479.彼女はタフで太腿だから
ウフル・シヴァン。
サンドラが言うには、古い言葉で「古き明日」と言うらしい。
だが、当時の論調から言うと。
「明日が来ない老人たち」という意味だったんじゃないか、とのこと。
若者たちが馬鹿にするようにそう呼び始めて。
それが定着したのでは、だそうだ。
クノンとしては、ロマンチックな「古き明日」説を推したい。
「――なるほどなぁ」
そんな話をしながら、音楽室にやってきた。
「元が二重奏の曲だから、一人だけだと寂しいな」
クノンもそう思う。
しかし。
正直、曲のことはいいのだ。
「あの……何か見えます?」
「いや、全然」
では、確定か。
路地裏にいたオーガ。
今は広場に移動したが……。
あの「鏡眼」でしか見えない正体不明の存在と、同じか。
「音はこの辺から出てるよな。でも何も見えねぇ」
「鏡眼」で見えるドレス姿の女性。
彼女は、音楽室の中央で、バイオリンを弾いている。
その彼女の周りを、サンドラが歩く。
音が発生している場所を探しているのだ。
ちょうど、彼女を中心に歩いている。
「これがおまえの見せたかったものか?」
「あ、はい」
彼女は何者なのか。
サンドラが見えるなら、霊である可能性もあった。
だが、違うようだ。
ならば……という話になってくるのだが。
「うーん」
サンドラは難しい顔をして、頭を掻いた。
「確かビリオシア王国レッカド地方の曲だ。
あの国のダンスは一通り覚えているが、さすがにバイオリンは弾けねぇんだよな」
意外な知識を持っているものだ。
その辺の知識は、やはり貴族教育の賜物だろうか。
「……あ、待てよ。カシスがビリオシア王国出身だったな。あいつバイオリン弾けねぇかな」
「え? ……あ、そうなんですか」
もしやカシスも貴族出身だろうか。
それは、ちょっと納得できる気がする。
少なくともサンドラよりは。
彼女からは品性を感じる。
品がない言動でも、下品になりすぎない。
それは品があるからではなかろうか。
あくまでもクノンの感想だが。
いや、それよりだ。
「もしかして一緒に弾こうとしてます?」
クノンとしては、そこまで求めていなかったのだが。
「だって寂しいだろ、こんなところで一人で二重奏の曲弾いてるなんて。
ずっと相方待ってんじゃねぇの?」
「え……」
クノンはときめいた。
――サンドラから、女性らしい優しさを感じた。
もしや初めてではなかろうか。
この人にもあるんだ。
優しさが。
「よし、明日また来ようぜ。
カシスがバイオリン弾けるなら、ウフル・シヴァンの練習させとくからよ。
幸い難しい曲じゃねぇ。
ある程度弾けるなら一晩ありゃマスターするだろ」
確かにスローテンポで、曲調が大きく変わることもない。
素人判断ではあるが。
弾ける人なら、難しくはなさそうだ。
だが、違う問題もある。
「でもカシス先輩、嫌がるんじゃないですか?」
あれだけ怖がっていたのだ。
もう第一校舎には近寄りたくもないだろう。
「大丈夫だろ。カシスだし」
ひどいセリフだ。
「意外とタフだから?」
「冬でも太腿出してるしな」
まあ、なら、いい……のか?
――でも、やってみたい。
カシスには悪いが、やってほしい。
果たして彼女が反応するのかどうか。
ぜひ試してみたい。
ここは一つ。
誠心誠意カシスに頼み込むしかないだろう。
「じゃあガキナンパ、先生に報告頼むな。
私はカシスと交渉してくる」
「え? 早速ですか?」
「あいつたまにふらっと消えるんだよ。
『飛行』できるから、衝動的に遠くへ行きやがる。
あいつがまた『飛行』ぶかもしれねぇから、その前に捕まえる」
なるほど。
ついさっき別れたばかりだし、まだ大丈夫だとは思うが。
だが、カシスが遠出すると話が止まってしまう。
ここはサンドラに任せよう。
「――ありがとう。一応確認するけど、大丈夫かな?」
教師クラヴィスに掃除を終えたことを報告し。
明日また来る。
単位が貰えるかどうかは明日聞くから、と。
そう言って。
クノンも急いで第一校舎を出た。
「――やだって! やーだー!」
やってた。
出たところでやってた。
どうやらユシータとカシスは。
さっき別れたまま、ここに残っていたらしい。
もしかしたら、クノンたちを待っていたのかもしれない。
まあ単位が貰えるかどうかも気になったのだろう。
「まあまあ、いいだろいいだろ。
ちょっとバイオリン弾くだけだって。それ以外は何もしなくていいから」
だが。
待っていた結果。
カシスには、最悪が訪れたわけだ。
「また騙す気だろ! もう信じないって!」
逃げようとするカシスを。
サンドラが腕を取って捕まえている状態だ。
「あ、クノン君」
呆れた顔で二人を見ていたユシータが、クノンに気付く。
「えっと、聞きました?」
「うん。詳しくは聞いてないけど、第一校舎でバイオリン弾くとかなんとか」
まあ、詳細はともかく。
やることはそれがすべてである。
「カシス先輩、やっぱりバイオリン弾けるんですか?」
「らしいね。ちなみに私は全然」
「僕もです」
幼少期。
楽器を学ぶ機会も、なくはなかったのだが。
クノンは魔術を優先した。
楽器だけでなく。
時間が惜しかったのもあり、必要なこと以外はほとんどやっていない。
――さて。
「僕も説得に回ろうかな」
この話は、カシスがいないと進まない。
「あーあ。カシスも大変だなぁ。私は無関係でよかったー」
そんなユシータの言葉が耳に入ると――
クノンの直感が働いた。
彼女だけ無関係でいられるわけがない、と。
きっと、恐らく。
ユシータも巻き込まれるだろう。
強くそう思った。
「――ふざっけんなよクソ……」
翌日。
早朝、第一校舎の前に、再び四人が集結した。
「絶対に一曲弾くだけだからね! それ以上求めたらぶっ飛ばすから!」
説得に応じたカシスと。
「わかったわかった。もう騙さねぇよ」
苦笑するサンドラと。
「……クソ」
カシスが「ユシータが参加しないなら絶対しない!」と。
そう言い切ったがゆえに巻き込まれた、悪態が止まらないユシータと。
「じゃあ行きましょうか」
とにかく早く試したい、結果を知りたいクノンと。
今日は掃除ではなく。
楽しい実験の日だ。





