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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第三章 アンダーグラウンド
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13

「傷は深くねぇみてぇだな」


 キョウヤが織笠の肩口を観察しながらそう言うと、傷口にそっと手をかざす。ぼうっ、と淡く柔らかな緑の光が手の輪郭を包み、傷口に付着――覆っていく。知覚する痛みの緩和。精霊が起こすそよ風がなんとも心地よかった。


「風の力って……、傷を癒すことも出来たんですね」


 織笠が感嘆していると、キョウヤは小さく微笑む。


「雨や光に比べると効果は弱いけどな。あっちはそれこそ専売特許――、再生だ。人の生命や肉体を司るわけだしよ」

「あら、でも風だって“時間”を操作しているわけでしょ。その特性は誇るべきじゃない」


 横からモエナが口を挟む。


「んーな、大層なもんじゃねーよ」


 精霊使いの能力に、精霊の性質変化というものがある。

 そもそもの役割は自然の均衡を保つため、人為的に精霊を発生させる。これは自然現象をそのまま作り出すだけなので、大した労力は使わない。

 精霊使いはその用途によって、変化を起こし、様々な影響をもたらす。

 あの殺し屋の使った炎をナイフのように形状を変え、己の武器とするもの。

 だが、それとは別に、精霊を人体に浸透させて様々な効果を発動させるものがある。

 言わば、活性化。

 炎が司る“力”や大地の“防壁”といった、『強化』を目的としたもの。肉体に精霊を宿し、一時的ではあるものの増幅効果を得る補助的な変化。

 もう一つが雨の“鎮静”や、光の“生”といった『治癒』である。精霊を損傷部分に直接付与し、人が持つ自然回復を意図的に早めてしまうものだ。精保のレストルームとは違い、人間に対しても適用できるのが利点だ。

 ただし、いずれも効果は個々の能力に左右される。その差が精霊使いとしての優劣を決めると言っていい。

 ただ、風の性質変化は独特で、世界に影響を及ぼすもの――それが“時”なのである。


「時を操る……? じゃあ、これは……」


 肩口を見ながら、不思議そうに織笠は呟く。出血は止まるどころか流れた痕跡すらなくなっているし、傷口もほぼ塞がりかけていた。


「今お前にやってんのは、正確には治療じゃねぇ。時間の遡及なんだ。身体を傷を負うより前の時間に戻しているだけに過ぎねぇ」

「いや、何気に衝撃的な発言なんですけど……」

「だーかーらぁ、時間を進めたり巻き戻したりっていうのは局所のみなんだよ」


 キョウヤは治療を行う手とは反対の手で、頭を掻く。恐らく、誤った見解で勘違いされるのが面倒なのだろう。


「例えば、だ。どんなに優秀な風の精霊使いが雁首揃えたとしても、タイムリープを起こせるわけじゃない。そんなのやったら世界が狂うだろが。道義に反することは無理な仕様になってんだよ」

「はぁ……」


 それでも感心してしまう織笠。そこへモエナの手厳しいツッコミが飛んでくる。


「……というか、アンタそれでも新明の学生? 基本的な知識なんだから覚えときなさいよね」

「はは……」


 勉強不足を指摘され、織笠は誤魔化し笑いを浮かべる。ジトリ、とした目に睨まれ「すいません」と謝ると、露骨に呆れられてしまった。


「そ、それより、この殺し屋達は誰の差し金なんでしょう?――まさか……、犯人が俺たちの追跡に気付いた……?」

「それはねぇな。どうせコイツ等は自称殺し屋なだけの、ただのチンピラ。そもそも対象はレアをも退ける手練れだぞ? わざわざ雇う必要がどこにある?」

「あの男は簡単ではあったけど、変装してましたし……。目的は果たしたんだから、ひっそりと俺たちを殺せば……」


 キョウヤが軽く笑う。


「犯人にとってこれは逃走じゃない。ただの帰宅。向こうのテリトリーに侵入したのは俺らなんだから、追っ手に勘付いたならもうとっくに()ち合ってんよ。――ほらよ、終わったぜ」


 気付けば、すっかり傷はなくなっていた。痛みも完全に消え、織笠は安堵した。


「ありがとうございます。……でも、じゃあコイツ等は……」

「分からねぇか? 簡単な消去法だろ」


 試すような口ぶり。キョウヤには、けしかけた人物に確信があるようだ。

 織笠が思考を巡らすと、すぐに思い至った。心当たりは一人しかいない。


「このホテルのオーナーさん……ですか?」


 窺うように訊ねると、キョウヤは目を細めた。


「ったく、短絡的だよなぁ。脅されて焦ったんだろ、どーせ」


 元々は宿泊の裏サービスで、法外な請求を拒んだ客への対処に雇った用心棒だったのだろう、そうキョウヤは付け足す。だとすれば、この即座の対応も納得はいくが……。


「口封じのためにしちゃナメてるよな、インジェクター相手によ。報酬をケチっている時点でアウトだっつーの」

「でも、証拠は……」

「こんだけ大騒ぎになってんのに、あのオッサン様子すら見に来ねぇ。今頃、優越感にでも浸ってるのかね」


 キョウヤはおもむろに立ち上がった。


「そんじゃま、過激なサービスへのお礼に行きますか。――レイジ、コイツ等縛り上げるから手伝ってくれ」

「はっ、はい。――ん?」


 腰を上げかけ、そこでふと織笠の目が留まる。

 キョウヤの背後――昏倒する男の傍に何かが落ちていた。


「どしたー?」


 織笠がにじり寄ってみると、それは光沢を放つ長方形の物体だった。色は赤紫。男の所有物なのか、どうやら倒れた拍子にパンツのポケットから落ちたようだ。


「……何だろ、これ……」


 拾い上げた織笠は思わず眉根を寄せた。

 一見すると、何かのカードらしかった。




「ヒイィッ!!」


 数十分後。

 ロビーに降りてきた人影が、キョウヤ達だと分かるやオーナーの男は悲鳴を上げ、腰を抜かした。椅子から転げ落ち、壁にへばりつく。

 なんて分かりやすい反応。織笠は拍子抜けしてしまう。


「どした、おっちゃん。そんなに驚いちゃってぇ」

「ななな……なんで……」

「おいおい……」


 キョウヤは鼻で笑う。


「レイジはともかくな、あんな雑魚で俺が殺れると思ったのかい?」

「わ、私は知らない、何のことだか私は知らない!!」

「シラを切るにも、そのビビりようじゃなぁ……。自白してるようなもんだぜ?」


 織笠を見て、肩をすくめるキョウヤ。と、一瞬で表情を消したかと思えば、いきなりカウンターの扉を蹴破った。


「ヒッ!!」


 キョウヤは怯えるオーナーの胸倉を片手で掴む。中年の体重を腕の力だけで一気に持ち上げ、そのままグイッと顔を近づけさせる。


「いいか、確かに交渉の材料として話を持ち出したのは俺だ。だがな、今日来たのはテメェを逮捕するためじゃねぇ。裏の商売なんざ勝手にやってろや。こっちだって別件で忙しいんだよ」


 キョウヤの地を震わすような低い声がオーナーを襲う。


「口を割らねぇんなら、それで結構。後で上に転がってる連中に吐かせりゃ済む話だ。それともアンタも味わうか? インジェクターに喧嘩を売った罰をよ」


 ……怖ッ。

 本当に堅気の人間かと疑いたくなる迫力である。

 殺気が可視化されているのか、緑の燐光がキョウヤの全身を取り巻く。

 キョウヤの腕がさらに一段膨らむ。男が苦しげに呻いた。あれでは呼吸もままならないだろう。現に、泡を吹き始めている。


「やりすぎですよ、キョウヤさん!」


 慌てて織笠が止めに入る。彼も本気ではないだろう、あっさり手を離すとオーナーが床へ尻から落下した。


「再犯するようなヤツだからなぁ。これぐらいやっといた方がいーのよ」

「……会話も出来なくなったら意味ありませんてば」


 呆れながら織笠は言うと、激しくむせているオーナーに近寄り、腰を下ろす。


「すいません。少し伺いたいことがあるんですが」

「ヒィアアア!」


 オーナーが頭を抱えてうずくまる。

 やれやれ。織笠はかぶりを振る。なるべく優しく声をかけてみたつもりだったが。これでは脅しが効き過ぎだ。

 だがこちらも襲われた以上、同情してやるつもりは毛頭ない。


「あの殺し屋達はどこから雇ったんですか。その組織名を教えて下さい」


 ぶるぶる震えながら、オーナーはゆっくり顔を上げた。質問の意味が読めないのか、怯えた表情のまま織笠を見つめる。


「なっ、なぜそんなこと……」

「詳しいことは言えねぇ。ただ、俺らが追ってるヤマに関係があるかも知れないんだよ」


 ジャケットのポケットから取り出した煙草を口に咥えて、キョウヤが言う。


「あいつら、みみみ、みんなフリーランスだ。ここじゃ貧乏人は山ほどいる。その中から腕が立ちそうなヤツを適当に声をかけて雇った、それだけだ!」

「ふ~ん。提携先をゲロっちまったら、今度はオッサンが仕返しされるかもしれねぇしな。スポンサーは裏切れない、か」

「ウソじゃない! 本当なんだ、信じてくれ!!」


 必死に叫ぶ様が余計に怪しく映る。もし、殺し屋を斡旋する組織があれば、あの黒衣の男に繋がるかもしれない。可能性は決して低くないはずだ。


「……じゃあ、これは何ですか?」


 織笠がパンツのポケットから取り出したのは、あの赤紫のカード。殺し屋を捕縛する際に調べてみると、なんと全員が同じカードを所持していたのだ。

 カードには白文字で『KALI』。

 織笠は、これが彼らの所属する組織名だと睨んでいた。


「これに、心当りは?」

「そいつは……『KALI(カーリー)』のカードじゃないか」

「だからぁ、その『KALI(カーリー)』が何なのか訊いてんだろ」


 苛立たしげに語気を強くするキョウヤ。


「ち、地下格闘技場の名前だ。私もくっ、詳しいことはしし、知らない」

「地下格闘技……?」


 聞き慣れない言葉に織笠は首をかしげる。


「簡単に言やぁ、ただの喧嘩大会だな」


 振り返ると、キョウヤが眉間に皺を寄せていた。紫煙をフゥーと吐き出して説明を続ける。


「ただし、プロがやるやつとは違う。反則技オーケー、ルール無用のガチンコファイト。主に不良やケンカ屋が、生活のために文字通り己の身体一つで金を稼ぐわけだ。これがまた一部のマニアに人気があってな……。けどよ、そんなの都市伝説かと思ってたわ。最近出来たのか?」

「い、いやもう何年も前ですよ。最初はひっそりとやっていたそうなんですが、つい最近人気が出始めて……」


 ということは、このカードはその会場に入るための会員証、又は、出場者だけが持つ登録証か。あの殺し屋達が、日々の生計を立てるために通っていたとすれば、オーナーの証言に嘘は無くなる。

 織笠はオーナーに向き直り、再度問う。


「その場所はどこですか?」

「ここから西にあるカジノの地下、らしい。私もアイツらが話しているのを聞いただけで行ったことはなっ、ない」

「……あそこか」


 キョウヤが呟く。


「行ったことが?」

「ああ。まさか地下格闘技までやってたとはな。――調べる価値、ありそうだ」


 西、ということは、さらにこの地区の奥に進むのか。歓楽街、違法ホテルときて、今度はカジノと地下格闘技。ここは本当に、人の歪んだ欲望をとことん具現化したダークサイドだ。こんなところにいつまでもいれば、自分まで闇の沼に引きずり込まれそうになる。

 すり減る精神を踏ん張らせ、織笠は立ち上がってキョウヤの言葉に強く頷いた。






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