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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第三章 アンダーグラウンド
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14

 一夜明けて、早朝。


 カイは精保に出社せず、ある場所出向いていた。

 ――警視庁。

 昨晩の織笠の報告を受けたカイは、矢崎の過去について探りを入れることにした。といっても、精保のデータベースには精霊使いの情報しかない。ネットなどで過去の資料を見ても、それは一般的に公表されているもののみ。

 欲しいのは、一部の限定的な情報。

 新明大学建設の際、資金調達をどうしたのか、である。

 方法としては、まず聞き込み。大学関係者から話を聞けば、有力な情報を得る可能性は高いだろう。

 しかし、カイがまず足を運んだのはここ。

 端的に言えば、非常に強力な情報屋がいるのだ。


「よぉ、おはようさん」


 エントランスの受付で呼び出してもらうと、その人物は数分と待たずやって来た。さすがこの国の中心を管轄する組織、それに出勤時間もあって、人の出入りはかなり激しい。にもかかわらず、その深みのある低音の声は、騒然とした空間によく響いた。


「すみません、こんな朝早くに」

「いや、いいってことよ。そろそろ来る頃合いだと思っていたしな」


 カイが深々と会釈したのは、静郷晴信だった。気だるげに着崩したスーツから覗く筋肉は、とても五十代とは思えない精悍さ。加えて、豊富な経験を価値に、知性と行動を兼ね揃えたベテラン刑事。この業界の生き字引である。


「……矢崎について、だな?」

「さすがですね」


 笑みを漏らし、肩をすくめるカイ。


「今日は相談があって来ただけ、だったのですが」

「ハッ、嘘つけ。冗談なんて似合わん真似はやめろ」


 彼には、今日来ることを知らせていない。

 矢崎殺害事件の捜査権は精保に移譲している。それでも静郷は、きっとこの事件を極秘に、無論独断で調べていたのだろう。長年の刑事の勘――というものなのか、今回も彼の鋭敏な鼻が何かを嗅ぎ付けたようだ。

 以前にも、似たような事件――つまり、人間対精霊使いの時には、彼の情報提供が役立った。


「ったくよぉ、あまり横着すんなよ。俺に頼らず、ちったぁ自分の足で稼げや」

「もちろんそのつもりでしたが、まずは静郷さんに訊ねた方が手っ取り早いと思いまして」

「けっ、老体をこき使うんじゃねぇっての」


 言いながら、軽くカイの胸を小突く。静郷の人懐っこさは彼の魅力の一つだ。

 しかし、その笑みは一瞬にして影を潜めた。


「まぁ、いい。今回は特別だ。……レア嬢に免じてな」

「……知っておいででしたか」

「たりめーだろ。精保は事故として処理したんだろうが、なにせタイミングがな。嫌な予感はしてた。――で、どうなんだ?」

「重体です。意識もまだ回復していません」


 静郷は沈痛な面持ちで、「そうか……」と声を落とした。彼の建前ではないその優しさが、ほんの少し救われる。


「あいつなら大丈夫ですよ。静郷さんが気に病んでいると知れば、きっとすぐにでも目を覚まして酒を酌み交わそうとするでしょう」

「……だな。あれだけの酒豪が簡単にくたばるはずがねぇやな」

「どの分野に於いてもタフですから、アイツは」


 違ぇねぇ、と静郷が笑う。


「それじゃ行くか。お互いこんなトコでチンタラやってる暇はねぇ。――場所を変えるぞ」




 案内されたのは、小さな会議室だった。中央に配置された長机には、座り心地が悪そうなパイプ椅子が数脚。部屋の周囲は壁に沿う形で高い棚があり、中には過去の事件のファイルのようなものが並べられてあった。


「……歴史を感じさせる部屋ですね」


 机にはうっすら埃が乗っていた。そこに一台だけ置かれたPCが最新なのは、静郷の持ち込みだからだろう。


「この国がまだ人間しかいない時代に使用していたらしいよ。紙媒体の報告書も珍しいだろ」

「というより、懐かしい気分ですね。現在は使われていないのですか?」

「完全な物置と化してるな」


 静郷は椅子にどかっと腰を下ろす。


「なら余計な邪魔は入らない。悪さもしやすい……と」

「そういうこった」


 静郷は胸ポケットから何かを取り出すと、カイへ向けて放る。キャッチしたカイが手を開いてみると、そこには小さなチップが乗っていた。


「感謝します」


 チップをPCに差し込み、キーボードを操作。空中に平面モニターが投影される。


「お礼は近々頼むぜぃ」

「……さっきレアのためだと言ったじゃないですか。あれは嘘ですか?」

「この件じゃない。過去の清算がまだだろう?」


 画面に顔を向けたまま横目で一瞥。静郷のにやついた顔がカイに向けられている。

 静かな室内に、カイの大きなため息。

 静郷のこの含みを持たせた笑みが何を意味しているのか、カイにはおおよその見当がついていた。確かに、彼には借りは多い。律儀なカイとしては、それを返したいと十分に思ってはいる。しかし、いかんせん彼の提案してくる案件はカイには荷が重いのだ。


「……一応伺います」


 待ってました! とばかりに静郷は勢いよく身を乗り出すと、拝むかのように手を合わせ、叫ぶ。


「頼む! 一回でいいからウチの女子と合コンしてくれ!!」

「別のものでお願いします」


 速攻で拒否して、カイはうなだれる。

 やっぱりかよ、と。


「そんなこと言わないでくれよぉ。アイツら事あるごとに催促してくんだぜ。お前と繋がりあんのは俺だけだからホントしつこいし。さっきだって気付いただろ、女性陣の熱い眼差しを」

「…………」


 確かに。

 言われてみればこの会議室にやって来る直前に何人かの女性警察官とすれ違ったが、こっちに視線を送っている様子だった。こっそり遠巻きに見ていた者もいる。

 だからといって特に気に留めなかった。

 よくあることだ。しかも、この場所に限ったことではない。

 それは、決して自惚れなどではなく。

 あれはどちらかと言えば、好意ではなく好奇。

 単純に物珍しさからくる視線だ。言ってみれば、自分は動物園で輸入された肉食獣のようなものだろうか。

 加えて規律で占められたこの空間に、こんなホスト紛いの風貌をした男が闊歩していれば、見過せという方が無理だろう。


「そんなもの、それこそあのニコチン中毒にでも頼めばいいのでは?」

「若い子はああいうタイプがいいんだろうけどな。そこそこキャリアがあって、プライドの高い才女はお前が理想なんだそうだ。『私と釣り合うのは彼しかいない!』とな」

「興味ありませんね」


 粗雑な返答に静郷は口を尖らせた。


「んだよぉ。もしかしてお前、純血志向か?」

「まさか。差別的思考なんか持ってませんよ」


 現代の恋愛事情。この問題は人々の悩みの種の一つになっている。

 基本、人間と精霊使いの恋愛は自由。人種の違う彼らが愛し合うことに異議は唱える者はいない。精霊使いがこれだけ溢れるこの世では、規制する方が無理、野暮というものだろう。

 ただ、その延長――婚姻に関しては度々議論の的になる。

 まず、人間と精霊使いでは寿命が圧倒的に違う。片やいつまでも若々しく、片やどんどん年老いていく。こんな夫婦が幸福なのか。末路には悲しい結末しかない、というジンクスまである。

 そして、さらに大きな懸念材料として、遺伝子がある。

 両者の間に産まれる子は、当然ハーフになる。となれば、精霊を扱う能力は確実に希釈され、先天的なマナ含有量も少なくなってしまう。中途半端な存在。そう揶揄され、時には差別の対象となる。だから、優秀な血統は受け継がれるべき、という純血派の精霊使いも多かれ少なかれ存在しているのである。

 個人単位では危惧しなくても、世代を重ねればいつか弊害が訪れる。未来へ不安視する声は、確実に広まりつつあるのだ。

 なので、婚姻は禁止していない。しかし推奨もしないというのが現状である。


「どのみち今は忙しすぎて、プライベートに時間を割く暇はありませんね」


 フォルダ内から目当てのものを探してみると、それらしきものを発見。

 創立当時から記録された資金繰り表だ。


「こんなもの、短期間でよく調べ上げましたね」

「事務担当からちょいと拝借したのさ。実質責任者が殺されたんだ、拒否はせんよ」


 モニターを複数に展開し、順番に目を通していく。経営は上手くいっていたようだ。あれだけの設備を維持するのは大変だろうに、年々黒字に転化している。

 ざっと読んだだけでは、目につく点は見当たらない。


「最後のページを見てみな」


 静郷に言われるがまま、カイは画面に触れる。表示されたのは、資金繰り表とは別枠で作成されたような表だった。


「これは……」

「そいつはな、学長室から見つかったもんだ」

「……矢崎氏が自ら管理していたデータ……ですか?」


 真剣な面持ちでカイを見据える静郷が頷く。

 どうやらこのリストは、大学建設の際、矢崎が特定の個人から借金した額をまとめたもの――要は返済表らしい。

 それを聞いた途端、カイの目つきが変わった。食い入るように表を見始める。


「……やはり、かなりの人数が矢崎氏に出資しているな」

「みてぇだな。知人であったり、元同僚であったり……。ざっと二十はいるか」

「一人ひとりの額もそう軽々用意出来る量じゃありませんね」


 額イコール信頼の証。ずらりと並んだメンツも壮観だ。

 政治関係者だけでなく、経済界から芸能界まで大物だらけ。矢崎のパイプの多さ、太さはさすがだ。

 ただ、その誰もが人間ばかり。しかも一年ほど前に、全員借金は完済しているようだった。


「……ん?」


 出資者のリストの最後に見知らぬ名を見つけた。


久慈(くじ)五月(さつき)……。誰ですか、こいつは」


 カイは画面から静郷に視線を移す。静郷はかぶりを振ると、両手を頭の後ろで組んで、椅子に深く寄り掛かった。


「そいつだけ身元が掴めねぇんだよなぁ。誰に訊いても知らないって言うし」

「プライベートの友人……ですかね」

「だろうなぁ……」


 謎の人物。この人物もまた、他の有名人ら程ではないにしろ、多額の出資をしているようだ。日付を確認すると、返済が終了したのはリストの中で一番最後。となると、生活に余裕があるのか、もしくは余程のお人好し……なのだろうか。

 交友関係が広いのも困りものだ、とカイは嘆息した。


「ただな、ここ最近、頻繁に矢崎が電話で揉めているのを見た者が複数いるって話だ」

「相手は?」


 静郷は困ったように鼻息を噴き出した。


「外部の者ってことだけは確かなんだが……。内容も、職員が尋ねても教えてはもらえなかったらしい」

「その相手が怪しいといえば怪しい、か……」

「決定打には欠けるがな」


 同時に二人が唸りを上げる。

 金銭絡みの線は空振りなのか。怪しい影はちらつくものの、一向に明瞭への道筋が見えてこない。

 ――と。

 カイの携帯が鳴った。着信はアイサからだ。


「どうした?」

『ユリカ姉が精保に戻りました。何でも重要な情報を入手したようですよ』


 なぜアイサがわざわざ……と思ったが、ユリカは携帯を持っていないのだ。どうも機械類全般が苦手らしく、よくそれでインジェクターが務まると思いもするが、彼女は戦闘特化型だ。さして支障も出ない。

 キョウヤがいれば、直に風の精霊で連絡も取れるのだが、今はそれも適わない。仕方なくアイサに頼んだのだろう。


「――分かった。すぐ戻る」


 カイは静郷に感謝を述べ、急いで部屋を後にした。





 精保インジェクターB班オフィス。


「ご苦労だったな、ユリカ」


 車を飛ばして戻ると、ユリカは休憩スペースのソファでお茶をすすっていた。ねぎらいの言葉をかけるカイに、ユリカは優しく微笑む。


「疲れているところ早々に悪い。さっそくお願いできるか?」

「いえいえ。これも務め、ですので」


 疲労の色など微塵もないユリカは、湯呑みをそっとテーブルに置く。


「東京全域に範囲を限定し、有力な大地の精霊使いに今回の事件について話を伺って参りました。――結果、関与の事実はなし。全員の裏付けも取れています」

「まぁ、現在犯人は練馬のスラム地区にいるわけですし、本人確認が取れた時点でアリバイの証明になりますよね」


 と、アイサ。


「ええ。ですが、それはあくまで目的の一つ。さして重要でもありません」


 淡々とした口調ながら、ユリカは微笑みを絶やさない。彼女は懐に忍ばせたメモ帳を取り出し、続ける。


「犯人は熟練の能力者。そこで心当りを伺うと、驚くことにみな共通して、一人の人物の名を挙げました」

「……それは?」


 数秒の間を、敢えて置くユリカ。そして、その名をゆっくりと丁寧に言った。


「“メイガス”」


 メイガス……。カイは繰り返し呟く。初めて聞く名だった。


「有名なのか、そいつは?」

「ええ。その方は数十年前、まだ精霊使いが人権を得て間もない頃、矢崎様の護衛役を務めていました」

「護衛役……。つまりSPか」

「え……。それって、矢崎さんが議員の時ですよね?」


 目を丸くしてアイサが訊く。

 珍しい、とカイは思った。通常、一介の国会議員にSPはまず就けない。選挙ならまだしも、専属で傍に置くのには何の意味があるのか。


「当時、矢崎様は精霊推進派の筆頭。敵も多かったはず。もしものために、雇い入れていたのではないでしょうか」

「だろうな。精霊使いの価値を世に示すきっかけ作りとしてなら、最高の職業だ」

「ん~?」


 アイサが首をかしげる。


「でも、そんな事実があったなんて、私初耳ですよ? 政治とかあまり興味ないからかもしれませんけど……」

「公表は意図的に伏せていたようですね」

「なぜだ? 矢崎氏なら、そこまで計算した上で精霊使いを選ぶと思うが」

「矢崎様の中ではそう計画されていたようですわ。伝え聞く限りでは、どうやらメイガス本人の希望だったとか。元々、矢崎様とそのメイガスという男性、彼らはとても仲のいい間柄でした。友人関係故に、自分の存在を公にすることで非難されるのは避けたかったのでしょう」


 あの時代は、人間と精霊使いの関係はまだ今のように構築されていなかった。望まぬ客人は冷遇され、まるで危険物のような扱いだった。恐らくは、矢崎も周囲から相当反対されただろう。

 それでも積極的に接触を試み、今日の環境の礎を築いた、まさにパイオニア。彼には本当に頭が下がる思いだ。


「ですが、矢崎様が議員を辞職なさってからは、行方が分からなくなっていたのです。噂では人間の女性と結婚し、和名は奥様の苗字から、『久慈五月』と名乗りひっそり生活していたようなのですが」

「久慈五月……?」


 その名を耳にした途端、ハッと目を大きく見開くカイ。


「どうかしたんですか、カイさん」

「そいつは、新明大学建造の際、矢崎氏に出資した内の一人だ」

「マジですか!?」


 カイは一時間程前に交わした静郷との会話を二人に話した。

 親友の元・SPにして、出資者。口外を避けられていた人物。

 唯一、矢崎と深い関わりを持つ精霊使い。

 ――遂に見つけた。カイの全身が徐々に熱を帯びていく。

 さっそく検索を開始。間もなくヒットした。


「――メイガス。来日歴、四十八年。大地の精霊使い。ユリカ姉の報告通り、こっちに来てからは警護職に就いています。しかし、現在無職。矢崎さんが辞めたと同時に、この男も仕事を辞めたようですね。そのため、社会に貢献していないという理由からストレイ堕ちしています」


 アイサがプロフィールを読み上げる。

 画像には、黒いオールバックの男が映し出されている。武骨な顔に獣を彷彿とさせる鋭い眼。元来、大地の精霊使いは男性の場合、体格に恵まれるケースが多い。この男も同様に、まるで格闘家のようなガタイだった。

 こいつが……。

 不意に怒りがこみ上げてきた。モニターの男をしばらく睨めつけるカイ。レアはこいつにやられたのか。

 いや、断定は出来ない。あくまで容疑者だ。

 やがて、怒りを無理やり抑えつけるように、大きく深呼吸を数回。努めて冷静な口調で、アイサとユリカに告げる。


「この情報をまずはキョウヤに。その後、俺とユリカは二人の応援に、アイサは一応だがメイガスの自宅に向かってくれ」





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