93.置き土産
「あ、クノン君はもう来ませんので。
落ち着かなかった人もいたかもしれませんが、安心してくださいね」
ジェニエ先生がそう告げると、三級クラスの皆はすんなりと受け入れた。
特にざわめくこともなかった。
なんだかよくわからないまま始まり、気が付けば終わっていた。
大半の生徒はそんな気持ちだったから。
授業に混ざっていた特級クラスの生徒がいて。
そして、いなくなった。
本人が言っていた通り、三級クラスにいたのはほんの数日のこと。
誰とも親しくなる前だったので、特に誰も何も思うことがない、というのが正直なところだった。
一部の生徒を除いて。
「――でさ、やっぱすごい子だったみたいだよ」
休憩時間となり、ジェニエが教室から出ていった。
その間に、顔が広い生徒が語り出す。
彼はクノンの情報を集めていた。
本当に数日しかここにいなかったので、いなくなった今聞いても……という感はあるが。
しかし、気にならないと言えば嘘になる。
三級クラスからすれば、特級クラスの生徒とはかなりの実力差がある。
そんな子がなぜここにいたのか。
本人は単純に「魔術を習得するため」と言っていた。
だが、特級クラスの生徒が、三級クラスの授業で、何を学ぶことがあるというのか。
クノンが嘘を吐いていたかどうか。
本当はどういうつもりでここにいたのか。
その辺の事情を知りたいと思う者は、少なくなかった。
――集まった情報によると、やはりクノンは、三級クラスにいるのはおかしいという結論に達する。
「睡眠を提供する」という新しい商売は、学校中で有名だ。
盲目の魔術師が始めた――クノンの名前が売れ出したのは、あの商売からである。
聖女の霊草栽培に一枚噛んでいる、というのも本当らしい。
まだ詳細は伏せられているが、これは歴史に名を遺す偉業である。
クノンはそれに関わっているとかいないとか。
あとは、三派閥の掛け持ちをしていたりとか、女友達が五十人はいるだとか、女性との食事で何十万も払ったとか。
裏の取れない細々した噂も合わせて、いろんな意味で三級クラスのやることではない。
だが、そんなことよりもだ。
「――あの花って霊草だったの?」
昨日の朝、かのリム・レースに差し出した美しい花はなんだったのか。
魔術で作ったという、よくわからないあれはなんだったのか。
「私に聞かれてもわからないよ」
差し出されて、受け取った当人であるリム・レースは、問われても何がなんだかわからないままである。
確かに昨日は怒っていた。
ときめきを返せ、と。
あんな口説き文句じみた感じで綺麗な花なんて差し出されたら普通にときめくだろうが、と。
胸が締め付けられるような思いをさせた責任を取れと。
だが、しかし。
「……確かに気になるけど」
あの花も気になるし、あの花をどうやって作ったのかも気になる。
魔術でできた花を出して、クノンは言っていた。
「魔術に興味を持ったか」と。
結局クノンが期待した通りになった。
リムを含めた数名が、あの花を生み出した魔術に、興味を抱いていた。
リムだけは、心情的に非常に癪だが。
あんな弄ばれ方をして穏やかでいられるわけがないが。
「――よし、よし……よし……!」
そして、クラスの皆がクノンの噂話に興じる中。
グリフス・キーヴァだけは、自分のことで夢中だった。
一昨日、昨日と、少しだけクノンに教えて貰った「水球」。
練習に練習を重ね、本気で打ち込んだ結果。
昨日の夜、ようやく、たった一つだけ球体の「水球」が出せるようになった。
維持も数も水量もまるで足りない雨粒のような「水球」だが、それでも、完全な球体である。
いつもの変な形の「水球」ではなく。球体だ。
この成果を、ぜひともクノンに見てもらいたかった。
だが、いなくなったのであれば仕方ない。
だからグリフスには目標ができた。
一年か、二年か、あるいは三年か。もっと先か。
いずれ特級クラスまで上り詰め、クノンに自分の魔術を見てもらおう、と。
たった数日しかいなかった、特級クラスの生徒クノン。
彼は、ささやかながら興味の種を蒔いて、去っていったのだった。
そして、ちょうどその頃。
「――彼はクノンだ。二、三日この教室で授業を受けるから、仲良くしてやってくれ」
「――クノンです。よろしくね」
つい先日まで三級クラスにいたクノンは、今日は二級クラスの教室にいた。
二級クラスの水の紋章一年生を担当するサーフ・クリケットの要望で、呼ばれてやってきたのである。





