481.ウフル・シヴァン
2025/11/23 修正しました。
2025/11/25 修正しました。
「え、踊るの!?」
ユシータは驚いた。
あまりにも突然の出来事だったから。
サンドラとクノンが、教室の真ん中で向かい合い。
手を重ねた。
――傍目にはわからないのだ。
――見えない力で引っ張られたなど。
だから、ユシータは思う。
――ここで踊り出すほどイカレてるのか、と。
サンドラとクノン。
この第一校舎に来るようになってから。
あの二人は、態度がおかしかった。
恐怖心がないのか、とか。
すでに正気じゃないだけか、とか。
もしや過去何かあって感情が死んでいるんじゃないか、とか。
何度思ったことか。
それくらい平気で、平然としていたのだ。
クノンにいたっては徹頭徹尾意味がわからない。手とかいっぱいつけて。害はないからとか。バカか。ないわけあるか。バカ。害しかないだろそんなもん。バカ野郎か。
それで、これだ。
まさかこの状況で踊り出すつもりか。
ノリノリか。
踊らない音楽などないのか。
なぜだ。
なぜそこまで浮かれていられるのか。
周りを見ろ。
霊も怪異もいっぱいだぞ。
影でも覗いてみろ、絶対に何かと目が合うから。
「――次の曲で入って!」
目を疑う光景に加え、耳も疑う。
カシスが言ったのだ。
次の曲で入れ、と。
絶対に一曲しか演奏しない、と。
何度も何度もしつこいくらいに念を押していたカシスが。
もう一曲やるのか。
しかも、感情が死んでいるサンドラとクノン。
この二人が踊るのを見守るというのか。
「……ふぇ」
本当に意識していない、小さな小さな悲鳴が洩れた。
もうガチのやつだ。
おかしい。
三人ともおかしくなった。
今ここで、ユシータだけがわかっていない。
この状況についていけていない。
これはつまり。
ここで正常なのは、ユシータだけということか。
「……」
自覚して、怖気が走った。
声も出ないほどのガチなやつだ。
四人いて。
三人がおかしくなった。
……残った一人は、どうしたらいい?
――逃げるしかないだろう!
もはや三人は、ユシータの知っている友人ではない。
何かに憑かれた怪異になり果てた。
逃げるしかない。
逃げるしかない!
そして誰か助けを……そう!
聖女を呼ぼう!
霊を浄化してもらおう!
第一校舎全部を大掃除してもらおう!
ユシータは息を殺して。
足音を殺して。
そろりそろりと出入り口へ移動する。
急げ。
静かに急げ。
この曲が終わるまでに、ここを出ないと。
一生囚われてしまうかもしれない。
そんな強迫観念に襲われ。
しかしそれでも、静かに静かに移動し。
そしてついに、ドアに手を掛けた。
「…っ」
ガチ、と、絶望の音がした。
開かない。
開かない。
開かない開かない開かない開かない!
なんということだ。
薄々そうなんじゃないか。
そう思ってはいたが、この予感だけは当たらないでほしかった。
本当に……嫌な予感だけは当たるものだ。
――やはり、そうか。
何度もドアを開けようとした、ユシータの手が。
力なく落ちる。
――やはり。
――やはり、この空間は、きっと。
「踊らないと出られない教室」になっているのか。
「いいか、この手のダンスに型はない」
ユシータが絶望していることなど知らず。
サンドラとクノンは打ち合わせをする。
――次の曲が始まるまでは、待機のようだから。
恐らくカシスも、今。
見えない力に操られている。
各々、やるべきことはわかっている、と思う。
「元々即興で生まれた曲だ。基本のステップとアドリブでいい」
「はあ……でもそれ、踊る相手って長年連れ添った夫婦とかですよね?」
基本のステップとか。
アドリブとか。
それこそ何度も踊り。
一緒に歳を重ねてきた、息の合う夫婦。
そんな二人だから、即興で合わせられるのではないか。
「……そこが問題なんだよな」
クノンの言う通りだ。
サンドラもわかっている。
せめて一度二度踊ったことがあれば。
いや。
出身国が同じで、共通の基本ステップさえ知っていれば。
それならサンドラが合わせられると思うのだが……。
それでも、やるしかないのだ。
きっと拒否権はない。
踊らないと許してくれないだろう。
「足踏んでもいいし蹴ってもいいから、萎縮だけはするなよ。
ダンスなんて、どんな失敗しても平気な顔して堂々としてりゃ、案外見れるからな」
「わかりました」
そろそろ曲が終わる。
背に回るクノンの手に、力が入る。
サンドラはパートナーに身を寄せる。
少しばかり身長差があるが。
まあ、このくらいなら問題ない。
ウフル・シヴァン。
永遠に続く、古い古い二重奏の片方。
きっとこの片翼の旋律は。
何年も、何十年も、ここで旋律を紡いでいたことだろう。
――そして、今回だけは別。
片翼の相方と。
踊る人形が揃った。
今回だけは、欠けていたものが全部ある。
緊張が走る。
大事なのはファーストステップ。
ここが合わないと、崩れかねない。
曲が終わる。
次の曲が始まる。
ずっと同じだったのに、でも、今回だけは違う曲が。
「――」
合った。
手から伝わる力で、クノンが動揺したことがわかる。
本人的にも、合うとは思っていなかったのだろう。
踊ったこともないし。
気も合わないパートナーだから。
だが、合った。
二人が同時に踏み出した足は、ぴったりと揃っていた。
サンドラが合わせた。
アイコンタクトがあれば合わせやすいが、相手はクノンだからそうもいかない。
が。
覚えているものだ、とサンドラは思った。
ディラシックにやってきてからは、まともに踊っていないのに。
それでも身体は覚えていた。
――最初を越えれば順調だった。
サンドラがリードし、クノンは素直にそれに合わせる。
わかる。
きっとクノンは、相手の女にリードしてもらいながら、ダンスを覚えたのだろう。
ダンスの教師か。
あるいは婚約者か。
まあどちらにせよ、やりやすい分には文句はない。
そうして。
クノンにだけ集中していたサンドラは。
不意に気付いた。
周囲が、違う。
景色が違う。
あの教室じゃない。
気が付けば、ここはダンスホールだった。
きらびやかな照明が眩しい。
どこを見ても豪華で、美しい。
身形の良い紳士淑女が回りに立ち。
ホールの中央で踊る、一組のカップルを見守っている。
よく見ると、彼らの顔はない。
だが、問題はそこじゃない。
「――っ」
周囲の違和感に気を取られ。
また、クノンに視線を戻すと。
「……クラヴィス先生?」
目の前にいたのは、あの光属性の教師だった。
いや。
幻覚だ。
繋いだ手は、踊っている相手の体格は、クノンのままだ。
「……」
なんとなく理由がわかった気がした。
――クラヴィスと踊りたかったのだろう。
この曲を弾いている誰かは、きっと。
恐らくクノンから見れば。
サンドラも、違う誰かに見えていると思う。
だが、その答え合わせはできない。
クノンは見えないから。





