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19.異世界にて舟を編む:辞書と辞典と図鑑と愛と

 タイトルにも使った、「舟を編む」ということばは、もとは、三浦しをんの小説の題名です。小説では、辞書をことばの海を渡る舟にたとえ、一冊の辞書が改訂されて出版されるまでを書いています。

 もちろん、そこには、辞書の話だけではなく、出版社の人間模様や恋愛も描かれています。もともとの掲載されていた雑誌の読者の層に合わせて、なじみのないプロフェッショナルな世界5割、人間模様5割といったところでしょうか。


 もっとも、私にとっては残念なことに、『舟を編む』には、それほど辞書の意味が描かれていませんでした。

 辞書はことばの意味を説明するだけでなく、ことばがどのように使われてきたのかという歴史の移り変わりを読ませるものでもあります。

 辞書が作られるには、さまざまな背景が必要です。たとえば、さまざまなものの中からことばがどのように使われているか調べるのですから、調べるための人手や時間が必要になりますし、それにかかるお金も必要になります。また、どう使われているのか確かめるもとになるもの……たとえば、本の場合には、出版の文化(印刷の技術)がないと成り立ちません。

 さらに、ことばを集めようという状況……たとえば、外国からたくさんのことばが入ってくるけれど意味がわからんだとか、ワカイモノのことばが乱れておるぞよケシカランだとか、他者の存在とそれに向けた対抗心も必要になります。


 このような辞書の歴史や背景がよくわかるのが、オックスフォード英語大辞典の話、『博士と狂人』です。この大辞典は、ビクトリア女王の時代に、偉大なる大英帝国の栄光を世界に広めるために作られました。正しい支配は、正しいことばからだったわけです。


 ただし、辞書ネタについては、タイトルに使っておいて何なのですが、そのものをファンタジーの素材にするのは、難しい気がします。

 ことばと権力を巡る話がないわけではありません。たとえばオーウェルの『1945』ではことばを制限することで思想の統制が行われていますし、井上ひさしの『東京セブンローズ』ではGHQ支配下の戦後日本で、日本語を守ろうとする人たちが戦っています。

 辞書と絡めるなら、「方言札」でしょうか? それとも辞書バトル? 持っている辞書のことばの収録数と「正しさ」(現実に使われている用法にどちらが近いか)で戦う話なら、おもしろそうな気がします。

 ですが、あらゆる本を調べ、矛盾を見つけ、それを集めて整理するという作業が、辞書作りだと何十年にもわたって続くのです。辞書の妖精とおじいさん……しか思いつきません。


 辞書にもそれぞれの特徴があります。どのようなことばが収められているか、どのような説明がどんな順番でされているか(一般的に使われている意味→マイナーになったもともとの意味という順番もあれば、その逆もあります)、どんな紙に印刷されているのかなど……

 小学生向けの辞書だと、フォントも重要です。今は、だいたいの辞書が教科書体で印刷されていますが、昔は明朝体だったり、ゴシック体だったりしたこともありました(フォントによって字の形が違うものもあるので、大切な問題なのです)。


 『舟を編む』では辞書を舟にたとえていましたが、私にとっては、辞書は水先案内人です。

 辞書の中には、学級委員長なまじめちゃんもいれば、セル眼鏡のオシャレ娘もいます。ちょっとファンキーな娘もいれば、ワンピースと麦わら帽子の少女もいます。他にも、ショートパンツが似合う脚の長い女の子や、前衛的なスタイルの女の子(でも性格はおとなしい)、お姉ちゃんのかげにかくれちゃう引っ込み思案の女の子、ロリータ保母さんとさまざまです。

 私のお気に入りは、ファンキー娘と美脚少女です。知らない海を回るのですもの、どうせなら好みのタイプといっしょにいたいと思いませんか?

 息子にもハーレムをと思っていたのですが、残念ながら、まじめちゃんひとりだけをパートナーにするように指定されてしまいました。がっかりする私に夫いわく、今の学校の先生に辞書を使って「○○ということばを調べてごらん」という授業ができるわけないだろう、「みんな、○ページを開きましょう」ということでいっぱいいっぱいなのだからしかたがないと。

 まあそれはそうですが、辞書くらい比べて楽しみたいのが人情だと思うのです……


 当たり前の話ですが、辞書や図鑑に載っていることは正しいです。しかし、載っているからといって、正しいわけではありません。

 たとえば、ライオン(ゴリラでも良いですが)を思い浮かべてください。そして、手元の図鑑で調べてみてください。

 ライオンやゴリラは、オスとメスの体の特徴が大きく違う動物です(性的二型(せいてきにけい)が大きいともいいます)。共学の学校の制服を説明するときにセーラー服だけを紹介してはならないように、オスとメスの特徴が大きく違う生き物の場合は、片方の説明だけでは不十分なのです。

 また、オスとメスと子どもの絵があっても、ライオンやゴリラのようにハーレムを作る動物なのに、父ひとり母ひとり子ひとりという、いわゆるヒトの核家族の姿を載せてはいけません。たとえるなら、ひとりかふたりのイケメンに女子が群がり、それを遠巻きにする男子の図、というようなものをわかるように載せないと、「正しい」ライオンやゴリラの説明にはならないのです。


 多くの辞書や図鑑が改訂され、これだけたくさんのものを説明していますなどと宣伝されるたびに、私は動物園や博物館を見ているような気になります。

 地上のあらゆるものを収集し、説明し、飲み込み続ける……それは、私には、世界征服を目指しているように思われるのです。


 古くなった辞書や図鑑はいらないものです。しかし、私は、ゴジラ姿のティラノサウルスを棄てることができません。ほんとうはどうなのかよりも、なぜそうなったのかという理由そのものに興味があることもありますし、どう変わってきたのかを知ることは、どう変わるのかを考える、ひとつの目安になるからです。


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★辞書を編む

・三浦しをん『舟を編む』お仕事人情小説のお手本。辞書自体にフェチだと、萌え指数は低くなります。へえ〜と思いより、ああそうだよね、いまさら?と感じてしまうため。U14/難易度中。


・サイモン ウインチェスター『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』鈴木主税/訳。R15/難易度中。完成までに七十年の歳月をかけた「オックスフォード英語大辞典」の知られざる真実というやつ。

 シェークスピアの時代には、いわゆる辞書がなかったとか、国家事業としての辞書の編纂(へんさん)だとかのへえ〜ポイントはかなりありますが、いちばん印象に残ったのは、この事業に深く関わったひとりの天才……博士であり狂人である人の半生でした。

 裕福な家庭に生まれ育ち、医者として南北戦争に従軍し、脱走兵に焼印を押す処置を命令され、やがては精神に支障をきたし、殺人を犯して、精神病院で生涯を終えたって、まるで物語です。


★辞書の出てくる話

・貴志祐介『十三番目の人格(ペルソナ) ISORA』。親戚の家で虐待されていたヒロインが唯一、持つことを許された本が国語辞典だった気がします。R15/難易度高←ホラー苦手なので。

・コナン ドイル「赤毛連盟」。辞書を丸写しするだけの、簡単なお仕事を紹介します。


★辞書と図鑑とフェミニズム

・サイ モンゴメリー『彼女たちの類人猿―グドール、フォッシー、ガルディカス』羽田節子 (訳)。R15/難易度高。フェミニズムの本。サルの章その2で紹介済み。


★紹介した本いろいろ

・ジョージ オーウェル『1984』(訳いろいろ)。チョー有名な、ディストピア小説。R15/難易度高。

・井上ひさし『東京セブンローズ』R15/難易度中?

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