70.次はどうする
「「ごちそうさまでした」」
「……うん。はい」
レストランから出てきたところで、クノンは少し後悔していた。
ランチだけで二十二万ネッカ。
これは絶対に侍女に怒られる出費だ。
――無事冒険者ギルドで商談がまとまり、聖女、侍女二人とともにランチが済んだところである。
向かったのは高級レストランだった。
料理も悪くはなかったし、値段も「少し高い」程度だったが……
ワインが効いた。
ワインが高かった。
ヴィンテージだかなんだか知らないが、二十万もするワインだなんて。
そんなものを注文するだなんて。
確かに「何を頼んでもいい」とは言ったが、限度があるだろう。
――安易に奢るなどと言ってはいけないという、いい教訓になった。
紳士は失敗しても取り乱さず、繰り返さないよう優雅に学ぶもの。
女性の前では特に。
自分にそう言い聞かせて、クノンはぐっと涙を飲んだ。
「そうだ。レイエス嬢、今後のことについて少し話しておきたいんだけど」
気分を変えるためにも、クノンはランチの話を切り捨てることにした。
「今後のこと? あ、これからパフェも行こうって話ですか? クノンからは何度となく誘われていましたね」
聖女がそう言うと、侍女たちがきゃっきゃ言いながら喜んだ。
あれだけ呑み食いしたのに、まだ入るらしい。
遠慮を知らないあの大人たちは。
甘い物が入る別腹はミリカ殿下も持っていたなぁ、と思いつつクノンは話を続ける。
「これから、あの試作品の観察と経過を見守ることになる。
僕の見込みでは最低三ヵ月は使えるはずだけど、もしかしたらもっと短いかもしれない。保存状態による経年劣化も見ないといけないし、それによっては改善案もいくつも出てくるはずだ。
ひとまずはここで一区切りでいいと思うけど、やるべきことは山積みなんだよ。
ちゃんとした完成までは、一年や二年は掛かるかも」
「そう、ですね……」
聖女は冷静に考えた。
目の前の金銭問題は解決したが、まだ本質的な解決はしていないのである。
あの丸薬は、あくまでもまだ試作品。
向こう三ヵ月の収入は確保できたが、その先の保証はない。
ただ、それでも、時間の猶予ができたのは大きい。
すでに財政はギリギリだっただけに。
「それでね、ここからはレイエス嬢に任せようと思ってるんだ」
「え?」
「もちろん加工なんかの手伝いはするからね。僕も無関係ってわけじゃないから」
「そんなっ……いえ、そうですか。そうですね」
思わず引き留める声が出そうになったが、聖女は堪えた。
クノンには、もう充分己の用事に付き合わせた。
金銭問題を相談して、一ヵ月以上が経つ。
何くれと面倒を見てもらったと思っている。毎日の昼食の面でもだ。
霊草を使った商売の計画を立てたのはクノンだ。
そして毎日のように様子を見に来て、記録を付けて。霊草の種を用意したのもクノンである。
これ以上聖女の問題に付き合わせるのは、さすがに悪い。
単位取得の問題もある。
いつまでも同じ研究、同じことをやっているわけにもいかないのだ。
別に今生の別れになるわけじゃない。
そもそも霊草シ・シルラの商売にクノンも一枚噛んでいる以上、今後も顔を合わせる機会は多いだろう。
行き詰まったと思えば、相談くらいはしてもいいはずだ。
いつまでもおんぶに抱っこでは駄目なのだ。
今は無理でも、いつかクノンが困った時には相談に乗れるようになりたい、と聖女は思った。
そのためにも、もっとしっかりしなければ。
「スレヤ先生もいますし、大丈夫だと思います」
「僕もそう思う。先生とレイエス嬢、相性も良さそうだし」
同じ光属性同士なので、確かに話が合う面も多い。
「――それでね、レイエス嬢。これから言うことは僕の希望でしかないんだけど」
そう前置きし、クノンは語った。
「君の結界以外の方法で、霊草シ・シルラの栽培を成功させてほしい。そしてできることなら薬の値段を下げてほしいんだ」
「……値段を?」
「今はお金に困ってるかもしれないけど、お金を稼ぐ方法は別にもあるし、ある程度はシ・シルラの栽培規模を広げればどうとでもなるでしょ?
ジルニさんが言ってた通りだよ。
傷薬が必要な人に渡らないと意味がない。
でも便利な薬が完成したって、高くて買えないんじゃ今と変わらないじゃない。
取引先を冒険者ギルドに決めた以上、彼らの需要に柔軟に応えていく必要はあると思うよ」
クノンの言葉を聞き、「薄利多売」という言葉が聖女の頭を巡る。
その言葉を、頭を振って振り払う。
「怪我人を助けるために、たくさん作って安くで提供するのですね? できるだけ多くの人の手に渡るように」
ここのところお金のことばかり考えていた。
しかし、聖教国の教義は、聖女の役割は、絶対に安易なお金儲けにはない――ということを、久しぶりに思い出した。
本当に久しぶりに。
飢えは神の教えを忘れさせる。
危うく金儲けの魔性に染まるところだった。
「きっと簡単じゃない。スレヤ先生も長年研究してるけどまだ成果が出てないそうだよ。
シ・シルラの栽培に関しては、きっと君の力が最大限役に立つと思うよ」
霊草の栽培は、クノン自身も興味深い研究テーマだと思う。
だが、如何せん光属性を持ち合わせていないので、手の出しようがないのだ。
研究する資格がない、と言っても過言ではない。
それこそ光属性の特権とも言うべきテーマである。
もっと言うと、今は聖女だけが栽培できる独占状態にある。
彼女にはぜひとも、独占の現状維持ではなく、更なる発展を目指してもらいたい――と、個人的に思っている。
「……ふうん」
そしてクノンの知らないところで、侍女ジルニの好感度が上がっていた。
クノンの進言は、まさにジルニが求めていたことだから。
――しかし残念ながら、ヴィンテージワインを頼んだ彼女に対するクノンの好感度はちょっと低い。
取引と、高くついたランチが終わり、再び学校に戻ってきた。
「おかえりなさい。どうだった?」
聖女の教室で待っていた教師スレヤに、取引の結果を伝える。
「そう。よかったわね」
特級クラスの生徒は、自分の生活費を稼がなければならない。
金銭問題で悲鳴を上げていたことを知っていたスレヤは、聖女の悩みが解消したことを喜んでくれた。
「僕とレイエス嬢の共同研究は、この辺までにしようと思っています」
ついでに、ここからはクノンが霊草栽培の研究から離れることを伝える。
「先生とのお別れはつらいですが……」
「そう。クノン君は属性が違うから仕方ないわね」
「あーあ。明日からスレヤ先生と会えない日があるかもしれないなんて、僕は耐えられるだろうか。耐えられる自信がないなぁ」
「うふふ。人妻をからかっちゃダメよ」
まあ、何はともあれだ。
霊草シ・シルラの栽培に関しては、ここで一旦終了となる。
教師スレヤに研究成果と成長記録を提出する。
あとは教師陣が精査し、単位を与えるかどうかが決定する。
――まあ、霊草の栽培成功なんて、何気に歴史に名を残してもいいくらいの偉業である。単位をくれないということはないだろう。
「……さて」
聖女、教師スレヤと別れて、クノンは廊下に出た。
一仕事終わった。
ハンクのベーコン造りも終わったし、リーヤの「飛行」も報酬を出した。
聖女の金銭問題もなんとかなった。
彼女は基本的なお金の稼ぎ方は覚えたはずなので、ここから先は、きっと自分の出番はそんなにないだろうと思う。
――ようやくクノンの身が空いたわけだ。
「睡眠」の商売を軌道に乗せたり、図書館の本が気になったりと、自身の活動はまだ始めていない。
そろそろ何か始めてもいい頃だ。
というか、単位を獲得するために、次の研究を始めるべきだ。
「とりあえずベイル先輩に会いに行こうかな」
まず思い浮かんだのは、「実力の派閥」代表ベイル・カークントンのことだ。
相談したいことができたので、会いに行くことにした。
会いに行く相手が女性じゃないのは残念だが、歩むクノンの足取りは軽かった。





