを止めた。


「この下からマナの流れを感じる」


 コンクリートの床をじっと見つめてキョウヤは行った。


「お、お客さん鋭いねぇ」


 受付の男性がニンマリとしながら言った。


「いらっしゃい。よく判ったな」


 坊主頭の貧相な体躯。細い目と頬がこけた、どこかネズミのような男だ。声も酷くしゃがれている。


「何か仕込んでるのか?」

「緊急時用に、ちょっとしたレーザーの壁をな。こんな商売なんでな、自衛には力を入れているのさ」

「なるほどね」


 キョウヤは、視線を左にずらす。受付の横――壁に取り付けられたモニターには、今戦っている両選手のデータ、過去の戦績などが表示されている。そのさらに横には、一見無意味な数字が書かれていた。

 オッズ表だ。選手は賭けの対象となっているらしい。所謂、闇試合というやつだろう。違法な営業、そして日々鬱屈したストレイエレメンタラーが集まっているとなれば、暴力沙汰も頻繁に起こる。防衛設備には十分に金をかけるのも仕方がない、といったところか。


「だいぶ儲けているようだな」

「おかげさまで。で? どの試合にするんだい? 清算端末機に会員証をかざせば賭けに参加出来るぜ」

「生憎、遊びすぎて金欠でな」

「それなら出場希望か? あんたイイ体してるしな」

「途中参戦ありなのか?」

「今日は無理だぜ。選手登録と、一応テストさせてもらう。当然だが契約だ。金は前もって貰っておくぜ。――で、どうする?」

「その前に、ちょっと訊きてぇことがあるんだ」

「あん?」

「人を探してる。もし知ってたら教えてくれ」


 男の目が変わる。剣呑さを露わに、声が一段低くなる。


「この界隈で人探しなんて感心しねぇな。テメェ、ナニモンだ」

「どうも友達が、最近この地区に引っ越したらしくてさ。心配で探してんの。協力してくれよ」


 キョウヤは愛想よくしながら、携帯をかざすが、男はすぐに見ようとはしなかった。まるで値踏みするかのように、キョウヤの全身を睨め回す。

 キョウヤの飄々とした人柄は、こういう場面で本当に役立つ。インジェクターだと微塵も悟られない、隙だらけの笑み。全身を這う男の視線は、どこか爬虫類を連想させる。それを受けて、平然としていられるのもさすがである。自分であればすぐにボロが出てしまうだろうな、織笠はそう思った。

 男は警戒心を維持したまま、じろりと携帯へ顔を寄せる。

 すると、表情が一変した。


「なぁんだ、メイガスじゃねぇか。アンタ、あいつのダチか」

「知ってんのか?」

「知ってるも何も……」


 男は前方を指さした。その先――会場の中央、リングに向けて。

 ドッと、爆発にも似た無数の声が沸く。試合が終了し、歓声と非難が対極に入り交じる中、勝者が誇らしげに腕を上げていた。

 もちろん、その男は違う。ならば、観客の中に紛れているのか。織笠達は目を凝らし、メイガスを探す。ただ厄介なのは、オールスタンディングだということ。今の位置からでは全てを見渡せられない。これでは、直接人の壁をかき分けていく、骨の折れるやり方しかなさそうだ。


「……おい。どこに――」


 苛立ち気味のキョウヤが訊ねるようとした、その時。

 突如、会場全体が暗転。観客の興奮が、さざ波のように徐々に静まっていく。


「な、何だ……!?」


 機材の故障か。織笠は困惑した。


「照明を落としたんだ。慌てんな」


 冷静にキョウヤは言った。確かに、周囲の反応は落ち着いたものだ。いや、少し違う。観客は、どこか無理矢理感情を押さえつけているような、それでいて、そわそわと何か期待するような(たかぶ)りが、暗闇でもひしひしと伝わってくる。


「さぁ、お待ちかねだぜ。お二人さん」


 受付の男が楽しげに言う。

 リングの上で、巨大な長方形の平面ホログラムが起動。ゆったりと、一定の速度で横回転しながら、英文が表示されていく。何かの演出、なのは理解出来た。英文自体も難しくはないが、それを補足してか、抑揚のない合成音声がアナウンスされた。


『会場にお集まりの皆さま、大変長らくお待たせ致しました。ただいまより本日の第四試合、カテゴリーエレメンタル・タイトルマッチを行います』


 再び沸く観客。興奮をさらに煽る大音量のロックが鳴り響き、様々なライトがめまぐるしく、そして派手に会場を照らす。高揚感の渦が場を支配。こういう雰囲気に不慣れな織笠を飲み込んでいくようだった。


「すご……」

「メインイベントってわけか。……ってか、カテゴリーエレメンタル? まさか、力の解放オーケーなのかよ、ここは」


 不穏な声色で、キョウヤは疑問を投げかける。


「とーぜんよ。ルールに縛られないのがウリの地下格闘技で、精霊だけ禁止すんのもツマンネェだろ。一応、アリかナシで分けちゃいるが、人気なのは断然コッチだ」

「力を敢えて制御して闘う連中が、こんな場所にいるとも思えねぇが……。もし、殺っちまったらどうすんだ」

()()禁止にしているが、まっ、ザラに起こるね。その場合、不慮の事故扱いで通す。どうせ存在価値のない俺達が死んでも誰も悲しまねぇし、ニュースにもならねぇ。何より盛り上がるんだ。運営側の俺達からすれば、派手にやってくれりゃあそれだけ儲かるし、関係ないのさ。代わりも調達し放題だしさ」

「……ぞっとしねぇな」


 へらへら笑いながら平然と説明する男。さすがのキョウヤも苦虫を噛み潰したような顔で、舌打ちした。

 超えてはならない一線。社会が上手く循環するためとはいえ、政府が敢えて見放したこの隔離世界では、個人の尊厳すら既に失われているようだ。

 キョウヤはきっと歯痒さを覚えているのだろう。このシステムに、現状に。いや、それは昔からなのかもしれない。この場所に足を踏み入れた事で、表面上見せない正義感が頭をもたげたのではないだろうか。


『選手入場』


 アナウンス直後、会場の左右にある巨大な両開きの扉が重々しく開く。焚かれたスモークが勢いよく噴出して、その中から人影が二つ現れた。

 空調設備など設置していないにもかかわらず、風が巻き起こり、煙を払う。演出に違いないだろうが、まるで煙が意思を持ち、恐怖から逃げ出しているようだ。

 二人の全身が露わになった瞬間、歓喜の雄たけびが会場全体を揺るがした。

 片方は赤髪を逆立てた、いかにもやんちゃで喧嘩慣れしていそうな男。

 そして。

 もう一方は。


 ――あいつだ!


 織笠から見て、上手からリングへ歩く男の姿に目が釘付けになる。ルール上そうなのか、それともそれがあの男のスタイルなのか、上半身を露わに、下はレザーパンツという衣装。黒のオールバックから垂れた数本の白いメッシュが入った前髪。厳つい顔つきは嫌でも脳裏にこびりついている。先日の苦い記憶、それに携帯の画像、そして現在――全てが一致。三つのメイガスという人物がリンクした。


「ようやく拝めたぜ。あいつが……」


 対象を前に、キョウヤは笑みを見せた。静かに、それでいて地を這うような唸り声だった。


「ウチが誇る、絶対的なチャンピオンだ」


 受付の男が自慢げに語ってくる。


「78戦、78勝、無敗。69KO。正に無敵。圧倒的な実力で、ことごとくマットに沈めてる。相手は再起不能、もしくはションベンちびって降参――運が悪けりゃあの世行きだ」


 正直、耳にしたくない情報だ。不安になりながらも、織笠はメイガスを注視。サングラスで隠れていた双眸は、鋭く血のような赤。試合前だからか軽い興奮状態らしく、肩で息をして、蒸気した汗がまるで可視化したオーラのようになっている。


「ここの経営が上手くいっているのも、メイガスのおかげさ。お前さんらもアイツ見たさに来たのなら、一気にファンになっちまうぜ」


 受付の男が熱く語る通り、その人気ぶりは凄まじい。「メイガス! メイガス!」と、あの男のコールが鳴り止まない。自分達の希望、夢の体現、その象徴――英雄を通り越して、どこか神格化さえしてしまっている雰囲気だ。

 メイガスと赤髪の男がリングの上へ。中央で足を止め、至近距離で睨み合う。ああやって相対すると、メイガスは赤髪の男よりも一回り大きい体躯なのが分かる。赤髪の男も程々に筋肉質だが、正直、規格が違う。

 試合開始を告げるブザーが鳴り響く。

 まず、赤髪の男がバックステップし、距離を取った。小刻みにステップをしながら、相手の出方をうかがう。

 一方、王者は微動だにしない。仁王立ちのまま、無表情でじっと赤髪の男を睨め付ける。挑発でないのは、この場にいる誰もが感じているだろう。無防備なようで、その実、全く隙が無い。

 見えない圧力。まだブザーが鳴って十秒程しか経っていないというのに、赤髪の男のこめかみ辺りから大粒の汗が滴り落ちた。

 さらに十秒、十五秒、二十秒と時が過ぎた。赤髪の男は確実に追い詰められているようだった。まだ何もされていないのに。きっとビジョンが見えていないのだろう。勝利するイメージが、まるで湧かない。やがてステップは止まり、呼吸がどんどん荒くなっていった。

 リングは彼にとって、デッドエンド。無言の威圧はある意味、攻撃になっていた。


「ああああああああああッ!!」


 耐えられなかった。焦燥の叫びと共に、赤髪の男は前方へ高く跳ぶ。そのまま蹴りの体勢に入ると同時に、右脚が黒く染まった。植物の(つる)のようなものが三本、うねりながら脚を侵食する。

 黒は闇の象徴。触れた対象の活力を容赦なく奪う。――つまり壊死。輪廻のために、黄泉へ誘うのである。

 おもむろに、メイガスの左腕が顔の横まで上がる。彼が起こした動作はそれだけ。

 蹴りが眼前に迫る――が、赤髪の男が空中で動きを停止した。姿勢を維持したままの、硬直した状態。急制動をかけられた闇の精霊は、力の行き場を失い、衝撃波となって周囲に激しく散った。


「なッ……!?」


 驚愕に目を見開く赤髪の男。

 メイガスの左手が赤髪の男の足首を掴んでいた。

 無理もない。精霊の宿った攻撃を素手で封じたのだ。メイガスが大地の力を発動させた気配はなかった。

 赤髪の男は必死にもがくが、固まったセメントに突っ込んだように、びくともしない。

 純粋な握力。

 しかし、何を思ったのかメイガスはその手を離してしまう。着地した赤髪の男は一瞬キョトンとしたが、すぐに次の一手に移る。

 目にも止まらぬ猛攻をしかけた。が、メイガスはそのことごとくをかわしてゆく。

 実力差は明らかだった。

 やがて避けるのも飽きたのか、メイガスは鼻から息をもらして腰を落とす。岩石のような拳が男の腹に沈んだ。


「が、は……ッ!」


 男が苦悶の表情で腹を押さえる。声にならない呻きを発し、その口からは大量のよだれがこぼれる。がくがくと足を震わせながら、後ろに後退っていく。あの強烈な一撃を喰らって、倒れないだけまだ立派だ。

 こんな有利な状況下でも、メイガスは依然無表情。憐れむでもなく赤髪の男へ近づく。

 会場全体の熱量は一気に上がった。「倒せ」という非情なコールの連呼。

 その声に応えたわけではないだろうが、メイガスは男の横っ面に回し蹴りを浴びせた。今度もまともに受けてしまった男は、きりもみ状に回転しながら勢いよくリングの外へ。突風を巻き起こしながら、織笠達がいる方角のコンクリの壁にめり込んだ。

 一瞬、水を打ったような静けさになった観客も、圧倒的なパフォーマンスを理解すると、歓喜に沸いた。


「んまぁ、強すぎて試合にならないのが、悩みなトコだねぇ」

「…………」


 キョウヤは腕組みをして、ずっとメイガスを睨み続けていた。何か思案しているようだが、織笠には分からない。あの戦いぶりを見せられて臆した、なんて思えないし、思いたくない。

 試合を終えたメイガスは、早々に踵を返し控え室に戻ろうとしていた。

 これからどうするんですか――そう訊ねようと口を開いたとき。キョウヤが振り返り、受付の男に言った。


「なぁ、さっき確か途中参戦はオーケーつったな?」

「あ? ああ、腕っぷしに自信があれば、こちらは来るもの拒まずだが……」


 その返事を待っていたかのように、キョウヤの目が細くなる。


「……キョウヤさん?」

「ちょっくら行ってくるぜ」


 織笠の肩をポンっと軽く叩く。

 まさか――そう思った時には、キョウヤは既に宙を舞っていた。

 観客の最後尾から十列以上越えて、軽やかにリングの上に着地。当然、何事かと観客からざわめきが起こる。その異変に気付いたメイガスが足を止め、振り返った。

 ――視線が交錯する。


「……よぉ、チャンピオン」


 口元に笑みを滲ませ、キョウヤは言った。




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