485.まだ秘密の話と、秘密の話
「――いやちょっと待て! 待てって!」
自分で考えろ。
優しい言葉でそう言ったクノンは、立ち上がった。
慌てるベイルに、更に言う。
「いやあさすがにちょっと……さすがに少し軽蔑しちゃいますよ、先輩」
まさか呼び出されて。
女性へのプレゼントを相談されるだなんて。
そんなの想像もしていなかった。
「……割ときついこと言うじゃねぇか」
「言いたくなかったですけどね」
魔術師としてのベイルは尊敬している。
信頼している。
頼りにもしている。
きっと「実力の派閥」のメンバーも同じ気持ちだろう。
実力面も精神面も。
人格面も。
「実力の派閥」の代表。
リーダーに相応しい人物だと思う。
もしクノンが困ることがあれば。
間違いなく、相談しようと思う相手の一人である。
だが。
だからこそ。
「ひどい質問でしたよ、本当に。
先輩からそんな愚問は聞きたくなかったです」
「ぐっ……いや、ちょっと待ってくれ。少し話をさせてくれ、頼む」
――仕方ないので、クノンはもう一度座ることにした。
このまま帰ったら。
ベイルと疎遠になってしまいそうだったから。
軽蔑のままに。
「ここだけの話にしてくれ。
その……まだ話せないことと、普通に話せないことがある」
ベイルの前置きに、クノンは頷く。
「まず、俺は今年度で卒業する」
「えっ!?」
驚いた。
いや、しかし。
「……そうですか」
そう意外でもないのか。
年齢的に見れば。
多くの特級生が、二十歳前に卒業する。
ベイルもその例に漏れない、というだけだ。
色々と事情があるのだろう。
だから、突っ込んで聞く気はない。
「寂しくなりますね。
卒業後のご予定は? 学校に残らないんですか?」
故郷に帰るのか。
それとも、魔術学校に残って何かしら仕事をするのか。
「残れねぇんだ。
……俺はさ、ごく普通の家に生まれた庶民だから」
それだけでわかってしまった。
そう。
わかってしまった。
「国が呼んでいるんですね」
「ああ。
なんせ俺は三ツ星だ。
希少属性ではないが、魔術師の中でも珍しい方に入る。
おかげで、国から手厚い援助を貰っちまった。
金の心配はいらなかった。
思うがままに魔術の勉強をして、優秀な家庭教師もついて。
そんな幼少期を過ごして魔術学校へ来たんだ。
まあ、そのおかげで、卒業後の進路はもう決まっちまったけどな」
そして、だ。
「婚約者がいるんですね?」
「半分当たりかな。
まだ決まってはいねぇけど、国が決めるってさ」
なるほど。
狂炎王子ジオエリオンと同じ理由か。
彼は言っていた。
魔術師としての価値がどこまで上がるか。
それで結婚相手が決まる、と。
きっとベイルもそうなのだろう。
……つまり、だ。
「エリア先輩の気持ちには気付いていた?」
「あたりまえだろ」
言葉にかぶせるような、強めの一言だった。
なんだか、こう。
逆に安心する一言でもあった。
「さすがにエリアは露骨すぎるし、周りの気遣いも露骨だし。
あれで気付かない奴いるか?
いたら本物のバカだろ」
よかった。
頼れる先輩は、本物のバカではなかったようだ。
「俺の卒業だのなんだのは、いずれメンバーにも話すつもりだ。
だから、しばらくは内緒な。
で……この先は、マジで秘密の話な」
クノンは頷く。
ここまでの話を聞く限り。
もしかしたら、ベイルを軽蔑しないで済むかもしれない。
「エリアって貴族の娘なんだ」
「あ……ああ、そうですか……」
そうか。
わかった。
ベイルが、バカなふりをしていた理由。
エリアの気持ちに気付かないふりをしていた理由。
そう。
将来的には必ず別れるから、だ。
今付き合ったとしても。
二人の関係を、国が許さないから、だ。
もっと言うと。
エリアに残せないからだ
「昔付き合っていた男がいる」なんて傷を。
なんだか全身の力が抜けた。
「なんというか……叶わぬ恋、みたいなアレだったんですね……」
エリアがかわいそう、とは思う。
思う、が。
こればっかりは……。
クノンも貴族の息子。
いわゆる特権階級の侯爵家に生まれた。
特権階級にあるがゆえに。
国の意向などには逆らうことはできないのだ。
民の税で生きている面もあるのだ。
立場や役目を無視するということは、民を無視することである。
個人的な感情では動けない面がある。
「俺は貴族方面のことはよくわかんねぇけど。
でも、庶民とどうにかなるってのは、難しいんだろ?」
「難しいですね」
結婚は親、あるいは国が決めるから。
家同士の繋がりだから。
好きじゃない相手と結婚する。
そんなの珍しくもない。
だから愛人とかなんとか。
貴族にはそういう存在がいることが多い、らしい。
その点。
自分は恵まれているな、とクノンは思う。
クノンはミリカが好きだし。
彼女もきっと同じ気持ちだから。
「庶民の恋人がいたとか、まずいんだろ?」
「そ、そうですね」
「女は特にまずいんだろ?」
「……はい」
実際はどうあれ。
貴族界隈では「傷物にされた」と見なされるだろう。
家の名に傷がつくし。
結婚相手にも苦労するだろう。
「な? どう考えても、って感じだろ?」
「え、ええ……」
ベイルがバカなふりをしていたこと。
なんだか至極ベストな態度だったように思えてきた。
「おまけに出身国が違うんだよな」
「ああ、そこも……」
ダメなのか。
そこもダメなのか。
もし国さえ一緒なら、まだ可能性はあったと思う。
ちょっと大変かもしれないが。
ベイルが爵位を貰ったり。
あるいはエリアの家の婿に入ったり。
そうすれば、結婚はできたかもしれない。
大変かもしれないが。
だが、国が違うのは致命的だ。
そうそうない。
貴重な魔術師を国外に送る国など。
どこの国だってそうだ。
ヒューグリアだけ例外、なんてこともないだろう。
「そもそもさ。
俺は魔術を学びに来たんだぜ、恋人とか考えてられねぇよ」
「……」
相槌を打つことさえつらくなってきた。
エリアの笑顔が脳裏をよぎる。
そして、とんでもない速度で遠ざかっていく姿が見えるようだ。
縁がなさすぎる。
二人がくっつく未来が遠すぎる。
それに――彼女には悪いが。
クノンも、ベイル側の意見だ。
今限りあるこの時間を。
この貴重な学びの機会を。
やれ恋だの、愛だの。
好きだの、嫌いだの。
会いたいだの、会いたくないだの。
そんなことに費やしていていいのか。
いいとは、思えない。
「第一な」
「まだなにかあるんですか」
聞くのがつらい。
この事実を知った時のエリアの絶望を考えると。
本当につらい。
こんなことなら。
さっき、ここを出ていくべきだったのかもしれない。
知らないままでよかったのではないか。
いっそベイルを軽蔑したままでも、よかったのではないか。
そう考えてしまう。
「――俺、エリアのこと好きじゃないんだよな」
「そのセリフは許せない」
カッと来てしまった。
ここまでの話で、色々と貯め込んできたものが。
怒りになって出てしまった。
エリアがあんなに想ってるのに。
あんなに露骨に想っているのに!
好きじゃないってなんだ!
言い方があるだろ!
それがレディに対する言葉か! やはりバカか!
「いやいや落ち着けって!
俺、妹がいてよ! あいつ似てんだよ! すげー似てるんだ!」
妹。
……妹?
「あいつのこと妹みたいにしか思えねぇ! 女として好きとかで見れねぇんだ! 自分でも驚くほど見れねぇ!」
「……」
ベイルは申し訳なさそうだ。
本当に。
クノンの怒りが、一瞬で鎮火するほどに。
……。
「……結構抱えてたんですね」
迷いというか、悩みというか。
まるで見えなかったのに。
そんなのを抱えているようには。
そもそも見えないけど。





